第22話 会社は戦場 3
大牙と私は、立花さんが総務部で借りてきてくれたという「点検見回り中」と書かれた腕章をつけて、ビル内に残る迷い神と澱み溜まりを探していた。
この腕章は、机が整理されているかとか、通路をふさぐような箱がおかれていないかとか、安全・衛生を目的に見回る時につけるものなのだという。躓いて転んだりしたら危ないし、机の上が汚いとバイキンが発生しそうだから、この安全・衛生の点検の重要性というのは私にもわかる。
もちろん実際にこの仕事が割り振られたわけでない。
明らかに見慣れない社員である私達がそのまま会社の中を彷徨っていると怪しいため、カモフラージュするための腕章だ。
すれ違う人がこちらに向かってペコリペコリとすることが多いのにこの腕章の威力を感じる。逆に目立ってしまっているような気もしなくもないけれど。
折角だから、見つけたら注意して、この紙にチェックしてね、とフロア表とペンまで渡された。真面目な私は、ついつい本当につけてしまう。通り過ぎる人が私にに対し、やけに丁寧な態度に見えるのはだからなのかもしれない。
二人とも立花さんに借りた伊達眼鏡を着用している。これもあるのかも。
別に雰囲気を出すためではない。二人とも、あの時屋上に行く前にさんざんビル内を走ってしまっている。覚えられているといけないからという、彼女の配慮。
本当に大人になったら自分は立花さんのようになれるのだろうか。
自信は全くない。
冷静に考えると、どうして伊達眼鏡が会社にあるのかな? って思いはするけれど。訊きそびれてしまったから、後で訊いてみよう。
「あれ……」
フロアの片隅で何か見た気がした私は、その影を追いかける。
「お、おい、どこいくんだ晴子」
素早い。でも逃げこんだのは自販機コーナーの中。
あそこは行き止まり、もう追い込んだも同然だ。
私は、大牙にしーっとジェスチャーすると、ゆっくりと中に入る。
いた。いた。いた。
想像通りの小さくてモフモフしてコンコンした生き物! 手のり狐!
私のことを怖がってるのかプルプル震えてる。
よし、こういうときはまず安心させなきゃだよね。
「怖くない、怖くないよ。私何も持ってないし」
両手を広げてアピール。
「何だったら霊気も思う存分すっちゃってもいいよー余ってるみたいだから」
必死にアピール。何を言ってるのか自分でもわからないけど気にしない。
大事なのは気持ちだ。
この私の心が通じたのか、キュウキュウ言いながら小狐は私の方にゆっくり近づいてきた。そして、私の手のひらを舐める。くすぐったい。私の霊気、美味しいのかな……いや、そうじゃなかった。可愛いいいい。
私はもう自分の想いを止めることができず、相手が抵抗しないのをいいことにそのまま両手で抱えて頬ずりする。ああ、ふさふさ、キュウキュウいってる~~~。
目の前に持ってきて、こちらを向かせる。
キュウ。小狐の無垢な目が私の心を捉えて離さない。
「よしよし、君のことはコン太って呼ぶね。私は晴子。よろしくね」
「こらこらこらこら晴子。迷い神に何がよろしくなんだよ」
私と小狐の触れ合いに後ろから無粋なツッコミが入った。
「さっさとこっちに寄越せ、滅してやる」
この言葉に思い出す。そうだったこの子、迷い神、
人に取り憑き、体調を悪くしたり、時には乗っ取り操る、悪の存在。
キュウ……
この子は、ま、迷い神。胡麻化されてはいけないのだ。
きっとこうして油断させて人に取り入り、悪さをするのに違いないのだから。
キュウ……
うう、可愛い。これ普通に動物園の触れ合い広場とかにいたら大人気だよ、きっと。モフモフモフモフ。ああ手触り最高。
キュウ……
この澄んだ円らな瞳の何が悪さするんだろう。
私の霊気でお腹いっぱいになったらきっと悪いことしないよね。
世の中の戦争は食料問題が発端で起きることが多いって社会の先生も言ってたし。
人間だって迷い神だってそれはきっと同じはず。
よしよし、私の霊気で元気よく育つのよ。
キュウ……
この子を私が守ってあげなければ、誰が守るというのか。
私は手を伸ばしてきた大牙の手をパシッと振り払う。
「晴子!?」
大牙の驚いた顔。
ごめんね、大牙。
いくらあなたでもこの子を滅するという人に、この子を渡すわけにはいかない。
「コン太は消させないっ!」
「何言ってるんだお前、正気かよ」
「正気も正気、大正気よ。こんなにモフモフで可愛いのにどうして消滅させちゃうの」
「そういう問題じゃないだろがよ」
「ほら、私の霊気吸ってれば大人しいんだよ、この子、
「捨て猫と訳が違うんだぞ、それに
「えーっだって大きな猫がもういるのに……」
「お前、それ、まさか俺のこと言ってないよな?」
「にゃあにゃあ」
「ダメだ」
断言された。
負けるもんか、食い下がってやる。
「もしかして、大牙、プランタンのマスコット動物の座を奪われるとか思ってない?」
「元からそんなのだと思っちゃいねーよ」
「じゃあいいじゃない。この子可愛いし、絶対人気でるよ、手乗り動物カフェ」
私は、リスや、ハムスターに囲まれたプランタンを想像した。
政さんが餌をやっている姿、絵になる。いけるよ、これ、絶対にいけるよ。
「ウチは普通の喫茶店だからそういうのはダメなの! 何度も言わせんな」
「もういいよ、大牙じゃ話にならないから、直接政さんにお話するもん」
「俺の言葉は主の言葉だって言ってるだろ。お、おい、どこいくんだよ」
頑張るのも疲れてきた私は、管狐を手の中に抱いたまま駆けだす。
後ろで大牙がまた何か叫んでるけどもう知らない。
私は今はこの子の保護者なんだ。守ってあげなくては。
そして、無我夢中で走ったせいか、またも私は道に迷ってしまった。
そんなに広い会社でもないのに、自分の方向音痴が恨めしい。
大牙は、追ってきていないみたいだ。
自分でも矛盾を感じるけれど、ちょっと寂しい。
「大牙、私の事守ってくれるって言ったのに。霊気でわかるからって油断してたらまた私襲われちゃうぞ、もう」
キュウ……
私の手の中でコン太が鳴いてる。
心配そうな目で私を見てくれてる。
「慰めてくれてるのかな。ありがとう、コン太」
私はコン太のふさふさした毛並みを数回撫でた。
……とても癒される。
こういうモフモフが一人一匹いたらそれで世界は幸せなのに、そのモフモフを滅するだなんて。
そうだ、この会社、ストレス解消セミナーを開くよりも、モフモフを一人一人に与えた方がいいんじゃないだろうか。
私は、会社の一人一人の机の上に小狐がいて、疲れた社員さんにナデナデされているところを想像し、ひとり納得する。
後で、立花さんに提案してみよう。そしたらコン太消えなくて済むかもしれない。
キュウキュウ……
「あ、ごめん、コン太。私力入れちゃってたかな?」
自分のことばかり考えてはダメだった。コン太は自由に動き回りたいのかもしれない。私は、そっと地面においてあげた。
キュウウ~
私の目の前で嬉しそうに駆け回っている。うん、これはこれで癒される。
私のプロデュースが上手くいけば採用間違いなしだ。
「あ、コン太」
私がそんなことを考えている間に、コン太は廊下を奥の方へタッタッタッと駆けてゆく。離れたのをいいことに、大牙に捕まえられて滅されてしまうといけない。
私は急いで追いかける。
気が付くと、行き止まり。その突き当りには部屋の入口があり、『第二サーバ室』『関係者以外立ち入り禁止』と書いてある。
この名前から、あの寒くて柱みたいなコンピュータがたくさん生えている部屋ではないかとは思うのだけれど、この部屋は最初の見回りの時に入った記憶が無い。
「この中に行っちゃったのかな?」
私は扉に触れてみた、異様な感覚、次の瞬間には私の手がずぶりと飲み込まれている。どんどん強い力で引き込まれて、体の大部分が沈みこんでゆく。抵抗なんてできない。
「えっ、ええっ、えーっ!」
そして最後まで頑張っていた頭も飲み込まれて真っ暗に。
……あの時の私の記憶はここまでだ。
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