二話目・神と人のセカイ
嫁探しセンセィショナル 1
目が覚めたとき、李介さんの寝顔があったことにわたしはひそやかな勝利を覚えた。
ああ、この人よりも先に目覚めることがようやくできた。
がっちりと腕のなかに抱えられた体をもぞもぞ動かして逃げ出す。李介さんを起こさないようにしてお部屋を出て、隣の部屋に向かい、着物に着替える。
よーし。今日も一日をがんばろう。
わたしははぁとあたたかな息を吐きながら廊下に出ると、つんと鋭く寒い。あれっと思って雨戸に触れると、濡れた冷たさを覚えた。雨が降っていたのか。気が付かなかった。わたしは戸を叩いてひく。開くと、灰色の曇り空が見えたと思った瞬間。
ひゃあああ、冷たい。
雨戸の隙間に溜まっていた水を頭からかぶってしまった。
思わず悲鳴をあげそうになって李介さんを起こしてはいけないと口に手をあて、寒さに震える。
びっちゃびっちゃだ。ああ、どうしよう。
途方にくれているわたしはおろおろしていると、李介さんが出てきちゃった。
「ずぶぬれじゃないですか」
「雨戸に水が溜まっていたみたいで」
「それはすぐに修理の者を呼ばないと……急いで着替えてきてください」
「あ、は、はい」
返事をしながらわたしはお部屋にはいって着物を脱いだあと、動きを止めた。ああ、どうしよう、どうしよう。どうしよう!
「……さん、大丈夫ですか……ずっと部屋に、え、あ、なんですか、その姿は!」
李介さんが叫ぶのにわたしは、慌てて両手で自分の胸をおさえた。
見られてしまった。恥ずかしい。今のわたしは、なにも身に着けていない。いきなり入ってこられるからっ!
慌てて背を向けるが、それだとお尻が見えてしまう。どうしたらいいのだろう。おろおろしていると肩になにかがかかった。
「りすけさ……ん」
李介さんの羽織だ。なにもないよりましである。大切なところがちゃんと隠せるだけでわたしとしては満足だ。
一生懸命、羽織のなかに体を包ませて、ちらりと李介さんを見上げる。視線をあわせてくれない。うう。
「……どうしたんですか、服は?」
「濡れちゃって」
「代わりの服を」
「……です」
小さく呟いた。李介さんが怪訝な顔をされている。ええい、仕方ない!
「服がないんですっ!」
箪笥を開けてみたが、すべて空っぽだった。
わたしは予備の着物を持ってきていないのだ。つまり、ひとつ着れなくなると無理なのだ。そんなわたしの事情を李介さんは一瞬理解できなかったようだが、すぐに思い当たったらしい。
そうだ、ここには小日向のものがほぼないのだ。
濡れた着物は箪笥の引き出しをあけて干しているが、乾くまでそこそこ時間がかりそうでわたしは途方にくれている。
「すいません。気が付かずに」
「いえ、あの、だから、服が」
「……このままだと寒いでしょうし、俺のシャツでよかったら、ズボンはあう、かな」
おろおろしながら李介さんが服をとりに走ってくれたのでわたしは甘えることにした。
持ってこられたシャツとズボンは大きいが、文句は言えない。わたしは袖を通して、かじかんで少しばかり動きづらい指先で苦労してボタンを留め、ズボンに足をいれて、うんしょとあげた。どうも足の長さが違うせいでぶかぶかなうえ、ずるずるだ。うう。必死に裾をあげるが、どうも落ち着かない。
「なんだか落ち着きません」
「そうですね。着物、買いましょうか」
「え」
「今日は幸い休みですから、昼市にいきませんか?」
「い、いってみたいです。李介さんと二人で……けど、これでは、ちょっと」
わたしは自分の状態を見て顔を渋くさせた。いくらなんでもこのような姿でお買い物にはいけない。しかし、着物が乾くまでそこそこ時間がかかる。
「着物、着物ですね。でしたら、屋根裏に……母のがあるかもしれません」
「李介さんのお母様の?」
わたしは目を丸めて聞き返す。
李介さんが促すのについていく。廊下を出て右手側へとすすんだ行き止まりの所、壁かと思ったらそこを押すと開いた――押戸だ。
開けると急階段がある。屋根裏に続く隠し通路にわたしが胸をどきどき高鳴らせて見つめると、李介さんが少しだけ得意そうに笑って、先に上にあがる。秘密基地だ! 屋根についた李介さんが手を貸してくれ、わたしも登り切ると、薄暗い。
背の低い天井に李介さんが屈みこみながら、電気をつけてくれたので明るくなった。そのあと奥にある箪笥――がっしりとしたものだ。よくこんなところにあげられたものだと思う。きっと分解して、そのうえで組み立てのだろう。ほのかに木の香りがする。引手の鉄はきれいな牡丹の絵がかかれている。手の込んだ品だ。その箪笥のなかを見れば、たとう紙。恭しく取り出して、そして開かれた着物の美しさにわたしはほぉとため息をつく。
薄い紫の色に、花が散っている。白い鶴と鮮やかな赤と桃色……の控えめな美しいこと。
「小さな棚には帯なんかがはいってるはずです。これは」
「きれい」
わたしは囁いた。
手を伸ばして触れると、手触りの良さ。
「まだあるんですか? 見ていいんですか?」
「どうぞ」
つい夢中になってなかを見ると、まだいっぱいある。眠っていた着物の遠慮深くて、優しい香り。
わたしは、そのなかで春らしい着物と考え、それを見つけ出した。
梔子の花びらのように白い生地にいくつもの蝶が舞っている。絵は線ではなく、点を落として作っている。いくつもの点を見る者が合わせて作る蝶。
それは夢幻の蝶をいくつもの作り上げて……一匹、二匹だけではなく、着物全体に広げてみれば花びらにも見える。春のあたたかさに居眠りした人が見た花と蝶。
控えめな色使いは淡い紅色、桃色、若葉色……蜜を求めてさまよう人か、それとも甘い夢をみせてくれる花か。
これに緑の帯を合わせたら生えるだろうかと楽しそうに見ていると、李介さんの視線が頬に突き刺さる。
「素敵ですね、これ、着てもいいんですか?」
「ええ。気に入っていただけてよかったです。ここにある着物は好きに着ていただいていいですよ」
「本当ですか! 楽しみですね。春に合わせていろんな組み合わせができますね、ふふふ」
わたしはここにある着物が着れるのに既にわくわくである。楽しくてたまらない。あれ、けど、それなら。
「お買い物、必要でしょうか? ここにある着物がきれるのでしたら、べつに」
「買いましょう」
強い口調で李介さんが断言する。
「けど」
「ここにあるのは母の古なので」
「わたしは、それで」
「俺があなたのために買いたいんですからいいんです……あ、すいません。つい強い口調になってしまって」
「……はい。ふふ、李介さん、最近、素が出てますね」
「え」
「俺って言うときは李介さんの素かと思うんですが」
李介さんが口ごもり、困った顔をする。
「……未熟で申し訳ない」
「そういうところわたしは好きですよ」
わたしが見つめると、李介さんが少しだけ伺う視線を向けてきた。この人の、心の、隠しておきたいところに触れている気がする。
「よかったら、ずっと、そうしていただけたら嬉しいです」
「……努力します」
わたしたちは御話を終えて、一旦お部屋に戻る。わたしはさっそく李介さんのお母様の御着物を身に着ける。
春らしいけれど控えめな甘さ。帯は緑で、紐は黄色にしてしまおう。なんとも一人で春を満喫している気分だ。えっへん。
わたしが着物を着終えて、寝室に入れば李介さんがお布団を仕舞ってくれていた。
「お片付け、わたしの仕事ですよ」
「手があいていたので……似合いますね」
「そうですか? そうですか? ふふ、可愛いでしょう? この御着物素敵ですね。本当にすばらしいです。ふふ。さぁ、ご飯を食べましょうか!」
「手伝いますよっ……ん、あ」
「だめです。だめです。李介さんはいつもお仕事大変でしたし、昨日もがんばったので今日はお休みです。わたしがお世話するんです。さぁ座ってください。新聞とってきますね、あとあつあつのお茶をいれますね」
わたしは李介さんの背中を押して居間に座るように促すと玄関に走り、新聞をとってくると、テーブルの上に置いて台所へと走った。ちび妖怪たちが足元に寄ってくる。ああもう。どうやらわたしのあげた金平糖に味をしめたらしい。
仕方ないので金平糖を皿の上にのせて、お好きにどうぞ、と置いておく。わぁとちび妖怪たちが金平糖に群がっていく。味がしなくなったものは昨日みたいに朧月様が食べないように別にしなくてはいけない。
お米がちゃんと炊けているのを確認して、味噌汁の支度をはじめる。今朝は豆腐と油揚げを具にする。
あとは卵をといで、巻いてしまう。それとほうれん草のお浸しである。出来上がったそれを盆にのせて運ぶ。
新聞に目を通していた李介さんが並べるのを手伝ってくれた。ずらりと並んだ食事を二人して食べていく。大変おいしく出来た気がする。
わたしが満足そうに笑っていると李介さんも目尻を緩めて笑っている。ふふふ。
食べ終えた食器を片付けていると
「十時頃に出ましょうか」
と李介さんが声をかけてきた。お出かけである。それもはじめての二人である。大変嬉しいうえにどきどきしてしまう。
――おでかけ
――逢引?
――やらしい
などとちび妖怪たちが言いはじめる。失礼な、夫婦では普通のことだ。しかし、わたしと李介さんにしてみたらちっとも普通じゃない。どきどきして心臓が口から出てしまいそうだ。
わたしは小日向さんのお部屋に行くと、化粧台に近づいて自分の顔を見る。うう。どういうことをしたらいいのだ。髪の毛を梳かしたらいいの? こういうとき短い髪だとつまらないなぁと思う。長ければ結んで飾ることもできるのに。わたしの髪の毛は首のところで切れている。まるで男の子みたいだ。
自分の、細い指で首に触れる。柔らかな肌に、今はもう感じないはずなのに、じんわりとした痛みを覚える。
李介さんはこの髪型に何も言わない。気にしない人なのか、それともあえてつっこまないのか。きっと両方かもしれない。
「……うーん」
娘さんらしさとか難しいなぁ。
がたん、と大きな音がして、わたしは、はてと不思議そうに雨戸から庭を見ると、すでに雨は上がっていたが湿った空気がまだ肌寒い。
そんななかに小さな女の子が庭にいた。赤いスカートに、白いシャツ。二つに結んだ黒髪となんとかも愛くるしい幼子が、しょんぼりしたまま俯いて泣き始めた。
あら、まぁ。
わたしは急いで女の子に駆け寄った。
「大丈夫、まぁまぁ、元気な女の子ですね。こんなどろだらけになって」
「どうしよう、どうしよう」
「え?」
「お雛様、連れ去られちゃったの!」
「はい?」
え、御雛様?
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