第26話 お風呂失神事件―裸でバスタブに浮かんで眠っていた!

あれから5日ほど経った遅番の日だった。会社から帰って、久恵ちゃんが作り置きしてくれた料理をレンジで温めて、一人缶ビールを飲みながら夕食を摂った。


ついこの間まで、帰ってくるといつでも玄関まで迎えに来てくれて、夕食も二人で楽しく食べていた。以前の独身生活のパターンに戻っただけだが今は少し寂しい。後片付けをして、お風呂に入る。


このマンションの一番気に入っているはお風呂だ。バスタブが広くて、足が伸ばせて、ゆったりできる。湯温も自動調節で、僕は熱めのお湯が好きだ。子供ころは箱型のガス風呂だった。こんなお風呂に入れるようになったんだと入る度に思う。


久恵ちゃんもお風呂が大好きだ。少し温めのお湯が好きみたいで、結構な長風呂になる。いつも心配になって「大丈夫」と声をかけている。


僕は会社から帰るとすぐに食事をして、その後、先にお風呂に入る。久恵ちゃんに先に入ってと勧めても「ママは必ずパパの後に入っていたから、私も後でいい」と、夜の会合で遅くなる時以外は先に入らない。古風なところがあるが、やはり母親ゆずりかもしれない。


まあ、本当は久恵ちゃんの後がいい。遅く帰った時、後に入ると、少し温めのお湯に久恵ちゃんの匂いがするような気がする。このごろ僕は変態気味だ。一緒のお湯に浸かっていると思うと興奮する。このお風呂がまた気持ちよくて幸せな気分になれる。


ソファーで横になってテレビを見ていると、11時ごろに久恵ちゃんが帰宅した。帰ってくるとホッとする。


「おかえり」と言うと「ただいま」というだけで元気がない。このごろは帰りの電車は乗り過ごさないように席に座らないで立っていると言っていた。余計に疲れるが乗り過ごさないで確実に降りられる。


久恵ちゃんは夕食を大概賄いで済ませているので、そのまますぐにお風呂に入る。


いつものように結構な長風呂だ。ほど良いころに「大丈夫」と声をかけると「大丈夫」の返事があった。


僕は久恵ちゃんがお風呂から上がって少しでも話をしてから寝ることにしている。それが僕にとっても久恵ちゃんにとっても良いような気がしている。


あれから、かなりの時間が経っても上がってこない。心配になって「大丈夫」と声をかけると今度は返事がない。大きな声で何度も声をかけるがやはり返事がない。


眠ってしまったのかな?


これはまずいと思い「入るよ」といって、浴室のドア前まで入ってきた。ドアをたたいて「久恵ちゃん、大丈夫?」と声をかけるが応答がない。


鍵がかかっているかなと思ってノブを回すとかかっていなかった。そっとドアを開けておそるおそる中を覗く。


いつか返事をしないでどんな顔をしてのぞくか見てみたいと言っていた。まさかそんなゆとりがあるようには帰って来た時は見えなかった。


久恵ちゃんがバスタブを枕に浮いている。


目のやり場がない。けど、じっと見てしまう。眠っているのか、気を失っているのか分からない。


大声で「久恵ちゃん」と呼ぶと、目を閉じたまま「ううーん」という。


すぐに両腕で抱き上げてバスタブから運び出す。慌てていて廊下では足が滑って転びそうになるが、なんとか部屋まで運んだ。布団が敷いてあったので、バスタオルを敷いてその上に身体を横たえた。


バスタオルを何枚か探してきて、身体を拭いてから身体を覆い、髪を拭いて頭に巻き付けた。意識がないのか、なすがままになっている。


自分の部屋からしまってあったタオルケットを持ってきて身体を覆った。


救急車を呼ぼうかと思ったが、息はしているし、体温を計ったら平熱だった。名前を呼ぶと「ううん」と返事はするので、少し様子を見ることにした。


頭を冷やさなければと、アイスノンを首の下へ入れて、額に氷水で冷やしたタオルを載せた。その冷たさで目を開けた。最初はぼんやりしていたが、すぐに今の状況に気が付いたみたい。


「気が付いてよかった」


すぐに身体を起こしてコップの水を飲ませた。半分ほど飲んだ。


「私、お風呂で眠っていた?」


「返事がないから覗いてみたら、眠ったまま浮かんでいた。早く気づいたから溺れなくてよかった。あのままだと体温が上がって死んでいたかもしれない」


「ありがとう、疲れていたので眠ったみたい」


「気が付いてよかった。ゆっくり休んだらいい」


「うん、着替えるから」


「ちょっと待って」


キッチンへ行って冷蔵庫からポカリのボトルを持ってきて枕元に置いた。そして部屋から出てきた。


しばらくして、やはり心配なので、ドアをノックする。


「大丈夫? もう寝るけど?」


「もう大丈夫です。寝てください。本当にありがとう」


「びっくりしたよ、でもよかった、大丈夫そうで」


「パパ、私の裸見たでしょ」


「慌てていて、そんなゆとりは全くなかった」


「どうだった、私の裸?」


「本当に、驚いてそんな見ているゆとりなんかなかったんだ。感想を聞かれるのならもっとよく見ておくんだった」


「やっぱり見ていたんだ。でもしかたないわ、助けてくれたお礼ということで」


「明日の朝、身体の調子を見て、仕事に行くか決めたらいい。おやすみ」


そういうとすぐに部屋に戻った。見ていないとは言ったが、慌ててはいたけど本当はしっかり見ていた。


白い肌、細い腕、小さめの胸、ピンクの乳首、小さい茂み、すらっとした脚。可愛い裸身が眼に焼き付いている。今夜はもう眠れそうもない。


翌朝、久恵ちゃんは「今日は遅番だけど、とても疲れているから1日仕事を休みます」と言って、ホテルへ電話を入れていた。なんとかしてやりたいと思いながら遅めに出勤した。


◆ ◆ ◆

久恵ちゃんの最初の給料日に僕の方から家事とお手当についての相談をした。


就職して扶養家族ではなくなったので、これからは家事のお手当を廃止すること、また、久恵ちゃんも食費と光熱水費の一部を負担すること、共働きの家庭と同じように、久恵ちゃんに過度の負担がかからないように、僕も家事を分担することなどを提案した。


夕食は先に帰った方が準備する。朝食はそれぞれが作って食べて出勤する。洗濯は随時、それぞれが行う。浴室の乾燥室は乾きが悪いので、衣料乾燥機を購入する。自分の部屋は自分で掃除し、共通スペースはそれぞれが空いた時間に行う。


食材などの買い出しはメールでお互い連絡する。問題があればその都度遠慮なく相談する。メールでの連絡を密にする。などなど。


「今日初めてお給料をいただきました。自立できるようにしてもらって本当にありがとうございます」


「兄貴との約束を果たしたまでで、恩にきるようなことではないから、気にしないで」


「本来ならば、アパートを借りてここを出なければいけないけど、今のお給料では不十分なので、このまま住まわせて下さい。とてもありがたい提案をしてもらってとっても嬉しいです。これからもよろしくお願いします」


「久恵ちゃんがいてくれた方が楽しいから、遠慮しないでずっとここにいてほしい」


「でもできるだけ家事はやります。だってここでは妻ということになっていることを忘れていないから」


「気にしないで無理をしないこと。身体を壊したらもっと大変だ。できない時はできないと遠慮なく言ってくれればいい。久恵ちゃんが来る前は全部自分でやっていたので、全く平気だからね」


「ありがとう」


「もっと仕事を楽しんでほしい。今は仕事も家事も苦痛じゃないの。就職後の久恵ちゃんは少しピリピリ・イライラしているから分かる」


「家事が十分できていないのが申し訳なくて」


「働いているとできないのが当たり前だから」


「分かりました。もっと手抜きして提案に甘えることにします。でも家事をしたいんです」


「ありがとう、その気持ちだけで十分だから」


「甘えついでに一つお願いがあるんですけど聞いてもらえますか?」


「いいよ、何でも聞くよ」


「初めてのお給料でベッドを買いたいんです。友達の家へ遊びにいったら、ベッドがあってそういう生活にあこがれていたので、ほしいんだけど、いいですか?」


「自分の部屋だから、何をおいても自由だから、買ったらいい」


「うれしい。ありがとう」


久恵ちゃんは次の休みの日に友達とそのベッドを買いに行った。


◆ ◆ ◆

しばらくして組立式のベッドが届いたが、組み立てを手伝ってほしいというので、休日が重なった日に二人して組み立てた。


足が延ばせるベッドのようなソファーがついていて、配置も変えられる大型なもので、組み立てに結構時間がかかった。


広めの部屋の1/3を占有するほど大きい。「一緒に寝てみて」と言われたが、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。


もちろん、久恵ちゃんは初めての給料で青い若々しい柄のネクタイをプレゼントしてくれることを忘れてはいなかった。


「嬉しい毎日したい」と言ったら「ネクタイは毎日違うものに変えるのがおしゃれ。週に1回くらいにしたら」と言われた。これは妻の目線? 納得した。


この後、提案した家事の分担ができて、生活にリズムができてくると、久恵ちゃんのピリピリした感じが徐々に解消していった。


いろいろ話し合うことでまた少し距離が近くなった気がした。まあ、ここを出て行くとは言わなくて、正直ホッとした。このまま手の中においておきたい。

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