とても重要な霊層

 霊層れいそうというものが存在する。これは文字から何となく想像がつくかと思う。魂がどれほど澄んでいるかのランクづけで、数字化したものである。


 物質界、霊界、神界全ての世界に共通のものである。

 物質界では、さまざまな霊層の人が同じ世界に住んでいるため、あまりその存在も知られておらず、気に掛ける機会も少ないかと思う。


 しかし、霊界はそうはいかない。なぜなら、ひとつ違っただけで、住む世界が別々に分けられるからである。


 それでは、詳しく話していこう。

 一番下の霊層は五百段である。これは、いわゆる地獄。

 霊層は数字が小さくなるほど、上へ高くなる。つまり、神に近づくということである。


 四百九十九段から一段までが霊界である。

 さらに上は、準天使という霊層があり、これは三十から一段まである。

 次は、天使という霊層があり、これは五十段から一段まである。

 そうしてようやく、その上の神という霊層になる。


 神界も物質界と同じく、ある一定の霊層の人たちが、同じ世界で生きている。しかし、霊界と天使が住む天界は非常に厳しく世界が細かく分けられている。


 仲のいい家族であったとしても、どんなに愛し合った人でも、霊界へと来た時、お互いの霊層が一段でも違えば、決して同じ世界で暮らすことは許されていない。


 どのような理由があろうとも、例外は認められていない。同情や情けというものを神は持っていない。なぜなら、それが魂を磨くための大きな妨げになるからだ。


 物質界がサブの世界である以上、肉体が滅んで霊界へ行った時点で、血のつながりや婚姻関係などは全て解消される。それでも、そこに必要以上に執着心を持つと、地獄へと落ちてしまうので、早めに気持ちを切り替えることが大切である。


 生まれては死んでという輪廻転生を人は繰り返している。ということで、ひとつ人生が終わったら次の人生の準備をするのが賢明な判断である。


 前の章でも書いたが、二歳未満で亡くなった人が、三歳まで一気に成長するという特別ルールはこの法則を生き抜いてゆくためである。


 霊層ごとに違う世界で、コミュニティーを作り、大人も子供も助け合って生きているのが霊界の常である。


 霊層が違っても、心のつながりをお互いに持っていて、直接会って話したいと願うことはあるだろう。上の霊層の人が慈愛を持って、下の霊層にいる人が上がってくるのを待つという話はよく聞く。


 しかしそれでは、人によっては非常に長い年月――何百年、それ以上かかることもある。神様も厳しさばかりでは心によくないと十分理解している。そのため、連絡を取れる方法をひとつだけ用意してくださっている。


 霊層が十段の人と七段の人を例に出して話そう。


 まずはお互いの世界の見え方である。山登りの話で例えよう。

 大きな山に登ろうとする。登山口で上を見上げても、木々などがあって頂上は見えない。しかし、頂上に登った時には、下の景色はよく見えるだろう。


 これと同じで、十段の人から七段の人が暮らす上の世界は見えない。なぜなら、これから魂を磨いて登ってゆく未知の領域だからである。


 しかし、七段の人からは下にいる十段の人はよく見える。なぜなら、自身が通ってきた道だからだ。


 この法則は物質界でも人によっては通用する。魂の澄んでいる人からは、霊層の低い人がどんなに嘘をついても、本心は丸わかりなのである。恥じない生き方を常にしたいものだ。


 したがって、霊界では十段の人から七段の人には話しかけられないが、七段の人から十段の人には、その人の魂が磨かれると判断をした上で、下の世界へ降りていき、会って話すことは可能である。


 ここで、新しく出てきた、天使という霊層だが、霊も心を磨くと、聖堂の中にある絵で見かけるような天使となる。背中には大きな翼を持ち、光る輪っかが頭の上につく。しかし、時と場合によってはそれらも邪魔になることもあり、人によっては似合わないと思うこともあり、翼と輪っかについては出し入れ自由である。


 そうして、神の領域へと上がる。人間には上がれないのではと疑問に思うかもしれない。しかし、歴史上の有名な人物で神様になった人に、著者は何人も出会っている。

 

 もちろん、物質界での地位や名誉は関係ないのだから、名も知れない人でもきちんと魂を磨けば、神になることは可能である。


 人は死ぬ時はひとりという話をよく聞くだろう。死後も基本ひとりである。大人で亡くなった人は神界へ登ると、一人暮らしをすることになる。


 問題は子供である。彼らが神の領域へとたどり着いた時には、養子となる。必ずなれるので安心だ。


 しかし、物質界と違う点がある。それは、いつまでも養子ではなく、実の子供になる、だ。どういうことかというと、肉体を持っている時のつながりといえば、たくさんの人が血や遺伝子だと考えるだろう。


 血も遺伝子も霊界と神界には存在していない。それではどうするか。親の魂を子供に分け与える。これが物質界で言うところの血と遺伝子である。つまり、実の子と必ずなるのである。


 それから、重要なことがひとつある。物質界にいる人間が神の領域へと登ることは十分あり得る。しかし、どんなに上がっても、肉体を持っている間は天使の一段止まりである。神には決してなれない。


 この法則が適用されるからである。肉体を持った神は存在しない――


 人生はいいことばかりではなく、失敗してしまったと思ったり、落ち込む日もあるだろう。これで、霊層が下がってしまうのではという不安に駆られることもあるかも知れない。


 しかし、安心していい。どのようなことが起きても、霊層が下がらないと判断されたのちに、上へと登れるシステムとなっているからである。決して落ちることはない。


 ただし、物質界にいる間に上げるのはとても難しい。なぜなら、肉体には欲望が必ずつきまとっている。どんなに霊層が高い人でも、人として生まれた時点で、自然と霊層は一旦下がるようにできている。


 肉体の力は非常に強く、よほどしっかりしていないと、魂は欲望に振り回されてしまう。それではただの肉塊である。そうならないためにも、私利私欲は少しずつでもゼロに近づける努力を続けることが大切である。


 霊層が下がれば、霊力は弱くなる。この一番わかりやすい例が金縛りである。

 金縛りを解くことが難しいのは、幽霊のほうが人間よりも霊層が高いからである。


 有名な人だから霊層が高いとは言えない。人々から尊重されているから、霊層が高いとも言い切れない。たくさんの人に影響力を与えているから、魂が澄んでいるとも限らない。


 誰にも注目されない生活を送っているから、霊層が低いとは限らない。何らかの障害を負っていたとしても、それは肉体の話であり、心とはまったく関係ない。逆にこのような人は霊層の高い人が多いのが常である。


 子供だから、魂が澄んでいるとは限らない。なぜなら、経験を積んで心を磨いたからこそ、魂は成長して霊層は上がるのだ。基本的に人生経験の短い子供は霊層が低い。


 たくさんの人がやっていることが正しいとは限らない。ある人が取っている言動をみんなが理解できないからと言って、その人の霊層が低いとは限らない。


 守護をしてくださる幽霊と神様は、人間を決して差別はしない。霊層の高低に関係なく、精一杯の慈愛を持って導いてくださる。安心して、思う存分、魂を磨く修業に専念しよう。


 前にも書いたが、物質界は一番厳しい修業をする場である。間違っているものが横行していることはよくある。それに流されないためには、自身の見る目を養い、心を磨くことが必要不可欠となる。


 間違った努力というものはある。だからこそ、正しいゴールを見据えて進まなければ、労力と時間の無駄で霊層はまったく上がらないということも起こり得る。


 霊層を上げるためには、守護をしてくださる幽霊と神様の判定が必要となる。そうなると、以下のことを攻略しなければいけない。


 幽霊と神様が何を私たちに求めているのかをきちんと理解することが大切である。次はその話をしよう。

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