chapter 6 『由紀おばあちゃん』

 どうなってんだ、最近の若いのは。

 人にきちっと挨拶もできないのかねぇ。



 わたしにや、とうとう子どもができなかった。

 だから当然、この歳になっても孫なんてのはいない。

 そりゃまぁ、寂しいもんだよ。

 でも、ニュース見たり新聞読んだりしていると「ああ、この時代に子どもや孫ができなくてよかったかも」なんて、悪い意味でホッとしたりする。

 学校がドえらいことになってるって、よく耳にするよ。

 こないだだって、中学の子が人刺した事件があったろ?

 最近はカッとなると、親だって刺すっていうじゃないか。

 世も末だねぇ。どうかお救いくださいませ神様仏様、薬師如来様。



 わたしの生き抜いてきた時代で、親に、特に父親に口答えするなんてとんでもないことだった。考えたこともなかったよ。

 今の感覚で例えると、若者が警察官にたてつくようなものだったろう。それくらいの覚悟がいった、ってことさ。

 昔がよかった、なんてそのへんのジジババのたわごとと同じことを言う気はないよ。親ったって、人間だ。間違ったことを言うこともあるさ。

 でもね、それを割り引いても、何かが物足りないんだよ。人が人に対する姿勢、とでも言えばいいんだろうか。世の中の見た目は豊かになったけど、その分なんか日本人の「精神的財産」が失われてきているように思うのさ。



 物心付いた時にはすでに終戦を迎えていたから、わたしは厳密には戦争を知っている世代じゃない。でも、敗戦の焼け野原から踏ん張って高度経済成長期を生き抜いてはきた。モノが豊富にあったわけじゃないから、とにかく「生きるんだ」という人間のもっとも原始的欲求に従って、がむしゃらに生きてきたよねぇ。

 だから、一人ひとりのもつ「生きることへのバイタリティー」がものすごかったよ。当時の若者をスポーツカーに例えれば、今のガキどもは三輪車だねぃ。



 私も歳だ。今まで頑張って生きてきたし、体の丈夫さには自信があったつもりだったけど……どうもいけないやね。最近、体調不良から転倒して、大ケガまでこさえちまった。だから今、不覚にもわたしは入院生活をするはめになっている。

 わたしのいる病室は、いわゆる大部屋だ。個室などに入るカネはない。

 年金生活のバアサンだからね。夫には早く死なれちまった。

 でも、当時のたくわえと年金とで何とか生活できてはいる。



 大部屋にベッドは六つ。でも、今そのうちひとつが空いてるので、わたしは他に四人の人物と生活空間を共にしているわけだ。

 うち三人とは、気が合わない。三十代前半くらいの主婦連中だ。残る一人は小学生の女の子。なぜ小児科病棟じゃないのか、分かりゃせんが……

 でも、最近の子どもにしちゃ、この子は物事の道理をわきまえているほうさね。流香ちゃんという名前なんだけど、この子のことはわたしゃ嫌いじゃないね。芯がしっかりしとる。

 ただ、気は合うけど話が合わない。ゆっとることがまるで宇宙人のようだ。

 やっぱり、触れる文化が違うと、こうも分からんもんなのかねぇ。

 さっき、岩田というトンデモない医師に——

「ちゃんと年寄りに分かる言葉で言いなっせぇ!」と怒って説教タレたばかりだ。

 そして今。また「説教タレたくなる」状況に遭遇してしまったのさ。



 空梅雨と言われている中、梅雨時であることを思い出させてくれるようなある雨の日のこと。

 空きベッドに、新入りがきた。

「何で、医者になんかなったんだ?」と思ってしまうような美人で長身の女性医師に車椅子を押されて、その子はやってきた。

 見たところ、多分高校生くらいだ。そう言えば、この子は何度かこの病室で見たことがあるよ。流香ちゃんに会いに来てたみたいだから、二人はきっと知り合い同士なのだろう。

 でもこうやって改めて見ると……まれにみるべっぴんさんだねぇ。この子を連れて来た女医も美人だが、この子はまた次元が違うねぇ。

 よく見る今どきの子みたいに、チャラチャラした感じじゃない。病気で入院しとるんだろうから、化粧も飾りっ気もないのは当たり前なんだが、それにしても「どこかの清流」の美しさを感じさせるような子だよ。

 せっかく好感を持ったのに、それは次の瞬間台無しになった。

「初めまして、こんにちは」

 ……と笑顔で挨拶したんだけど、その子はまったく反応しない。

 気付いて無視しているというよりは、本当に気付いていないようにも見えた。

 しかし、その後も観察してみたら、きちんと医者としゃべっているし、流香ちゃんの遠くからの呼びかけにも反応しているから、聞こえていないわけじゃないようだ。

 年寄りのくだらないひがみかもしれないが、無性にムシの居所が悪くなった。



 夕食が終わり、あの礼儀知らずのお嬢さんが診察のため連れていかれたあとで、流香ちゃんが私に話かけてきた。彼女はわたしのベッドの隣だ。

「おばあちゃん、怒ってる?」

 子どもはあなどれないねぇ。感心して返事を後回しにしていると、

「おばあちゃんが気分悪くなんのも無理はないよ。悠里姉ちゃんのことで、おばあちゃんには聞いておいてほしい話があるんだ。むやみに話しちゃいけない話かもしれないけど、おばあちゃんを見込んで言っちゃうね」

 そう前置きされた。

 どんとこい、ってんだ。わたしゃ口は堅いよ。



 ……なるほど。あの娘さんには、そういう事情があったのかい。

 今でこそ「精神疾患」とかいう言葉はよく聞くけど、自分の駆け抜けてきた時代にゃそんなもんはあまり身近には聞かんかったがなぁ。

 あの子は考え事をしていたり、ひとつのことに集中すると周りのことに一切注意が行かなくなったりするから、誤解されやすいんだとさ。

「おばあちゃんが声かけた時、悠里姉ちゃんは何か考え事に集中してて、耳に入ってなかったんだと思うよ。ワタシと一緒の時でもよくそういうことあるからね~」

 流香ちゃんは、そう言っていた。

 あの子の、自殺未遂事件のことも聞いた。

 若いもんの自殺なんて、もはや理解が及ばん。親からもらった命、なんでそんなことをする。

 でも、あの子はあの子なりに、生きようとしているんだねぇ。もう一度、人生やり直そうと頑張っているんだねぇ。

 流香ちゃんの、あの子を思う気持ちに負けたよ。頑固で頭の固いわたしだが、もう一回白紙に戻してあの子と話してみようじゃないか。 



 わたしゃ、若いもんを見る目が変わりそうだよ。

 もちろん、日本の若いもんがみなこうだというわけじゃないことくらい分かってるよ。でも、この子ら見てたら、まだまだ若者も捨てたもんじゃない、希望はあるねって思いたくなる。

 流香ちゃんが仲立ちをしてくれて、悠里って子とゆっくり話してみたよ。

 素直な、いい子じゃないか。この子は頭のいい子だとは思ったが、驚異的に知識があるのは好きな分野だけ。それ以外のことはほとんど知らないようなので、話があまり合わない。

 今、私は日本の政党政治の行方がとても気になっていたので、そのことを話してあげたよ。「今時の若い子には退屈かもね」って言ったが、悠里ちゃんが「ぜひに」って頼むから、できるだけやさしく説明してあげた。

 こんなにペラペラ人にしゃべったのは久しぶりだねぇ。今思えば、結構調子に乗ってしまったかもしれないねぇ。途中で退屈してしまわなかったか、心配だ。



 この歳になって、若い子の友人がいっきに増えた。

 まず、佐智という悠里ちゃんの友達。この子、絶対普通の子じゃない。なんで、そんな大昔の俳優や歌手のことを知ってるんだ? いまだ生き残っている同年代の人とでも、こんなに話が合うとは思えない。

 時々、この子と時間を忘れては昭和四十年代に流行した「グループサウンズ」の是非について議論をたたかわせたよ。漠然とだけど、「この子将来大物になる器だ」と思った。

 あと、シバタとかいう男の子。悠里ちゃんの見舞いに来始めてから、わたしとも話していくようになった。わたしゃ。年甲斐もなくときめいたよ。あら、天国の夫に聞かれてなきゃいいけど。昔のアンタに似て、ちょっといいオトコだよ。

 残されてまだ生きなきゃならないわたしへのプレゼントだと思って、許してちょうだいな。



 夜、寝る前に夫におやすみなさい、って心の中で声をかけるのが習慣なのだが、今日はそのこともお願いとして付け加えてから、ベッドで目を閉じた。

 さっき窓から眺めた蒼い月が、眠りに落ちるまで閉じたまぶたに浮かんでいた。



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 目をうっすら開けてみた。

 体中が、だるい。

 おやまぁ、動かそうとしたけど、手足がうまく動かない。



 ……そう言えば、トイレに行ったところまで記憶があるのだが、わたしゃどうしたのだろう?



 そこからのことが、一切思い出せない。

「お気づきになられましたか?」

 悠里ちゃんを担当している清水という医師が、そばからわたしの顔をのぞき込んでいた。

「事が事ですので、早急に精密検査をさせていただきますね。でも、本当に良かった——」

 清水医師は、抱えているカルテの束をギュッと抱きしめた。

「あの子たちがいなかったら、と思うと……本当に感謝してもしきれませんわ」



 七月になって間もないある日の夕方のこと。

 わたしはトイレの個室の中という最悪のタイミングで、急な体調の悪化に見舞われたことを知った。そして非常ボタンを押すこともできず倒れていたようだ。

 私の不在と、トイレに時間がかかりすぎていることに気付いた佐智ちゃんが、捜して見つけてくれたらしい。トイレの前からはシバタ君がわたしを抱え、担当の医師のところまでマラソンしてくれていたのだ。

 清水医師は言った。あの子たちは泣いていたと。

「先生、由紀おばあちゃんは助かりますか? 本当に大丈夫なんですか?」

 そう何度も聞いてきた、と。

「……私はそのことをどうしても伝えたかったので、担当でもないのにここにいさせていただきましたの。それでは、これで失礼します。お大事に——」

 話し終えた清水医師は、一礼して去って行った。



 精密検査の結果、わたしは腎臓ガンであることが分かった。

 ガン自体は卵くらいの大きさで、手術をすれば問題なく取り出せるし、他のガンに比べると比較的転移も少ないのだと説明を受けた。

 わたしは手術を受ける決心をした。もう、怖いとかそういう気持ちはなかったね。

 しばらくは、一般病棟のあの子たちには会えないなぁ。ただ、それだけが寂しかったよ。



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 そう言えば、入院した時はまだ春だったと思い出した。

 確かまだ、桜も盛りの頃だ。結構、長いこと病院にいたことになるんだねぇ。

 今じゃ空気も風景も、すっかり秋のそれになった。

 夕方もかなり涼しく感じられる。



 今朝、退院してきたよ。

 病後の回復は早かったんだけど、精密検査の時に他にも体の悪い所が見つかったのだ。せっかく入院しているんだから、この時とばかりに治療に専念することにしたので、今までかかってしまった。

 もともとケガで入院しただけなのに、とんだ展開だったよ。

 あともう少し歩けば、懐かしの我が家だ。築40年にもなる、小さな一軒家。

 わたしは少しため息をついた。わたしのかわいい子どもたちは、もうダメだろうなぁ……って。



 夫に早く先立たれてから、わたしはガーデニングが心の拠り所になっていたのさ。家は小さいが、なぜか庭だけはちょっとした広さがあった。

 庭でかわいい花を育てては、我が子を慈しむかのように大事にしていたんだよ。

 子ども、孫もいない。親戚も近くにはいない。

 そしてこの頑固ばあさんには、近所付き合いもない。

 だから、急に病院に担ぎ込まれたあとで、ため息をついてあきらめたのさ。わたしの花たちを世話してやれる人は誰もいないなぁ、って。

 それまでは誇らしいほど色とりどりの花でキレイだったわたしの庭も、荒れ放題だろうなぁ——

 そんな、悲しい気分になったのさ。



「おかえり」



 空耳だろうか。

 家の塀の角までさしかかった時、声がしたような気がした。

 胸が高鳴った。

 退院したてで、わたしはまだ病み上がりの身だったけど、ちょっと駆け足で庭の前へと急ぐ。

 眼前に広がる光景に、息を呑んだ。



 モミジアオイが、一面に咲き誇っている。

 その他にも…

 キンモクセイ。リンドウ。ペチュニア。ウィキョウ。

 花たちが、秋風に揺れて笑いさざめいていた。



 ……一体、どういうことなの?

 誰が、お花の世話をしてくれたの?

 玄関の郵便受けに、手紙らしきものが見つかった。

 読まなくちゃ、と焦るあまり玄関を開けて中へ入りもせず、その場で封を開けて読んでしまった。



 由紀おばあちゃんへ



 お花の世話、しておきました。

 おばあちゃんが退院する頃に盛りな花を選んでみたのですが、これでよかったでしょうか?

 ガーデニング、難しかったけど楽しかったです。

 これからも、よろしくね~



 佐智・シバタ・流香より



 私は、歩き回れるようになったのが八月半ばくらいだったから、あまり手伝えなかったんだけど、それでも花を育てるっていいなぁって思いました。

 入院中は、お世話になりました。

 おばあちゃんと話せて、楽しかったです。

 また、街でお会いできるのを楽しみにしています。



 悠里より



 そう言えば、あの子たちに趣味のガーデニングの話をしたことがある気はするけど、まさか……



 わたしは、その場で膝を折り、声を上げて泣いた。

 両手で顔を覆ったが、両目から流れ落ちるものを押しとどめることはできなかた。

 沈もうとしているオレンジ色の太陽と、昇りかけている月が、そんな私を見下ろしていた。



 花たちは、風と共に喜びのダンスを舞っていた。


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