第二部

プロローグ 『佐智と悠里の約束』

「明日には悠里、いなくなっちゃうんだよねぇ。寂しくなるなぁ」



 柔らかな春の日差しが降り注ぐ、春休みのある日の午後、私と悠里はゆったりと流れる川を眺めながら、堤防の坂を少し下ったところに腰を下ろして語らっていた。

 悠里は合格したのが関西の大学だったため、向こうで下宿生活をすることになっている。

 入学式も迫り、とうとう明日この街を発ってしまうのだ。

 だから、今日の悠里は私の「貸し切り」状態。

 一日、私と思いっきり遊ぶ予定になっている。



「なんでさぁ、東京離れちゃうの?ここから通えるとこならさぁ、私らと楽しくやれるのに……」

 以前、悠里から関西の大学へ行くと告げられた時に、そう苦言を呈したことがあった。すると彼女は、微笑を浮かべて言った。

「佐智たちといたほうが楽しい、って私も何度も考えたよ。でもね……これはある意味私にとっての挑戦でもあるんだ。みんなに助けてもらってここまで前向きになれた私が、自分だけの力でどこまでやれるのかな、って」



 本心としては、辛かったよ。

 だって、悠里とせっかくここまでの関係を築くことができてさぁ、友情を深めるのはこれからだ、って思った矢先にこれだもの。



「本当はね……明日出発するっていう今になって、ちょっと不安になってるかも」

 隣の悠里はボソッとつぶやく。

 顔を曇らせ空の向こうを見据えている彼女の長い髪を、春風が撫でる。

 そよぐ髪に手を当てる彼女の横顔は、不安げな表情ながらも美しく見えた。

「なーに言ってんの!悠里が選んだ道だもの。辛いけど、やっぱり私は応援するよ。行っちゃえば問題ないない!きっとうまくやれるって信じてるからさぁ」

 私は悠里の肩に手を回し、抱いて揺さぶった。彼女は不意を突かれてちょっとビックリしていたが、すぐに花が咲いたかのような笑顔になった。

「何か困ったことがあったら、電話でもメールでもいいからじゃんじゃん相談してきなよ。どこにいたって私らは友達なんだからさぁ」



 ……トモダチ、かぁ。そうだよね。

 私は去年の夏の終わりに、この場所で悠里と二人で抱き合って泣いた時のことを思い出し、ちょっとしんみりした気分になった。

「ありがと。これって、遠距離恋愛ならぬ遠距離友情?」

 珍しく悠里が冗談を言った。私はウケて、手を叩いて笑った。彼女の冗談には一種の上品さというか、粋なウィットがあって面白い。ベタな駄ジャレが多いシバタとは大違いだ。



 なぜかシバタのことが頭に浮かんでニヤニヤしてしまった時、絶妙のタイミングで悠里から予想外の質問が飛び出した。

「それはそうと……シバタとはその後うまくやってるの?」

 とたんに私の頭にカアッと血が上る。傍目にも、首筋から耳の先まで真っ赤になっていたに違いない。私は焦った。ことこういう話題には、めっぽう弱いのだ。

「ど、どさくさにまぎれて……ななな何聞いてるのよう?」

 妙に滑舌が悪い。

「佐智ってやっぱり面白ーい」

 悠里は私に背を向けて、肩をひくつかせている。



 ……笑ってやがるな、コンチクショウ。



 悔しかったので、平常心を取り戻したかのような口調を装った。

「ま、アイツも大学受かって、まぁメデタシメデタシだね。確かA大の経済学部だっけ? 大学って名の付くものに入れただけでもめっけもんだよ、アイツの場合」

「今でも、時々会ってるの?」

 なんで、この話の流れでその質問!?

 でも私は悠里の術中にはまり、反射的に首を縦に振っていた。

 なんでこの方面では、私嘘がつけないんだろ?

「そうなんだ~」

 悠里はちょっと顔を上に上げて、ニンマリする。

 焦る私は、私は手足をちぐはぐにバタバタさせながら必死で弁解した。

「ちょちょ、ちょっと待ってよ! まだ何もないですってばぁ! ヘンな想像しないでよねっ」

「ハイハイ。『まだ』ないのね」

 まだ、を強調されながら悠里に軽くあしらわれた。



 そうこうして、しばらく悠里とはしゃいだ。

 しかし、二人でいられる時間も、やがて終わりがくる。

 明日別れたら、次の夏休みが来るまでは会えなくなるのだ。

「ねぇ、ひとつ提案があるんだけど」

 悠里は何か思いついたようだ。

「お互いに、大学四年間の目標を言おうよ。そして四年後、卒業した時にまた同じこの場所で、どれだけ達成できたかを報告し合うわけ」

「そうね、賛成。それ、面白いかも」

「それじゃ、まず私から」

 悠里は居住まいを正して、ひとつ深呼吸した。

「障害を引け目に感じたり言い訳にしたりせず、友達をつくり学生生活を前向きに楽しむ。これに尽きるかな?」

 彼女の横顔から、並々ならぬ決意のほどが見て取れる。私も負けてられない。

「じゃあ、私はこの場所に残って、悠里に負けないくらい心が通じ合える友人を新しくつくる。そいでさぁ、一人でも多くの困った人や悩んだりしている人の助けになってあげるんだ」



 これは今思いついたことではなく、悠里が離れたところへ行ってしまうと知ってからずっと考えてきたことでもある。

 これからの人生、一体どんな新しい出会いが待ってるんだろ。

 今からワクワクしている。私は、自分だけの力では決してつかみ取れなかった宝物を、悠里や色んな人たちからもらった。だから、今度は私が与える番だ。自分一人の力など、小さいものかもしれない。けど、きっと誰かの役に立てる。



「じゃあ、大学卒業したら必ずこの場所で成果報告会ね。約束だよ」

 悠里はそう言って、おもむろに右手の小指を私の胸元まで持ってきた。

 私はキョトンとして、彼女の小指を見つめた。

「へ?何すんの?」

「やぁね。約束って言ったら、指きりに決まってるじゃない」

 ブッ。まさかこの歳になって指きりなんてすることになるとは思ってなかった。

 ちょっと恥ずかしいけど……こういうのも悪くないなぁ。

 おずおずと小指を、悠里の小指に近づける。

 二人の指が触れあう。そして絡み合う。



 ……お互い、頑張ろうね。



 心の中で、私は何度もそうつぶやいた。




 出発の日、東京駅で悠里を見送った。

 新幹線の窓から手を振る彼女の姿を追って、ホームの端まで走った。

 彼女を乗せた列車は小さくなり、やがて見えなくなった。

 息を切らしながら、私は伝え合ったお互いの目標と約束のことを思い出す。



 ……悠里は、自分の旅をスタートさせたんだ。

 よし、私も歩き出そう。

 ガンバレ、悠里。私も負けないんだから。




 彼女が消えていった線路の果てを眺めながら、私は長い時間立ち尽くしていた。




 ~第二部・始動~

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