chapter 3 『ひきこもり』

 日の沈みかけた堤防の上を、トボトボと歩く。

 いつもはメグミ姉ちゃんと走るために通るこの道を、今日はひとりで力なく歩いていた。

 太陽が最後の頑張りを見せている。オレンジ色の刺すような光がまばゆい。

 これから行く場所のことを思うと、ちょっと気が重かった。

 ワタシは、一冊のノートを抱えて、大きくため息をつきながら目的地を目指した。



 ワタシのクラスに、登校拒否で学校に来ない子がいる。

 早坂直人君、っていう男子。

 簡単に言ってしまうと「ひきこもり」である。

 クラス名簿に名前は載ってるけど、一度も学校に姿を現したことがない。

 ひきこもりは小学校時代からの延長で、中学になってもずっと続いているんだそうだ。ほんと、深刻。

 定期的に担任が訪問しているらしいが、来れるようになるにはまだまだ、という感触らしい。



 そこで先生は、一計を案じた。『学級日誌』というノートを考案したのだ。

 日直がその日にあったことや反省を書く日誌のことだと思われても仕方ないが、これはちょっと違う。いわば「クラス全員でまわす交換日誌」である。学級内での交流を深めたい、みんながお互いの事をよく知るきっかけにしてほしい、という先生の発想である。もちろん、早坂君にも書いてもらうつもりのもの。彼に順番が回ってきたから、ワタシがこうして届けようとしているわけ。

 男子が行けばいいのに……って思ったけど、今日の日直だからってあっさり任されちゃった。



 ワタシは、学校が大好きだ。

 行きたくない、なんて一度も思ったことがない。

 あ、正直に言うと半分以上は弁当と部活の時間が好きなだけなんだけどねっ。

 だから、登校拒否をする子の気持ちはよく分からない、ってのがホンネだ。



 ……サチ姉なら、なんとかしそう。



 まさにそう思った瞬間、まるでテレビドラマのようなご都合主義展開が起こった。

「ル~カちゃ~ん」

 おお、ありゃまぎれもなくサチ姉だ。それに、メグミ姉ちゃん。

 念じたら現れるって、あんた正義のヒーローかい! 

 そうは思っても、やはりうれしい気持ちは抑えられないので、ワタシも笑顔で駆け寄る。

「師匠!」

 ワタシの人生の師匠、沖山佐智お姉ちゃん。大学の心理学部に籍を置き、将来は臨床心理士を目指している。歳の離れたワタシとは、ある共通のトモダチがいることから知り合ったのだ。



「ちょっと、その呼び方やめようよ。なんか思いっきり違和感が……」

 横でメグミ姉ちゃんがウケて笑っている。二人とも、ジャージ姿だ。ワタシの学校の帰りがいつもより遅いから、私の代わりにサチ姉がジョギングに付き合っていたのだそうな。

「それはそうと、流香ちゃんが走ってないなんて、久しぶりに見た。何か問題でもあるの?」

 あのう……師匠。わたしやマグロですかい! 止まれば死ぬってか?

 陸上部だからって、いつ見ても走ってると思ったら。大マチガイだ。……いや、やっぱ結構走ってるかも?……って、今はそんな場合じゃなかった。

「うん、まぁ確かに問題ではあるかな。ちょっと、聞いてくれる?」

 で、ワタシがどういう理由で、何をしにどこに向かっているのかを二人に説明した。

「ね、ね、普段走るのが大好きなワタシがトボトボ歩くのも分かるってもんでしょ?」

 うんうん、とサチ姉は妙に納得していた。

「なんか面白そう! 私も一緒についていっていいかな?」



 エッ!?

 申し出にびっくりしたが、ワタシはすぐにニンマリした表情になった。

 これはきっと何かが起こるぞう、今までの経験からいくと……。

 家でテレビなんか見てるより、もっとスリリングな体験ができそうだ。

「それじゃ、あんたたち行っといで。私、あとは一人で走るよ。しっかし、またミラクル佐智の武勇伝が増えそうだよな~」

 メグミ姉ちゃんは、サチ姉と私を残して走り去っていった。

「一度帰って着替えてからでもいい? さすがにこの恰好じゃねぇ」

 ワタシは確信した。

 こりゃノート届けるだけじゃなく、なんかやらかす気だな。そうこなくっちゃね!



 私たちは『早坂』という表札のかかった門の前に立った。

 サチ姉は、ファッションセンスの光るいつもの「らしい」服装になっている。

 ……それにしても、いつ見てもデカい家。ま、当たり前だけど。見るたびに違ってる方が恐怖だ。

 これまでは家を見たことがあるだけで、入るのは今日が初めてだから、興味津々だ。



 インターホンを押す。「はい」と誰かの声。

 用件を告げると、「お入りください」という声とともにカチリ、と自動でロックの外れる音。

 門から庭を通って建物までは、ゆうに百メートルはある。早坂君ちは、かなりカネモチなんだろうなぁ。

 サチ姉の顔見たら、ワクワクしてるのがまる分かり。さすが師匠。普通の人が楽しみを見出せないことでも大冒険にしちゃう。

 建物のドアが開いて、私たちは早坂君のお母さんに招き入れられた。



 驚いた!これって、玄関と言うには……あまりに広すぎ。三階まで、吹き抜けのホールになっている。でもって、壁に沿ってらせん状の階段が上へ続いている。

「どうぞこちらへ」

 お母さんはどんどん奥に向かって歩いていく。げ、マジ? 靴のままでいいのかぁ!?

 ワタシはお母さんに一度会ったことがことがあるので、顔は知られている。

 サチ姉のことは、何て紹介したらいいのかなぁ?



 そんな悩みは、まったく必要ないって分かった。お母さんについて歩きながら、サチ姉はホールの壁に掛かっている大きな絵を褒めた。

「まぁ、お分かりになります? 祖父から受け継いだレンブラントの絵なんですのよ! レプリカじゃなくて本物でしてね。美術館に置いてあってもおかしくない絵なんですのよ、オホホホ」

 ありゃりゃりゃ。もう仲良くなってるじゃないですかい! お母さんは、サチ姉が何者か聞く前に、すでに上機嫌になってしまわれた。



 応接室に通された私たちは、豪奢なソファーに腰を落ち着け、お母さんから早坂君の話を色々と聞いた。一般庶民のワタシは、ソファーの座り心地にひとり感動していた。ていうか、「応接室」なんていうそのためだけの部屋がある、ってのが信じられない。

 しかも、話の最中に紅茶とケーキを運んできた人物にビックリ! これは…ちまたで言うところの「メイドさん」ってヤツですかい? そんなもの、テレビとか映画以外で初めて見たよ。

 さっきインターホンに出てくれたのは、どうもこの人のようだ。



「まぁ、そうだったんですか」

 お母さんの話に、神妙に相槌を打つ。さすがサチ姉、聞き上手。

 他人から情報を引き出す手腕は、天下一品だ。

 あなた、CIAとかFBIでも勤務できそうだよね……。

 ワタシは、もっぱら食べるほう担当。だって、美味しいんだもん!

 サチ姉ハケーキには手を付けず、さっきから紅茶ばっかりすすっている。きっとサチ姉の頭の中のコンピューターは、最速で答えを見つけようとしているところだろう。

「お母さん、ちょっと直人君とお話できますか?」

 来た。サチ姉はいよいよ勝負をかける気だ。

「でもあの子、今ゲームの大事なところだからしばらく声をかけないでくれ、ってきつく言ってましたからねぇ。ドアを開けてくれるかどうか……」

 お母さんは、心配気だ。

「大丈夫ですよ、お母さん。ダメでしたら無理せず引き揚げますから。ドアの前までで結構ですので、案内をお願いできますか?」



 部屋は、暗いままらしい。

 テレビモニターの光らしいものが、その形をいびつに変化させながら、ドアの窓から漏れてくる。

 コンコン。サチ姉がドアをノックする。ワタシはその後ろから、成り行きを見守ることにした。でも、まったく反応がない。ワタシは小声で聞いてみた。

「……何か策はあるの?」

「シッ。しばらく静かに」

 サチ姉は口に人差し指を当てた。ドアにはガラスの小窓があり、中が少しのぞける。ナチ姉はおぼろげにしか見えないゲームの画面を、食い入るように見つめている。まるで、全神経を集中してゲームの情報を得ようとしているように見えた。

 ゲームのことは詳しくないんだけど、ズガンズガンという砲声からして何かのシューティングものだということだけは分かる。でも、それが分かったからって一体何になるの?



 唐突にサチ姉が口を開いた。

「……市街戦での遠距離攻撃は、慣れないと分が悪いわ。今のモビルスーツはジムスナイパーでしょ? 出会い頭の戦闘も考慮して、装甲の厚いガンダムEz-8を使うのはどう? 

 武器は190ミリライフルとヘッドバルカンの併用で、じっくり制限時間いっぱいまで使って手堅くクリアを狙う。この作戦でどう?」

 ……チンプンカンプンでござる。一体、何語?

 しばらくして、何か景気の良いメロディーが流れてきた。きっと、ステージクリアの音なのだろう。

「入ってきて」

 中から声がした。

 やったぁ。これが本当のミッション・コンプリート。で、ドアを開けて入ろうとすると……

「あ、さっきアドバイスくれた姉ちゃんだけ」

 ブスッ。それってないんじゃない!? 別にぃ、早坂君のこと好きなわけでも何でもないけどさぁ、ちょっと悔しいじゃん? 

 ワタシだって、ここまであんたのためにノート持ってきてあげたのにぃ! プンプン。

「……流香ちゃん、あんたは家に帰って夕ご飯食べてちゃんと宿題とかしてきな。あとは任せなさいって」

「そ、そうだね。今度また、どうなったか聞かせてね。あーあ、これからがいいとこだったのにぃ」

 ワタシは、玄関へ向かう階段を降りる。

「プレステの新作ゲーム、色々やっといてよかったぁ」

 サチ姉の独り言が聞こえた。




「さぁて、じっくり事情聴取といきますかね!」

 ファミレスの奥の座席に陣取ったワタシとサチ姉、そしてメグミ姉ちゃんは、運ばれてきたハンバーグステーキをがっついていた。鉄板の熱さでソースがはねているところが、また食欲をそそるのよね。

 早坂君が学校来たからビックリしたよ。週一のペースから始めるってことらしいけど、それでも大した進歩だよ。一体、どんな魔法使ったの?」

 それは、マジで興味ある内容であった。早坂君が学校に姿を見せたのは、サチ姉の訪問から三日後。その間に、一体どんなドラマがあったのか?



「まずね、あの夜は例のゲームソフトひと通りクリアしといた。そんで『うまい』って散々褒めといた……って、あんたよく食べるねぇ」

 座席のベルを鳴らして店員を呼び、ライスのお替わりを頼む。だって、成長期ですから!

 負けじとメグミ姉ちゃんも続いてお替わり。そりゃそうだよ、あれだけ走り込めばお腹も空くってもの。この前、「流香ちゃんのおかげで、ダイエットなんてものを微塵も気にせずに済むよ」って笑ってた。

「で、早坂君と意気投合しといて、次の日デートの約束を取り付けた」

 ほおばったライスの粒が、マシンガン化しそうになった。必死に吹き出すのをこらえたら、ゲホゲホと咳き込むはめになった。隣を見ると、メグミ姉ちゃんも似たようなことになっている。

「安心しな。中坊のいたいけな男の子を取って食うような趣味はないから」

「そこまでやったかぁ! で、どこに行ったのさぁ?」

 胸が躍って、早く先が聞きたかった。



「午前中に秋葉原。実は岩田先生と同人誌仲間にも声かけといてね、色々一緒に回ったのよ。まぁ、彼らの話の合うことといったら! 早坂君が『攻殻機動隊』のファンだって言ったら、みんな喜んじゃってね。『中学生ならとっつきにくいなぁっていう子が大いのに、君は分かってるねぇ、最高だよ!』って叫んでた。

 あと、早坂君が昔のアニメフェスタで展示されてた、惣流・アスカ・ラングレーの二分の一スケールの超プレミアフィギュア持ってる、って話になったら、今度みんなでそれを拝みに行くことになったよ」



 ……聞いてて頭が痛いのは、ワタシだけ?

 そうでもないようだった。横でメグミ姉ちゃんも額にシワを寄せて、しきりに首を傾げていた。

「午後はコンピューターの専門学校に見学に行った。知り合いの口利きでね、普通見せてくれないような所も色々見せてくれたよ。

 彼が一番興味を持ってそうだったのは、ゲームクリエイト部門だったかな。ずっと『スッゲースッゲー』って連発してたからね。目が輝いてたよ」



 話が進むうちに、三人ともデザートのフルーツパフェとの格闘に突入した。今日は懐ピーピーのサチ姉に代わって、いつも金回りのいいメグミ姉ちゃんのおごりなのだ。ありがたや。

「ふーん、何となく分かったけど……結局、何が早坂君を学校に行かせるまでにさせたんだろ?」

 それが、最終的な疑問だった。

「大きくは、三つあるかな」

 サチ姉は指を三本突き出して、ひとつひとつ検証を始めた。



「ひとつ目。

 犯罪とかまずいものじゃない限りは、彼の打ち込んでいるものを、ありのまま認める。褒める。必要があるなら、とことん一緒に楽しむ。

 多分、ご両親も学校の先生も、学校行きなさいとか学校楽しいよとか、そういう方面でしかアプローチしてこなかったかも。趣味も高じれば、うまくすれば将来の仕事に直結するかもしれないでしょ?



 二つ目。あれだけゲームやアニメの知識があったら、クラスでも人気者になれるはず。なのに、なぜ登校拒否になった?

 おそらく、あの子は優しくて繊細なのね。一度の失敗がトラウマになった。

 弱い子はね、一回転ぶと二回目立ち上がる時すごく怖いのよ。また失敗するんじゃないか、って傷付くことを恐れちゃうのね。だから、何より自信を持たせてあげることじゃないかなって思ったの。

 岩田先生もその友達もね、早坂君の博士級の知識には勝てない、って褒めちぎってたから、随分な自信になったんじゃないかな。あ、自分はみんなに劣ってるわけじゃないし、いらない人間なんかじゃないんだ、ってね。



 三つ目。私がまったく関係のない第三者だったことが良かったのよ。

 親兄弟や先生とか、彼の利害に直接関わる身近な人の力では、ある程度こじれてしまったら限界があるの。わだかまりがあったり、感情が先走ってしまったりするのね。その点、まったく関係のない、お互いの情報がまだ真っ白な人と対した場合、結構素直な気持ちで語り合えるものなの。

 最近、ニート支援で、そういう第三者を話し相手に派遣するサービスも生まれてきたしね」



 サチ姉の長い解説は、そこでいったん終わった。

 話してる間に、パフェのアイス部分が溶け出してもったいないと突っつき始めた。

「さすがは、ワタシの師匠。学校でもできなかったことをやっちゃったんだね」

 お冷やを飲んで、クリームだらけの口内をスッキリさせた。

「彼、将来ゲームプログラマー目指すかもね。『これ勉強したい』って言ってたし。ご両親も喜ばれていたわ。やっぱり、目標ができた子は強いわねぇ」

「ワタシの担任がぜひ教師を目指してほしい、って言ってたよ。スカウトされるなんてすごいじゃん」

「私の目標は臨床心理士、これ一本。流香ちゃんこそ、将来のこときちっと考えて頑張んなよ」

 きれいに全部食べ終わったサチ姉は、そう言ってナプキンで口元を拭いた。

 ぐぇ、やぶへびだ。こっちに矛先が来たよ。

 分かってますって、師匠。

「さ、行こっか!やっぱり私の言った通り、佐智伝説がひとつ増えたよね。いい話も聞かせてもらったことだし、お会計は任せといて」

 伝票をつかんで、メグミ姉ちゃんが立ち上がる。ワタシとサチ姉もそれに続く。



 前を歩くサチ姉の後姿が、とても頼もしく見えた。

 これからも、ずっとワタシの憧れのセンパイでいてね。

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