chapter 3 『流香』
いつも、病室の窓から見えるあのお姉ちゃんが気になってたの。
だって、しょうがないでしょ?
一日中、足吊り上げられて、ベッドで寝てるしかないんだし。
大好きな学校にも行けず、大好きな陸上もできないワタシが、窓の外を好奇の目で見まわしても、誰も文句は言えないはず。
そのお姉ちゃんは、車椅子に乗って、廊下の窓のそばによく来るんだ。
じっと本を読んでいることもあれば、ぼんやり窓の外を見ていることもある。
その視線の先を追ってみても、他の科の病棟や研究棟しかない。ここって大病院だからね。
こりゃ、風景を見てるんじゃないな。考え事だ、確実に。
言葉や思考より先に体が動いちゃうタイプのワタシには、ちょっと『お近づきになっておきたい面白そうな人』なのさっ。
それと、興味を持った理由がもうひとつ。
腰までありそうな長い髪。今風のオネーチャンたちみたいに染めたりしてないんだ。ほんと、文字通り「真っ黒」。
それと、目。日本人の目玉が黒いのは当たり前だけど、そのお姉ちゃんの眼は『吸い込まれれるような黒』なの。芸能人にこんなカンジの人がいてもおかしくないっていうくらい、不思議なオーラがあるのよ。ワタシも大人になったら、あんなキレイになれるかなぁ?
ま、人生経験の少ないたかだか小5のマセガキの語彙だから、うまく表現できてないと思うけどね。
いつものワタシなら、ダッシュで話しかけに行くんだけど——
ネックは、この動けない足なのよ。
さぁ、この状況でどうやったらあのお姉ちゃんにお話しできる?
ワタシは、「美人お姉ちゃんナンパ作戦」を立てることにした。
主治医の小山田先生が回診に来た時に、聞いてみた。
「よく廊下のそばに髪の長いお姉ちゃんがいることあるじゃない? 誰だろ、っていつも気になってるんだ~。一度、お話してみたいなぁ」
「ああ、悠里ちゃんのことだね」
ワタシの腕に血圧計をセットしながら、先生はなぜかふと悲しそうな表情をのぞかせた。
「あの子は病院に来た時、大きなケガをしてたんだよ。僕が診たからね」
「そうなんだ。ってことは、先生はあのお姉ちゃんの主治医なの?」
それだったら、話は早いや。そう期待したんだけど、小山田先生の返答は意外なものだった。
「いや、悠里ちゃんは……ケガ以外にも悪いところがあってね。主治医の先生は別の科の人なんだよ」
「エッ? それじゃあ、あとどこが悪いのかなぁ?」
そう聞いたら、小山田先生は黙って考え込んでしまった。
しばらくして、考えがまとまったのか、ようやく重い口を開いてくれた。
「うーん、僕から軽々しく言うことじゃないな……かといって、君の性格から言って、悠里ちゃんに出会ってしまうのも時間の問題か。分かった、ちょっと考えさせてくれるかな」
第一関門突破。
どんな障害があったって、乗り越えてやるんだからね。
現実の困難を乗り越えて、駆け落ち。そして結ばれ合う、若きカップル! 今のシチュエーションとは似ても似つかないんだけど、テレビドラマか何かで見たそんな情景を思い浮かべた。
目をウルウルさせて空想の世界で勝手に感動しているワタシを、小山田先生は不思議な生き物でも見るかのように、目を丸くして見つめていた。
次の日、この病院では初めて見る医者が来た。
足、長っ! めっちゃ長身!
背筋がピンとしてて、歩き方もファッションモデルかと思っちゃうような、女のお医者さんだった。そのお医者さんは、自己紹介をした。
「流香ちゃんね? 初めまして、清水といいます。私はね、『こころ』の病気を扱っているの」
……そんな回りくどい言い方しなくても「精神神経科」ってストレートに言いなよ。分かるから。
清水先生は、ワタシのベッドの傍らの椅子を引き寄せて腰掛け、語りだした。
「悠里ちゃんはね、体もケガしてるんだけど、一番問題なのは『こころ』なの。ケガは治療で治るけど、こころのそれは簡単じゃないの。あのお姉ちゃんはね、今手探りで『生きる意味』を探しているの。あなたに、そのお手伝いをしてあげる覚悟はあるかな?」
ほぇ、「覚悟」?
もともとは、ちょっと美人のお姉ちゃんに興味もって話しかけたかっただけなのに、何だか大事になってきたな。
「上等じゃねぇか。このタイマン勝負、受けて立ってやるぅ!」
人気だった教師ものドラマのワンシーンを思い出し、感情を込めて叫んでみた。うん、われながら上出来。学芸会の主役だって張れそうだ。
清水先生が吹き出した。岩田先生は、しょうもない影響を人に与えることにかけては天下一品よねーって、二人で盛り上がった。
とりあえず、利害一致・契約成立。私たち二人は、握手を交わした。
清水先生が、「お礼に何かしたいんだけど、私にできることはあるかしら?」 って言ってくれたから、今人気で映画化も予定されている長編少女漫画、5巻までしか読んだことないから続き読みたいんだけど、って頼んでみた。
そしたら、意外な答えが返ってきた。
「ああ、それだったら誰かの趣味でナースステーションに全巻あったと思うから、あとで見とくわね」 だってさ。
勤務中に読んでるんじゃなきゃいいけど……
ワタシは余計なことを心配した。
「……私に何か用?」
それがお姉ちゃんの第一声。女性の声にしては低い声。歌でも歌ったら、すごくうまそう。
その時初めてお姉ちゃんのフルネームを知った。
『吉岡悠里』姉ちゃんは、清水先生に車椅子を押されてやってきた。
……愛想ないよ~。ってか、予備知識あったから、その程度ではひるみません!
はるか年下の子にかける言葉と目線じゃないよね。
でもね、逆に下手に見下してないっていうか、子ども扱いしてないっていうか。何だか、対等に見てくれてるような気がした。だから、俄然私も闘志が湧いてきたね。
「うん。ワタシね、お姉ちゃんとお友達になりたいの……ダメ?」
テヘ、と可愛く小首を傾げてみたが、お姉ちゃんは能面のように反応がない。
「あ、忙しかったらいいんだ。お姉ちゃんの都合とかぁ、勉強とかあるだろうしね。良かったら、ってことなんだけどさ……どっかな?」
必死で言いつくろいながらワタシはふと、お姉ちゃんの腕に目をやった。半袖のパジャマの袖口からスラッと伸びる左腕の肘から手首までが、包帯でグルグル巻きにされていた。
「……私なんて、面白くもなんともないよ」
お姉ちゃんはポツンとつぶやいた。
「私なんてトモダチにしても、つまらないよ」
それっきり、また口を閉ざした。
「何でそう思うの?」
「私はね、ココロに障害があるの。人の気持ちとか、分かってあげにくいの。今までもそうだったし。多分、私には本当のトモダチなんてできないのかもね」
何だか、吐き捨てるかのような口調だった。
そして、そう言い放ったあとのお姉ちゃんは、寂しそうな表情だった。
「お姉ちゃん、それは違うと思う」
ワタシは十分考えてから、勇気をもってそう言った。
お姉ちゃんのキレイな眉毛が、ぴくっとつり上がった。
「お姉ちゃんが、なんか難しい病気なんだってことは分かる。でも、ワタシこうしてお姉ちゃんと話をしたいと思ったし、今でもその気持ち変わんないし……一番の問題は、お姉ちゃんがそういう病気だってことじゃないんだよ。もっと別のところにあるんだよ。うまく言えないけど」
もう、シドロモドロになりながら言った。小5のワタシの語彙力では言いたいことを言葉にするのが難しすぎて、果たして伝わったのかどうか疑問。
お姉ちゃんは、天井を見つめて、何かぼんやり考えていた。
「……考えとく」
?
考えとく、ってのは今の話の事? それとも、ワタシと友達になるってことに対して?
清水先生が、「じゃ、今日の面会はここまでね」って言った。
ワタシは、お姉ちゃんが膝に大事そうに置いてある本を見た。
トルストイ『戦争と平和』……?
「お姉ちゃん、そんなおカタいのばっか読んでちゃダメ! これ宿題ね!」
そう言って、ワタシはさっき清水先生にお願いして借りたマンガを、10巻までどさっと渡した。
お姉ちゃんは、清水先生に車椅子を押されて帰って行った。
膝の上に置かれた大量のマンガに、困ったような表情を浮かべていた。
逆に清水先生は、必死に笑いをこらえていた。
……ヘンな二人。
次の日の朝、「おはよう」という言葉とともに、悠里お姉ちゃんはワタシを訪ねてきてくれた。
うれしかった。そして何より、ホッとしたかな。
だってさ、ワタシ間違ったことは言ってない自信はあったけど、年上のお姉ちゃんの言うことに反論なんかしちゃったわけだし。気を悪くされてもしょうがない、って覚悟していたんだよね。
昨日と違って、今目の前で話すお姉ちゃんは、別人のように明るい。
笑顔が、美人なお姉ちゃんの魅力をさらに引き出すことも発見した。
やっぱ、笑った顔が一番だね、うん。
これで、正真正銘の「トモダチ」だ。
その日からお姉ちゃんのことは、「悠里お姉ちゃん」って呼んでいる。
ワタシも、「流香ちゃん」って呼んでもらっている。
悠里姉ちゃんは、ワタシが貸した少女マンガにハマって、とうとう全巻読破してしまった。貸した時は、あんなに迷惑そうな顔してたのにね!
さらにうれしいことに、お姉ちゃんは近々一般病棟に移ってくる予定なんだって。
わーい、もっとしょっちゅう会えるぞ。
ワタシが車椅子で動けるまで治ってきたある日の午後。
悠里姉ちゃんを訪ねて、誰か来た。
「流香ちゃん。お姉ちゃんね、お客さんが来たみたい。だからまた後で遊ぼーね」
そう言われたから、ワタシはいったん素直に病室を出た。
離れたフリをして、ドア近くで盗み聞き。
ワタシったら、いけない子。
お姉ちゃん、ズルいよ。
友達いない、って言ってたけど……ワタシ以外にもすっごいいいトモダチ、いるじゃん。
泣いてる顔しか見えなくてカッコ悪いけど、なんかカッコいいじゃん。
あとで悠里姉ちゃんにそれ言ったら、「そうだね」って言って笑ってた。
いわく『友達の勘定に入れ忘れてた』んだってさ。
ワタシは七月半ばに退院したけど、それまでの入院生活を悠里姉ちゃんと楽しく過ごした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
学校の宿題をしていたワタシのそばで、ケータイの着メロが鳴った。
着信を見ると、清水先生。そっか、もうあれから半年経つんだ。
「……もしもし、流香ちゃん? 清水です」
「うわ、ひっさしぶり~! 先生、お元気でしたかぁ?」
カラオケの誘いだった。なんでも、「悠里ちゃんと行く約束をしたんだけど、賑やかなほうがいいからあなたもどう?」だって。
行く行く!当然、行くっきゃないね!
……でも、お母さんに何て言おう?
「心配しないの。私が引率者。親対策は任せておきなさい」
サンキュー、先生。
「何の何の。あなたは、対悠里プロジェクトチームの大事な一員だったんだから、当然よ」
……なんじゃそれ。
カラオケは、賑やかで楽しいものになった。
清水先生は、普通に歌がうまい。私とヒッキーの歌で勝負した。
まぁ、今回は互角と認めてあげましょう。
岩田先生、『ふたりはプリキュアMaxheart』と『残酷な天使のテーゼ』歌うのはやめて……
うまいとかそういうんじゃなくて、歌ってる先生の顔とモニターの画面を見て大ウケした。
肝心の悠里姉ちゃんは、なかなか歌おうとしない。みんなの歌に手を叩いて合わせてるけど、なんか居心地悪そうだ。そう言えば、「歌苦手」だって言ってたもんな。
佐智(サチ)お姉ちゃんも、結構場を盛り上げてくれている。
悠里姉ちゃんの、あの『大泣きトモダチ』のひとりだ。
ワタシは、悠里お姉ちゃんみたいな美人になるのは、様々な分析の結果あきらめることにした。今は、服の着こなしも、化粧も髪も最先端バッチリのこのお姉ちゃんを目標にしているノダ。
あとは、シバタっていうお姉ちゃんたちのクラスメイトの男子。
ははん。これはただごとじゃありませんな。
ワタシの見たところ、サチお姉ちゃんはシバタが好きだな。
そのシバタは、悠里姉ちゃんが好き。
でも、当の悠里姉ちゃんはほとんどそういうことに関心がなさそう……
ということは、「三角関係」ではなく「直線関係」?
みんな、分かりやすいやつ。
楽しいカラオケも、いよいよお開きの時間が近づきつつあった。
「吉岡、最後一曲だけ歌いなよ。オレもお前の歌うの聴いてみたいし」
「……ええっ」
シバタ兄ちゃんの提案に、みんなワァーッと手を叩いて盛り上がる。
「それいいっ! ゼッタイいいっ!」
岩田先生は、タンバリンを持って立ち上がる。
モジモジ体を揺する悠里姉ちゃんに、皆の注目が集まった。
「それじゃ……やってみるね」
曲目リストをパラパラとめくって、すぐさまコードを入力する。
はやっ! ってか、あらかじめ曲決めてたのかなぁ?
「私、これしか歌えないし」
そう一言断ってから、歌い始めた。
場がシーンとした。
『鳥の詩(うた) 』
あなたがいた頃は 笑いさざめき
誰もが幸福(しあわせ)に見えていたけど
透き通るような歌声、というのかな。
その言葉にぴったりな声を、初めて聴いた。
切なさと寂しさと、情感を極限にまで注ぎ込んだ旋律。
低音は地響きのうように。高音は鋭い刃で斬りつけられるように。
人は人と別れて あとで何を想う
鳥は鳥と別れて 雲になる 雪になる
……みんな、泣いていた。
「イェーイ」って盛り上がるカラオケはあっても、「全員が泣く」っていうカラオケは前代未聞だ。少なくとも、ワタシの短い人生経験の中ではね。
私の心が空ならば 必ず真白な鳥が舞う
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩
きっと、悠里姉ちゃんに関わってきたみんなの、一致したキモチなんだろうね。
歌が終わり、静寂が戻った。
誰も、言葉を発さない。
悠里姉ちゃんは、マイクを置いた。
「あれ? 一応歌、終わった…んだけど!?」
悠里姉ちゃんだけが、何が起こったのか分からず、オドオドしていた。
※作中に引用される歌『鳥の詩(うた)』に関して
日本音楽著作権協会(出)許諾第0713328-701号
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