第2話 どこかのビルの屋上にて 2

「あらわれたな迷い神!」


「別に身代わりはこの女子でなくとも構わぬ。邪魔をするのであればお前達を身代わりとするのみ」


「晴子、高橋さんを頼む」


「わかった、大牙たいが


 彼の邪魔になってはいけない。

 私は倒れた先輩の元に駆け寄ろうとする高橋さんを制すると、一緒に屋上の逆側に向けて距離をとった。


「大牙、大丈夫だと思うから遠慮せずにやっちゃって!」


 私の声が聞こえたのだろう。

 頷くと、彼の体の輪郭がゆらぐ、形を変えて行く。

 そして、次の瞬間には大牙のいた場所に一体の獣が現れる。


 白く輝く毛並みの巨大な虎。


「あ、あれは……一体」


 疑問を口にする高橋さんに、私は説明の必要を感じた。


「彼は神獣白虎です。あんな迷い神なんてちょちょいのちょいですよ」


「神獣……迷い神……」 


 わからないといった表情。

 一言ではやはり納得してもらえないらしい。

 やはり大牙が言うように、最初から動じていなかった私のほうがおかしい人間なのだろうか。


 いやいやいや、今は高橋さんにわかってもらうのが大事なのだから自分にマイナス思考してる場合じゃないや。


「見ていただければきっとわかります」


 私は彼に大牙の方を見るように促す。


 既に戦いは始まっていた。

 相手の幽霊みたいな迷い神は、黒いオーラを伸ばして大牙、白虎にまとわりつかせようとしたようだけれど、白虎の体から放たれる白い光にかき消される。


 次いで白虎は、その逞しい後ろ足で屋上の床を蹴って飛ぶ。

 巨体を思わせぬ軽々しさ。

 次の瞬間には、幽霊の肩口に噛みついていた。

 幽霊は苦しげにうめき、またもあの黒いオーラで抵抗の意を示しはしたが、まさに無駄な抵抗で、瞬く間に塵となって消えていった。


 白虎は、そのまま着地すると、私と高橋さんのすぐ手前まで駆け寄ってくる。そして、再びその輪郭はぐにゃりと歪み、スーツを着た男性の姿に戻った。


「大牙おつかれー」


「十二天将の俺が相手する程の奴じゃなかったよ」


「き、君達本当に悪霊払いできるんだね」


 あまりの驚きに何も発することができなかったのか、戦いの始終無言だった高橋さんの、ようやく口を開いた一言がこれだった。


「何だ、信じてなかったのか?」


「すまない。正直、さっきの戦いを見るまでは、半信半疑どころか、かなり疑ってた。ウチの課長が誰かにかつがれたんじゃないかとか考えてた」


「まー普通そんなもんかもしれないな。気にしないでくれ。それより、あの人一応医者に診せた方が良いと思うぞ」


 大牙が少し離れたところに倒れているあのスーツの女性を指さす。

 高橋さんは慌てて彼女の元に駆け寄ると、背中におんぶして私達のところに戻ってきた。


「悪いけど、一旦医務室にいかせてもらっていいかな」



 医務室に来た私たちは、ベッドに彼女を寝かせた。

 そして、ベッドの周りに椅子をあてがわれて座り、産業医の先生の診断を見守る。


 間もなく診断は終わった。先生の見立てによると、手足に擦り傷はあり、やや脈拍が弱いけれど、他は正常。衰弱しているようだから、ここで少し休ませなさいとのことだ。


 心配そうにしていた高橋さんの顔がやわらぐ。

 それにニコリとすると、産業医の先生は、別室に戻っていった。


 やっぱり高橋さん……いやいやそういうのはダメだってば私。

 余計なことを考えてしまう私は、これ以上余計なことを考えないようにと大牙に話しかけることにした。


「大牙、さっきのあの迷い神って何だったの?」


「ああ、そういや説明してなかったな。あれは『縊鬼くびれおに』だ」


「鬼なの? つのとか無かったよ」


「お前なあ、前に教えたろ、鬼っていうのは、この世ならざるモノを表す言葉だから、別に角も無いのもいれば、赤くないのもいるって」


「……そうでした」


 元々『鬼』は『おぬ』から来ていてこの世ならざるモノのことだと教わった記憶を私はこの時取り戻した。

 だから『牛鬼』みたいに動物みたいなのもいれば、人に取り憑く鬼もいるんだ。

 鬼っていうのはけして泣いたり泣かなかったりするわけじゃなく、ましてや閻魔大王の手下として働いているだけじゃない。


「まあ、いいよ。でな、『縊鬼くびれおに』っていうのは、自殺を幇助する悪霊的な鬼なんだ」


「それって、死んだ人の魂とか食べちゃう系?」


「いいや、身代わりにする系だな」


「身代わり?」


 そういえばあの迷い神は、『身代わりなくば現世にもどれぬ』とか言っていた気がする。

 なるほど身代わりを必要としていたのか……何の身代わりなんだろう?


「冥界、根の国、色んな言い方はあるが、死後の世界とこの現世っていうのは、それぞれ溢れないように魂が一定数循環しているんだ。だから、死後の世界の者が現世に返るためには、自分の代わりとなる新たな死者が必要となる。この意味での身代わりだ」


 学校みたいなものかな?

 三年生が卒業しないと、新しい一年生が入れません、みたいな。 

 だから自分が入学するために、三年生を……何てこと。

 不謹慎な気もするけれど、これが私の想像力の限界だった。


「でも、気になるんだよな……高橋さん、このビルで過去に飛び降り自殺があったとか知らないか?」


「僕は聞いたことが無いな。建物自体そんなに古くも無いし、それにこの場所だとそんな事件が起きたらすぐに広まるだろうから、無いと思うんだけど」


 さっきの大牙の戦いで納得できたのか、高橋さんは特に疑問を差し挟むこと無く答えてくれた。


「やはりか……」


「何が気になるの? 大牙」


 『縊鬼くびれおに』は縁のあるところに出る鬼のはずなんだ」


「地縛霊みたいな感じ?」


「死者と生者の入れ替わりの条件は自分と同じ死なせ方をするということだからな。自然と自分が死んだところに憑くことが多い。交通事故の多発する交差点とか、そんな感じに。だから、ここで飛び降り自殺の実績が無いのに、あの『縊鬼くびれおに』がいたのには納得がいかないんだよな」


 なるほど、鬼の性質的に、有り得ない鬼が迷い神として湧いたということみたいだ。

 デパートの婦人服売り場に男性がひとりでいるような感じ。

 いやでも奥さんを探しに来た旦那様かもしれないか。

 ええっとそれでは……うん、慣れないたとえはあきらめよう。


「どこかから誰か拾ってきちゃったとか、文字通り憑いてきちゃったとかで移動してくるとかないの?」


「うーん、有り得なくはないけどな。よほどの力が働かない限り、そんなことはないはずなの」


 大牙がここまで私に言い聞かせるように言うということは、無いということなんだろうな。


「でも、それだと、さっきの疑問、謎のままで終わっちゃわない?」


「晴子、お前意外に考えてるのな」


「どーゆー意味よっ!?」


「いやいやすまんかったすまんかった。どうして有り得ないはずのことが起きているのか、それについて追求する必要があるってこったな。この会社の呪いを解くために」


「そうだね……」


 そう、私と大牙がこの会社に来たのは、この会社を襲う呪いの謎を解くため。

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