第二行 雷神の槌

第9話 米国西海岸、サンフランシスコ

 夢を、見ていた。


 十年以上昔の夢だ。正確には——正確には十四年前か。レイラニを海で拾ったとき、星見勇凪はまだ十歳だった。目を瞑ると思い出す。レイラニ。あのとき彼女は海の色と同じ、碧く染め上げられたパレオを着ていた。

『さなちゃん、ほんとに気をつけてね』

 と電話越しにレイラニは言ったものだ、と夢現つの勇凪は、出かける前に受けた電話を思い出していた。

「ああ、うん」

『ああ、うんって、危ないでしょ。海外だよ』

「前も行った」

『それはヨーロッパでしょ。今回はアメリカだよ、アメリカ。銃社会だよ。危ないんだから』

 電話越しに会話をしているはずのレイラニが、目の前に立っている。十四年前の、幼いレイラニ。碧いパレオ。碧い瞳。

 レイラニは電話を捨てて、勇凪の両の頬に手を当てた。

「わたしも、ママも心配してるんだよ。さなちゃん。ねぇ、さなちゃん、わかってる?』

 ああ、わかってる。わかってるから——五月蠅い。


 レイラニの声がだんだんと掠れ、いつの間にか機械的なビープ音になったところで、勇凪は目を覚ました。

(夢か………)

 やけに首が痛いのは、いつもと違う枕だからというだけ理由だけではないだろう。眠りが浅かったからだ。緊張が身体に反映されていた。寝たまま首を動かして暗がりの中、時計を探す。短針は三を指している。カーテンが開きっぱなしなので、昼ではないことは明らかだ。

(まだ太陽も出てないか………)

 勇凪はそのまま目を瞑った。

 目を瞑ったまま、一時間。

 眠れなかった。

 時計を確認する。午前四時二分。

 目を瞑る。開ける。午前四時二三分。もう一度同じ動作を繰り返してみても、ろくろく時間は進んでくれない。


(痛い………)

 痛いのは首ではなく、頭かもしれない。こういうとき、よく外国の映画ではアスピリンを飲んでいるな、などと思う。まさしく場所が外国なれば、そうした痛み止めでもあおりたいところだが、生憎道中で薬品が買えるところは見つからなかった。ホテル備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、飲む。カリフォルニア州は水道水が飲めるとのことだが、念を入れればあまり口をつけたいものではない。

 一時間寝ようとして寝られなかったのだから、もう寝ようとしても無理だろう。逆に目が覚めてしまった。薄いレースのカーテンを開き、窓からサンフランシスコの道路を見下ろそうとしたが、まだ暗くて何も見えない。


 眠れなかったのは、環境の変化のせいもあろうが、耳障りな音のせいだ。 

 ほぼ五分毎に生じる単発的なビープ音。それはたぶん部屋に入った直後から聞こえていたのだろうが、そのときは疲れていたし、何か別の音なのだろうと思って、そこまで気にしていなかったのだ。

 音の性質と感覚から、最初は自分の持ってきた携帯か、でなければ部屋に備え付けの時計が誤作動しているのではないかと思った。しかしどちらも電源を切ってみても音は鳴り続けるし、耳を近づけてみても音の発生源という気がしない。

 眠れないままに部屋中を探し回る。ホテル備え付けの冷蔵庫やテレビ、電話かもと思い、コンセントを抜き差ししていくが、音は止まらない。

 やがて気付いたのは、音がどこから発されているかわからないのは、音が同じ平面から出ていないからだと気付いた。上だ。火災報知器だ。火を使っているわけではないし、鳴り始めてから数時間は経っているので、火災ではないだろう。故障か。こんな朝っぱらから、対応してもらえるはずがない。どうしようもない。


 勇凪は溜め息を吐いて、ベッドに身体を投げ出した。電灯を消してみると、窓の外は僅かに明るくなっていた。家探しのように音の出所を探している間に、薄明どきになってしまっていたらしい。ビル群の間に長屋のように薄く挿さっている宿泊ホテルの五階から窓を開き、外を眺める。十二月の冷たい外気が雪崩れ込んでくる。アメリカ西海岸、サンフランシスコの最初の朝だった

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