夫婦の夜 1

「これが遅番、昼から仕事を開始して、夜の十二時に夜警と交代であがりです。この早巡と遅巡というのは、巡回があるということです。早巡は夜警と交代での七時から八時までに定期巡回を行うもので、遅巡は夜の七時から八時に巡回です。遅番が夜の十時前に夜警と行います。夜警と遅番は翌日にまだがるので翌朝は明け休みをちょうだいするようになっています。ここだけは土日は関係ありません」

 うむうむ。とわたしは居間にかけられたカレンダーを見つめる。李介さんが仕事の予定をどのように組まれているのかを書き込んでくださっている。

 わたしが文字が読めないので、赤色、青色、黒色、緑色と使い分けて、この色で判断するように言われた。

 毎月、お仕事の予定をもらい、それをカレンダーに書いているので、それを見て夕餉などの判断をしてほしいと言われたのだが……これは。

「土日祝は基本休みです。質問は?」

「この、赤文字の丸はなんですか?」

「これは当直で、仕事のあと、そのまま当直室に泊まり込んで夜の学校を見回りをする、ということです。明けは翌朝の七時で、これは夕食と朝飯が学食が用意されます」

「ほぉ」

 しかし、わたしが言いたいのはそれではないのだ。

「李介さん」

「はい」

「多くありませんか、当直」

「そ、そうですね」

「先ほどの御話だと、夜警とかは本来少ないはずでは? 遅出も多くないですか? 夜警というものも」

「……え、ええ。その、まぁ時間をずらせば二日続けてもたいしたことはないので」

 李介さんが言い淀む。わたしの目の前のカレンダーは当直の赤色、夜警の黒色、遅出の青色がやたら多い。気がする。

 これでは、お家にあまりいられないではないか!

 は、ちがう。これは、李介さんは御家にいたくないということなのだろうか? わたしはじっと李介さんを見つめた。

「……あの」

「わたしは、いま、さみしくて怒ってます」

「え」

「これでは、李介さんと一緒にいられないじゃないですか」

「……えっと」

「ごはんも食べれないし」

「あの」

「これでは、わたしは李介さん恋しくて、干からびてしおしおになってしまいます。廊下の端っこでわたしが干からびていたらどうなさるんですか! ほら、よく、調理しようとして余らせた人参を置いといて、気が付いたらキッチンの端で干からびたミイラになっている! あれをおいしく調理して食べられますか!」

 わたしが必死に噛みつくのに李介さんは目を丸めたあと、噴き出した。

 肩を震わせて、人参、ミイラ……と呟いている。そこは笑うところではない。わたしは大変真剣である!

 わたしの怒りを少しでもわかっていただくため、わたしは無表情で睨みつける。

「すいません、だって、人参のミイラ……くっ」

「焼いて、煮込んで、おいしくいただいてくださるのであれば放置して干からびさせればよろしい。李介さんにその覚悟がおありか!」

「そうですね。減らせないか、相談してみます。少し根詰めていれすぎとは同僚から言われたので」

「ほらぁ!」

 わたしは声をあげた。

「やっぱり、これは働きすぎなんですね!」

「反論のはの文字もありません」

 李介さんが素直に頭をさげるのは、よほどなのだろう。

「この家に帰るのがいやとかではなくて」

「違います! わたしのごはん、あんまりおいしくないし、寝坊しちゃうから愛想を尽かしちゃうのは仕方ないんですけど、けど、それで李介さんが倒れたらどうするんですか!」

 わたしが怒っているのがどうもあまり家に帰らないことのように李介さんは受け取っているようなのでわたしはしっかりと言い返す。

 わたしの言葉に意外そうな顔をされる。そのあと、すぐに真顔で口を開いて言い返してきた。

「俺は丈夫ですから、これくらいの勤務で倒れるほどやわい作りはしてません」

「何言ってるんですか! ちゃんとお休みしないと倒れますよ! それに、先ほど言ったように仕事が終わって帰ったらわたしが廊下の端でミイラになっているの見つけることになるんですよっ」

「ぷ。ミイラ……人参の干からびた」

「笑い事ではありません! 忙しい李介さんを心配しすぎてしおしおーと干からびたわたしが廊下の端で息絶えているなんていやでしょう」

「それは……確かに、ぷぷ、いや、ですね」

「また笑う!」

 わたしはこれでも大変真剣に怒って、諭しているのに、どうして笑うのだ。このひとは!

「わたしのためにも、もうすこし、お仕事、無理のないように、してくださいね」

「はい。ちゃんと相談してきます」

「よろしい!」

 腰に手をあててわたしは李介さんを見上げて言い返す。

「さぁ、疲れましたよね? お風呂わいてますよ」

「いただきます」

「ごはんはどうしますか?」

「そうですね、軽く」

 ぐぅとわたしの腹の虫がまた耐え性もなく鳴いてしまう。ああ、なんとこらえ性もないし、空気も読まない虫だ。

 わたしは両手でおなかをおさえて、真っ赤になって李介さんを見た。

「食べなかったんですか?」

「いつ帰られるかと待っていて、気が付いたら今だったので」

「先に夕飯にしましょうか」

「……はい」

 ぐぅ、また腹の虫が鳴いた。今度は嬉しそうな鳴き声である。恥ずかしい。


 文明の進化で得られるものというのは、あたたかさだとわたしはつくづく思う。炊飯器の蓋をあけると、あつあつのごはんがあるし、味噌汁もすぐにあたたまる。わたしはごはんを取り出すと、手に塩をぬり、あつあつのごはんを掌にのせて、あつ、あつと声を漏らしながらぎゅっと握る。おにぎりの中身は夕飯用に作った塩鮭だ。それをほぐして、詰めてしまう。

 この時間帯になると二人とも、しっかりと食べるよりもさっと終わらせたいと思ってしまったのだ。

 お茶漬けにしようかと李介さんは口にしたが、それではなんとなく寂しい。せっかく誉めていただいた味噌汁もあるのだし。

 ぎゅうと握りしめた俵型のおにぎりが二つ。たくわんを添えて出来上がりである。味噌汁は李介さんがついでくれている。

 二人で出来たばかりの夕飯にかぶりつく。

 ふっくりとしたお米に、冷えた鮭が大変にあう。塩辛さが疲れにしみる。味噌汁もほどよくあたたかい。本日の具は豆腐とわかめ。程よい味噌の辛さがこれまたごはんによくあう。

 わたしが幸せをかみしめながらふと気が付いた。

「そういえば、朧月様は?」

「仕事が終わったので帰しました」

「家があるんですか」

 いや、そもそも今日いきなり現れたのでどこかに住処があってもおかしくない。

「あいつは自分の神域を持っているらしく、そこで仕事をしたり、適当に過ごしたりしているそうです」

 李介さん、朧月様相手にちょっと乱暴な言い方で、付き合いの長さが伺わせる。

「さすがに夜に連れて歩くにはあれはうるさすぎる」

「確かに」

 わたしは納得して言い返したあと

「すごいしゃべられますもんね」

「本当に」

 李介さんがため息をつく。

 中々に手を焼いているご様子だ。

 わたしは思い切って尋ねてみた。今、ここで聞かねば、きっと機会はもうない、ような気がした。

「あの、こんなことを聞くのも、あれなんですが……朧月様とはなんなのですか」

「神です」

「神?」

 わたしはつい聞き返した。

「はい。付喪神です。人に付き、存在する神……あなたも知っての通り、先の大戦で日本は他国に劣勢を強いられました。幾度とない敗戦と撤退に疲弊した国を憐れんだ日本神が降臨し、人に力を貸し、その摩訶不思議な力で勝利まで導いたと」

「そんな、ばかな!」

 わたしはつい声を荒らげてしまったのに李介さんがきょとんとする。

 はっとして、慌てて姿勢を戻し、俯いた。全身に走る鳥肌は恐怖か、怒りか、はたまた……奥歯を音がするほどに噛み締め、拳を強く握りしめる。

「ごめんなさい、つい」

「いえ……付喪神の降臨条件なとば不明ですし、誰に憑くかも今をもっても謎です。基本的に神が自分の相手として相応しいと思ったものを選ぶようになっているようです。一度その人間に憑いた神はその一族に憑くようになるので、その一族がその神に奉仕します。その制度を信者(しんしゃ)と呼びます。朧月は私の父の代から憑いています、言葉を操る口やかましい神ですが」

「朧月、という神がいるのですか? えっと、神社やお寺を守ったり?」

「神社、ですか?」

 またしても李介さんが困惑した声を出す。

「あれはあくまで媒介や形だけのもので、それを奉仕することを願う神はあまりいないと聞きました」

 わたしは少し混乱しているようだ。

「あと神は基本的に神名とは別の名……現名を名乗ります。朧月が言うには気が付いたら名があった、そうです。朧月の神名は一言神……私は神社や寺というものに参りに行ったことはありませんし、本人もそれについて口にしたことはありませんね、かわりに一日一回言葉をくれくれとうるさいですが」

「言葉? ああ、一言神とは確か言葉の神だから」

 一言神についてわたしは知っている知識を総動員する。古きときに国の王の姿を鏡のように真似をした、一言に力をこめた神だったはずだ。ああ、だめ、もっといろいろとあるはずだけど、うまく脳が働かない。

「ええ。先ほど言ったように信者が神に奉仕する。一日いっぺん、または継続的に神が要求するものを与えることで満足させ、力を貸し与えてもらう盟約です。これを破ると神は衰え、消えてしまう。再び降臨するにはまた長く時間がかかると聞きましたし、盟約を行わなかった人間にもそれ相当の罰が下るとも」

「そう、ですか。李介さんは大丈夫なんですか」

「一日一回、あれのために文字を書かされてます……本来は、信者は神を縛め、飼いならすものなんですが、あれはどうも自由で……お恥ずかしい」

「い、いえ。けど、金平糖じゃないんですね」

 わたしの言葉に李介さんがひどくつらい頭痛を耐えるような顔をしてため息をついた。

「あれは子供のようになんにでも興味を示して……たまたま台所にあった金平糖を盗み喰いしたら大興奮して、これもよこせと……常に台所に隠して常備してます。今日は盗み食いをしてあなたに箒で殴られてましたが」

「え、えへへ。お、おはずかしいです」

「いえ。いいんです。箒でも薬缶でもばしばしと殴ってやってください」

 わたしが慌てて取り繕い笑うのに李介さんが苦笑いする。

 どうもこの関係に信仰や敬意といったものはないらしい。それとも李介さんと朧月様だけが特別にそういう関係なのかは今の経験の浅いわたしでは判断できない。

 ああ、ようやく、少しだけわたしの怒りにも似た気持ちの悪い違和感の正体がわかった。

 低く息を吐くと落ち着いた。大丈夫、ちゃんと笑えるし、気にしない。ただ、もう少し情報がいる。わたしは無知すぎる。

 けれどそれにはわたしには決定的な弱点がある。

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