第18話 ノルウェー王国スバルーバル諸島キングスベイ、ニーオルスン観測基地
寒いな、と呟こうとしたが、口元はネックウォーマーで覆われており、喋りにくい。でなくても聞かせる相手がいるわけではない。であればわざわざ呟く必要などなく、勇凪は地吹雪舞う中を歩き続けた。気温はマイナス十度程度だろうが、風が強いだけ冷気が体温を奪っていく。三月の北欧は油断すれば十分に危険な寒さを孕んでいる。
外にいるのはまだ五分程度で、十分に着込んでいたにも関わらず、身体は冷えていた。日本から飛行機で約十時間かけてノルウェーのオスロへ、そこから二時間かけて旧炭鉱町のロングイヤービェン、そしてさらに一時間ほどの飛行を経由してたどり着くのが、北緯約八十度に位置するニーオルスンである。ヨーロッパの北部に突き出した形状の北欧諸国から海を超えた位置にあるこの島は、前世紀から続く北極地方の気象観測拠点であり、キングスベイというノルウェーの政府直轄機関によって治められている。
足元を地吹雪が滑り抜けていくさまはいかにも寒い。固まった雪面を踏み締めて管理施設に戻る。体育館ほどの敷地を持つ管理施設の防寒性は非常に高く、中に入ってコートやネックウォーマーを脱いで一息吐くことができた。いくら暇だとはいえ、ぶらぶらと歩き回るにはこの気候は適してはいないな、と体験を通して理解できた。
管理施設の一階は
一面が窓になっている休憩所の人のいないソファに座り、勇凪はコーヒーを啜った。
(レイラニは大丈夫だろうか)
そして、呆けとしながら考えるのは、日本に残してきたレイラニのことであった。勇凪はノルウェーのあとにそのまま日本に戻らずにチェコの学会へと向かう予定だったが、彼女もチェコに行きたいと言い出したのだ。
「チェコってプラハでしょ? 綺麗な街だって聞いたことあるよ」
とレイラニは軽い調子で言ったものだ。勇凪に同行するという彼女の提案は唐突で、最初、勇凪は無理だと言った。自分は遊びで出かけるわけじゃないし、当たり前だが彼女のぶんまで費用は出たりしないのだ、と。
勇凪はこれまで何度か外国に出かける機会があったが、それはいずれも学会に参加するためであり、遊びで出かけたことは一度としてなかった。行きたいと思ったこともない。卒業旅行で海外に出かける大学生だとかの話を聞くに共感できないため、自分はいささか引きこもり気味なのではないのかとさえ思う。いや、国内なら旅行のための旅行に出かけることはあるので、海外が苦手なだけか。
「お金は貯金があるから大丈夫だよ。気にしてないし、さなちゃんが学会に行っているんだったら、その間に観光するだけだから……駄目?」
「駄目じゃないけど、おれはプラハに行くまえにノルウェーに行く」
「え? なんで?」
なんでなどと聞いてくるが、それは最初に説明した。ノルウェーに行くのは観測基地があるためだ——つまり、勇凪がいま居る、この場所、ニーオルスンである。
「観測……研究ってこと? うん、でも、大丈夫だよ。じゃあ、プラハで合流しようよ」
とレイラニはあっけらかんと言った。彼女は怒っているとき以外で深刻な表情を見せることはないし、物事を深刻に考えることはない。
「おまえ、海外行ったことないだろ? 飛行機とか、ひとりじゃ乗れないんじゃ……」
「
「パスポートは? 持ってないだろ?」
「パスポート?」
その反応を聞いて、言わなければ良かった、と心の中で舌打ちする。言わないでおけば、飛行機出発のときになって国外へ出れないことを知って羽田空港から蜻蛉返りして出発できないことになっただろうに。残念ながらレイラニはパスポートを知り、出立日までには発行に十分な期間があった。海外の航空券の予約などできるのかと思っていたが、旅行代理店を活用してチケットまで取得してしまった。
レイラニとはプラハで合流することになっている。もし彼女が正しく飛行機に乗れれば、だが。
もう一度、溜め息を吐く。レイラニのことは心配で、しかし目下頭が痛いのは己の現状だ。いや、痛いというよりは、少しずつ削り取られていくような感覚があるだけで、しかしそれが焦燥感のようなものを感じさせていた。
ノルウェーに来たのは仕事でだが、しかし勇凪には仕事がなかった。謎かけのような話であるが、仕事で来たというのは研究所の経費で来たという話であり、上司から「北極の観測基地に手伝いに行ってみたらどうだ」と勧められたということである。仕事がないというのは、実際に観測基地で為すことがないという意味だ。
観測基地でやることといえばすなわち観測活動なのだが、観測活動の手法は大きくふたつに分けられる。つまり、人間がその場にいなければできない作業と、人間が必要がない自動観測装置を使った手法だ。技術と金と時間が無地蔵ならすべての観測は自動化できるだろうが、コストや効率を考えれば人間の手で行ったほうがよい作業もある。たとえば空に向けてレーザーを放ち、戻ってきたレーザー光を受信して解析をすることで大気中の水分や微量気体、はたまた雲や
そして勇凪の使うデータというのは概ね前者だ。自動化できるところで自動化するのは素晴らしいことだ。それはそのとおりだ。しかし、この場で困るのは仕事がないということである。
もともとは手伝いに行ったらどうだ、と勧められたわけで、現地に行けば何かしらやることがあるのではと思っていたが、ここは北緯八十度の極地であり、一種の特殊空間である。日本基地にいるメンバーは現在他に三人いるが、彼らが行なっている観測はツェッペリンという山の上で行われている。山は百八十メートル程度と標高は低く、ロープウェイが通じているために上り下りそのものに苦労があるわけではないのだが、問題はロープウェイがオンボロで、四名までしか乗れないということだ。ロープウェイの操作ができる、この島の管理施設の従業員を除けば三人までで、その狭き門には単なる手伝いの勇凪よりも、他の研究者のほうが優先されることは明らかだ。
かくして勇凪はひとりで留守番と相成った。平屋の日本基地に比べれば管理施設は設備が整っており、いつでもコーヒーが飲めるといった利点はあるが、それでもやることは限られ、自然と時間を持て余す。
有り体にいえば、暇だ。
休暇のようなものだ、と考えてゆっくりと休むことはできないでもない。だが周囲が働いているのに自分だけ休むというのは難しい。それに、やることはある。たとえば論文を書くだとか、そのためにデータの解析を行うとかで、そのための道具はあるし、解析のための材料もある。が、それでもまんじりともせずにただひたすらにコンピュータに向かっているとだんだんと頭が重くなっていく。
思えば日本の研究所にいるときも似たような状態だというのに、なぜこうも気分が鬱屈するのかと考えて、ひとつには自分が仕事をしていないからだと気づく。勇凪は駆け出しとはいえ研究者であり、研究するのが仕事で、であれば論文を書くのもデータ解析をするのも仕事の領分に沿ってはいるのだが、しかしここは観測基地である。観測活動をする必要がないのであれば、わざわざ日本からここまで来なくても良いわけで、であれば貴重な研究資金を無駄にしたようなものだ、と考えれば勇凪は邪魔な居候のようなものだ。居心地が悪くなるのも当然だ。
娯楽はある。受付と食堂、娯楽場も兼ねる管理施設は「北極基地」という表現から思い浮かぶような施設ではなく、内装も含めてホテルのように感じるのは、単に観測活動だけを行なっている場所なのではないからだろう。たとえば窓の外には各国の基地や施設が見られるが、そのほとんどは壁も屋根も焼けた煉瓦のような赤か畑のような小麦色、でなければ空よりは穏やかな水色か海ほどではない藍色で塗られている。これは景観を重視しているためらしい。ということは観光業もある程度見据えているということで、実際、管理施設の告知ボードには観光ガイドの案内が貼られていたり、ノルウェーの絵本作家だという人物が訪れていたりもする。
であればビリヤード場があり、バーがあり、ピアノがあり、サッカーボードがある。しかしひとりでそれらを楽しむ余裕はなかった。じりじりと、焦燥感だけがある。
「星見さん、お待たせしました」
呆と管理施設のソファに座っていた勇凪に声をかける者がいた。日本語であれば日本人で、山に行っていた観測者たちだ。時計を見れば十六時を回っていた。北欧では長い夜に備えてか夕飯が早く、この施設では平日は十六時半から夕餉だ。それに合わせて観測を終わらせてきたのだろう。
「おつかれさまです」
としか勇凪は言えない。彼らのうちのふたりは大学の研究者と学生だが、ひとりは勇凪と同じ研究所だ。しかし観測対象は同じ気水圏分野とはいえ、勇凪とは少し違う。観測対象の話を聞いて、まったくわからない門外漢、ということはないが、彼らと同レベルで話をするのは難しい。
夕餉のあとは日本の基地に戻る。初期の設営管理が悪かったのか、他国の基地と違って日本基地だけは管理施設から少し遠い。遠いとはいっても、日中なら目視できるような距離なのだが、そこは北欧の厳しい気象と地形が徒歩での行き来を拒んでいて、基本的に車ではないと基地と管理施設を往復してはいけないことになっている。車であっても雪にタイヤを取られて進めなくなることもあるくらいなので、徒歩での行き来の禁止は大袈裟ではない。他国の基地にはバイクの前輪の代わりにスキー板、後輪の代わりにキャタピラを履いたスノーモビルや、椅子にスキー板を履かせたようにしか見せない簡易的な人力スノーモビルなども見られるが、風防があるとはいえ寒そうだ。車が最適である。
数十年前は移設の話もあったという日本基地は、二十世紀末に作られた基礎を残したままで二度改築工事は行われたそうだが、他国の基地と比較してけして豪華とはいえない。それでも部屋数は十分にあり、シャワーを浴びられるのだから、最悪ということはない。
基地に戻り、観測班の持ち戻ってきた機材、たとえば観測機能を終え、ひとまず収納しておく機械を倉庫に入れる作業を手伝って二十時過ぎ。さてこれで一息吐けるか——と思いきや、まだすることがある。というより、しておいたほうが良いこと、か。
それは研究である。
勇凪たちは研究者だ。研究者は研究をするのが仕事で、ここには研究で来ている。それは理解できる。だが朝から夕まで観測活動という、別の仕事をしていた研究者たちは、よくもまぁ基地に戻ってきてからも仕事をするものだ、と感心してしまう。
「研究者のひとって、ほんとに研究が好きなんだね」
とかつて言ったのは、日本いるときのレイラニだ。家に戻ってきてコンピュータに向かっていた勇凪に向けて言われた言葉だが、そのとき勇凪は特段、研究が好きでコンピュータに向かっていたわけではなかった。仕事である。単にその日のうちにやっておこうと思った仕事が終わらず、家に帰ってからやっていたというだけなのだ。
モニタに向かっている姿がそんなに楽しそうに見えたのだろうか、と自問してながら己の顔をさすってみても、無心に前だけを見ていた姿しかなかっただろうと思う。それが「好き」そうに見えたのかもしれないが、もっといえば、「研究者とはそういうもの」という刷り込みが言わせたのかもしれない。
研究者は研究が好きだ、というのは一般的な認識だろう。勇凪も、もし自分が研究者になっていなければ、同じように思っていたことだろう。そう思うのは、一般的な研究者像——創作のドラマや、人伝ての話で作られるそれが、そういうものだからだ。寝食を惜しんで研究をし、世界の真実を解き明かすことを快楽とする——それが研究者というものだ。だがあるいはそれは、ひとつの事実なのかもしれない。でなければ、研究者という職業の人間は増えはしない。研究そのものを喜びとする人間が、研究者だ。ただ勇凪がそうではないというだけで。
自分はそうではない。
自分はそうはなれない。
では自分は研究者として適当ではないのではなかろうか。
日本基地のコンピュータ室で自身の持ち込んだノートパソコンに向かいながら、管理施設の近くにあった胸像のことを思い出した。青銅製だろうか、澱んだ色のその像が形造るのは壮年の男性で、ノルウェー語はわからなかったが、英語で刻まれた文字から読み解くには、アムンゼンの像らしい。ロバート・アムンゼン。北極探検の第一人者といえる人物だ。彼は北極探検に失敗し、命を落とした。彼は——彼らは何を求めて北極へと向かったのだろう。名誉か。好奇心か。自分はどちらも携えていない気がする。
研究者になった、が、研究者に向いていない。実際に研究者になってから、それを深く感じるようになっていた。
ではなぜ、自分は研究者になったのだろう。
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