第2話 迎えに行って一緒に上京した―すぐに同居生活が始まった!
3月下旬の土曜日の朝、久恵ちゃんの荷物を引越し屋に託して、昼前には新幹線に乗って二人は東京へ出発した。
久恵ちゃんの引っ越しの手伝いと迎えのために、僕は前日の金曜日の夜遅く帰って来ていた。もう実家は譲渡されていたので、高齢者住宅の母の部屋に泊めてもらった。狭いが久しぶりに親子ふたりで語り合って過ごすことができた。
母は「私のことは心配しなくて大丈夫だから久恵ちゃんの面倒をよく見てやってほしい」と言っていた。性格の良い久恵ちゃんは祖母となった母にもずいぶん可愛がられていた。母も義理とはいえようやく孫ができたので嬉しかったのだろう。
窓際に座った久恵ちゃんは出発してしばらくは車外の景色を寂しそうに見ていた。横顔がすぐ隣にある。僕はずっとその横顔を横目で見ている。
故郷から遠ざかるにつれてようやくあきらめがついたのか、僕の方を見たので、思わず目をそらす。
「新幹線からの景色はよくないみたい。楽しみにしていたんだけど」
「そうだね、防音壁があるし、トンネルも多いね。在来線よりも海側から離れたところを走っているので海もほとんど見えなくなった」
「東京での生活は不安だけどよろしくお願いします」
久恵ちゃんは頭を下げて改めて僕に挨拶した。
「おじさんも初めて上京するときは不安だった。その経験もあるから気持ちはよく分かる。心配しなくていいから、できるだけサポートするから大丈夫。安心して」
それから駅で買ってきたお弁当を食べて、二人はひと眠りすることにした。新幹線ができてから乗り換えがなくなったので安心して眠れる。
久恵ちゃんが肩に持たれてきた。突然こんなことをしてくるとは想定していなかった。ちょっと緊張する。久恵ちゃんはもうそうすることが当たり前のようにもたれてきている。
彼女がそんなことを少しも気にしていないのが分かると僕は落ち着いてきた。女の子から肩に持たれかかられるのは少し恥ずかしいが悪くはない。
電車の中では時々見かけていて、疎ましくもうらやましくも思っていた。まさか自分の身にこうして起こるとは思わなかった。
こんなに女っぽくなっていたんだ。この髪の匂い、柔らかい腕の感触、肩と腕に神経が集中する。ううーん、なんかムラムラしてくる。
安心してと言ったけど、これから一緒に住むのがちょっと心配になってきた。兄貴に代わって父親代わりとしてしっかり面倒を見て約束を果たさなければならないと考えていたら眠ってしまった。
◆ ◆ ◆
「着いたよ!」
久恵ちゃんに揺り起こされて目が覚めた。何か夢を見ていたけどすぐに忘れてどんな夢か思い出せない。良い夢だった気がする。
東京駅には午後2時52分定刻に到着した。まず山の手線に乗り換えて、五反田駅で池上線に乗り換える。マンションまで1時間弱の時間がかかる。
東京駅はとても広い。金沢駅の何倍もある。歩いていると人とぶつかりそうになる。土曜日のこの時間だけど、人の多いこと。久恵ちゃんは僕を見失うと迷子になると思ってか、スーツケースを引きずりながら、必死で後について来る。
ようやく山手線のホームにたどり着いた。長いホームを後ろの方へ久恵ちゃんがついてくるのを確かめながらどんどん歩いて行く。
「どこまで行くんですか?」
「ホームの一番後ろへ。次の五反田での乗り換えに一番近いから。ほら電車が来るから気を付けて」
電車がホームへ勢いよく入って来た。僕は電車を気にしないでどんどん歩いて行く。電車が止まった。それでも歩き続ける。随分後ろに来たから、ここらで乗るとしようか。
「乗るよ」
「はい」
「一番後ろまで行きたかったけど、ここまで」
久恵ちゃんが息を切らしている。後ろの車両は席が空いていた。空いている席に久恵ちゃんと2人並んで座る。すぐに電車が動き出す。
久恵ちゃんには初めての高層ビルが続く東京の街だ。頻繁に電車がすれ違う。目まぐるしく移り変わる景色に目を奪われて黙って見ている。
「次で降りるよ」
「はい」
五反田駅に到着した。ここで池上線に乗り換える。エスカレーターでホームへ移動する。ホームはがらっとしていて人が少ない。ここではホームの一番前まで歩いて行く。
「ここが降りる時に一番便利だから」
「ホームでは乗る位置が決まっているの?」
「時間の短縮のためさ。さっきの山の手線のホームは長いから端から端まで歩くと3分くらいは優にかかる。反対の位置で乗車して、乗り換えの場所まで歩いていると、次の電車が入ってきてしまうくらい時間がかかる」
「へー、乗り換えにも頭を使うね」
「4月はじめに新入社員や新入生が通勤通学を始めると駅が混雑する。降り替え口や出口の位置が分かっていないから、離れている場所に下車してホーム内を移動する。それですごく混雑する。ただ、1週間もすると次第に混雑がなくなる。乗る場所が決まってくるからだと思う」
「人が多すぎるわ」
「地方は働く場所がないから、都市部に集まる。都市への一極集中の弊害だ。田舎は閑散としているのにね」
電車が入ってきた。降りる人はこの時間は少ないようだ。それも前の方から降りるから、乗るのが容易だ。一番前の車両の一番前に二人腰かける。
「『池上線』という歌があるけど知っている?」
「知らない」
「おじさんもここに住んで初めて知ったけど、いい歌だよ。今度教えてあげる」
池上線には縁がある。就職して上京した時の独身寮が洗足池駅から徒歩で10分ほどのところにあった。今のマンションをその近くに3年前に買ったのも土地勘があったからだ。その洗足池駅から2駅目の雪谷大塚駅で下車した。
ずっと入っていた会社の独身寮が廃止になった。無駄遣いをしないのでお金が貯まっていた。それで老後を考えて見つけた物件だ。会社が低利で購入資金を貸してくれたのと、母が援助してくれた。ローンはあるが僅かで負担になるほどの額ではないし、完済の目途もついている。
もう結婚しそうもないから1LDKでもよかったが、ちょうど売り出していたゆとりのある2LDKが気に入って購入した。これが今回、久恵ちゃんを引き取れた理由でもある。ひと部屋ゆとりがあった。
ここは大通りから少し入ったところなので、車の騒音はあまり気にならない。大通り沿いだから夜も車の往来が激しく、久恵ちゃんが大通りの歩道を夜遅く一人で帰っても心配がない。駅から10分もかからずに正面入り口に到着した。
「すごくきれいなマンションですね。思っていたよりも素敵です」
「気に入ってもらえてよかった」
マンション玄関はオートロック、監視カメラもついていて、24時間警備会社が監視しているので、セキュリティも万全だ。久恵ちゃんが一人で部屋にいても安心していられる。
鍵の入った財布をパネルの突起にかざして、奥のドアを開けると久恵ちゃんが驚いてそれを見ている。エレベーターで3階へ昇る。
入口のドアを開けて中に入る。久恵ちゃんが緊張しているのが分かる。短い廊下を抜けて奥へ向かうとリビングダイニングになる。
3人掛けのソファー、座卓、リクライニングチェアー、壁側の大型テレビだけ、がらんとしている。時計を見ると、もう4時少し前だった。
「いらっしゃい。ここが我が家です。このとおり殺風景だけど、独身の男所帯だから勘弁して」
「素敵なところですね。よろしくお願いします」
リビングに荷物を置いてすぐに部屋を案内する。
「お部屋だけど、久恵ちゃんの部屋はカギのかかるこの部屋だ」
「おじさんは向かいのこの部屋だ」
「大きい方の部屋を私に、ですか? 小さな方の部屋で十分ですけど」
「小さめの部屋の方が何でも手が届いて便利だし、落ち着いて眠れると分かったから僕はここでいいんだ。もう引っ越しも済ませたから、大きい方を遠慮しないで使ってほしい。クローゼットが大きいので洋服もたくさん入ると思う」
「私、家具や洋服は少ないんです。小さいときにママと二人、小さなお部屋に住んでいたから荷物も多くありません。パパが買った家も大きくはなかったけど4畳半の勉強部屋がもらえて、とても嬉しかった。こんなテレビに出てくるようなマンションのお部屋に住むのが夢でした。ありがとうございます。とっても嬉しいです」
「久恵ちゃん、神様は人生を皆平等にしてくれていると思う。小さな部屋に住んでいた人には後から大きな部屋に住まわせてくれる。おじさんも子供の時には、風の吹きこむ小さな部屋に兄貴と二人でいたんだ。人生悪い時もあれば良い時もある。両親を同時に亡くしたけどまた良いこともある。今を大切に過ごせばいいんだよ」
「はい、お陰様で良いことがありそうな気がしてきました」
「それから、ここがトイレ。反対側が洗面所で中に洗濯機置き場。その奥がお風呂。スイッチを入れるだけでお湯が入って、満杯になるとお湯が止まって知らせてくれるからとっても便利だ」
「素敵なお風呂ですね。私はお風呂が大好きでいくらでも入っていられるの」
「それはよかった。ゆっくり入って」
「お茶をいれます。ガスコンロがありませんが?」
「ガスではなく電磁調理器IH。このマンションはオール電化されている」
「へー、でも電気代、高くない?」
「それほどでもない。なんせ、昼間はいないから。独り身でずぼらにはもってこい。その上安全だから」
久恵ちゃんが早速IHでお湯を沸かしてお茶を入れてくれた。可愛い娘にお茶をいれてもらうのはいい。部屋も明るくなった気がする。
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