chapter 1 『Rebirth』(前編)
「殴ることないじゃない!」
ヒリヒリする頬を押さえながら、辛うじてそれだけ言った。
夜の都心の裏通り。私の声は、その暗闇の中に虚しく吸い込まれてしまう。
鉄臭い味が、舌にまとわりつく。口の中を切ったみたい。
「調子乗ってんじゃねーよ」
ミノルは、ポケットに手を突っ込んだまま言った。
「分け前はフィフティーフィフティーだって言ったろうが! 今更、決まってることでグチグチ言ってんじゃねーよ」
地面に這いつくばってまだ立ち上がれない私の背中に、福沢諭吉が数枚ヒラヒラと降ってきた。
「オラ、お前の取り分だよ!これ以上欲かくなっての」
脇腹に衝撃がきた。すでに反抗する力も、口答えする力も残っていない。
痛みも、後悔も、悲しみもない。
ただ、果てしない「あきらめ」だけがあった。
別に、お金がもっと欲しくて文句つけたわけじゃない。
……自分を、もっと貶めたかったのかな。
人間って、フツー自分を守ろろうとするじゃん? 嫌な目や痛い目から逃れようとするじゃん?
何で私は、自分からこんな目に遭おうとしたのか、よく分からない。
迫りくるサイレンの音。腫れて霞んだ視界の隅に、赤い点滅がチラチラ。
パトカーか。
ミノルの姿はとっくに消えていた。あの意気地なし。こんなところで仲間割れなんかしてるから、追いつかれちゃったよ。ああ、私ももう終わりだな
最悪の状態のはずなのに、私はなぜか笑みを浮かべていた。
私は、半年前ほど前から「オヤジ狩り」をやっている。やり方は、こうだ。
まず、「出会い系」で男を釣る。
会うまでの過程に関しては、ミノルやアイツの仲間がプロだ。
電話の声や内容から、相手のおおよその年齢やステータス・性格・つけこむ隙があるかどうか、ケンカは強そうか? など、あらゆることを見抜き、対象をふるいにかけ、獲物を定める。
いざ会ってやることヤッたら、自分が未成年であることをばらす。学生証見せると効果的。そこで「児童福祉法違反であんたケーサツにつかまるよ」って言って強請るわけ。ナニの最中は、オジサンって私の体にもうそれこそ夢中だから、証拠のため相手の姿を写メに撮っとくくらいは楽勝。
「このことがバレたら、お前だって退学になるんだぞ。それでもいいのか?」って言ってきても、「私はガッコ辞めさせられようがどうなろうがヘーキだもん」って堂々と言ってやったらイッパツで白旗。私と刺し違えてすべて捨てるよりも、やっぱり自分の社会的地位や奥さんや子どもがカワイイ、ってわけね。
高額引っ張れたら、できるだけその一回でソイツとはサヨナラ。何回も強請って、足がつくのはイヤだからね。ただ、こっちも神様じゃないから、残念ながら読み違いというのはある。
こないだ、カネをゼンゼン持ってないヤツがいてさぁ。こっちはやるだけやらせたのにタダは嫌じゃん?だからそのケースだけは、あとで呼び出してふんだくった。
まぁ、いつまでもそんなことがうまくいくと思ってはなかったんだけど、案の定だね。あっけなく、終わりが来た。
警官に連行されて、生まれて初めて警察署の建物の奥まで入り、取り調べというものを受けた。
初めは厳しい口調で詰問されたが、名前を告げてしばらくすると、まるで腫れ物にでも触るかのような慎重な対応になった。調べたら、私がただの女子高生ではないことが分かり、知らされた親も余計な権力を発動したんだろうなと思った。
そのあと、私は高校退学になった。それで済んだ。
私自身はもうどうなってもいいや、って感じで自暴自棄になっていたのだが、これも親が何をどうしたかは、別に知りたくもない。
家は、結構金持ちだ。
父親は、都心にある結構な数の高層ビルのオーナー。
大手宝飾品輸入会社の筆頭株主、という別の顔もある。
ここ二年、父親の顔を見ていない。
私はひとり暮らしをしているから、母にもあまり会っていない。こないだの警察沙汰騒ぎの時、身元引受人として来た時に会ったが、それっきりだ。
親としては、私がこれ以上騒ぎを起こさず、おとなしくさえしていればいいと考えているようだ。
学校にも行かず、働きもせず、毎日ブラブラ街を歩いて過ごした。
一か月ごとに、私の銀行口座には60万円ほどが振り込まれていた。
お金に困ってないのに、なぜ危ない橋渡って稼ぐようなマネをしたのか。
それは、自分でも気持ちに説明のつかない謎である。
突き詰めようとすると、ココロが閉じるんだ。まるで、目的地に向かって泳ごうとしても、波に押し戻されていつまでもたどり着けないみたいに——。
私は、つくづく男運がない、と思う。
ミノルも最悪だったけど、それまでに付き合ったのは四人。
オヤジ狩りなんて大それたマネを一緒にしたのはミノルだけだったけど、くだらないという点では、それまでのヤツも似たり寄ったり。
顔と恰好だけで、内容もないのに粋がってるヤツばっかだった。
そう言ってる自分がすでにバカだから、気付くのが付き合ってしまってからなんだよね。人間、学習して進歩しなきゃいけないんでしょ? 学習して、同じ失敗は繰り返すな、って。
ならばお言葉を返すようですけどね、人類が歴史の中で戦争や人殺しばっか繰り返してきてるのは、どう言い訳すんの? ヒト全体が失敗から学ばないクセに、どうして私らの失敗にいちいち目くじらたてるわけ?
生活に、張り合いが何もない。
ただゴハン食べて、街ブラついて、雑誌読んでテレビ見て、寝るだけ。
彼氏どころか、トモダチつくる気力もなかった。どうせ同じことの繰り返しだって思ったから。
でも、ほんの少しの間だけ、私が自分のイヤな部分を忘れられる時間があった。
それは、こないだの出来事。
「いらっしゃいませ。当店は初めてでしょうか?」
目の前で自動ドアが開くと、すごい童顔で目のクリクリした女性が飛んできた。
「初めてです」って言ったら、「それでは、こちらで担当の者を付けさせていただきます。もし、お客様のお気に召さないようなことがございましたら、お申しつけくださいませ。当店は基本予約制になっておりますので、再来店いただけます場合は是非電話予約をお願いいたします」と親切に対応してくれた。
お客様カード作りやアンケートなど、一通りのことが終わってから案内された椅子に座った。
しばらくしてひょろっと背の高い、なんか優しい感じの男の人が近寄ってきた。
イケメン、というのとはちょっと違うけど……私にもこんなお兄さんがいたらいいなぁ、なんて思った。有名人でいうと、イチロー選手にちょっと似ている。
「初めまして。今日はあなたの担当をさせていただきます。カットとカラー、アロマリラクゼーションのコースでよろしかったでしょうか?」
ダラダラ過ごす毎日でも、一応自分自身はよく見せとかないとね。
最後まで辛うじて残った「オンナの本能」ってヤツでしょうかね?
そういうわけで、今日は気分を変えて、はじめての美容院に来てみたのだ。
今まで行ってたとこよりは、評判も料金もワンランク上だ。
「村島さんの今のヘアカラーはレッド系ですね? これからの季節だとグレー系とかグリーン系もオススメですよ。気分を変えてみるのも、いいかもしれませんね。例えば、この4番とか」
私の名前も、すぐに憶えてくれた。仕事なんだろうけど、あまりにも自然な上に話してても気が合うので、まるで昔から知り合いだったかのような錯覚を覚えた。
話によると、美容師さんの名前は吉岡さん。
キャリア的にはまだ駆け出しなんだけど、将来は独立して自分の店を持つのが夢なんだそうだ。
何だか、今までに付き合ったことのないタイプの男の人だな。
その店メニューにあるコース全部つけたんだけど、その三時間ちょいがあっという間だった。
「また来てくださいね。お待ちしております」
吉岡さんはそう言って送り出してくれた。
うん、絶対また行くよ。
帰り道、ちょっとうれしくなって鼻歌まじりに街を歩いた。
こんなに気持ちが軽いのは、久しぶりだ。
「妹さんがいるんですか」
ミラーに映る自分の髪型をチェックしながら、言った。
今日は来店二回目。もちろん、吉岡さん指名。
「はい。いるにはいるんですけどね、コイツがまた変わったヤツでして」
どう変わったヤツなのか続きを聞きたかったけど、施術は全部終わってしまった。
レジに向かう。吉岡さんもついてきて、お金を受け取る。
「普通の女の子とは雰囲気がゼンゼン違いましてね……何ていうか、ボクより頭が良くって、いつも難しい本を脇に抱えているようなヤツでして。今でこそそんなことはなくなりましたが、昔は友達なんて誰もつくらずに、勉強と読書ばっかりしてたんですよ」
そんな風に言いながらも、妹さんのことを話す時はなんかうれしそうだ。
うらやましい。
「私でよければ、普通の女の子っぷりを楽しませてあげますよ~」
お釣りをもらって、自動ドアの前に立つ。
「ありがとうございます」
その声を背に、私は店を出た。
ドアが閉まると、聞こえていた店内のBGMは車のエンジン音にとって代わった。
今回で、この店も三回目。
前回聞きそびれた吉岡さんの妹さんの話題の続きで盛り上がった。
「妹は今、遠くの大学へ通うために下宿してるんでたまにしか会えないんですが、最近はかなりくだけてきましてねぇ。トモダチガたくさんできた影響ですかねぇ、ちょっとは冗談も言ったりして最近の子っぽくなってきたんですよ」
「へえぇ。それはよかったじゃないですか」
的確な鋏捌きはそのままに、吉岡さんは言葉を続ける。
「それはそうと、村島さんはどこの高校でしたか?」
ついに聞かれたか。年齢からしたら、高校生だもんね。
私は隠す気もなかったので、ホントのことを言った。
「退学になりました」
動きが止まったのは、ほんの一瞬。
吉岡さんは大したこと聞かなかったかのように、丁寧に髪を梳く。そして前髪を切り揃える。
一連の動きに、無駄がない。
「……将来、何かなりたいものってあったりします?」
「何もないんです」
なんで、こんなに直に言っちゃったんだろ。ヘタしたら、吉岡さんに引かれちゃうかもしんないのに。客と店員の会話の展開じゃないな、って思った。
思わず、『ホンネだだもれ』になっちゃってるよ、私。
今まで誰にもココロの内を見せてこなかったことの反動が、誰かに自分のキモチ聞いてもらいたい、っていう風に私を突き動かしたのかなぁ。
自分の部屋に帰ってから、番号の書いてある紙切れを見つめた。
コーヒーメーカーのコポコポいう音以外、何も聞こえない。
そのうち、その音もやんだ。それでも、私は紙切れを見つめ続けた。
私はあのあと、美容院の客が普通しゃべるようなことではないことを言った。
吉岡さんが、ふんふんと聞いてくれるのをいいことに。
親のこと。
退学になった事件。
あ、ある程度割り引いて話したよ、もちろん。そのまま言うとちょっとキツい内容だからね。
今、何もしていないこと。
生きていても、何にも楽しくないこと。
隣の客にもし聞き耳立てられていたら、さぞびっくりされたことだろう。
吉岡さんは一言も挟まず、時々うなずきながら聞いていた。
それをいいことに、私は随分たまっていたものを吐き出したような気がする。
今思い返してみても、恥ずかしい。
店を出る時、この紙を手に持たせてくれた。
気が向いたら、この番号にかけてきてください、って。
ということは、吉岡さんのケータイ番号か何かだろう。
……私に気があるのか?
ううん、それはちょっと違う気がするな。
ってか、何でそんな発想が先に出てくるかな。
私なんて変われない、っていう大きな思いと、もしかしたら何か自分を変えてくれるものに出会えるんじゃないか、というちょびっとの希望が闘っていた。
電話しようか?それともやめとこうか?
何時間たっても、決着がつかない。
考えることに疲れた私は、睡眠薬を飲んでからベッドに体を横たえた。
スリープタイマーをつけたFMラジオからは、ビリー・ジョエルの『Honesty』が流れていた。
学校を辞めてから、半年が過ぎた。
私の心の歯車は、次第に軋みだしていた。
イライラする。食欲がわかない。食べても、味が分からない。眠れない。
どんなに疲れても、頭の芯が冷え切ったように冴えて、キンキンしている。
何をする意欲も湧かない。
バイト情報誌とか、水商売や風俗など高額の仕事ばかり集めた女性用求人誌を読んでみたが、余計苛立ちが増すばかりだった。
もう、すべてがどうでもよくなった。
脳髄をギュッと鷲づかみにされたかのような不快感が全身を貫いた。
「ひいぃぃぃぃぃぃぃ」
悲鳴とも鳴き声ともつかない奇声を発し、手近にあった本やマグカップを力一杯投げた。
それは、熱帯魚用の水槽を粉々に砕いた。中身は空っぽだったから、ガラスだけが飛び散った。私が世話をなまけて死なせちゃって、そのままになっていたから。
ダムが決壊したかのように、負のエネルギーの激流は私を呑みつくした。
目につくものは手当たり次第に投げ、形あるもので壊せるものはみんな壊した。
ガラスの破片で手足を切った私は、血を見て我に返った。
そして、芋虫のように体を丸めて泣いた。
……私って、何のためにこの世にいるんだろう?
「吉岡…さん?」
「電話してくれたんだね。ありがとう」
最初留守電だったからメッセージ入れといたら、その日の夕方折り返しかかってきた。私は、ケータイを握りしめた。
口から出た言葉は、思考を経由することなくほとばしり出た、魂の叫びだった。
「どうしたら、生きれますか?どうしたら、生きることが楽しくなりますか?」
しばらく間があった。
「……明日、会えないかな」
午後、四時半。
待ち合わせ場所である、ミスドの奥の座席に座った。
甘い物も大して欲しくなかったので、カフェオレだけ注文してすする。
私は、テーブルに置いたマンガ本を見て苦笑した。
「人違いするといけないから、何か目印があるといいなぁ」っていう話から、何かのマンガ本を見えるように置いとく、ってことになった。
それって、本当に吉岡さんの発想?
何か、イメージに合わない。刑事物のドラマかスパイ映画じゃあるまいし。もっとこう……胸元に花を挿すとか、サングラスするとかいうセンスはないの?
ま、それだって似たり寄ったりか。人のこと言えないな…
自分の中だけの考え事なのに、おかしくてちょっと笑った。
しかも、机に置いてるマンガが、よりによって『キン肉マン二世』。
だって私、マンガに興味なかったし。過去の彼氏の誰かが置いていったのがたまたま目についたから持ってきたのよ、言い訳すると。
自分の置かれている状況のあまりのおかしさに、ついに体が言うことを聞かなくなって、私は笑った。実に、久しぶりに心から笑った。
吉岡さんに髪切ってもらってる時ももちろん楽しかったんだけど、お腹の底から笑いがこみ上げてきた体験は、最後にいつしたんだか…
何かに光がさえぎられて、目の前が暗くなった。
あっけにとられて目を見開いている女性が一人、目の前に立っていた。
「村島メグミ…さん?」
私は、笑い涙をぬぐって「はい」と答えた。
相手は、これから会う人物が腹を抱えて笑っているとは予想外であったらしい。
ま、当たり前か。
吉岡さんは、どうも来れなかったわけではないらしい。
初めっから、この人物をよこすつもりでいたようだ。
そういえば、お互い顔を知ってるのに、なぜ目印がいるんだろ?
ちょっと思ったんだけど、気持ち的にいっぱいいっぱいだったから、深く聞けなかった。
でもその疑問はこれで解決したよ。納得。
「M大心理学部の沖山佐智といいます」と自己紹介された。
私は、あえてこの人をよこした吉岡さんの真意を測りかねたが、とりあえず話は聞いてみることにした。だって、一歩を踏み出そうとしたスタートから。私は大笑いできたんだから。
幸先いいぞぉ! って思ったのよね。あと、もうひとつひねくれた理由が。
心理学なんていうものが、果たして現実に役に立つものなのか? という疑問があった。
さぁ、私は心が荒みかけているモンダイジン。
どう立ち向かう、心理学者よ! なんてね。
結果から言うと、佐智の圧勝であった。
私が彼女のことを「佐智」なんて下の名前で呼んでいる時点で、悟りのよい人には私の大敗ぶりをご理解いただけるのではないか。
素の彼女はいわゆる「美人」っていうのではない。その代わり、「自分をどうしたら美しく見せられるか」というテクニックが超一級品であるため、そこいらの美人よりも数倍人を惹きつけるオーラがある。
気が付くと、私は自分のことをほとんど話してしまっていた。吉岡さんに話した以上のことも。
「イヌトネコなら、どっちかというとネコが好き」とかはまだいい。
「牛丼はツユだくは邪道! やっぱりツユぎりが一番」とか、おおよそ若い女性同士の話題にのぼるとは思えないことまで話していた。
気が付いたら、夜の十時になっていた。
「……お腹、減ったよね」
そう言ってお互い顔を見合わせた私たち二人は、意気投合して吉野家に向かった。
もちろん、ツユだくなんて頼まない。
(後編に続く)
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