第4話 あざらしと子ぎつねと、ハスキー子犬

「あっありがとうございまきゅー?」


 数秒前にぶっそうな言葉を聞いた気がしたので、疑問形になってしまった私は悪くないだろう。

 もうこの際、鳴き声チックな語尾は無視だ。解決しないことを悩んでもしょうがない。今世の私はかなり前向きなようで良かった。


「ほぅ」


 見上げた先で腕を組んでいる少年は、もふっと狐のしっぽを振った。雪の粉が舞って、結晶に化ける。化けた欠片は、地面にぶつかって砕けた。


「おぬし……」


 少年の色白でふくふくとした頬が、邪悪に持ち上がった。大きな金色の目はもともと目つきが悪そうだったけど、絵に描いたようなかまぼこ型になっている。別名、悪いことを考えている目つきとも言えるだろう。

 私の斜め前、少年の右横あたりに浮いているステータス画面は薄い青色なので、危険を知らせてはいないが……このステータス画面、役立たずだからな。

 よし逃げようと右手を地面に叩きつけようとした。が――。


「生後十日前後の赤子がもう話せるのか」


 子狐少年の小さな手が、てしっと私の手を掴んできた。重ね着しただぼだぼしい長い袖から伸びている指は、人間の子どものものだ。ふっくらとして短い。


「話せるのは、おかしいできゅか?」

「あぁ。どの種族でも早くて半年はかかるかのう」


 しまった! この世界のあざらしはみんなこんなものだろうと思っていたよ! 変なところで規格外なんてオプションはお断りだ。あの化学繊維の毛玉もどきめ。取説くらいステータス画面に入れておいて欲しい。


「きゅっきゅー?」

「ばかもん。今更ごまかしているつもりか」

「きゅきゅきゅきゅっ!」


 痛い! 両ほっぺたを掴まれて、若干持ち上げられている。今のはしゃべれないのを偽っている訳ではなく、人なら「いたたたた」ってところだ。


「うむ。さらりと指を撫でる、良い毛並みじゃ。手の埋もれ具合も、もふっとしとるし、魔力でなぜれば素直に魔力を返す。これはかなりの効果が期待できそうじゃのう」


 ちょっと長めの紫がかった銀髪から覗く瞳が、愉快そうに形を変えた。

 赤子な私は恐怖で顔毛を揺らすことしかできない。あと、お尻のあたりに違和感があるが……おっ、しっぽがぴこぴこ跳ねているのか! 確認はできないが、本能で理解した。なにこれ面白い。

 さすが赤子だ。思いついた瞬間、しっぽを上下させることに夢中になる。頭ではそんな場合ではないと理解しているのに、はっはと喜んでしっぽを振ってしまう。


「……なんじゃ、両親が必死でおぬしを探しておるというのに、やけに楽しそうじゃのう。そんなほっぺたをいじられるのが好きか」

「ちがう!」

「ほぉー」


 否定したのに、少年は、今度はほっぺをぶにーを掌で押しつぶしてきたではないか。なんだよ! 自分だって、黄金で先だけ白い狐しっぽが揺れて雪を舞い上げてるじゃないか。

 このくそっ! と思った瞬間、ぴっこーんとしっぽが最大限に立ち上がり……ステータス画面がぶぉんなんて音を立てて、目の前にきた。画面から出た光が、子ぎつね少年の体をスキャンしていく。少年は表情を変えないので、これは見えていないのだろう。


「ましゃか!」


 あまり可能性としては考えたくない。でも、もしかしてステータス画面を操れるのは、しっぽなの⁉ どちらかといえば否定したい可能性だったが、試しにくるんとしっぽを回してみると――。画面に子ぎつね少年の姿と文字が映し出された。

 すっと顔が無表情になった。いや、今の私は悟りをひらいた者の空気に間違いない。


「やりすぎたか? すまぬ、すまぬ」

「こんなのいやできゅー!!」


 ぶわっとあふれた涙。子ぎつね少年はぎょっと目を開き、手を放した。その小さな手はすぐに戻ってきて、必死に頭を撫でてくれた。

 一瞬ギャップにときめきそうになったもふもふな胸だが、今はそれどころではない!

 確かにね! あざらしだと画面に手が届かない。操作できないのに出てくる画面がうっとおしいと思ったよ。でも、なんで、なんでしっぽなのさ。自分のしっぽを見ることはできないが、あざらしのしっぽって後ろ足の間にある短いやつだよね?

 それが操作の度にあやしげな動きをするって、とてつもなく恥ずかしい事な気がする。あざらしとして。あざらしとして!


「両親とはぐれて心細かった上に、緊張の糸がぷつりと切れたのか。ほれ、帰るぞ」


 少年は見た目より力があるようだ。自分の体の半分に近い私をひょいっと抱き上げた。どうやら前世の記憶にあるあざらしよりも、私は小さいらしい。脇を抱えあげられて、無防備にお腹がさらされている。これが私のお腹か。ぽっこりおなかどころが、全部おなかだ。ときめく胸などなかった。

 毛並みは氷に光が反射してか、ほんのり青い。やっぱり雪が砂糖に見えて、おいしそう……。


「きゅうう」

「腹が減る余裕はあるのか。あいにくと今は持ち合わせが――」

「せんせーい!」


 子ぎつね少年の声を遮ったのは、ちょっと掠れた少年の声だった。

 風に舞い上がる雪の奥から、グレーの塊が走ってくる。背中から抱きかかえられているおかげで、私にも見える。その塊は私たちの前で急ブレーキをかけた。はっはっと舌を出しているのは、いわゆるハスキーの子犬。目の周りが黒く、その目の上にはまろまゆみたいに白い。まるで氷みたいなスカイブルーの瞳。が、私顔負けに丸々としている。


「おぉ、マートル。思いのほか、早く追いついたのう」


 私を小脇に抱えなおした子ぎつね少年が、子犬の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。マートルと呼ばれた子犬は、くぅーんなんて甘えた鳴き声を出している。

 ハスキーの毛ってぱっと見た目毛先が細くてちくっとしそうだけど……私だってもふりたい!


「おぉ、じゃないです。ここは匂いがかぎにくいんですから、はぐれないでください」

「はぐれたのはわしの方かい。まぁ良いか。目当ての赤子が見つかった。戻ろう」


 小脇に抱えられたまま、ぐいっと前に出される。うぅ、子犬もといマートル君、じーっと見つめてくるよう。おっ美味しそうなんて思ってないよね⁈

 と、ちょんと鼻先をあわせられた。湿っていたけれど、なんか心がぽっとあったかくなった。


「よかったね、マヌカ! うちの先生は、聴覚も魔法もすごいんだよ!」


 どうやら、今世での私の名は『マヌカ』というらしい。前世を思い出した影響か、いまいち今世の記憶が薄い。とはいえ、生後十日ぐらいだし、記憶という記憶もないか。


「僕、おなかすいちゃった!」

「わたし、おいしくないできゅ!」

「なに言ってるの。探しに来たマヌカを食べたりしないよ」


 きゃっきゃと楽しそうに笑ったマートル君。口を押えて笑う仕草が可愛い。ああぁぁ、わしゃわしゃしたい! 喉元、ぐりぐりと撫で上げたい! が、やはり私の手はわずかに上下にばたついただけ。


「お茶してたのに、マヌカがいなくなったって屋敷のみんなが騒ぎ出して、大変だったんだから」

「おやしき?」


 あざらしが住むお屋敷とは。ここでは水中や氷の上を屋敷と呼ぶのだろうか。それは認めない。

 私のやさぐれた愚痴などつゆ知らず、マートル君は思い切り頷いた。


「うん! マヌカはまだお母さんのシュガークッキー食べたことない?」

「無茶を言うな、マートルよ。この子はまだ赤ん坊じゃ」

「そっか。まだミルクしか飲めないんですね。でも、マヌカのお母さんのシュガークッキー、美味しいだけじゃなくって可愛いから、やっぱり早く見せてあげたいです」


 なんていい子なの、マートル君! 私てっきりこの世界は狂暴なしろくまさんと目つきの悪い子ぎつねみたいなのばっかりだと思い始めていたよ。

 うるるっと感動で目が湿った私を見て、子ぎつね先生とマートル君は顔を見合わせた。


「ごめんね、マヌカ。僕がお母さんの話なんてしたから」


 ぺたりと垂れた耳。クリームパンみたいな前足で、ちょいちょいっと鼻を撫でてくれる。

 えっと、違うんだけど。ここで否定するのもおかしいか。


「色んな意味で、もうぐったりでしゅ」


 前世を思い出してから怒涛の展開すぎて、もう思考がまわらないのも事実だ。

 実際にぐったりすると、子ぎつね先生が「よいせ」と抱っこしてくれた。子ぎつね先生にもたれかかり、両手で抱き着く。抱き着くってよりは、添えてる感じだけど。

 子ぎつね先生はそんな私の背中をとんとんしてくれた。一気に瞼が落ちる。これも赤子ゆえか。


「さて、あやつらも心配しておろう。吹雪になりそうじゃから、魔法でとっとと帰るか」

「きゅう」

「まぁ、その後、しっかりとおぬしの毛はいただくがな」


 全刈り上げじゃないだろうな、とは突っ込めなかった。全刈りじゃなくても、昔のプードルみたいなカットは勘弁願いたい。もふ度が減るし、地肌をさらすなんていやらしい。

 うとうととする瞼の向こう側、氷の地面に七色の魔方陣が広がっていく。この期におよんであれだが、本当に地球とは別の場所なんだぁと思った。

 そのまま寝たいと思ったが、ステータス画面がしつこく目の前に移動してくるので、目をかっぴらぐ。きっと血眼だ。マートル君が盛大に怯えたのを横目に、ぴこっとしっぽを動かす。


(えーっと、なになに? ショタじじいみたいな子ぎつね先生の名前は、ヴァルタ=トゥルシー=セージか。セージって日本人みたい、じゃなくって、ハーブのセージ?)


 そういえば、彼からは懐かしいアロマの香りがしているっけ。

 ステータス画面に表示された彼の情報は、以下のとおりだった。

 名前はヴァルタ=トゥルシー=セージ、性別は男。種族はウゥルペース・ウゥルペース族(つまりは狐族らしい)で、変化性遺伝子を持つ上流階級。変化性遺伝子の隣には、『あなたと同じ』と書いてある。んんっ⁉ ってことは私も人化すれば、もふりすとの夢が叶うのか⁉

 ……余計な期待は持たないことにしよう。それより、ショタじじいのステータスだ。そう考えている間にも、ショタじじいは詠唱している。まるで子守歌みたいに優しい声。

 本当に寝てしまう前に、読み切ろう。なになに? 特異能力は製造魔法で、製造レベルはレベル十マックスのうちレベル八か。えーと、そんでもって、外見年齢は六~九歳ほどで、実年齢は――八十三歳だと⁉ 本物のショタじじいだったのか!


「なにを暴れておる。ほれ、寝ておけ」


 とんとんとリズムよく背中を撫でられ、すとんと意識が落ちた。


◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 重い瞼があがったのは、ちょっとしたざわつきでだった。瞼をこすることはできないので、ぱしぱしと瞬きを繰り返す。

 視界に映っているのは、映画のセットみたいな屋敷だった。玄関先だけで、前世の私の部屋がすっぽりとおさまる位には、豪華だ。神戸旅行で訪れた異人館をさらに規模を拡大した感じがする。

 ヴァルタ先生(勝手にそう呼ぶことにした)が扉側を向いているので、よく見渡せる。


「マヌカ、起きなよ。おうちだよ!」


 後ろ脚をちょいちょいっと引っ張れてくれるマートル君だが、ちょっとばかり爪先がひっかかって痛い。このまま勢いよく下に引っ張られないことを願うばかりだ。


「こら、マートル。もうちょい寝かせておいてやれ」


 体が軽く弾む。ヴァルタ先生が抱きかかえなおしてくれたのだろう。そういえば、人に抱きしめて貰ったのはいつぶりだろう。その最後の記憶は、就職が決まった時、友人と喜び合ったものだ。

 でも、でも……どうせなら私がもふもふおもちなあざらしを抱っこする側でありたかった‼ くそうぅ。


「えー、だって、みんなもマヌカの元気な顔みたいと思いますよ?」

「……なんぞ、元気を通り越して歯を食いしばっとるようだが。マヌカ、お主すごい顔面になっとるぞ」


 乙女に向かって失礼な! じゃなくて、表に出てしまったいたか。

 私の小脇を抱えたまま、ヴァルタ先生は小さく息を吐く。


「警戒するのはわかるが、もうちっと我慢しておくれ」


 体を離したヴァルタ先生には苦笑が浮かんでいる。


「ちっ違うんできゅ!」


 慌てて否定してみるものの、うまい言い訳は浮かんでこない。まさか自分のもふもふを抱っこするヴァルタ先生に嫉妬していましたなんてことは言えないし。

 あわあわとするしかない私に、ヴァルタ先生は――にやりと口元をあげた。


「ならばよかった。毛をもらうのに警戒されてはかなわんからのう」


 あげてからの落としに、思わず悪態をついてしまった。つかめないよ、このショタじじい!


「ぐぅ! この鬼畜子ぎつね!」


 さすがに赤子の発言ではないと気付いたのか、ヴァルタ先生は眉間にしわを寄せてしまった。そのままぐいっと顔近づけられる。


「おぬし――」

「マヌカ―!」


 たた助かったー! と思った直後、あぁこれは今世のお母さんの声だと理解した。


「マヌカだと?! ヴァルタ殿とマートルがマヌカを見つけてくださったのか!」


 続いて聞こえてきたのは、低音のダンディボイス。こっちはお父さんだ。私を抱っこしてもふってくれた両親の姿が脳裏に浮かぶ。って、うん?

 床に降ろされた私の目線の先には、同じ高さにある両親の姿。中央にあるレッドカーペットが敷かれた、あざらし十匹は余裕でおさまりそうな幅の階段。そこにひときわ目立っている、かなり大きな真っ白いもふもふ。そのもふもふが、さっきの私さながらに、水風船のように弾んで駆け寄ってくるじゃないか。

 あざらしそのものかーい!!

 ぴしりと固まった体。地球のあざらしと違って、大人のあざらしもホワイトコートを纏っているが……問題はそこじゃない! 人型じゃない、だと?


「なんじゃ、まだ人型に戻れておらんかったか」

「この手にマヌカを抱くまでは!」


 そう言って、頬を全力ですりつけてくる両親。ぶっちゃけ手はこの豊満な体を抱きしめられるほど長くはない。しかも、自分のもふ毛のせいで、せっかくの両親のもふもふが伝わってこない。もふ×もふはさほど感動がないことがわかった。


「抱くなら、戻った方が良かろう」

「はっ! さすがヴァルタ殿。よし、ハニーいくぞ」

「そうね、あなた」


 自分の父親ながら、ハニーって。あー、違うか。うっすらと思い出してきたけど、ハニーは母親の本名だ。

 頷きあった両親はてしっと大理石の床を叩く。ぱぱーと毛が発光した。


「これで、思う存分抱きしめられるわね!」

「あぁ、愛しき娘よ!」


 ぼふんと面白い音を立てた煙から姿を現したのは、銀色の髪と口髭のダンディな父親と、ベイビーブルーの巻髪に豊満な胸を持つ美しい母親だ。

 そうそう、思い出した。彼らが私の両親。お父さまとお母さまだ。突如、ぴんときた。


「動揺すると人化がとけるなど、精神統一の訓練がたらんぞ」


 ヴァルタ先生はふんと腰に手を当てて、瞼を落とした。偉そうな口調だが、お父さまもお母さまも、気を悪くした様子はない。


「うちの子はたぐいまれなき毛並みと皮下脂肪を持ってますから、心配にもなりますよ!」

「まぁ、あなたったら。その言い方、マヌカが人化できるようになったら嫌われてしまうわよ?」


 両親は、私を両方向から抱き、頬ずりし続けている。うん、わかるよ。人間の肌ならこのもふもふはより気持ちいいだろうね。

 でも、不思議なんだけど、頬ずりされている私の方がたぶん気持ちいい。ほっとするような、甘えたくなるような。いいのかなと思って遠慮がちにすりっとすると、高速すりすりが返ってきた。


「愛娘が無事でなによりじゃが、ほれ」

「ひぎゃー!!」


 ぶちっと一本毛を抜かれ、マンドラゴラみたいな断末魔が響き渡った! 仰向けになってぴくぴくと泡を吹いてしまう。

 なにが、ほれだ! 初めて眉毛を抜いた時の痛みそのものだよ! あれ、本当に痛いんだからね、特に瞼に近い方!


「おっおかしいのう。さっきから思っておったが、この月齢のハープシール族は痛みに鈍いはずじゃが」


 ヴァルタ先生の「おかしい」という言葉で、さっときりっとなる。

 お母さまはちょっと冷静な目で私を見ているが、お父さまは違うようだ。ぎゅうっと力の限り体を抱きしめられた。内臓が出そう。


「先生! うちの娘は繊細なんです! きっと皮下脂肪の中に神経がまざっているんですよ、こまやかに!」

「そんなばかなことあるかい」


 お父さま、ヴァルタ先生の突っ込みは正しいと思うよ。


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