嫁探しセンセィショナル 6

 李介さんが教えてくれたが、交通量が多い大通りに路面電車で向かい、そこにある商店街の奥の通りで朝、昼、夕の三回にわたって市が出るそうだ。

 わたしははじめて乗った路面電車に目がまわるかと思った。大勢の人、人、人……息が出来ないくらい苦しい。鮨詰め状態に陸にあげられた魚よろしくくらくらしてしまった。

 座る場所はあれど、そこは年取った方や子供に譲るのがマナーらしい。わたしは小柄なためすぐに埋もれてしまう。李介さんが懐に引き寄せて周りの人々がぶつかってくるのから守ってくださった。ああ、なんて男らしくてかっこよい人なのだろう。

 ちなみに朧月様は

「そんなごたごたしたものに私が付き合うと思ったか? むろん、面倒だ。一足先に行っているぞ!」

 などと申して消えた。

 なに、それ、ずるい! 神様だからってずるい!

 ずるすぎる朧月様はにやにやと笑って商店街の前で待っていた。おのれ……神というだけで、ああも窮屈な思いをしなくていいのか、ずるすぎる。

「私は既に一回、あれは体験した。窮屈なうえ、匂いが溜まって大変不愉快だったのは覚えているからな。さて、何を食べるんだ。あんみつがあるぞ、李介」

「……はぁ。婦人の店には疎いのですが、もし気になる店があれば入ってみてください」

 李介さん、朧月様をまるっと無視してわたしに声をかけてくださった。

 わたしは、ちょっとあんみつが気になってしまったのだが、ここにはお洋服を買いに来たので目的を達成するためにもまずはがんばるしかない。

 いくつもの店が軒を連ね、それがブティックというものだったり、佃煮屋だったりと、やはりどこかちぐはぐだ。戦争終わって、必死に豊かになろうとしている人の生きざまのようだ。のんびりとしているようで、忙しい。

 なんだか人の生きざまがそのまま詰まったような場所にわたしは、ふふっと笑った。

 市はテントを幾つも張ったもので、大勢の人が呼び声をあげている。いい匂いもする。

「蒸し饅頭があるぞ、なぁ李介!」

「朧月、そういうのはあと、だと、ん」

「李介さん、わたしも、蒸し饅頭、食べたいです」

 わたしは李介さんの服を引っ張って見上げる。うう、食い意地がはっているのではないのです。ただただ、この甘くふっくらとした蒸しあがる匂いはわたしには耐えきれないほどに強烈すぎます。

「……買いましょうか」

 すごすごと饅頭を買いにいく李介さんにわたしは申し訳ない半分、嬉しい半分である。

 うう。おなかが鳴りそうなのです。

 紙につつまれて真っ白い御饅頭は触れると、あつい。あわててかぶりつくと、ふわりとしている。が、皮が厚い! と思ったら甘い餡子が口の中に蕩ける。あつくて、とろとろしている。舌のうえで溶けていく。

「うむ。この甘さ、控えめな女の肌のような」

「官能小説のたとえをするな、阿呆」

「……李介さんは食べないんですか」

「俺は、そんなに腹は減ってませんから」

 わたしは黙って自分の御饅頭を半分に割って、ちょっとだけ大きい分を差し出した。李介さんがためらいがちに手を伸ばして、それを受け取って頬張る。わたしはじっとその様子を見つめていた。

「おいしいですか」

「……少し、甘すぎでは?」

「そうですか?」

「……ほっぺた、ついてますよ」

「うにゅ」

 ほっぺたについた餡子を李介さんが撫でて、つついて、きれいにしてくれる。李介さんの指についた餡子の黒さ。それをぺろりと嘗めとる姿。ああなんてやらしいことか。わたしは、つい照れてしまう。

 ごまかすように御饅頭をぱくぱくと食べていく。小腹が満たされたと思ったが、焼き鳥の匂いや芋の焼ける匂いがわたしを誘惑してくる。ああ、だめ、だめなのに。

 ふらふらとそちらへと視線を向けて手をのばしそうになる。李介さんの視線を感じて、はっと動きを止める。

 ごめんなさい、おなかが……すいて、すいて、たまらないのです。この匂いがいけないのです。じゅうじゅうと焼ける音がいけないのです!

「……好きなだけ食べてください」

 諦めてくださった。

 わたしは朧月様と同じく、李介さんが買ってくれた、たれがてかてかとかかった焼き鳥を食べ、甘辛いその味にとろけながらトウモロコシのあつあつの甘さに頬がどんどん緩んでしまう。幸せである。

「これが昼ごはんになりますね」

「李介さん、李介さんも食べてください」

 半分こですよ、と出すと李介さんが慌てて、わたしのほっぺたを撫でてくる。

「ほっぺについてますよ」

「んぐぐ」

 わたしの食べ方はどうもきれいでないらしく、いっぱい御口を汚してしまうのに李介さんはせっせっとときれいにしてくれる。なんともこまめで優しい人だ。そしてちゃんと半分こした焼き鳥もトウモロコシも食べてくれる。

「今日は大判ぶるいだな、李介、いつもこうでもいいんだぞ!」

「お前に食わせるためではないと……ほら、もういい加減にやめろ」

「む。まだ食べれるぞ、李介っ!」

 この二人は本当に楽しそうにやりとりをしている。

 食べ物の屋台が終わると、今度は日常品ばかりのお店となる。お皿やお箸などがその職人がじきじきに売りに来たらしたものが目の前に広がる。まだ使われていない、使い手を探している、赤ん坊のような品たち。年取ったものも、まだ使われていないものも、みんなここにある。

 深く息を吸って、吐く。

 心地が、とてもいい。

「……お嬢さん、簪はどうだい」

「え、あ」

 屋台からひょいと顔を出したツナギ姿の男が、にこにこと笑っている。

 その店に並ぶのは見事な簪だ。いくつもの色の玉を携えた簪。見事な花を抱えた簪。けど、わたしの髪の毛は短くて、それを挿して遊ぶことはできない。本当はほしい、けど。

「赤が似合うんじゃないんですか」

「李介さん」

 頭上から落ちてきた声にわたしは顔をあげる。

 李介さんが簪に視線を向けて、笑っている。そのあとわたしのことを見て、くれる。それだけで心臓が痛くなる。うれしい、と思う。

「けど、髪の毛、短くて、わたし」

「飾りとかにつければいいじゃないか。立派な着物を着てるんだし」

 なとど売り手がうそぶく。

 わたしが視線を向けると、李介さんと目があった。

「一本買いましょうか」

「は、はい……あ、あの、赤色のって、どれですか」

 もし、買うなら李介さんが似合うといってくれた色を身につけたい。わたしの気持ちを知ってか知らずか李介さんはゆっくりと一本の簪を手にとる。玉簪だ。

 赤い玉が先についたシンプルなそれはとってもきれいだ。それもよく見れば赤い玉には金魚が彫られている。

「これをいただきたい」

「あいよ。良かったね、奥さん」

「は、はい!」

 李介さんが買ってくれた簪を両手に持って、本当は髪の毛にさしたいのにできないもどかしさを感じながら、そっと帯につける。鮮やかな赤がとても見栄えする。

「素敵」

「気に入っていただけましたか」

「は、はい!」

「……本当はもっとちゃんとした店のほうがいいんでしょうか」

「なにをおっしゃいます。こうしてできたばかりの簪を手に入れてつけれるとはなかなかの贅沢ではないですか。値段も手ごろとは最高ですよ」

 わたしが力こんで言うと李介さんがぽかんとしたあと、照れたように視線を逸らしてしまう。可愛いと思ったらきっと李介さん、怒っちゃう、かな。けど、可愛い。愛しい、嬉しい。わたしの胸がぽかぽかしていく。

 あれ、まって、けど、簪って……

「あ、あの、けど、簪、だめ、ですよ、李介さん、やっぱり」

「どうして」

「だって、簪というものは意味があって、その意味が」

 わたしはどきどきしすぎて、おろおろして言い返す。こんなことを気にするのはわたしくらいのかもしれないが、けれど、だめだ、やっぱり。

「俺は、そのつもりですよ」

「えっ」

「意味くらいは、一応知ってますから、その、だから安物で申し訳ないと」

 わたしは照れてしまってうまく言葉が出てこない。川から陸にあがった魚のようにあぐあぐと喘いでしまう。

 嬉しいと思うし、胸のなかがいっぱいになって苦しい。胸がきゅんと締め付けられて言葉も出てこない。

 わたしはうまく言葉が出てこないので、そっと李介さんの手に自分の手を重ねて、絡める。李介さんの手がわたしの手を包んでくれる。それだけで、それだけのことが、大変幸せだ。

 二人で視線を合わせる。

「もう昼過ぎで店じまいのところもありますね」

「う。わたしが買い食いしたせいですね。面目ない。けど、御着物はいっぱいあるので」

「じゃあ、また今度、買いに行きましょうか」

 また今度、またこうして一緒にお出かけをしてくださるということだ。それだけで呼吸を忘れるほどの喜びを覚える。

「はい。また今度です」

 わたしは李介さんによりかかる。

 次がある喜びに心が震える。

「……おい、私のことを忘れてないか、お前たち二人そろって」

 ああ、朧月様、空気を読んでもう少しほっといてほしい。せっかく、いい雰囲気なのに! 御饅頭食べて黙っていてくれないだろうか? 神様業でどこぞへと行っててもいいのに……!

「昼が終わってしまったな、夕飯はなんだ? 今宵は私も与ろう」

「え」

 つまり食べていくということか。

「お前、これだけ食べてまだ夜も食べるつもりか」

「当たり前だ。李介。この世には味わいつくせないものはない。どんなものも味わうことで識ることになるのだ。それが私の楽しみであることはお前は重々承知しているはずだぞ? うむ、それで簪の意味とはなんだ。それでお前たちはどうしてそんな風に浮足立っている、った、李介」

「なんだ、水虫か」

「お前が踏ん、ふぎゃあ」

「水虫はなかなかでかいらしいな、病院にでもいったらどうだ? 神が水虫に罹ることは珍しくて医者が驚くぞ」

「李介、お前というやつは!」

 二人のやりとりにわたしはつい気が緩んでからからと笑ってしまった。ああもう、たのしい。そう思えてくる。

 遠い空の果へ太陽が沈む、紅の色の空が、また明日と告げている。

 あまり時間を無駄にできない。早く、はやく、急がないといけない。

 けど、ねぇかみさま。ただいまを少しだけ愛しいと思うだけは許してください。かみさま、もう少しだけ待っていてくださいね。

 必ず、見つけて見せます。

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ばけよめ 北野かほり @3tl

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