台所の黒いやつ 2
金平糖はわたしのせいではない。勝手に食べて、勝手に甘くないと叫んでいるのだ。
「ユエ」
「謝罪は断固として拒否するぞ。李介、お前、昔はもう少し可愛らしかったというのに、最近、特に生意気になってきたのはあれだ。やはり反抗期か」
「そんなものはとっくの昔に過ぎている。……本当に、すいません。大丈夫でしたか? 痛いところは?」
李介様が不毛な言い合いをさっさと切り上げてわたしに向き合うと気遣ってくれる。わたしは慌てて平気です、と頷いた。
「あなたも、反省してください」
え。わたしもですか?
「今回はユエだったからよかったものの、もし危険な相手だったら逃げてください。私もいるんですから」
う。
李介様に心配され、あまつさえ叱られてしまった。不満……はない、ううん、不服な気持ちはない。正しいのだけども、ついじと目で見つめてしまうと
「わかりましたか?」
強い口調にわたしは渋々
「わかりましたぁ」
ちょっとばかり拗ねた返事をしてしまった。
「おい、李介、それは小日向か」
それと朧月様がわたしのことを指さす。物扱いである。
わたしは一瞬、内心の怯えを抑え込む。この神というものにわたしはいかように見えているのだろうか。わたしは、そっと李介様の服の袖を握りしめる。
「そうだ」
李介様の返事に、ほっと胸を撫でる。よかった。
「うむ。そうか。そういうことか。……いいぞ、ならばそこにいる小日向よ、私の言葉に答えろ。お前の今から発する言葉はすべて私のものだ。お前はただ怯えた子犬のように、順々に尻尾をふりながら返事をすればいい」
わたしは押し黙る。怯えた子犬というのは的を射たたとえだ。今のわたしはこの神の問いに少しばかり分の悪さを覚えている。すでに語られる言葉の見えない鎖に縛られて、息をするのも苦しいほどに。ああ、忌々しい。
「お前は【藤嶺小日向か】」
「はい」
わたしは迷わず頷く。
その返答に朧月様が片方しかない目を細めて、味わうように舌なめずりをする。まるで獲物をいたぶる猫のような傲慢さはまさに神。白い歯が見え、それが噛む。まるで言葉を咀嚼するように、がりがりと。味わって、その言葉の味が嘘の苦みがあるのか、真実の甘味があるのかを判断しているようだ。
恐れることはない。わたしは嘘を口にしていない。この回答に偽りもない。
ちゃんと問いに答えたのだ。
ふと、朧月様の目尻が緩む。とたんにわたしは自分を縛る鎖からの解放を覚えて、はぁと息を吐いた。強い束縛から解放されたような、安堵感が広がる。
「おい、李介、小日向は嘘を口にしていないぞ」
「……そうか」
李介様が落ち着いた声で答える。
ただ、そのそうかという返答はどういう意味を孕んでいるのだろうか? 真実として当たり前として受け止めているということか、それとも結果に納得できないがという意味なのか。今のわたしにはそこまで理解が及ばない。
わたしは深く息を吐いて、李介様を見つめる。
「李介様、ひどいです!」
「え、あ」
「いま、わたしの愛を疑いましたね? 疑うのでしたら李介様ご自身がお尋ねくださいませ。こんなまどろっこしいことせずともわたしの気持ちも答えも常に決まってます。李介様をこの世で最もお慕いしているのですからね! この胸の内、どーんと語りましょうとも! この大きな胸に溢れる李介様の愛は海よりも深く、、山よりも高いのて語り始めたら一日以上かかりますが、それでもいいならいくらだって」
「大きい? 私の目からはこれ以上ないほどの慎み深さと控えめな小さなものに見えるぞ」
「なっ、ユエ!」
小さい、と言われてしまった! ひどい、ひどすぎる。たしかに、わたしの胸は平均よりはやや、いや、ちょっと小ぶりだけど、ちゃんとあるもん!
わたしが己の胸を抑えて睨むと李介様がおろおろしている。
「う、うう。わたしの胸は嫌いですか?」
「え」
「わ、わたしの、この控えめで、お手のなかにおさまるくらいの慎み深い胸は嫌いですか? ああ、李介様好みはぼんきゅうぼんというやつですか? わたしもそれを目指したほうがいいのですか」
わたしの涙目の訴えに李介様は困惑したまま視線を逸らすと
「俺は、今のほうが好きなので、いいです」
その一言を待っておりました。
わたしはぱっと弾けるように笑顔をつくり見上げる。いいのです。万人好みでなくても、李介様がお好みであれば、控えめでも、慎み深くても!
「ふふ、よかったです。よかったです。さぁ、触っていいのですよ? 揉んでもいいのですよ? これは李介様の胸ですからね」
「ちょ、そういうのは人前で言わないでください」
「いるのは神ですよ」
人ではない。
「神の前でも!」
怒られてしまった。ちぇ。
そんなことをしているともうごはんの時間帯である。そろそろ準備をしなくてはいけない。
実は今日はちょっとだけ自信があるのだ。
わたしは、李介様に居間でお待ちくださいと口にして、急いで昼食の準備にかかる。そんなわたしの手元、足元にはちび妖怪たちがあっちにころころ、こっちにころころと邪魔をしているのか、手伝いをしているのか微妙だが口やかましい。
居間にごはんを運ぶと李介様が目を見開いた。
「好物、よく、知ってましたね」
「奥さんですら」
わたしは当然のように言い返す。
本当はちび妖怪たちに李介様がさっぱりとした御魚が好きと聞いたのだ。よく御魚を辛いたれをつけて食べていると言われて、それがわたし自身はなんなのかわからなかったが、そこは台所の住人たちの知恵を借りればよいのだ。
百年経っていないのでしゃべれないし、動けないが、それでも囁くこのとできる包丁や鍋たちの声に従い、鱈の切り身を醤油で下味をつけ、からりと油であげて、ごま油としょうがを混ぜたぴりっと辛いソースを作ってかける。
ちゃんと味見もして、程よい辛味だった。
かりかり、さくさくのそれを李介様が白ご飯と一緒にかきこむ。頬張り、咀嚼し、飲み込む。
実においしそうに。
わたしの頬がそれだけで緩む。
「おいしいですか?」
「とっても」
その返事が嬉しい。
「こんなにも、あれこれとしてくれるとは思いませんでした」
「え、奥さんなのに?」
「妻でも」
李介様の静かな言葉にわたしは眉を寄せる。
「わたしは、李介様の奥さんですよ? 李介様が笑ってくださるならなんだってします。なんだて、ですよ。好物だっていっぱい作ります。も、もちろん、失敗しないように、がんばって、作りますからね」
わたしをじっと李介様が見つめる。
細い瞳が、そっと開かれる。きれいな目。わたしの好きな瞳。
「だから、うんと我儘を言ってもいいんですよ」
「わがまま」
「はい! 答えられる範囲でがんばって応えます」
「……わかりました」
少し迷うように視線を逸らしたあと、こっそりと答える李介様にわたしは照れてえへへと声を漏らして笑った。
朧月様相手のときは凛々しくかっこよかったのに、いまは少し控えめで、そこがなんとも可愛らしい。
「おかわり」
空気を読まず、茶碗が差し出された。
「これは中々に美味だぞ。さくさくした衣はからりとしていて油のしつこさがない、たれの辛さがさっぱりしていて食が進む。なのでさらに食べるぞ。おかわりっ!」
滔々と語る朧月様にわたしは、観念して、はいと茶碗を受け取る。
「ユエ、お前はもう少し遠慮をしろ!」
「何故だ李介! 私だって昼食にあずかる権利があるはずだ。この家はお前と暮らしている住人というならば私が最も長く、かつ偉いのだぞ? お前の世話をやき、労働を強いられている。その私に対価を払わないつもりか?」
「いつも捧げているだろう」
「それとこれは別腹だ」
「金平糖を食べているだろう」
「甘味と食もまた別だ。ほら小日向、はやくおかわりだ。む、沢庵がない。あと味噌汁も」
「はい、はい」
わたしは仕方なく味噌汁の椀も受け取る。
「いいですよ、そんなことしなくても、こいつが調子にのるだけです」
「やはり李介、お前反抗期ではないのか? 生意気な」
「三十路をとうに過ぎて反抗期なものか! おかわりぐらい自分でつげ! 本当に気にしないでください。こいつは好き勝手するやつなので」
わたしは一人と一柱のやりとりを見て、ぷっと噴き出した。ごめんなさい、我慢の限界だわ。
李介様が意外そうにわたしのことを見ている。
「ごめんなさい、だって、楽しそうで……おかわりぐらいいくらだって継ぎますよ。李介様のそういう態度、見るの、嬉しいです。ささ、李介様もおかわり、いりませんか?」
「いります」
おずおずと李介様がお茶碗を出してきたのを受け取ってわたしは上機嫌で台所に向かう。
居間から廊下に出て、少し歩いていると耳に言葉が流れてくる。
「あれはなんだ、李介」
「……なんだと思う?」
「私の言葉が通じなかったわけではない。だが、あれは小日向ではない。そもそも小日向は……」
ああ、とても、うるさい、うるさい、うるさいわ。
忌々しい声。
けど、いま、わたしはとても機嫌がよいから、鼻歌でその忌々しい声たちを噛み殺し、打ち砕く。聞こえない、なにも。
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