第2話 名は体を表わす?
分厚い氷に突っ伏してのお昼寝から目覚めてすぐ、しろくまさんに襲われたあざらしな私。
そんな私は唐突に生前の自分を思い出した。
ちょっと柔らかな体に刺激を感じないでもないが、それが記憶を取り戻すよいきっかけになっているかもしれない。って、臨死体験⁉
それはさておいちゃいけない問題な気がするが、今は頭の中を整理する方が先だ。しゅたっと華麗に氷の上に降り立ち、右手を地面に打ち付けた。無意識の行動だったのだが、見事な閃光が弾けた。自分の体から。この世界のあざらしは発光できるらしい。
さて、私こと前世の猫宮 小鳥がまず申し上げたいのは、「名は体を表す」なんて名言を残した人に対しての苦情だ。
(そうならば苦労はない)
この一点である。今世に対しても言いたいことはあるが、まずは前世だ。
大体にして、前世の私は名前に振り回されてきた。まずよく考えて欲しい。猫の苗字に鳥である。しかも、小鳥だぞ。
『うちの子に限って♡』
なのは別として、猫に鳥は禁句だろう。狩られる側と狩る側である。きらきらネームではないと言っても、我が両親ながら、もうちょっと考えて欲しかった。
とはいえ、名付けセンス以外は普通の両親と妹の三人家族の中、私はすくすくと育った。そう、自分の名前『小鳥』を自らあざ笑うかのように、すくすくとだ。
中学生にして身長百六十~百六十五の間にして五十キロ台の私は、いわゆる健康児だった。太ってもいないが、締まった体をしているわけでもない。体の発育のせいで、ちょっとばかり運動神経が良い本当にふつーな女子。
いや、運動神経だけは本当に良かったか。短距離走も早かったし、球技も普通以上にこなした。一輪車だってお手の物。
今も、しろくまさんから逃げるのに一役かっている。水風船のように跳ねている姿だけだとかなり運動音痴に見えるかもしれないが、あざらしの中ではかなり足――じゃなくて、腹が早い方だと思う。ってか、腹が早いとは。
話を戻そう。生前の私はすこぶる内向的な性格だった。小学生なんて運動神経が良い子ほど人気が出るものなのに、ギャップもあってか周囲は私をからかうようになった。
その最たる原因は妹にある。
あ、いや、勘違いしないで欲しい。私の二つ下の妹は暗躍して姉を貶める子でも、姉を踏み台にしてスクールカースト上位に媚びるような子でもなかった。
生前の私の妹は『猫宮 美鳥』という。
この時点で、おおよそのオチをおわかりいただけただろうか。察しの良い皆さんなら、あぁはいはいと紅茶片手に鼻で笑るやつですよ。
美鳥は読んで字のごとく、まさに美しい白鳥のような女の子だった。身長は私と同じくらいなのに、体のつくりは華奢ですらりとしていた。奥二重の瞳にすっと通った鼻筋。なにより、長い手足に見とれない者はいないほどだ。
私が大学三年になる頃、美鳥は女子大生兼読者モデル、いわゆる読モとして活躍し始めていた。同じ地元近くの都心大学に通う女子なのに、ここまで違うものかという現実を目の当たりにして眩暈が起きたのを覚えている。
あ、今は雪原を這いずり回りすぎて眩暈がするが。
さて。もう一度、言っておこう。美鳥は地味な姉を邪険に扱うことはなかった。
(ただ……無関心だったのだ)
あの子は、単純に、私に興味がなかった。
それでも、小学校にあがるまではそれなりに仲が良かったと思う。姉妹なんてすごく仲がいいか、悪いかだなんて言ったのは、私の親友だったか。
私たちはどっちでもなかった。ほどほどの距離感。それは互いに無関心だったからだ。
それでも昔は妹も「小鳥おねえちゃん」なんて、これまた鈴を転がしたような声で呼んでくれていた。そもそも、美鳥がただ「おねえ」と呼ぶようになった理由は、私が自分の名前を好きでないことを知っていたからだ。名前を呼ばないことに関しては、妹は全く悪くない。
(美鳥が私に興味がなくなったのは、地味な自分に卑屈になりながも変わろうとしなかった私に呆れて見放したからに違いない)
私は実家を出て一人暮らしをしていたので、大学も近かった美鳥はよく泊まりにきたりもしていた。一方、美鳥は実家からの通学。美鳥の可愛さゆえに、両親が一人暮らしを許さなかったのだ。昨今、ストーカー被害なんてニュースも多い。
「おねぇばっかり自由にさせてもらってずるい!」なんてむくれられたのを、よく覚えている。
(それは私のセリフだよ、なんて明るく笑い飛ばしたら、本気で拗ねられてしまったなぁ)
ひとつ加えておくと、私は地味で内向的な傾向にはあったが、決して暗くはなかった。根暗ではあったかもだけど、普通に周りとコミュニケーションがとれる人間だった。
さてさて、話を戻そう。
美鳥が大学入学早々読モになった初めのころは、あれやこれやと化粧を教えてくれたり、服を買いにまわったりした。
私もかなり努力はしたと思う。でも、まぁ、成果が出ないものだから、私も無理することに疲れてしまった。人間、対外的評価を得られないと疲れる生き物なのだ。
冬になる頃には、美鳥との会話はすっかりなくなっていた。私もそのうち、やれ就職活動だ、やれ卒論だのと忙しさにかまけて実家に帰る機会もほとんどなくなっていた。
特技がない私だったが、アロマ好きが功を奏して関連の中小企業に就職が決まった。
最初の三カ月は辞めたくて辞めたくてしかたがなかった。理不尽な責めや、完全な縦割り社会。理不尽がまかり通り、正論が叩かれる。
けれど、四カ月目にもなったとある日、上司から貰った「よくやった」の一言で、世界ががらりと変わった。理不尽だと思うことを止めて、視点の一つだと思うことにした。正論が叩かれるのではなく、言いようによるのだと理解した。
それからがむしゃらに頑張った。
捉え方ひとつで色を変える世界が面白いと思った。
夏を過ぎると仕事も落ち着き、初ボーナスで買ったサーロインとケーキを片手に実家の扉を開いたのだ。それは偶然にも自分の誕生日だった。友人からお祝いのメッセージも貰っていたが、本当にたまたま夏休みの初日と被っていたのだ。
(だから、余計に胸にずきんときたんだよね)
なんてことない。家を出たしっかり者の長女の誕生日より、実家暮らしの美人で保護良くをかられる妹のモデルデビューの方がインパクトが強かっただけの話。
(自分を祝う滑稽な品を持って帰った私を、両親は妹へのプレゼントだと考えて疑いもしなかった。珍しく、気が利いたなんて誉めたりしてさ。あの時の美鳥の顔って言ったら)
屈託のない『ありがとう』をあれほど恨めし思ったことはなかった。あぁ、この子は自分が中心に世界が回っていると考えているのだと思った。美鳥は恨めしくなかった。悲しいと考えたのは、両親に対してだった。
美鳥をお姫様に仕立てのは、他ならぬ両親だから。
「きゅううぅ」
しつこいようだが、今は別の意味で胸がくるしい。もう、限界である。水風船みたいに跳ねながらの移動は、想像以上に前に進まない。これが見る側なら悶えもしよう。が、自分がする側なのは本当に勘弁して欲しい。下手に人間だった記憶が蘇ってしまったので、もどかしさが半端ない。生えろ二本足‼
逃げ込んだ氷の影から周囲をうかがうが、私の心臓以外は静かだ。あのしろくまさん、相当運動神経が鈍いのだろうか。
「あれ、わたしの今の両親ってどんなだっけ、きゅー」
なんだこの語尾。思わず平たい手で顔を覆ってしまうくらいには、つらい鳴き声が語尾についた。しかも、かなりの高音。元二十代の心は砕けてしまいそうだ。
命の危険が迫る中、詳細を思い出している時間はない。えーっと、えっと。そう、思い出さなきゃいけないのは、あざらしに転生する直前の出来事だ。
すったもんだあって、私は実家と疎遠になっていたんだっけっか。それで、夏過ぎからはまっていたキノコを実際にかりにいくぞーっと、友人とキノコ狩りツアーに参加したのだ。当時の私は、「菌活女子」だった。ヘルシーなのに効能が多いキノコにはまったのだ。一緒にいった友人は既婚者だったので、私は家で一人まったキノコを堪能していた――。
「そうでしゅー! あの鍋の中に、ワンナップきのこみたいのが混ざってた、勢いでたべたんでしゅよー!」
なぜ食べたし、自分。地面に手のひらだけではなく、ふかふかの腹をつく。ついでに頭を抱えたかったが、あいにくと長さが足りず、頬にあたった。
「入れた記憶がないもの、たべるなでしゅよ!」
ノリだけはよかった過去の自分と、やはりおかしな語尾がついてまわる今の自分に尻尾がわなないて止まらない。
しかもあのキノコ、噛んだ瞬間にしいたけみたいな味がしたもんだから、調子にのって一気に飲み込んでしまったのだ。シイタケ大好き、シイタケ茶はおすすめしておく。
「わたし、ほんとうに、あほでしょ」
最後に、お笑い番組のテレビ画面がぼやけたのを思い出した。
その後、宇宙みたいな空間で意識を取り戻したんだっけか。宇宙空間に浮かんでいるよりも、目の前にいた巨大な神々しい毛玉に驚いた。シャンプーのCMに出てきそうなくらい憎らしいキューティクルふわふわな毛だった。それを見て、なんか冷静になった。
仙人毛玉になったみたいな存在はゆっくりと口というか、毛の狭間を動かした。
その一部始終を脳内再生してみよう。ご覧ください。これが決定的瞬間です。
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