家とちび妖怪 2

 今更、そんな風に可愛い声を出して見つめてきても遅いんだから、と言いたいところだがわたしも少し落ち着いてきた。別に金平糖の甘さとかちょっと優しくしてもらったのに心が揺れている、わけではない。たぶん。

 ――たいへんだー

 ――あいつ、わすれものしてるぞー

 廊下を走ってやってきた家鳴の言葉にわたしは目をぱちぱちさせた。

 わたしの前で飛んだり跳ねたりして、わすれものー、わすれものーと叫ぶので立ち上がって台所に行くと、それがあった。

 艶やな木製の弁当。

 蓋をあけると、きらきらと輝く白いご飯。ふっくらとした卵焼き、かりかりに焼いた塩鮭、ほうれん草のお浸し。

 おいしそう。

 は、いけない。これは

「お弁当忘れてる!」

 一大事である。

 騒ぐちび妖怪たちにつられてわたしもおろおろしてしまった。

 えーと、えーと、こういうときは。

「届けにいかなくちゃ。じゃないと、お昼、食べ損ねちゃう!」

 そしたらきっとおなかがすいて力が出なくてお仕事どころではないことになってしまう。いや、下手したら空腹すぎて倒れてしまうのでは?

 わたしの頭のなかに不安や心配が押し寄せてきて、悲鳴をあげそうだ。

 いや、そんな暇があればはやく届けにいかなくちゃ。

 けど、どこに?

 わたしは、李介様の職場を知らない。

「ど、どうしよう」

 わたしは自分の無知さにこれほど怒りを持ったことはない。せめて職場のことぐらい聞いておけばよかった。そうしたら、お弁当を届けてあげられるのに。

 いや、まて、知っている可能性がある者たちがいるではないか!

「お前たち」

 足元で大わらわらしているちび妖怪たちに声をかける。ぴたりと動きをとめてわたしのことを見上げてくる。

「李介様の職場を知りませんか?」

 ちび妖怪たちは目を大きく見開いて……そんなに目を開いたら落ちないのかとわたしがはらはらするくらいだ。そして顔を見合わせて首を傾げ始めた。

 家付きの妖怪は、家が縄張りだ。彼らにはわからないのかも。

 ――家を出て、どっちに行くのは知ってる

 ――知ってる

 それだけじゃあ、目的の場所にたどり着けない。時間は刻一刻と進んでいるのだ。昼までに届けなくては!

 焦ったわたしは更に聞く。

「お外に他の妖怪たちは?」

 知り合いの一匹もいれば、そいつから更に妖怪ヅテで李介様の職場がわからないのかと期待したが。

 ――そんなのいないよ

 ――いない

 ――どうしておいらたちいるんだろう

 また要領を得ないことを口にする。困った。

 ――あ、けど、あいつ

 ――最近、調子悪いって置いていかれてる

 ――いつも一緒だったから

 ――知ってるかも

 ――わかるかも

 ちび妖怪たちが名案を思い付いたように声をあげて、走り出す。わたしはそのあとに続いて、李介様の書斎にたどり着いた。

 人の部屋に許可なく入るのは気が咎めるが、今回緊急事態。許してくださるだろう!

 えいやっと力をこめて戸を開けると、そこはこじんまりとした部屋だった。

 文机といくつもの本が置かれた部屋。

 ここでおうどんを食べた思い出がある。なんとも感慨深い気持ちにしみじみと浸っていると、ちび妖怪たちがわたしのことを促してきた。

 文机の隅っこ。

 そこに転がっているのは万年筆だ。

 ずいぶんと使い古されているそれは黒くつややかな見た目。黒を輝かせる金のリング。わたしはそっと、それを手にとった。長く大切にされて、魂が宿った付喪神なのね。まだ自分で動くことはできなくても、ちゃんと意志があることは感じる。

 ――こいつ、最近調子悪いから

 ――ここにいる

 ――けど、よく一緒にいってたから知ってるはず

 ちび妖怪たちの言葉にわたしは手の中の万年筆を指先で撫でた。なにか示してくれないかなと期待したが無口なタチらしく、少しも反応してくれない。

「お願い」

 わたしはゆっくりと口を開いた。

「李介様の忘れ物を届けたいの、手伝ってくれる?」

 無言。けれど、ゆっくりと、万年筆が動く。きゅ、と音がした。まるで頷くように。



 ちび妖怪たちに見守られ、わたしは万年筆を両手に持ち、胸のなかで無言を通す彼だけを頼りに家から一歩出ていった。

 ちび妖怪たち曰く、いつも李介様が行く方向は知っているというのでそちらへと向かう。

 心配しているちび妖怪たちはついていくと言うが大量に来ると大変だと説得して、吟味した結果、家鳴が代表としてわたしの肩に乗っている。

 言われた方向にひたすらに歩いていくとはじめはいくつもの家が並んでいたのが、大きな道に出た。そうすると舗装された煉瓦作りの道。そこには鉄の車、人力車、ハイカラな洋服の人たちが行きかっている。

 ここにくると人がどっと多くなった。賑やかだ。

 いくつもの店……目が迷う。

 ど、どうしよう。

 怖くないと思っていたのに、足が竦む。

 ぎゅうと万年筆を握りしめるが、なにも反応はない。困る、このままだと、どこにもいけない。

 深呼吸をして、よし、と気持ちを引き締める。

 大きな車が走り出し、ガスのにおいに小さく咳き込みながら届け物の弁当を抱いてひたすらに歩いていく。

 本当にこのままで合っているのだろうか?

 わたしの肩にいる家鳴も不安らしく、すり寄ってくる。よしよしと頭を撫でてやりながらひたすら歩いていく。

 ――あれ

 いきなり家鳴が叫んだ。

 ――あいつ、あいつ!

 え?

 家鳴の声に顔をあげてそちらを見る。

 ――あれ、なんか、似てる

 似てる? なにが?

 途方に暮れているわたしに、手のなかの万年筆に力が……ぴっぱられる!

 思った以上に強い力にわたしは転がりそうになりながらその相手の胸のなかに飛び込んでいた。

 あわわわ。

 甘い匂いがする。

 顔をあげると、黒い制服の男の子だ。年齢は十を少し超えたくらいだろうか。鋭い目に結んだ唇はとても気難しい雰囲気があるが、わたしが倒れるように持たれかかってきたので驚いたように目を丸めている。

「アンタ、大丈夫か」

「あ、はい」

 わたしは頷く。

 耳元では家鳴が、これ、これ、似てる! と叫んでいる。そういえば、李介様は先生をしていると口にしていた。この制服姿はどう見ても学生のもの……もしかしたら李介様の御勤め先を知っているかもしれない。

 わたしは口を開こうとして、閉ざした。

 どうしよう。学校の名前。わたし、知らない。

 一番肝心なものがわからない。

 家鳴もわからないらしく、おろおろしている。

 青年が不思議そうな顔をしてわたしのことを見ている。このままだと去っていくもかれしない。

「あ、あの、学校を、捜していて」

「ん」

「それで」

 けど、名前がわからないから。

 そのときわたしの手に握られている万年筆が動き出した。蓋が勝手におちて、青年の手をとると、その掌にさらさらと文字を書く。

 大日本帝都神軍学校。

 きれいな文字にわたしは目をぱちくりさせる。

 たぶん、この文字をなんべんもこの筆は書いたのだろう。

「此処に行きたいのか」

「え、あ、う、うん! やだ、ごめんなさい。手に」

「いい。気にしてない。くすぐったかったけど」

 青年はびっくりするくらい無頓着に言い返してくる。

「俺、そこの学生だから途中までいくか?」

「いいの?」

「どうせ帰るし」

「あ、ありがとう」

「かわりに俺のこと見かけたの黙っててくれ。昼休みに学校の外に出るのは禁止されてるんだ。外で芋売りみたっていったらクラスのやつが買って来いって」

「お芋さん」

 甘い匂いの原因はそれか。わたしはつい視線を青年の胸のところに向けていた。そうすると青年が茶色の紙袋を取り出してきた。ほかほかと湯気をあげている、それはおいしそうなお芋さんだ。

 歩き出す青年はわたしに合わせてくれてわざとゆっくりと進んでくれているらしい。わたしが普通に歩いてもぜんぜん苦じゃない。李介様の場合はいつも早足で追いかけても置いてきぼりを食らうのに。

「食べるか」

「え、いや、わたしは」

 ぐぅ。

 さすがに辞退しようと思ったが、わたしのおなかは正直だ。耳まで真っ赤になって俯くわたしに青年はお芋さんを一つ取り出して半分に割って、大きなほうを差し出してくれた。

「俺も腹減ったから付き合ってくれるか?」

「う、うん」

 あたたかいお芋さんを両手に持ってかぶりつく。

 口に入れた瞬間からとろりと溶けていく芋は柔らかく、甘い。濃厚な甘みは舌の上にじんわりと広がっていく。

 おいしい。

「とってもおいしいわ」

「そうか。ならよかったな。ほら、あの門が見えるだろう? あそこが学校の正門。やべ。教官が立ってる。俺は裏口から入るからあとは教官に聞いたらいけるはずだ」

 青年と話しながら歩いていたおかげでそこまで時間も感じなかった。言われてみれば堅牢な門の前に李介様と同じ制服を身に着けた人が立っている。それを見ると青年は風のようにひらりと走り出した。

「待って、あなたの名前っ」

「伊吹……朝倉伊吹」

 走り去る背を見てわたしは唖然とした。

 また、会えるかしら。

 それだけ考えてわたしはお芋を口のなかに頬張りもぐもぐと歯を動かして、噛み砕いてごくんと飲みこんだ。

 はぁーと息を吐いて、よし。

 わたしは覚悟を決めて門へと進み出る。

 遠くで見たときも大きいと思ったけど、こうして近づくとさらに大きいことがよくわかる。

 門の前にいた軍服姿の女性がわたしのことをみて怪訝な顔をした。

 短く切った髪の毛に、吊り上がった目の凛々しい女性はわたしは口を開いた。

「あ、あの、藤嶺李介様に会いに来ました。忘れ物があるので届けに……こ、これが証拠です」

 わたしはだんまりしている万年筆を差し出したのに、それを受け取った女性はうむと小さく頷いたあと。

「わかりました。確認してきます」

「よ、よろしくお願いします」

 深々と頭をさげていた。

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