第33話 決戦 5

「残念だけどそれはできねえ相談だな、副社長さんよ」


 安倍君と呼ばれた銀髪は意外にも副社長のオジサンに逆らった。

 この展開は、大牙も予想外だったらしく、何を言ったらいいのかわからないという具合で固まっている。


「何だと。君には高い金を払ってるじゃないか」


「金の問題じゃねえ。仁義の問題だ。こいつらがここに来た理由わかってんのか? ああん?」


「し、知らないぞ。そもそも私はこんなやつら知らないんだからな」


「アンタの部下の吉岡が裏切ったからだよ」


「何だと……」


 こっちもびっくりだよ。

 吉岡さんて確か高橋さんの課長さん。私たちの依頼者でしょ。

 裏切り者だったのか……裏切り者って言い方何か格好いいな。


 違う違うよ、私。


 でも、悪い奴を裏切るってことはいい人ってことでいいのかな?

 うん、この会社の社員さん、目の前の副社長のオジサン以外は皆いい人ばっかりだったからきっとそう。


 私がそんなことを考えている間にも目の前の仲たがいは続いてゆく。


「部下も制御コントロールできないやつとは怖くて取引できねえ、俺はここで足を洗わせてもらうから、あとは好きにしろ。金のほうは迷惑料でもらっておくからな」


「ぬ、ぬう」


 あわれ、副社長さん。でも、私たちの今回のお仕事これで終わりかな。

 最後は楽ちんでよかったよ。

 ……私はこの考えが甘かったことを直後に思い知る。


 あの銀髪さん、安倍さんが私たちに向かって言ったのだ。


「だけどお前らには、仕事をつぶされたお礼をしなくちゃな」


「何だと!」


小薄おすすき命婦みょうぶ、来い」


 銀髪のこの呼びかけに応じて、彼の左右の空間がさざ波を打つかのように揺れ、二つの影が現れた。どちらも古典の教科書に出てきそうな平安時代な格好。


 ひとりは、烏帽子に狩衣の狐面の男性っぽい。

 もうひとりは、十二単で床まである長い髪の姫様風な女子なんだけど、こっちも狐の面をつけてる。


 あれ……どこかで見たことあるような……?


「あなた、ひょっとして、講師狐さんじゃないですか?」


「その名で呼ぶでない! あれは世を忍ぶ仮の姿。わらわは、命婦、れっきとした式神ぞ!」


「私たちのこと散々酷い目に合わせておいて何言ってんのよ。コン太はあんたのせいで……絶対に許さないからね!」


「許すも許さぬもないわ、人間の小娘ごときが神に逆らうか!」


「命婦、そのあたりにしておけ。おぬし、主の命に逆らう気か」


 隣からあの烏帽子の狐面が彼女を諭した。


「くっ、わかっておる、小薄」


 あれ、すんなりと引き下がった。

 あのしつこい狐女をこんなにあっさりひかせるなんて、あの狐男さんかなり怖い人なのかもしれない。


「ハハハッ、威勢のいい嬢ちゃんだな。その霊力、何かありそうだが……まあいい生きてたらまた会おうぜ、アバよ!」


 銀髪は笑いながら、右手奥の神棚の扉に手をかけ、開く。

 扉の奥にあったのは……人形? 小さくてよく見えない。


「晴子、見るな」


 大牙の声がして、いきなり目をふさがれる。

 その状態の私でもわかった。体で感じた。

 さっきのあの場所から恐ろしいほどの何かの力が漏れ出てきている。


「大牙~何も見えないよ~」


「見えなくていい、あれを見たら魂持ってかれるぞ」


「大牙、結界を張ったからとりあえず大丈夫」


 貴子さんの声にようやく解放された私は、あたりを見回す。


「え、えええええええええええええ」


 声をあげてしまうのは許してほしい。

 さっきまで、普通の会社の部屋だったはずの空間が、苔むした、廃墟の中のようになっている。


 銀髪一味は逃げてしまったらしく、姿は無い。

 宙にはさっきの人形が浮かんでいる。

 十センチくらいの大きさの髪の長い和服の女の子の人形。

 けれど、どう見てもただの人形じゃない。

 滾々と人形から湧き出す黒い煙、あれが周囲の壁、床、天井を腐食させてるみたい。そしてその煙は全然衰えを見せない。


 私たちの周りは貴子さんの結界で守られてるけど、このままじゃこの会社が……


「大牙、あの人形何なの?」


人形神ひんながみって言ってな、願いをかなえる人形だ」


「願いをかなえる人形。どう見てもそんなファンシーなのに見えないんですけどー」


「ああ見えても、千以上の死霊の集合体だ。願いを叶えるのは呪いの力。叶えた後願ったやつの魂を食らう。そうやってどんどん呪いを蓄積する魔の人形なんだ。だから瘴気も寄ってくる」


「全然ファンシーじゃなーい。どうしてそんな人形がここにあるのよー」


「あの安部って陰陽師が、この建物に瘴気が沸きやすい状態にして仕事をやりやすくしたんだろう。副社長のおっさんには、願いを叶える人形とか言っとけばすむしな。まあ、間違いじゃない」


「さっきから湧いてるあの黒い煙って瘴気なの?」


「いや、あれは人形に蓄積された呪いそのものだ。それも建物を腐食するくらいに強いレベルの」


「そんな、じゃあ、このままじゃ……」


「このビルがダメになるくらいで済めばいいが、この量だと呪いの影響で魔界とつながることくらいはありえるかもしれん」


「それ、どうにか、ならないの?」


「式神にもできることとできないことがある……俺じゃあの人形は倒せても、ここまで広がった呪いはどうにもできない」


 白虎さんは武闘派だから、煙の始末はできないのね。


「ごめんね、晴子ちゃん、私も、このビルごと消し去ることなら朝飯前なんだけど、それやっちゃうと、ね」


 そうだ、このビルにはまだ人がいた。消しちゃうなんてできない。


「じゃ、じゃあどうするの? このまま魔界とつながっちゃうの見てるだけなの?」


「晴子、、って言ったろ俺」


「えっ!?」


 大牙の指さす先には、政さん。

 あれ、結界の外にいるのでは?


「政さん、大丈夫なんですか?」


 振り向いてニコリ。大丈夫ということらしい。

 天井や壁も腐るこの呪いの中で無事なんて、さすが陰陽師。


 政さんはそのままゆっくり歩いてゆく。

 そして、人形の手前で足を止める。


 人形は、彼のことなど気にならないかのように、呪いを吐き続けている。


 彼は、人形に向かって右手のひらをかざす。



『汝、呪う、能わず』



 男性にしては少し高めの、朗々として響く、心にしみこむような声。

 これ……政さんの声? 間違いない政さんの声だ。


「あれ、呪いが出てない? 止まってる!」


 湧き水、いや火山の噴火ではないかというくらいに人形からあれほど出ていた煙が止まっている。それだけじゃなく、腐食していた天井、壁が元の姿に戻ってゆく。


「政さん、凄い」


「凄いだろー主は」


 大牙が、まるで自分が褒められたように喜んでいる。


「あれは、言霊ことだまよ」


 貴子さんが横から教えてくれた。


「言霊?」


「神宿る陰陽師にしか使えない、神の業。主は、一言ひとこと、言った言葉を現実にすることができる」


 なんと、政さんが、言ったことを現実化できる能力者さんだったとは。

 口にしたこと何でもいけちゃうのかな。私なら何を言うだろう。

 ああでも、そんな状況になったら怖くて口開けないかも……そうか…… 


「もしかして、政さんが普段しゃべらないのって」


「そうだ。この能力の代償だ。でもな、主は覚悟の上だ。それに俺や貴子やお前がいればしゃべる必要なんてない」


 自分もその中に入れてもらえたのが、とてもうれしかった。



『汝、安らかに、眠る』



 政さんの言葉に、人形から幾筋もの光が離れ、窓の方へ向かってゆく。

 いつまでつづくのだろうという程の数。


 その最後の一つがブラインドの向こうに去ったとき、人形も空間に溶けるように、消えた。

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