第25話 日本国内地、東京都立川市国際医療センター
一般病棟移動後、二日目深夜。咳をして勇凪は目覚めた。
目覚めた。そう、目覚めたのだ。今まではどこか夢現つだったところを、無理矢理に起こされたのだ。あるいは薬の影響だったのかもしれない。はたまた、事故のショックなのかも。理由はともかく、まどろんでいたところから覚醒した。その感覚があった。
だがまともな感覚を取り戻すということは、あまり快適なことではなかった。痛みが続いている。
何度も転げたことがあるし、頭をぶつけたこともある。打撲の痛み、擦過傷の痛み、切傷の痛み——いずれも慣れるということはない。生物として、度重なる痛みに慣れてしまったらもはやその生物は危険を察知できなくなるからだろう。痛みは重要な危険信号だ。
だがどの痛みも、慣れることはないが、徐々に引いて行くものだ。痛みは辛いが、やがて和らぐものなのだ。
この日の痛みは、しかしいつ引くのか知れなかった。
咳が出るたび、もちろん喉は痛むのだが、それ以上に背中が痛む。背中の中心か、いや、それより少し右側だ。手術をして切られたのが腹なのに、背中が痛むというのはおかしな話だ。笑えれば良かったが、出るのは咳だけだ。
ベッドの横に取り付けられたナースコールを鳴らす。二秒後、もう一度。もう一度。叩くように。叩く。痛みによって、ここまで人が冷静さを失うということを勇凪は知った。
「どうしました?」
看護士がやってくるまでの間、きっと五分とかからなかっただろう。それでも勇凪には永劫に感じられた。
背中が痛いので痛み止めを処方してほしい、と訴える。これは初めてではない。痛み止めの効果は半日も持たないらしく、既に一度、要求している。
「投与しても大丈夫かどうか、先生に訊いてみますね」
この返答も、前回聞いた通りだ。
去っていく看護士の背に、今出せ、と怒鳴りつけたりはしなかった。だがそれは、看護士を気遣ったわけでも、冷静さが残っていたせいでもなかった。ただ、相手の心象を悪くすることで薬を投与されるまでの時間が長引くのが怖かっただけだ。どんなにか卑屈になってでも、薬が欲しい。
看護士が薬を持ってくるまでの間、ベッドの枠を何度も叩いた。一般病棟八階の救急救命科入院階の部屋は空いているらしく、ICUから移ってきた勇凪が入ったのは四人のベッドが入れる部屋だったが、現在ほかに入院患者はいない。入った直後には隣に老人がいたのだが、すぐに退院して出ていってしまった。だから安心してベッドの枠を叩ける。
尿道に刺さっていたカテーテルを抜かれたときは、内臓を引き抜かれているのではないかというほどの痛みを味わった。声が出た。痛かった。体験したことのないような。
いま、感じている痛みは、あのときの痛みと比べれば弱い。それでも、痛みが続いている。それが辛い。
どれくらい経っただろう、五分程度か、十分か、三十分か。一時間は経っていないだろう。看護士が戻ってきて、点滴に薬を混ぜた。すぐに痛みが引いて、ようやく眠りにつくことができた。
ICUの集中治療室で一日、ICUの入院ベッドで三日、そして一般病棟の救急救命科に移って二日——いや、寝ている間に日付が変わったので、三日か。
勇凪が事故に遭ってから、一週間の月日が経過していた。
(失敗した)
その言葉ばかりが頭の中に残った。
ああすれば良かった、こうすれば良かった。もう少しだけ気をつけてさえいればこんなことにならなかったのに、という、つまるところ、後悔である。
自分の身体がどうなったのか、これからどうなるのか——そんなことについてはまったく頭が回らなかった。失敗したという悔恨の気持ちだけが何度も何度も繰り返された。
朝日の中、ベッドから足を下ろす。一週間寝ていた身体には重労働であったが、それも歩行するのに比べればずっと簡単だ。点滴の台に縋るようにしながら、一歩一歩と歩を進める。太腿には擦り傷があるが、大したことはない。ただ、身体が鈍っているのと、腹が出ているのが辛い。包帯越しにも、食い過ぎたかのように下腹がでっぷり出ているのがわかる。おまけに、熱い。
四人部屋のトイレは出入り口の左手側にある。便座に座り、一息吐く。腹に力は入らないが、便を出すことはできる。術後絶食しているため、胃腸の中のものなどないはずなのに、枯葉を砕いたようなものが出てくるのである。やけに黒いが、赤くないだけマシだ。きっと体組織か、血が混じっているのだろう。便がひとりでできるというのはありがたい。看護士にも褒められた。尿便ができるだけで褒められるというのは赤ん坊のとき以来で、次はきっと老人になった頃だろう。
ベッドに戻り、息を吐く。
目を覚ましてから、医者や看護師、そして見舞いに来たレイラニからの情報があったわけだが、それらの情報は目を通して網膜に焼きつき、耳を打って鼓膜を響かせていたものの、理解には程遠い状態だった。だが今なら、ある程度はそれらを理解できる。
一週間前、勇凪は三階から落ちた。落ちる途中で街路樹に当たり、結果として頭部や背骨に甚大な傷害を受けることを避けられたのだが、主として腹を負傷した。小腸、大腸、肝臓が損傷。医者は開腹手術を行い、損傷した小腸のうち約三十センチメートルを切除し、大腸は縫合、肝臓は様子見ということで対組織と同化するテープのようなもので補修したらしい。ほか、右の肋骨と左手の薬指が骨折していたが、こちらは「自然に治る」そうである。
「損傷度合いが大きかったのが小腸で良かった。小腸は三メートルくらいあるしお腹の中に入っているだけなので、少しくらいは切っても大丈夫なんです」
と看護師が説明してくれたのを覚えている。大腸はところどころ腹の中でくっついている箇所があるため、容易に切った貼ったができないらしい。
つまるところ勇凪は小腸が以前より一割ほど短くなったわけだ。それだけ消化機能も落ちたのだろうか。一割程度なら、しかし食事についてそれほど頓着しない勇凪は気にはしない。それは、いい。
ともかくとして、緊急時ということで手術は当事者である勇凪の同意を得ずに行われた。輸血も。その後、婚姻者がおらず、親もすでに存命していないため、唯一の肉親であるレイラニに連絡が取られたということだろう。
骨折といえば、小学生の頃に体育祭のときに滑って転んで腕を折った友人がいたのを思い出した。勇凪は骨折したのは初めてかもしれない。いや、初めてだ。新たな経験ではあったが、嬉しくはない。何もできない。寝ているだけだ。忙しない日々の中で、寝るのは幸せだった。だが今は、焦燥があるだけだ。いや、後悔もだ。おまけに寝ている間も——いや、寝ているとより、身体が痛む。看護師に訊くと「そういうものだ」と言われた。夜になると容体が悪くなるというのはままあることらしいが、正確な理屈はわからないということだった。
一般病棟三日目。事故から一週間となったこの日の昼、初めて食事を取ることを許された。
出されたのは、200gの重湯、同量のスープ、法蓮草のペーストに野菜ジュース。つまり、白いどろどろ、白いどろどろ、緑のどろどろ、緑のどろどろ。それだけだ。味も、しない。
流動食だというのは予想ができていた。それでも、食事は食事だ。一般病棟に移ってからは部屋備え付けの有料テレビが用意されていたが、食品のコマーシャルが映されるたびに喉が鳴った。点滴で栄養補給はされていても、腹は減る。だから食欲は十分だと思っていた。
にも関わらず、勇凪が手をつけられたのは全体のたった三割だけだった。椀に盛られた量は普通通りだった。いや、少なめなくらいだろう。それなのに、喉を通らなかった。胃の少し上あたりに詰まったような感覚があって、それ以上口の中に物を詰めることさえ叶わなかったのだ。
「食べられたのですね」
良かった、と看護師は言った。勇凪は喜ぶ気にはなれなかった。自分はどれだけ、弱くなっているのだろう。どれだけ情けなく、どれだけ矮小な存在になってしまったのだろう。どれだけ、どれだけ。
夕餉もほぼ同じメニューだった。重湯、ポタージュ、葛湯、野菜ジュース。だが今度は八割ほど口に運べた。歯をくいしばるように、山に登るように、吹雪の中で雪かきするように、食べた。勇凪は自分が弱り切っていることを知っていた。もう行く場所がないかもしれないとも思っていた。
ベッドに横たわり、テレビを点ける。
ニュースでは太平洋上で発生した地震に伴い、異常なレベルで地盤に影響が起きたこと、これによって懸念されていたガンジス諸島の海抜低下による沈没が抑えられた可能性が高いということが報道されていた。
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