第22話 レストラン見学会泥酔事件―こんなにお酒に弱いとは知らなかった!
1月ももう半ばを過ぎた。調理師専門学校は1年間なので、3月に卒業する。久恵ちゃんから、そろそろ就職先を決めたいが、専攻はフランス料理だけど、実際のレストラン、特に高級なレストランに行ったことがないので、どこかに連れて行ってもらえないか、お金はかけなくていいからと相談を受けた。
そういえば、久恵ちゃんとレストランで食事したのは、上京した時の案内で銀座のレストランで食事してからはずっと行ってない。クリスマスの時は行きたかったが行けなかった。
僕は元々外食があまり好きではない。食べた後はゆっくりしたいのに家に帰らなければならないのが面倒だからだ。
それに晩酌は必ずする。これがないと緊張が解けないからだ。缶ビールか缶チューハイを1本かウイスキーの水割り1~2杯飲む。久恵ちゃんと同居するようになってもこれは続けている。ただし、休日は飲まない。
1杯飲みながら食べた後、少し酔いの回ったところで、ゴロっと横になって、テレビを見たり本を読むのが好きだ。
久恵ちゃんがここに来る前は、外食はほとんどせず、自分で作るか、スーパーがコンビニで総菜を買ってくるか、弁当を買ってきて食べるという生活だった。
だから、洒落たレストランやラウンジなどはほとんど知らない。今は手作りの美味しい夕食の毎日で気が付かなかった。もっと外で一緒に食事をするべきだった。依頼は快く引き受けた。
仕事でレストランを使うのは昼食くらいで、夜に使うのは、和食の料亭などが多かったので、恋人たちが使うような洒落たレストランなら選定が難しい。
しかし、有名ホテルのレストランなら簡単なので、今度の金曜日の午後6時に第1回レストラン見学会開催を決定した。場所は銀座の一流ホテルのメインダイニングにして、予約も入れた。
◆ ◆ ◆
当日、ホテルのロビーで待ち合わせることにした。僕は会社の帰りにそのまま直行したので随分早く着いた。
久恵ちゃんは一度マンションに帰って着替えをして来ることになっていた。6時になっても現れないので何かあったのかと心配したが、6時を少し過ぎたころになって走って到着した。
「ごめんね、服を合わせるのに時間がかかってしまって」
派手過ぎず地味過ぎず落ち着いたコーディネイトだ。センスが段々良くなってきている。髪は上京した時からのショートカットだ。
僕は女性が髪を乱雑に伸ばしているのが嫌いなので、髪が少し長くなると、お金を別に渡してヘアサロンに行かせた。
いざ、メインダイニングへと向かう。受付で予約を告げると年配のウェイターが席に案内してくれる。少し緊張している年の離れた二人をどう見ているのかウェイターの顔を観察してみる。
席に着くと椅子を引いてくれる。着席して、渡されたメニューを見る。フランス料理だからフランス語も書かれている。久恵ちゃんはメニューをじっと見続けている。
事前に打ち合わせたとおり、今日はアラカルトでと告げると、ウェイターは少し残念そうに、お飲み物はと聞く。ビールとジンジャエールを注文した。
それぞれサラダとスープをチョイスして、メインはフィレステーキとした。デザートはセットメニューを注文し、メインの時に、二人に赤のグラスワインを頼んだ。
「シャーベットは、本当はソルベットというのを知っている? 英語で発音するとソルベット」
「知っている。フランス語ではソルベ、習ったから」
「ハンバーガーは注文するときにはサンドイッチ、ハンバーガーだけほしいときはジャスト・サンドイッチ」
「知らない。へー、パパ英語できるの」
「2年間ニューヨーク勤務をしたことがある。赴任した時は、毎日夕食はその辺のレストランで食べていたけど、いつも注文しやすいビール、シーザースサラダ、ステーキ、ソルベット、コーヒーだった」
「毎日、ステーキを食べていたなんてパパらしいわ」
「僕は気に入った食べ物があるとすぐに何回も繰り返して食べてしまう癖がある。だから、せっかく美味しいものでも、すぐに飽きてしまう。今は美味しいものがあっても、できるだけ食べないようにしている」
「私もそうかもしれない。気に入ったものがあるとすぐにやみつきになってしまって、マイブームと言っているけど、ブームが去るのもあっという間」
「ハンバーグの代わりにチキンを挟んであるサンドイッチが好きになって、週に3~4回買っていたら、店の女の子にソースの好みを覚えられて、こちらが言う前に『ハニーマスタード?』と確認されるようになった」
「日本人だから覚えられたのね」
「そのとき『ジャスト・サンドイッチ』を覚えた」
「確かに実用英語ね」
「それから、事務所の人にデリカテッセンで総菜を買うことを教わった。まあ、総菜屋さんのことで肉料理からシチュウ―、スープ、サラダ、フルーツなどを売っている。パックに好きなものを好きなだけ詰め込んでレジに行く。丁度、ビュッフェスタイルの食事でお皿に料理を盛りつける感じかな。レジでは重さをはかって料金が計算される」
「料理ごとに料金が決まってはいないの?」
「計算がめんどうなのか、どこでもそうだった。それに肉料理は少量でも重いけど野菜サラダはかさが多くても軽いからシンプルで合理的だと思った」
「それはそうね」
「でも毎日これが続くと、さすがに日本食が食べたくなって」
「分かる。その気持ち」
「日本食の食材屋でお米と冷凍のウナギのかば焼きとたれ、それにパック入りの豆腐、即席みそ汁、醤油を買って、自分で鰻重定食をつくって食べた。もう最高にうまかった。日本人に生まれてよかったと、つくづく思った。それからは自炊することにした」
「食材って高いの?」
「日本食の食材屋は日本から取り寄せているので、値段は高め。お米は米国産で安かったし、味もよかった。スーパーでは肉類はすごく安い。普通のステーキなら1ドルから2ドルくらい、すこし良い肉でも5ドルも出せば十分。野菜や果物も安い。自炊すると食費はとても安く上がった」
久恵ちゃんが目を輝かせて聞いている。
「聞き上手だね」
「パパの話、おもしろいし聞くのは好きよ」
そこへ料理が運ばれてきた。久恵ちゃんは海外での生活や、今の会社の仕事など、いろいろなことを聞いてきて、話がはずんだ。食事ってこんなに楽しいものだったんだ。
いままで、相手が喜ぶので、自分のことを話すのは控えて、聞き手にまわることがほとんどだった。いや、相手のことを大切にする余り、控え過ぎて言うべきことまで話さなかった。それが意思疎通不足の原因となっていたのかもしれない。
でも、こんなに自分に質問して、話を聞いてくれたのは、久恵ちゃんが初めてのような気がする。嬉しいし、楽しいものだ。
人は誰でも自分のことを知ってもらいたい、聞いてもらいたいと思っているものだ。だから、話を聞いてあげるととても喜ぶし、話を聞いてくれるととても嬉しい。今日の見学会は楽しくて大成功だ。
話に夢中になってメインの時にと頼んだグラスワインを久恵ちゃんが空けた。
「お酒強いの? 大丈夫?」
「弱いけど、飲みやすいから知らないうちに飲んじゃった。大丈夫かな?」
「まあ、僕がいるから安心していていいよ」
「ママもお酒はだめで、飲んでいるのを見たことなかったけど、私もダメみたい。成人式の後にビールをコップ半分飲んだけどひどく酔いが回ったのを覚えているから」
「ワインは度数が高く口当たりが良いから注意している。以前、送別会で飲み過ぎてひどい二日酔いで死ぬ思いをしたことがある。その時はボトル2本位飲んだと思う。どんどんワインを追加した幹事が悪い」
「飲んだ本人が一番悪いと思うけど」
「レストランではグラスワインを頼むのが一番、1本では多すぎる。レストランが厳選しているので値段の割に美味しい。ただし、ワインは日本酒と同じで後から回るから飲み過ぎは禁物だ」
デザートの後、コーヒーを飲み終えて退席した。レジではカードで支払いを済ませる。
「ありがとう。ご馳走様でした。ゴールドカード、かっこいい」
「就職したらカードを作ったらいい」
「私はいつもニコニコ現金払い。無駄使いするからカードなんか作るつもりはありません」
久恵ちゃんが堅実なのにまた驚いた。
ゆっくり有楽町駅まで歩いた。2月の初めは薄めコートでは少し寒い。久恵ちゃんが自然に腕を組んで身体を寄せてくる。足取りはしっかりしている。週末で、周りは腕を組んだカップルが多いので目立たない。
五反田駅でエスカレーターを昇って、池上線に乗り換え。1本電車を待って二人座って帰った。
出発直後に久恵ちゃんが肩に持たれて眠った。こちらは眠るわけにはいかない。以前、目が覚めたら終点蒲田駅、次に目が覚めたら始発の五反田駅のことがあった。雪谷大塚駅までは絶対に我慢しなければいけない。
駅に着いたので、久恵ちゃんを揺り起こすが、酔いがすっかり回っている。なんとか立上がって歩いてくれた。意識はあるみたいだ。腕を抱えて、エスカレーターで上る。二人ともコートを着ているのでおんぶもできず、体を抱えて、なんとか帰宅した。
久恵ちゃんは小柄で軽いので助かった。部屋に布団を引いて、コートと上着を脱がせて、横たえる。
酔った久恵ちゃんは「ごめんなさい」といいながら、「大好き」と首に手を回してくるし、布団からはいい匂いがプンプンするし、おかしくなりそう。
あわてて布団を被せて明かりを落として部屋を出た。疲れたー! でも心地よい疲労。おやすみ!
◆ ◆ ◆
翌朝、土曜日なので朝寝していると、久恵ちゃんがドアをノックする。ドアを開けると、すっかり着替えている。
「パパ、ありがとう、昨夜はごめんなさい」
昨夜は五反田で電車に座ってから記憶がなく、朝、目が覚めて、パジャマを着ていないのに気が付いて、飛び起きたという。
「パパと一緒だからよかった。ほかの人とだったらどうなっていたことかと考えるとゾッとする。もう絶対にお酒は飲まないから」
「二日酔いはどう?」
「ぐっすり眠れて気分爽快、あとで一緒に散歩に行きましょう」
そう言うと部屋に戻って行った。やれやれ。
それから、2回、渋谷と新宿でホテルのレストランの見学会を週末に催した。もちろん、久恵ちゃんはお酒なしだった。
その後、久恵ちゃんは広尾の通りから少し入ったところにある中堅のホテルにコックとして就職することが決まった。
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