番外編① 少女になったマヌカとゴキリーンさん

「よし、こんなものかな」


 魔法で作られたガラス瓶から、最後の精油の一滴が落ちる。それを確認した後、ぐるりと周囲を見渡した。

 荒野に生える枯木で、先ほど取り付けたオレンジポマンダーが風に揺れている。私の前世でもあった魔よけで、オレンジにクローブを刺したものだ。


「しぶといゴキゴキ闇因子も、これで結界外には逃げられないよね。さすが私のもふ毛の魔力――いやいや、ヴァルタ先生特性の祓い用の精油。まじりっけない精油だから、効果も抜群!」


 説明臭くてすいません。

 こんにちは、マヌカ=ハープシールです。あざらし歴も十六年となりました。

 相変わらず頭の両サイドにもふもふが二塊りついておりますが、それ以外はちゃんとした普通の少女です。

 そんな私は今、一仕事終えて草一本生えていない荒野の岩に腰かけている。


「休んでいる場合じゃなかった。そろそろ、マートル兄がゴキゴキ悪魔をこっちに追い込んでくる頃だ」


 ごっつい岩の上に立ち上がり、ステータス画面を呼び出す。3Dの地図上では、光の点が四つ点滅している。私とヴァルタ先生の光は動かないが、二つは元気に動き回っている。っていうか、こちらに突進している。

 顔をあげると、砂埃が舞い上がっているのが見えた。しかも、かなりのスピードで近づいてくる。腰鞄に着けていた望遠ガラスを目にかざす。そこには、凄まじい速さで全身する虫と、それを追いかける美青年が映りだされている。

 

「マヌカ! そっちに行ったよ! 本当に大丈夫?」


 望遠ガラスに映り、耳のイヤホンの声の主の美青年ことマートル兄。彼のハスキーな声がイヤホンを通して届く。

 私は、待ってましたとばかりにポーチから三本の小瓶を取り出した。多少お行儀悪いが、口で蓋を抜く。きゅぽんといい音がした後、爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。


「おまかせあれ!」


 眼前に迫りくる悪魔はあれだ。ある意味では悪魔なのだけれど、別の意味でも大概の人には悪魔だ。

いわゆる、巨大なGOKIBURIさんである。

 そうなのだ。今回の依頼は悪魔化したGOKIBURI族のゴキリーンさんを沈める、間違えた、鎮めることだ。


「かわいそうなゴキリーンさん。本当はとっても綺麗好きなのに、彼氏があまりにも家どころか屋敷中を汚したものだから、切れちゃったったんだよね」


 それくらいで? とは思うなかれ。いわゆる『悪魔』と呼ばれる闇の因子に取りつかれるのは、何がきっかけになるかわからないのだ。

 ひとつ文句をつけるなら、ちょっと中二病っぽいよね、闇因子って。

 それはさておき。だからこそ、ヴァルタ先生を店主とした我が『サルバーレ精油堂』は豊富な精油とハーブを扱うことができるのだ。収入の大部分が悪魔祓いだから。件数の問題ではなく、一件当たりの報酬がそれなりに高額なんだよね。


「って、謎説明している暇はないんだった!」


 小瓶を指の間に挟んだまま、わずかに瞼を閉じる。

 すぅっと息を吸うと、精油――レモングラス、ユーカリ、ミント、キャラウェイ、それに柑橘類――の香りが肺に広がり、やがて全身に廻っていく。周囲の空気が変わる。

 それはやがて、小瓶を挟んでいる指先にまで届き、瓶の中にある精油もぽぅっと優しい光を放つ。


努々ゆめゆめ忘るるなかれ。善も悪もくうなりと観ずるが、我ら祓い師の心得。我らが祓うは、心の闇なり」


 これは祓い師の自戒の言葉。

 ようは、善も悪も自体に絶対的な実体がないと真理を悟ることが、私たち悪魔祓い師が念頭に置くべきことで、祓うのは存在そのものではなくあくまでも存在を闇に落とす欠片であるということだ。

 とはいえ、もちろん声に出さない人もいれば、綺麗ごとだと嫌う人もいる。

 そんな中、私はあえて言霊にする。だって、これは前世の仏教語に似ている。世界が違っても、そこにある理に大差はないのかもしれないと、私の肩の力を抜いてくれた言葉でもあるか。


「もふ毛の提供もかなりしているけれど、やっぱり、私自身の行動で頑張りたいもんな」


 腕をクロスさせてあからさまに詠唱しますよーというポーズが恥ずかしかったのは、幼児の頃だけ。今ではすっかり慣れた。とはつまり、私が『マヌカ』としてこの世界に馴染んできているのかなぁとか思ったりしなかったり。


「よっと!」


 両手を掲げ、半円を描くように振り下ろす。瓶から飛び出た精油は地面に落ちることはない。先程こめた魔力のおかげで空中にとどまっている。


「私の声にこたえておくれ」


 囁くのと同時、前に突き出した指に精油が集まってくる。まるで砂鉄みたいに、動く指先についてくる。こーいうの、理科の実験でしたなぁといまだに考えてしまう。

 そんな私の心を読んでか、精油たちは「なにいってるの」と笑わんばかりに、魔方陣からはみ出ていく。


「いかんいかん、集中!!」


 そうこうしている間にも、元ゴキリーンさんは目の色を変えて突進してくる。ここがGOKIBURI族が嫌う香りの切れ目なのだから、当然だ。

 完成した魔方陣に両掌を突き出す。巻き起こる風に結わっていない顔横の長い髪が舞う。っていうか、いい香りだよぉぉ、ほんと!! 魔方陣からいい香りとか力が抜けるわ、ほんと。


「マヌカ! ひきつけすぎ!」


 はふんとなりかけたところで、マートル兄の声がリアルに聞こえた。っていうか、くるみが額をクリティカルヒットだ!! マートル兄、メジャーリーグ級の剛腕どころの話じゃないんだけど!

 じゃない!! とびかかってきたのは、元ゴキリーンさん! でも、大丈夫。私、前世の妹である美鳥がGOKIBURI大嫌いなのもあって、退治は私の担当だったのだ。GOKIBURI上等だ!! ここに新聞紙がないのが悔しいわい!


「ひしゃぁぁぁー!!」


 振り下ろされる、とげとげしい細い手。このままだと、魔方陣で傷つけてしまうので、一旦掌に吸収する。

 元ゴキリーンさんの手が私の頭横にきて――。


「こんな時のー! もふざらし!」


 ぼふんと音を立てて、あざらしになる。十六になっても、あざらしのサイズは幼児のままだ。おかげで、元ゴキリーンさんは見事に空ぶった。くるくると宙で回転した体は、可愛そうなくらいの勢いで背中から地面に落ちた。が、すぐさま起き上がりそうになる。っていうか、お尻から何やら物騒なものが出てきそうになったので、


「あざらしテールキック!!」


 べちんと右頬からえぐるように物理攻撃をしておいた。ポイントは掬うようであり抉るような尻尾さばきである。

 おかげで、元ゴキリーンさんは全身をぴくぴくと痙攣させて気絶したようだ。

 ふぅ、危なかった。短い手で汗を拭ったところで、ひょいっと抱き上げられてしまった。


「こら、マヌカ。年頃の女の子が蹴りをかますんじゃないよ」


 私の脇を抱えているのは、マートル兄だ。少しばかり息を切らしているのが、またイケメン度をあげているから不思議だよ。なんだよ、イケメンは免罪符か。

 むろん、彼も人化できるようになっていて、私を抱えているのもその美形だ。


「ぐぅぅ。マートル兄の美形!」

「なにいってるんだよ、マヌカ。僕は、今、マヌカの足癖について怒ってるの」


 呆れるマートル兄のグレーの髪は、前も後ろも長い。が、肩下ほどの後ろ髪は、今は結わっている。澄んだ空色に近い瞳はすっと切れ長で、正直見つめられると居心地が悪すぎる。

 特に、ここ最近、マートル兄はぐんと美形度が増している。美形なハスキー犬そのものをご想像いただけるとおわかりいただけると思うのだ。


「あざらしだもん。いいんできゅよ」


 あ、ちなみに別に『きゅ』は幼児語じゃなかったようだ。したっ足らず的なやつだったらしい。ので、決して今の私が甘えているわけではないのは、理解して欲しい。

 とか言っている傍からでこぴんをくらい、強制的に人型に変化させられてしまった。っていうか、というか。片腕に乗せられるって、マートル兄、どんだけ力持ちだよー! という照れ隠しはもう通用しないので、あえて口にはしないでおく。最初の頃は照れ笑ってたくせに! なんだ、その余裕綽綽な顔はよぅ。


「あざらしだったからまだよかったけれど、人型でもこんな短いスカートで蹴るつもりだったの?」


 マートル兄ってば、目が据わっている。口調は優しいのがまた怖いよ。見上げられているはずなのに、なぞの圧迫感が全身を強張らせる。

 マートル兄の肩に両手をつきながら、しゅんと肩が落ちる。若干だが、彼が「仕方がない」という空気を纏った。よし、反撃だ。


「だから、あざらしテールキックだったし。これ、スカートだけど、下にはショートパンツ履いてるし」

「ならいっそのこと、スカートなんてやめて、ちゃんとズボン履きなよ。それに、肩を出すのもやめな。マヌカの白い肌に傷がついたらどうするのさ」


 地面に降ろされ、ぽんぽんと頭を撫でられた。かなり長身になったマートル兄は自然と見上げる体勢になる。

 当の彼は私がなんて言い返すのかなんてわかっているようだ。実際、何度目かっていうやり取りだしね。それでも、私は反論せずにはいられない。


「だって、仕事中は後ろ髪まとめてるし、作業中は帽子にエプロンなんだから、服装ぐらい良いと思うの。年頃だし。まぁ、肩を出しているのは、単に動きやすいからだけど」


 ぶうたれると、これまたお決まり的に頬をぶにっとつぶされた。ぶにーっと引っ張られた後、とんでもない優しい手つきて包まれた。

 あぁ、もう!! 兄弟子がこんだけ甘くて優しいから、私はいまだに初恋のひとつもできないのだ! ……ヴァルタ先生は、初恋じゃなくて、おじいちゃんにときめくようなものだし。だし。


「たぐいまれなき皮下脂肪、を持つマヌカにとって、服は暑いのかな?」

「マートル兄のいじわる!」


 彼の手をべしっとはたき、ぐぬぬと睨む。が、マートル兄は「ごめんごめん」と軽い調子で笑うだけだ。

 だんだん、心配になってきた。自分の行く先よりも、兄弟子の将来が。っていうか、すでにこの優しさと意地悪のギャップに萌え死んでいる女性は何人いるのかと。


「悪かったって。マヌカって、あざらし形態の時は喜ぶのにね。なんで人型の時は嫌がるかなぁ」


 謝りながらも、喉を震わせるのはやめないマートル兄。しかも、視線は私の胸に向いている。えぇ、まぁね! ありがたい部分にあざらしの皮下脂肪が反映されている訳だけれども! 前世では貧乳だった猫宮小鳥にはありがたいけれども!

 両腕で胸をガードすると、マートル兄はさらに肩を震わせた。きいぃぃ! 完全におこちゃん扱いだ!


「それとこれとは別なの! 大体、ヴァルタ先生もマートル兄も、他の人がからかうと怒るのに、自分たちはからかうんだから! おかげさまで自意識過剰になりそうですよ、マヌカは」


 まったくだ。もう理不尽なマートル兄は放っておこう。どすんどすんんと足音をたてて、伸びている元ゴキリーンさんに近づく。しゃがみこんだところで、ちらりとわずかに後ろを振り返って――後悔した。

 あぁ、あの純粋だったマートルお兄ちゃんよカムバック。いや、今でも十分純粋な部分は残っているんだけれどね。深いふかいため息が落ちる。それに反応したのは、当のマートル兄だ。


「マヌカ」

「はいはい、ごめんなさい。マートル兄、自意識過剰な私が悪かったって。だから、チュウニビョウっぽく黒い笑みを浮かべてないで、闇因子を回収しようよ」


 自分の失言に気が付いたのは、この数秒後だった。


「誰かが、マヌカのこと自意識過剰だって言ったの?」


 しまった。あちゃーと顔を覆っても時すでに遅しだ。私の隣にしゃがみこんだマートル兄ちゃんは、げきおこである。おこすぎて、半分獣人型になっている。耳や尻尾はともかく、牙は怖いんだけど。美形だけに余計にさ。


「マートル兄ってば、あの氷谷の出来事から私に甘すぎだよ」

「マヌカは特別だよ。赤ちゃんの頃から知っているんだもの。それに、僕のたった一人の妹弟子だから当たり前だよ。僕にとってマヌカはヴァルタ先生と同じくらい大事なんだ」


 照れもせずきっぱりと言ってのけたマートル兄が、心配で堪らないよ。妹弟子は。早く恋人でも作りなはれ。


 今世の私はとにかく『努力』をモットーとしている。

 それは精油や魔法だけに限らない。前世では最初からあきらめていた容姿についても、自分なりに頑張ってきた。自分なり、とは卑下ではない。自分に似合うものを研究したのだ。特に今世は、髪はベイビーブルーで瞳はストロベリーなので、カラーコーディネートというやつも勉強した。

 マートル兄が過保護なのは自分の境遇もあるが、赤子からずっと私を見てくれているのにも原因があるんだよね。


 でも、これはよくない。マートル兄ちゃんが私と同じように家族っていう存在を特別に考えるのはわかるが、元は他人でありしかも異性なのがよくない。


「えーとね。赤ちゃんのころから一緒にいるマートル兄が、私が頑張ってきたの知ってくれているのは嬉しいけれど、そうじゃない人がいる方が普通なわけでね」

「けれど、『普通』がマヌカを傷つけるなら、それが普通でもやっぱり僕は嫌だもの。ほら、先日だってマヌカに言い寄ってきた男に嫉妬した女がいただろ? ちゃんと、しめておいたから」


 ぐはぁぁ!! 吐血してもいいですかと、荒野に突っ伏す。もうすぐ十九歳になるマートル兄、純粋すぎるだろうっていうか、甘すぎる。甘すぎるよ! うん、しめるとかはよくないけどね!

 このたらしめ! と言いたいのに、未だに猫宮小鳥の意識が残る私にはそれが出来ない。向けてくれる愛情が嬉しくて堪らないのだから、いっそのこと申し訳なくなる。のに、愛情に包まれて育った『マヌカ』の反応は出来ないのだ。はぁ、本当に私矛盾だらけだ。

 荒野の石は痛い。砂埃も口から鼻から入ってくる。それでも、私はとても幸せなのだと胸が熱くなる。


「わかった」


 すちゃっと起き上がり、マートル兄の前に正座する。なぜかマートル兄も同じような姿勢になる。荒野の中、正座で向き合う兄妹弟子。

 「うん?」と首を傾げたマートル兄の可愛さにへにゃんとなってしまう。じゃない!


「マートル兄の気持ちはすごく、それこそ、とんでもなく嬉しい。でもね」


 ついっとマートル兄の長い袖を摘まむ。

 きりっと、目を三角にして睨む勢いで彼を見上げる。耳から頬まで全身が赤く染まっていくのがわかる。こんなこと、マヌカでもいい慣れていない。


「だからこそ、私を庇おうとしてマートル兄ちゃんが睨まれるようなことになるのは嫌なの。だから、嫌でも相手を噛まないで、こっそり私のこと甘やかして。私、こっそりなら、すごく甘やかされたいの。そんな我侭な私以上に、マートル兄ちゃんが大事になった人を甘やかしてあげて欲しいの」


 ぐはっと、全身から血しぶき上げそうだ。満身創痍だ。荒野をごろごろしまくっても、足りないぐらい恥ずかしぬ。実際、マートル兄の袖を離した後、顔を両手で覆って荒野ごろごろした。ごろごろだ。もはや、荒野の石がツボマッサージになるんじゃないかとさえ思い始めている。


「でも、嬉しいのは……うそじゃ、ないから」


 これは、本音だ。

 場を収めるとかじゃなくて、それを言える環境をみんながくれているのだ。それを噛みしめて、幸せで堪らなくなるのだ。


「うん、わかった! マヌカのこと、いっぱい抱っこしてあげるね」


 って、おい! ちょっとは照れなはれ! っていう、私が言ったこと理解してくれたのかいな⁈

 突っ込みが止まらないくらい、マートル兄は真っ直ぐな瞳で大きく頷いた。


「ちがっ、って、うん、マートル兄ってほんと残念美形」 


 一方、私は脱力するしかない。駄目だこの人、私の言うこと理解してないし。

 マートル兄が言う抱っこは、本当に抱っこだ。あざらし形態でのね。自分でも私のもふ毛は最高だと思うので、いいよ、別に。うん。


「っていうか、はいはい。元ゴキリーンさん、浄化しまーす」


 両掌に引っ込めていた魔方陣を呼び出し、泡を吹いているゴキリーンさんにてしっとぶつける。見る見る間にゴキリーンさんの体は、黒ひかりから茶色に変わっていく。

 それと同時に、足から生えていたとげが消え、つるんとした丸いフォルムに戻る。そして、徐々に小さくなり最後には掌サイズかつ丸々しくなった。まるでてんとうむしだ。


「これにて任務終了だね。じゃあ、帰ろうか」

「うん、お疲れ様マヌカ。よく頑張ったね。今回もマヌカのおかげでヴァルタ先生が出なくてすんだね」


 うん、はい。マートル兄の甘いねぎらいはいつものことだ。

 はいはいと黒い因子を小瓶に摘め、封呪をかけたところで、ひょいっと抱きかかえられた。お決まりのように。まぁ、お決まりなんだけど、慣れるかは別だ。っていうか、ぶっちゃけ慣れるはずない。

 ついでに加えると、ゴキリーンさんは魔法でぷかぷか浮いている。

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