chapter 5 『シバタ』
クラスメイトの男子から、よく言われる。
「もてる男はうらやましいね~」なんて。
確かに、バレンタインでゲットできるチョコの数や、たまに下駄箱に入っているラブレターの数から考えると、「モテる」部類に入っているのだろう。手紙を見つける度に、ああこの古典的な手法もまだ健在なんだなぁと感心する。
でも、困ったことだってあるんだぞ。
ケータイに入ってくるメールやSNSメッセージの削除がタイヘンだし、中には誰だか分かんないヤツから来てることもある。しっかし、どうやってこっちを見つけてくるんだ?
オレはサッカー部なんだけど、フェンスの外にだいたい数人は女子がいて、何だか黄色い声を出している。練習に身が入らないことこの上ない。
この前なんか、シュートする瞬間に「しびれるぅ~!」と叫ばれ、脱力のあまりオレの足は空を切り、そのまましりもちをついた。スカしたのだ。
「あいつら、ただじゃおかねぇ」と思ったとしても、どんな形であれ構えば構うほど相手の思うツボなので、文句を言いに近寄るようなことはしないが。
あと、何が一番ツラいかって、自分の好きなヤツには振り向いてもらえず、それ以外にはモテてしまうという現状。その現実の前には、モテることは自分にとって何の特典でもないのだ。
小学校の頃、変わった詩を書いたヤツがいた。
モテる男はツラい!
でも、モテない男はもっとツラい!
……笑える詩だった。これを読んだ先生も大爆笑だった。
しかし「それとこれとは別ね」と先生に言われてしまい、国語的評価は低かったようだ。
でも、言い得て妙だ。やっぱりオレは贅沢なんだろうか。
高3になってクラス替えがあった時だ。
オレの隣の席の女子が、ちょっと変わったヤツだった。
名前は、吉岡悠里。実は、名前を言うだけで顔が赤くなっている。
あ、笑いやがったな、この!
まず、テレビに出てくる芸能人以外で、こんな美人は初めてだ。
あえて美少女、という言い方はしない。見かけがあまりに大人びているからだ。
腰まである長いストレートの黒髪。吸い込まれそうな目。
体から発するオーラが、今まで見てきた女子連中とはまったく異質だった。
なのに、彼女にアプローチする男子はいないらしい。
と言うのも、彼女は「人付き合いには全然興味がなさそう」だからだそうだ。
休み時間はたいてい小難しい本を読んでいて、いつも一人だ。
以前彼女にアタックした勇気ある男子もいたようだが、けんもほろろだったと聞く。何か、別世界に生きている、という感を拭えない。
自分の気持ちがはっきり分かったのは、英語の授業でオレが教科書忘れて、隣の吉岡に見せてもらった時。
教科書を見ながらも、時々彼女の顔を盗み見していた。
そして、目を見てしまったその時、釘付けになった。ハッキリ彼女への好意を自覚した。
その時唐突に、吉岡がオレを見て口を開いた。
「シバタ、、先生に当てられてるよ。返事したほうがいいと思うけど」
夢想の世界を漂っている真っ最中、運悪く先生に当てられてしまっていたのだ。
恥ずかしいことに、名前を呼ばれていることにまったく気が付いていなかった。
「おい、シバタ!」
オレたちの担任でもある英語の先生に、大きな声で呼ばれた。
「お前、今どこの問題当てられてるか分かってるか?」
吉岡のことしか頭になかったオレに分かろうはずがない。オレはガラッと椅子を引いて立ち上がり、直立不動の姿勢で上を向いた。
「すいませんっ、分かりません!」
クラスメイトたちの間から、クスクスと笑い声が漏れ聞こえてくる。
「……だろうな。じゃ隣の吉岡、助けてやってくれ。問五の答えは何だ?」
吉岡は、見事な返答をして先生を満足させた。
「シバタ、良かったなぁ。おお、麗しきかな友情。いや、もしかしてそれ以上かな?」
先生がそう言って茶化したので、クラスは大爆笑の渦に巻き込まれた。そうこうしているうちにチャイムが鳴り、授業はお開きになった。
その後の休み時間、クラスメイトから散々冷やかされたが、当の吉岡は何事もなかったかのように森鴎外の『舞姫』を読んでいた。
たとえコイツと付き合えても、話についていけるかどうか不安になった。
オレは、ある日とうとう吉岡に告白する決意をした。
部活が終わってから、下駄箱のところで吉岡を待ち構えた。
アイツはクラブ活動は何もしていないが、図書室で本を読んでから帰る習慣があるようで、いつも遅いと聞く。
この時ほど、向こうから言い寄ってきてくれる女子の誰かを好きになれたらどれほど楽か、と思ったことはない。
やはり、オレとて例外ではなかった。見事に撃沈。とりつくしまもなかった。
吉岡は真っ直ぐ前を見ながら、「さようなら」とだけしか言わず、ズンズン歩いて行ってしまった。周りを衛星のようにグルグルするのもみっともなかったので、しばらくして追跡をあきらめた。
アイツにとっては、男子なんて皆同じなのかな……
オレは夕焼け空の下、トボトボと家に向かって歩いた。
ポジティブさがウリのオレだったが、さすがにこの時はかなり落ち込んだよ。
ただ、気がかりなことがひとつ。
校門を出たところに、気になる人影を見つけた。
やはり同じクラスの女子、沖山佐智。
ちょうど、吉岡とは対極に当たるヤツだ。
明るくて行動的。。リーダーシップがあり、いつも女子集団の中心にいる。
何でそんなところにいたのか知らないが、アイツの様子が気になった。
ゾッとするような冷たい目をしていたからだ。
先公はどうだか知らないが、クラスの中にいるといやでも分かる。
図ったように、次の日から吉岡への『いじめ』が始まった。
実行部隊は巧妙に散らしてあるが、総司令官は間違いなく沖山だ。
オレは、何もできなかった。
沖山のヤツをたまに睨みつけるくらいしか、しなかった。
近頃の「いじめ」の実態は、テレビの報道とかで知ってるだろ? そりゃあもう、ひどいもんだよ。
女子は全員グルだった。男子は参加しなかったが、黙認していた。男子でさえ、沖山に頭が上がるヤツは誰もいなかった。
ましてや、高3という人生でも大きい節目だ。ヘタに問題に首突っ込んでダメージを受けたくない、ってのが正直なところだろう。
守ってあげたかったさ。
付き合ってる彼女なら、そりゃ危険を冒してでも体を張って守るさ。
でも、吉岡には冷たく突っぱねられたんだ。その事実の前に、吉岡を守るという熱い思いはしぼんだ。
吉岡の顔を、まともに見ることができなかった。
そんなある日、事件はとうとう起こってしまった。
赤い絵の具をぶちまけたようになっている廊下。
その中に横たわる吉岡。
階段の踊り場で、呆けたように座り込んでいる沖山。
その凄惨な光景を目の当たりにしたオレは、必死で沸騰する頭を冷やそうと努力した。この状況で、今すぐ自分にできることは何だ?
そう考えた次の瞬間には、ダッシュで保健室を目指していた。
途中、沖山の取り巻きの一人で牧野という女子がいたので、職員室に行って先生に知らせるよう頼んだ。彼女の顔はみるみる驚愕に歪んでいく。
「……分かった」と小声で言った牧野は、身をひるがえして駆けていった。
保健の先生を従えたオレは、急いで吉岡のところへ戻った。
そこにはすでに、野次馬の人垣ができていた。
「あなたたち、どきなさいっ!」
鋭い金切り声を上げながら、保健の先生は人垣をかき分けて、倒れている吉岡のそばに屈みこむ。
廊下は騒然としていた。偶然通りかかってその有様を見た生徒がパニックを起こしたり嘔吐したりという二次被害まで起こった。
そこへようやく担任をはじめ、たくさんの教師たちが駆けつけてきた。
「シバタ、ありがとう。救急車は呼んであるから、あとは先生方に任せるんだ!」
担任はそう言うが早いか、「全員すぐ教室に戻りなさい!」と野次馬を解散させにかかった。
オレは一瞬手持ち無沙汰になったが、すぐに後ろから声をかけられた。階段の踊り場に、魂の抜け殻のようになっている沖山がいて、牧野が肩を貸して歩かせようとしていた。
「サチ、何を言っても反応ないし、体にも力が入らないみたいなの。自力で歩けないと思うから、保健室連れて行くの手伝ってくれる?」
「よし」
オレは階段を駆け上がった。そして二人で両脇から沖山を支えた。ふと見ると、沖山の腰から下がびっしょり濡れていて、床には水溜りができている。
「……見ないであげて」
ハッとして声のしたほうを向くと、そこには雑巾の入ったバケツを抱えた後藤の姿があった。
「ここは私に任せて、早くサチを連れて行ってあげて」
後藤は、すがるような視線でオレを見つめ、そう言った。
お互い目を合わせてうなずき合った牧野とオレは、力を入れて沖山を立たせ、歩かせにかかった。沖山は何とか足を動かしてはいるが、ほとんど力が入っていない。ほぼ引きずられているかのような感じだった。
オレはクラスメイトとして、吉岡と沖山の二人がこんなにひどくお互いが傷付く結果になるまで何もできなかったことが、ただただ悔しかった。
次の日、当然のことながらクラスに吉岡と沖山の姿はなかった。
オレには、分かっている。
沖山が何かしたんだ。きっかけは、きっと衝動的なものだろう。
ただ、衝動的な行動であり計算がなかったことから、やった本人の想像を超える結果になってしまった、というのが本当のところなのではないか。
このままでいいはずがない。何か、できるはずだ。
その日の夕方、オレは担任からその日の授業のプリントをもらって、沖山の家を訪ねた。
「私らもついていっていい?」と言ってきた牧野と後藤も連れて行った。
覚悟していたことではあるが、沖山には会えなかった。出てきてくれたお母さんに、プリントと板書を写したノートを手渡した。
なぜだろう? オレはなぜか沖山のことが嫌いになれない。
あんだけのことをしたヤツなのに。
オレは一週間前の放課後、他に誰もいない教室で沖山とばったり出会った時のことを思い出した。彼女は、吉岡の机から何かの本を抜き取っていたのだ。
「それ、一体どうすんだよ」
聞いたからといって彼女を止められるとは思わなかったが、なぜかオレはそう尋ねずにはいられなかった。
沖山は、最初斬りつけるような視線でオレを睨んでいたが、やがて顔を伏せた。
肩が小刻みに震えている。
「シバタにだけは……見られたくなかった」
そう言った次の瞬間、彼女はオレの前から駆け出していた。
廊下を走る抜ける靴音が、次第に小さくなっていく。
オレには、沖山が泣いていたように見えた。
アイツも、何か苦しんでいるんだ。誰かの助けを必要としているんだ。
そう思ったからこそ、オレは沖山のことを見捨てられないんだと思う。
吉岡の転落事件から約一週間後、その日の二時限目が担任の英語の授業だった。
ガラッとドアが開き、担任が教室に入ってきた。
先生は教壇に立つと、生徒たちを一通り見回してから、開口一番にこう言った。
「……授業の前に、どうしてもお前たちに話しておきたいことがある」
いつにない担任の深刻な様子に、クラスのざわついた雰囲気は消し飛んだ。
私語がピタリと止み、静寂が訪れた。
「吉岡が、自殺未遂をした」
クラスの空気が凍りついた。
みんな、うなだれて下を向いていた。そしてその顔は一様に青ざめていた。
オレは、この時ほど自分が無力だと思ったことはなかったよ。
「私は、誰に責任があるとか、そういうことを議論したいわけじゃないんだ。そんなことをしても何の役にも立たない。むしろ、そんなことよりももっと大事なことがあると思う」
そんなはずではなかった。そんなつもりはなかった。軽い気持ちだった……。
それらの思いがまったく言い訳にしかならないことを、クラス全員が感じていたのだろう。担任の話を真剣に聞かないヤツは、誰一人としていなかった。
「実はな、先生には、お前たちに正直に言っておかないといけないことがあるんだ」
担任はそこでいったん言葉を切った。顔が苦痛に歪んでいた。
少ししてから、意を決したかのように再び口を開いた。
「先生には分かっていたんだよ。吉岡がいじめられてたっていうことが。なのに、何もしなかった。教師失格と言われても仕方がない。この通り、お前たちに謝るよ」
教壇の上からみんなに頭を下げる先生を見て、数人の女子が泣きだした。
「さぁ、これで私は自分の非を明らかにし、お前たちに詫びた。なぜだか分かるか?お前たちが次にそうしてくれることを願ったからなんだ。先生はまず手本を示した。これからお前たちがどうしていくのか? それに、先生は期待したいと思っている」
それ以上は先生も、胸が詰まって言葉にならないようだった。
担任は、かなり言いにくいはずのことをクラス全員の前で言ったのだ。
しかも、頭まで下げて。
今度はオレたちみんなが、それに応える時ではないか?
そう思ったオレは、次の瞬間席から立ち上がって、クラス全体に呼びかけていた。
「ひとつ、ハッキリさせようじゃないか。オレたちのしてきたことは間違っていた。そうだろ? でも過ぎてしまったことは、もうどうしようもない。
けど、肝心なのはこれからだ。いつか吉岡と沖山がこのクラスに戻ってきたら、本当のトモダチとして付き合ってやるって、みんなに先生の前で約束してほしいんだ」
オレは今まで無力だった自分を変えようと、何もしてこなかった穴を埋めようと必死に訴えた。
「……それじゃ、そう先生の前で約束できるヤツ、手を上げてくれ」
一人、また一人。しばらくして、全員の手が挙がった。
その三日後、朝からクラス内であるうわさが持ち上がっていた。
「沖山が学校へ来たのを見た」という女子がいたのだ。
しかし、その後教室にも姿を現さないし、他に誰も姿を見たというヤツはいない。
うわさの真偽のほどは分からないまま、時間だけが過ぎていく。
三時限目は担任の授業だったのだが、時間を過ぎても一向に姿を現さない。
どうなってるんだろう、と教室がざわめき出した頃、教頭が入ってきた。
「……今日のこの時間は、自習になります」
あれ? 朝担任と廊下ですれ違ったから、いるはずなんだけど?
しばらくして、牧野と後藤が校内放送で呼び出された。まぎれもなく、担任の声だ。学校にいるのに、一体何をしている?
直感的に、吉岡に関する騒動で何かの動きがあったと思った。
次の瞬間、いてもたってもいられなくなった。
その日の放課後、オレはダメもとで、吉岡の入院している病院へ行った。
もちろん、目的は吉岡に会うためである。
飛び込みで会わせてもらえる可能性は低いかもと思ったが、何かせずにはいられなかった。
病棟のナースステーションで用件を告げると、しばらくして吉岡の主治医らしい女性医師が目の前に現れた。白衣を着てなかったら、医者には見えない。モデルでもやってそうな長身の美人だ。
「清水といいます。あなたは……悠里ちゃんの彼氏か何か?」
いきなりそう尋ねられた。オレは頭が真っ白になって焦ってしまい、何とも奇妙な返答をしてしまった。
「いえっ、残念ながら……違います」
清水先生は大笑いし、目にはうっすらと涙まで浮かべている。
オレの言ったことが、図らずもウケてしまったらしい。喜んでいいことなのかどうか分からず、引きつった笑いを返してしまった。
「シバタくん、だったわね。失礼。でも、ホント面白かったわ。ああおかしい」
そう言った直後、清水先生は急に真顔に戻った。
「ところで、今日はどんな用件で来たのかな?」
オレは、さっきクラスのみんなが書いてくれた寄せ書きの色紙を、カバンから引っ張り出した。
「……これを吉岡のヤツに渡したくて来たんです。みんな反省してて、一日も早く戻ってきてほしいって思ってるんです。クラスの全員が待ってるから、早く良くなれよ、って言ってあげたくて」
清水先生は、オレが渡した色紙をしばらく眺めていた。そして、こう言った。
「いいでしょう。今、悠里ちゃんのいる所へ連れて行ってあげるから、そこでしばらく話をなさい。多分、外科病棟との連絡口の廊下にいるはずよ。あ、それとこれはあなたからじかに渡してあげなさいな」
色紙をオレに手渡してから、清水先生は吉岡のいる場所へと案内してくれた。
久しぶりに会えた彼女は、思ったより元気そうだった。
吉岡は、オレが話している間中ずっとクスクス笑っていた。
オレ、別に何か面白いこと言ったわけじゃないんだけどなぁ。
翌日、放課後に再び病棟を訪れた。
と言うのも昨日、オレは夕方吉岡と面会したあとで、清水先生にこう約束させられたからだ。
「明日、学校が終わったら真っ直ぐ私のところへ来ること」
病院に着くと、精神神経科外来を目指す。受付を覗くと、カルテを抱えた当の先生がいた。
「ああ、いらっしゃい。ここじゃなんだから、カフェテリアに行きましょう」
窓際のテーブルに腰を掛けると、清水先生はコーヒーをふたつオーダーした。
オレは呼び出された意図が読めず、緊張していた。
清水先生は、椅子をちょっと後ろにずらして、スラッとした足を組んだ。
ちょっと前にこっそり仕入れた『美人女医・誘惑の診察室』とかいうタイトルのAVが頭をよぎり、自分の不謹慎さにあきれた。
「シバタくん」
急に呼びかけられた。
「ハイッ」
考えていた内容が内容だったので、何だか見抜かれたような気がしてドギマギしてしまった。
「あなたは、これから先も悠里ちゃんの友達として、支えていきたいと思っていますか?」
「……はい」
自然に口をついて言葉が出た。
「なるほど、分かりました。今のはちょっとした意思確認」
そう言って清水医師はコーヒーに口をつけた。この人、動作が何でもサマになっているなぁ。
「それでは、あなたには今日から勉強してもらうことがあります」
そう宣告された。マジ? 学校の勉強だけでもたいがいなのに、これ以上勉強しろってか?
「何考えてるの。好きな子のためでしょ? それくらいガッツ出しなさい」
見透かされたように言われた。清水先生はコーヒーカップを置いて言葉を続ける。
「あなたの悠里ちゃんを思う気持ちは分かります。でもね、こころの病気を抱えた人を支えていくためにはね、気持ちだけでは駄目なの。
だからシバタくんには、こころの病気についてきちんと理解してもらう必要があるの。分かってくれるわよね?
これから、悠里ちゃんの面会の帰りでもいいから、ちょっと勉強に寄っていきなさい。お二人には、大事な役目を果たしてもらいますからね」
何?二人?
「ああ、来た来た」
先生は、カフェの入り口でキョロキョロしている人物を見つけ、手を振った。
お、沖山!?
オレに気付いた向こうも、口をポカンと開けてこっちを見ている。
日頃キリッとしているヤツだが、その時はめっちゃアホヅラに見えて笑った。
「しっかし、お前変わったな」
沖山と二人で清水先生のところへ通うようになってから、すでに二週間が過ぎた。
病院からの帰り道、沖山と肩を並べて歩く。
「……何が?」
不思議そうにこちらを見つめる。
「何ていうか、刃物みたいな鋭さが減った。優しくなった」
「私のしてきたことは、ひどいことだよ? あんたの好きな子傷つけてきたのに、そんな風に言ってもらえるなんて意外」
首をかしげて、どこか納得できないような表情で聞いてきた。
そんな彼女の横顔を見つめながら、オレは昨日清水先生から言われたことを思い出していた。
「シバタ君、人間にとっての『本当の強さ』って何だと思う?」
難しい。急に聞かれて出てくるような内容ではない。
力の強さとか、そんなんじゃないとは思ったが、あまりに抽象的すぎて言葉にできなかった。でも、清水先生はいともあっさりこう言った。
『愛する人のために、自分が傷付くことを恐れないこと』
オレは、吉岡悠里が好きだった。
でも、それは『愛している』のとは違った。
彼女を、守れなかった。自分を捨ててまでかばえなかった。
オレの彼女を好きだというレベルは、しょせんガキのそれと同じだと思い知ったよ。いちから出直しだ、と思った。
ちょっと前に、オレは沖山の話をじっくりと聞く機会があった。
彼女は語った。吉岡を突き飛ばしてからの悩みと葛藤、自殺未遂を起こしたと聞いた時の悲しみと絶望と自己嫌悪。そして、吉岡を支えようとするまでの決意、彼女への謝罪……。
オレは、沖山を尊敬した。彼女こそ、オレなんかよりはるかに吉岡のことを思っていた。同性に向けられたものではあるが、それは「愛」と呼んで恥ずかしくないレベルだ。
見習いたいと思った。追いつきたいと思った。
吉岡を好きな気持ちに変わりはないが、実はちょっと沖山のことも気になりだしている。
今、自分で自分が正直分からない。だが、オレはまだ高校生だ。若い。
人生の余裕は、まだまだ残されている。自分の本当の気持ちを、この素晴らしい仲間たちと、これからじっくり確認していきたいと思った。
「次、来週の火曜、放課後清水先生のところに行くんだからね。予定、空けときなさいよ」
考え事をしていたオレは、その言葉にハッと我に返った。
「あ、ああ」
沖山は、さしかかった下り坂をスキップで下りていく。
オレは、ちょっと笑顔になって、彼女のあとを追いかけた。
心地よい風が、オレたちの間を吹き抜けていった。
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