家とちび妖怪 3
女性が万年筆を両手で丁重に持って門の奥へと消えていくのにわたしは、はぁーと息を吐いた。いろいろとあったけど、なんとかなった。
わたしはちらりと門の奥――緑生い茂る木々のなか、大きな建物を見る。ここが学校? 堅牢な檻のように見えてる。そして自分のなかで生まれた気持ちの悪い違和感にしきりに首を傾げる。なんだか、ぐるぐるしてくる。うう。緊張しすぎて疲れたのかしら。
おなかのところがぐるぐるする感覚に襲われて、わたしはぽんぽんと手で撫でる。
そうしていると、建物から小走りにこちらに向かってくる御姿は――李介さまぁ!
わたしはとたんに元気になるのがわかった。
笑って手をふると、李介様がすぐに来てくれた。
李介様、李介様だ。
わたし、ここまでちゃんとこれましたよ。えっへんですよ。ああ、嬉しい、嬉しくて、嬉しくてたまらない。
「どうしたんですか」
「え」
「忘れ物があると」
「は、はい。李介様、お弁当です」
「え」
差し出したお弁当に困惑した声が返される。あれ?
「ああ、それは……あなたの」
「なぬ」
「自分のいれるついでに」
「……わ、わたしの?」
「もしかして、俺が忘れたと思って届けに来たんですか」
わたしは頷く。
「わざわざ? 学食があると昨日言ったでしょう」
あ、そうだった。
ううう。また、いらぬことをしてしまった。わたしは俯いて落ち込んだ。せっかく役立てると思ったのに。李介様が喜んでくださるとか思ったのは私の浅はかだった。
「すいません。帰ります」
わたしの頭に不意になにかがのっかってきた。はて。不思議に思っていると撫でられる。お、おお?
顔をあげると李介様と目があった。
嗚呼、この世で一番良い男だ。きりっとしていて、それでいて慈愛に満ちた眼差し。
そんなに熱心に見つめられたら己の内から出る火にわたしは溶けて、どろどろとなってそのまま下水に流れてしまう。あ、けど目をそらされたくない。困った、困ったぞ!
と思っていた瞬間ほっぺたが掴まれた。
「うにゃ」
「……」
むにゅむにゅとほっぺたが揉まれる。
「りしゅけ、しゃま?」
「もちもちしている」
「……にゃぁ」
一応、抗議をしておく。わたしのほっぺたは、もちもちしていても決してオモチではない。揉んでも食べれない!
「あ、すいません」
無意識なのだろうか? しかし、なぜ、ほっぺ?
「そういえば、これ」
李介様が取り出した万年筆。あ、そうだ。これを持ってきたってことはお部屋に入ったことがばれる。
「よく、わかりましたね。いつも使っているものだと」
「え、あ、はい!」
わたしじゃなくて、ちび妖怪たちが教えてくれたのだけど。
「最近、インクが詰まって置いていたんですが」
「そう、なんですか。あ、あの、持って帰ります。ちゃんと元の場所に戻します」
李介様の手から万年筆がわたしの手のなかにおさまる。
「一人で帰れますか?」
「平気です。平気ですよ。一人でここまで来たのですから、ちゃんと帰ります。……たぶん」
大丈夫、来た道をそのまま帰れば戻れる、はずだ。
「じゃあ」
「はい、はい。すいません。わたし、知らなくて、お弁当、お弁当、作ってもらって」
「いえ」
ぐぅ。
あ、だめだ。我慢していたおなかがとうとう鳴ってしまった。わたしの腹の虫はどうにも我慢ができないらしい。
うう。おなかすいた。
は、まって、まって。今の聞かれた。
慌てて顔をあげると李介様の顔が、ああ、その何か噴き出しそうなのを我慢しているお顔も好きですが、どう考えてもわたしの腹の虫が暴れているのを聞きましたね。お恥ずかしい! 情けない。
先、お芋を少しばかり食べて狂暴化してしまっている。
「あ、あの、これは、李介様をみたから、安心して腹が減ったとかでは、なくて、あの」
「ぷ。ぷははは……腹が減っているようですね」
笑われてしまった。うう、恥ずかしい。
「李介様のごはんがおいしいのがわるいのです。お弁当、わたしのぶんもあるなんて思わないのですよ。腹が減りました」
「そうですね」
「……一緒に食べれたらいいのですが」
「仕事を残しているので」
ですよね。
しかし、弁当を一人で食べるのはなかなか寂しい。と思ったが肩にいる家鳴がわたしのほっぺたをつついてくる。
「……やはり一緒に」
「帰ります! お弁当があるので! 今日はよい天気なのでお外で食べちゃいますが、よろしいですよね?」
わたしが顔をあげると、李介様が目をぱちぱちさせる。あら、なにか言おうとしているのをわたしは遮ってしまっただろうか? とにかく、ここで困らせてはいけない。
「寄り道、よろしいか?」
「え、ええ。むろん、ただあまり遅くならないように」
「はい。お弁当を食べて、帰ります。ここらへんでよい場所ありますか?」
「……ここを右手に出て、大通りを真っすぐに行って、佃煮屋があります。そこを左に行くと川辺にでますよ。天気がいい日はきっと心地良いはずです」
うむうむ。大丈夫。それくらいなら迷わずにいける、はず。
「お金はもっていますか? なにか買うなら」
「大丈夫ですよ。お弁当を食べて帰るだけですから! では、お邪魔をしました。お仕事おがんばりくださいませ。仕事中にごめんなさい」
わたしは李介様に手をふると、背を向けた。わたしがここにいると李介様のお仕事の邪魔をしてしまう。このままではいけない。ので、わたしは先ほど言われたとおりの道筋で行くことに決めた。
「ちょ、反対ですよ」
「え! ああ、いってきます」
李介様に言われて慌てて方向転換をしてわたしは手をふると歩きだす。その背に李介様の視線を感じるが、大丈夫。ここまでこれたのだから。なんとなる。たぶん。
方向を何度か間違えそうになったがわたしは、言われた川にこれた。大きな土手だ。さらさらと流れる大きな川。整備された道だが、川のまわりは生い茂った草がいっぱいある。ずっと大きな道を歩いてきたが、ここは車や電車がなくて息がしやすい。はぁと肩から力を抜いてわたしはさっそくとハンカチを地面において、腰かける。
「いただきます」
弁当をあけると、冷えているがおいしそうだ。
肩にいる家鳴は勢いよく飛んで、嬉しそうに草のうえで転がっている。
わたしはお弁当の蓋に家鳴のおっそわけを置いて太陽の日差しを受けて輝く川を見つめる。
なんともよい陽気だ。
朝からばたばたといろいろとあったけど、今日はよい日だ。
家に帰ると心配して待っていたちび妖怪たちに結果を告げた。すると、彼らはけらけらと笑って、体をゆする。
彼らに聞きながら、お米を炊いて、洗濯物をすると、これまで苦労していたのが不思議なくらい、すんなりと出来た。そりゃあ、そうだ。ここにずっといるもののほうがお家のことはよく知っている。
朝には争ったが、わたしたちは仲良くすることに決めた。今日の一件で争うよりは仲良くしているほうが互いの利益になると判断したのだ。
お礼になにをしたらいいのか聞くと、金平糖が食べたいと一同一致した。
――あのうっさいのがよくたべてる
――おいしい
――おいしい!
聞くと、台所の棚の一番下に隠れるようにして金平糖の袋が……一つ、二つ、三つ? どうしてこんなにもいっぱいあるんだろう? 李介様、甘いもの好きなんだろうか? わたしは、一袋出して、妖怪たちに一個ずつ配った。わぁい喜んで彼らが食べるのを――妖怪は実体がないので、差し出したそれの形だけ。簡単な話、ものには気が宿る。その気を取り出して食べるのだ。その気とは食べ物でいうところの味なのだ。彼らが食べた金平糖は色をなくしている。甘味は一切ない、ただの砂糖の塊だ。けれど捨てるのももったいないので、袋に戻しておく。なにかに使える、かしら? それに、あのうるさいのって誰のことだろう? 李介様? そんなにしゃべるほうではないと思うけど。
万年筆はいつもの文机の端っこに戻したあと、そっと金平糖を置こうとしたがこの子は食べれないかも、と思って、優しくなでた。今度、ちゃんとしたお礼をするからね。ありがとう。
そうしていると、玄関の開く音がした。
李介様が戻ってきた!
わたしはいそいそと玄関に走る。朝は寝坊をしてしまったが、夜は完璧にして喜んでいただかなくては!
「おかえりなさい! 李介様!」
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