エピローグ 『あさっての向こうに』


「うーん、長いようで短かったような、短いようで長かったような……?」

「何それ」

 私の言葉に、悠里がプッと吹き出す。

 ここは、四年前に悠里と約束した場所、川の流れを望む堤防下の坂。

 あの時と同じ所に腰かけて、お互いの大学卒業までの四年間を振り返る。

「佐智のユーモアセンスは変わってないね。安心した」

「何言ってんのよ。あんたこそ、関西行ってお笑いのセンスが付いて帰ってきたくせにぃ!」

 そんな他愛もないことを言い合って、お互い大笑いした。

「悠里も、頑張ったね。向こうでトモダチ結構できたみたいだし。あんたのほうの約束はきちっと果たされたってことは分かった。で、もうすぐ卒業旅行に行くんだって? 私も連れってってぇ」

「ダーメ」

 にべもない答えだ。ま、私も冗談で言ったんだけど。

「佐智のほうこそ、すごいじゃない。大の親友三人と、仲良く暮らしてるじゃない。私なんかよりカンペキな公約実現だよ——」



 ……そうよねぇ。

 本当にこの四年間、色々なことがあった。

 運命の糸に手繰り寄せられるように出会った、メグミと亜由美。

 そして、最近この女所帯の生活に加わった、ミュージシャンの篠原のぞみさん。

 彼女は最近、ある無名の歌手のために作ってあげた曲が口コミでヒットしたことがきっかけで、ちょこちょこ名のあるアーティストに曲を提供するようになった。今では、言わばちょっとした有名人。

「作曲するよりも、本当は自分がステージで歌いたいんだけどねっ」

 そう言いながらも、のぞみさんはうれしそうだ。

 彼女は時々、他の三人の顔を見て「あ、曲のインスピレーションが湧いたぁ」なんて言うものだから、「エッ!私ら何かヘンなことしてた!?」なんて大騒ぎになる。

 本当に、仲の良い四人組。



「面白いんだよ。流香ちゃんなんてさぁ、私もみんなと住ませてぇ! なんて言うもんだから……住む家もちゃんとあって、高校も卒業してないんだからダメ! それともあんた、家賃払えるの? って言ってやったらブーブーふくれてたよ」

「それって、目に浮かぶなぁ」

 悠里は苦笑していた。

「全部、全部……悠里のお蔭だよ」

 図らずも感極まってしまい、二人の間に流れる空気を変えてしまった。

 この歳になると涙もろくっていけない、なんて年寄じみたことを思ってしまった。

 悠里は無言で、私の肩に手を回す。

「へへ。また悠里に甘えちゃったぁ」

「こうして見ると、佐智ってカワイイ」

「なぬ! じゃあ今までどんな風に見てたのよ?」

 私は、春の日差しと川の流れが奏でる水音に包まれながら、ゆっくりと流れるこの時間を味わえる幸せをかみしめた。



 急に、背後に人の気配を感じた。

「よっ、ご両人! 見つけましたよぉ」

 ギクッとして振り返ると、そこには声の主であるメグミをはじめ亜由美、のぞみ、流香ちゃん。あれま、エリカまでいるじゃん。

「え?どうしたのよ、みんな揃って。何かあるの?」

 ……何か、ヘンだ。

 私の直感もそう告げていたが、何よりみんなが笑いをこらえたような表情をしているから、何か魂胆があることはバレバレだ。

「それではっ、ごゆっくりお過ごしくださいっ!」

 メグミがそう叫ぶと、みんなは蜘蛛の子を散らしたように走って去っていった。そして、彼女らが壁になって見えなかったうしろの人物の姿が、目に飛び込んできた。



 ……ゲ。シバタ!?



 隣を見ると、悠里までもういない。こりゃ、みんなに仕組まれたかな?

 何だか思わせぶりなシチュエーションに、ドギマギした。



「よぉ、元気だったか」

 明らかに、照れ隠しのような挨拶だ。元気だったかって……あんた昨日も私に会ってるじゃん。

 シバタは黙っていたらカッコイイのに、口を開くとお笑い芸人並みに面白い。

 本人にそのつもりがないところが、余計に笑いを誘う。

「まぁ、そこそこには」

 私も、何とも間の抜けた返事をしてしまった。ま、これでおあいこだ。



「こっ、これ……」

 シバタはズボンのポケットをまさぐって何か捜している。

「これこれ」と言いながらも、一向に見つかる気配がない。

「あのさぁ、もしかしてポケットじゃなく、カバンにあったりとかしない?」

 呆れた私は、そうアドバイスしてみた。

「おおっ、そうそう」

 彼は足元に置いてあったカバンに飛びつく。

 ……オイオイ。もしもこれがプロポーズだったら、私怒るぞ。

 人生において悪い予想というのは、実現してほしくない場面でこそ当たってしまうものだ。



「これ、オマエに」

 シバタの手には、指輪が入っているであろうきれいな青い小箱。

「そんなに、高いもんじゃないんだけど」

 バカ。たとえそうでも、いちいち正直に言わなくてもいいの!……ったく、雰囲気もへったくれもありゃしない。ムードってもんがあるでしょうに。

 でも、私は彼から指輪を受け取り、満面の笑みを浮かべて返事をした。

「私も、あなたが好きです。これからも、一緒に生きてくれますか?」

 今から思えば変な言葉だが、私は精一杯自分の気持ちを伝えたにすぎない。

 シバタの胸の中、私は言いようのない幸福感に包まれた。



 人は何のために生まれ、生き、そして死ぬのか——。

 私はよく考えた。凡人の私に、満足な答えなど出ようはずもない。

 でも、今この瞬間思った。

 ……私はシバタのために、大切なトモダチのために、私をめぐるたくさんの人たちのために、そして何より自分自身のために生きている。生きているこの一瞬を、限りなく充実させるために、生きている。

 まるで、私たち二人をそっとしておいてくれるかのように、堤防には誰も通らなかった。




 私は、臨床心理士の試験に合格。

 今年度から、病院付きの心理カウンセラーとして、清水先生のもとで働くことが決まっている。

 岩田先生はすでに研修医ではなく、結局精神科医として同じ病院で引き続き活躍することになった。清水先生とはもう同僚同士なのだが、今でも尻に敷かれているようだ。言うまでもないが、彼のオタクぶりはさらに磨きがかかっている。

 メグミは大学卒業後、近所でフラワーショップを開く予定。花屋の名前はもう決まっていて、『フラワーショップ KIBOU(キボウ)』にするそうだ。

 海外でフラワーアレンジメントの技術や花の知識を蓄えたカオルが、帰国してくるのを待って開業するらしい。メグミが店長で経営方面を担当、カオルが花全般のことを担当。この二人が組めば、きっと繁盛するに違いない。



 亜由美は今、服飾デザイナーの専門学校に通っていて、将来はどこかの大きなブティックでファッション・コーディネーターとして働きたいのだそうだ。

 彼女は、学校で出た課題のことで、たまに私に相談してくる。

 何でまた私に聞くの?って尋ねたら——

「いや、佐智は天然でこの方面のセンスあるし」だってさ。

 流香ちゃんは今年度から高校生。合格したのは、都内でも有名な名門校。

 あんた、そんなに勉強してるようには見えなかったけど、いつしてたの? って聞いたら……

 「やだぁ、そんなのスポーツ推薦枠に決まってるじゃん! アハハ」

 そう言って、あっけらかんとしていた。まったく、明るい子だよ。

 そして悠里。彼女は貿易会社で、得意の英語を使った仕事に就くことになった。なんとその会社は、悠里のお父さんが会長を務めるグループ傘下の会社なんだってさ。

 あ、誤解のないように言っとくと、悠里はコネじゃなくちゃんと実力で入社したんだよ。もちろん。



 みんな、それぞれ過去には色々なことがあった。

 イジメ、自殺、援交、レイプ……

 それでも、みんなはそれを「過去」とし、前を向いてそれぞれの道を歩き出した。

 明日に向かって。

 さらに、あさっての向こうにあるものを目指して。



 今こそ、つむぎ始めようと思う。

 私の、本当の物語を。




  ~あさっての向こうに・完~

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