スピンオフ作品

勿忘草の唄 ~ワスレナグサノウタ~

「でね、彼ったらひどいんですよぉ」

 鉢植えを抱えたまま憤慨している女性客は、鼻息も荒くそう言い放った。

「まぁまぁ」



 うららかな、春の日の午後。

 ここフラワーショップ 「KIBOU」 には今、他に客の姿もないし、とりあえずの雑務もない。レシートとお釣りをすでに女性客に渡してしまったメグミは、レジに片腕をついて、ゆっくりと客と会話する体勢に入った。

「ホント、煮え切らないんですよぉ。アメリカの病院からは、腕を見込んで是非来てくれって声がかかってるし、両親からはさんざん見合いの話寄こされるし。そういうもの一切を投げちゃえるチカラが欲しいのに……」

 メグミはこの手の話が大好きだ。思わず、身を乗り出して聞いてしまう。

「え、彼はハッキリ言ってくれないんだ? 『結婚してくれ、 オレについて来い!』とかってさ?」

 初めはなだめるつもりだったメグミであったが、だんだんこの女性客に必要以上に感情移入しだした。

「ん、ゼンゼン。付き合って結構経つのにね。親からもプレッシャーかかってるし、一体どうすんのよ! って聞いても『うん、そのうち』とか炭酸の抜けたコーラみたいなこと言うし」

 単純で気の短いメグミは、必要以上に頭にきた。

「何よそれ! いっぺん彼氏にガツンと言ってやんなさいよっ! 天誅よっ。スーパーイナズマキックよ!」

 何だかよく分からないことを叫びながら、メグミはシャドーボクシングもどきのポーズまで取り出す始末だった。

「店長……またですか」

 声のしたほうを振り向くと、培養土の袋を抱えた女性が、あっけにとられてメグミを見つめていた。

「あ。カオルちゃん、ゴメンゴメン」

 女性客はビックリした。

 どう見ても、店長と店員が逆に思えたからだ。



 東京の、とある街角にある花屋 「KIBOU」(キボウ) 。

 店長は、村島メグミ、若干23歳。

 この若さにして、花屋の店長である。

 高校時代はかなりやんちゃをしたため、ひどい運命に見舞われたのだが、立ち直って現在に至る。美人だが派手で気性が激しく、「落ち着き」「エレガント」という単語からは縁遠い。

 かたや、このショップ唯一の店員である後藤薫は理知的で冷静、海外は欧州に学んだ花のエキスパートである。

 カオルの方が年上にも関わらず、メグミは彼女をちゃん付けで呼ぶ。



「すみません。ウチの店長、この通り 『熱くなりやすい』人なもので……」

 カオルは女性客に頭を下げた。

「いえいえ、かえってうれしかったです。グチ聞いてもらえてスッキリしましたぁ」

「ホラホラ、私もたまには役に立つじゃん」

 メグミは得意気に言う。

「あ、そうだ。その鉢植え、その彼にプレゼントなさってみたらいかがですか?」

 名案を思いついたのか、カオルはそう言って手を叩いた。

「……でね、花言葉を調べろって。ちょっとまわりくどいけど、演出としてはよくない? そしたらさ、彼も感激して少しは思い切ってくれるかも!」

 女性客は、興味深げに身を乗り出してきた。

「ライラックですよねぇ。これ、花言葉は何ですか?」

 彼女はメグミにそう振ったが、それは間違いであった。

「あ、花のことはこっちね」 と左に受け流されてしまった。



『愛の芽生え、初恋』 



 カオルは間髪入れずに言った。

「うん、私にとって彼は初めて深く付き合った人だし。そして最後の人でもあってほしいな、って思うんです」

 女性客は、鉢植えを見つめながらつぶやいた。




「……ホント、女ってやつは難しいですよ。何考えてんだか分かりにくくって」

「あら、それは心外ですねぇ。私も一応女ですけど、分かりやすいってよく言われますけど?」

「アハハ、あなたは確かにハッキリしてて分かりやすそうだ」

 男性客は吹き出して言った。



 あの女性客の訪問から、数日後。

 メグミは、ある男性客の相手をしていた。

 聞いたところ、入院中の親戚を見舞うらしいのだが、彼がお見舞いの花をあまりに適当に選ぶのでアドバイスしているうちに、世間話になった。

 入院中の人に持って行ってはいけない花というのは、意外と色々あるのだ。

 平日の昼下がりというのは、どうしても暇だ。

 ちょっとでも世間話に乗ってきそうな客に、メグミはついつい話し込んでしまう。

 また、逆にそれがこの花屋独特の魅力でもあり、それなりに繁盛しているゆえんでもある。



「オレね、彼女がいるんですけど……有名な医大教授の一人娘でね。彼女自身も腕のいい女医なんですよ。で、親もそれに見合った地位ある男に見合いさせようとしているらしくて。

 それを知ってしまったら、オレみたいなんでいいんだろうか、オレなんかで本当に彼女を幸せにしてやれるんだろうか? って思ってしまって。そのせいで、なかなかハッキリとプロポーズできなくて……」

 それを聞いたメグミは、心に何か引っかかった。

 どっかで聞いた話だ、とピンと来た。



 ……医者? 彼女が?



「ひとつ聞いていいです? 違ってたらごめんなさいね。もしかして……最近お花をプレゼントされませんでしたか?」

 男は、なぜ知っているんだと言わんばかりに驚いた。

「ええ、確かに。でもどうしてあなたがそれを?」

「花言葉調べた?」

 メグミはたたみかけるように質問した。

「あ~、なんかそういうようなこと言われたけど、忘れてたな」

 メグミは、アチャーッと叫んで額に手を当てた。

「ダメだ、こりゃ」



 その時、男性客のスマホの着信音が鳴り響いた。

「おや、彼女からメッセージだ」

 読み進めていた男の顔が、青ざめだした。

「何てこった! アイツ、オレを置いてアメリカ行きを決めちゃったらしい。もう空港にいるみたいだ! 

 ……何だこれ。最後に何か書いてあるな。ええっと、スイトピーの花言葉?」

 案の定、メグミは答えられずオロオロしたが、いつの間にか横に来ていたカオルが助け舟を出してつぶやく。


「スイトピーの花言葉はね——」



『私のことを覚えていて』




 ホンダCBR1000RRのエンジン音がうなりを上げて吼える。

「しっかりつかまってるのよ!」

 メグミの声が、フルフェイスのヘルメットごしからもハッキリと聞こえた。

 タンデムシート上の男性客は不純な動機からではなく、純粋な恐怖からメグミの腰に力を込めてしがみついた。

 16:30 成田発・NY行き。

 普通に向かえば確実に間に合わないが、メグミは何とかする気でいた。



 ……ただ、ちょっと無茶するけどねっ



 目の回るような速さで、周囲の景色が流れていく。

 カーブに差し掛かったメグミは、車体を45度近くも傾けた。

「ひいいいいい」



 ……かっ、彼女を説得する以前に、生きて空港に着けるだろうか!?



 男の心配は頂点に達した。

 一方で、メグミは自らのドライビングテクニックに、完全に酔いしれていた。



 ……ムダかもしれないけど、彼女に『行かないで待っててくれ』って返信させといたからね。でも、それに賭けるのは最終手段。

 とにかく、今は早く着くしかないわ——。



 メグミはアクセルを思いっきりふかした。

 タコメーターがレッドゾーンスレスレまで振れた。

 お尻から、突き上げるような加速感がビリビリ伝わってくる。

 その恐怖は、遊園地の絶叫マシーンの比ではなかった。

 男は思わず 「おか~ちゃ~ん」と叫んでしまいそうになっていた。



 空港に着いた二人は、なりふり構わず人混みを掻き分け、搭乗口まで激走した。

 16時32分。

 無情にも僅かの差で、飛行機は彼らの仰ぐ上空を飛び立って行った。

 メグミと男は、ゼイゼイ言いながら、ガックリと膝をついた。



 その時だった。

 彼らの目の前に、人影がさした。

 振り返ってみると、そこにはメグミも知っていたあの女性客が立っていた。

 その手には、鉢植え。

 彼女は涙をこぼしていた。

「これね……もしあなたが、なりふり構わず追いかけてきてくれた時のために、って探しておいたの。季節をはずれちゃったから、探すのに苦労したんだからね」

 男は、渡された鉢植えを受け取った。

 そして、不思議そうな顔をしてメグミのほうを向く。

 花のことでは、カオルの知識レベルには果てしなく遠いメグミにも、幸いその花のことは覚えがあった。

 これで、何とか名誉挽回だ。

「フリージア。花言葉は——」

 メグミは、一言一言かみしめるように言った。



『私のもとへ帰って、もう一度愛してください』




「そう、それは良かった」

 カオルは切り花を花束にしながら、メグミに言った。

「我ながら、いいことをしたわ。やっぱり、私のやんちゃな経歴も、役に立つことってあるんだぁ! メデタシメデタシ」

 ほうきで床を掃く手つきもリズミカルに、メグミは上機嫌であった。

「どうせ、かなり無茶な運転をしたんでしょ?  警察の取り締まりにも事故にも遭わなかっただけ、めっけものだと思いなさいよね……あ、そうそう。あの二人から花と手紙が届いてるわよ」

 カオルはそう言って、店の奥からひとつの鉢植えと手紙を持ってきた。

「あの二人、今ではラブラブみたいよ。あの頼りなさそうな彼氏も、やっと男を見せた! ってとこかしらねぇ」

 メグミは、プッと吹き出した。

「でもさ、花屋に花贈る、ってのも面白い話よねぇ!  ……んで、何でこの花?」

「もう、メグミさん勉強不足!」

 カオルは鋏を置いてため息をついた。

「クチナシ。花言葉は……」



『私はあまりにも幸せです』



 ちょうど、客の入りもなかった花屋の中には——

 クチナシの鉢を、満足げに見つめ続ける店長と店員の姿があった。

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