第3話 喫茶店プランタンへの訪問者 1

 それは私、源晴子がいつものように学校が終わった後、喫茶店プランタンのカウンター席で紅茶を出してもらって一息ついているときのことだった。


貴子たかこさん、これ美味しいです。香りも味もスッキリしてるっていうか。何かいつものと変わってるんですか?」


「ふっふっふー、とっておきの茶葉が手に入ったから、折角だしいれてみたのよ。クセが無くて飲みやすいでしょ。物足りなかったらレモンを少し加えてみてね」


 私の反応に微笑む彼女、中神なかがみ貴子たかこさんは、この喫茶店のウェイトレス。


 外見から推測できる年齢としてはおそらく高校生くらい。

 髪の両側をそれぞれ結わえる、俗にツインテールと呼ばれる髪型をしている。


 どう見てもあざとい。あざといのだけれど、実際女の私から見ても可愛いのだから仕方ない。

 私よりも小さいからかどうなのか。お姉さんのはずなのに彼女がこの喫茶店の制服と称するメイド服を着た姿はとにかく可愛いとしか言いようが無い。語彙力を問われてももうどうにもできないくらいに。

 そうだ、お人形さんのように可愛い、あれは彼女のためにあるような言葉だと私は思う。


 でもその外見とは裏腹にとても面倒見が良く、優しい。

 私が宿題で悩んでいると勉強を教えてくれるし、言えないことで悩んでいると、そっと近くに来て私の頭を撫でてくれる。何も言っていないのに、まるで私の心を読んだかの如く。だけど、嫌な気はぜんぜんしない。むしろ、感激で涙が出てきて、逆に貴子さんをおろおろさせてしまうくらい。


 水出し、注文取りに会計と喫茶店が忙しいときには彼女もめまぐるしく飛び回っているが、今日この時間は、私以外は誰もいないのでこうして落ち着いてお話できるのが私は嬉しかった。


「ありがとうございます。そういえば、大牙たいがは今日いないんですか」


「ちょっと野暮用でね。そろそろ戻ってくるとは思うけれど」


 貴子さんが、ここまで話した時、丁度ドアベルが鳴り響き、話の渦中の人物、大牙が外から入ってきた。と思えば、その後に続く人影がある。眼鏡にスーツ、いかにもビジネスな肩掛け鞄、どう見ても会社員という風貌の男性で、大牙のお友達という感じではない。


「大牙お帰りなさい。その方は……お客様?」


「ああ、そうだ。俺じゃなくてあるじのだけどな」


 思い出したかのように扉に戻ると、ドアプレートを裏返しOPENからCLOSEDに変えている。


 大牙の言う主とは、この喫茶店のマスター、北条ほうじょうまさしさんのことだ。


 政さんには喫茶店のマスターの影に隠した秘密の顔がある。

 お客様の様子からおそらく秘密の顔の方の用事なのだろうと私は考えた。

 さっきから表を貴子さんに任せてカウンターからいなくなっているのはこのお客様を向かえる準備をしているのではないか。

 なるほど、どうりで大牙も大人モードの外見のはずだ。

 つまりこれから始まるのは別の仕事のお話。となると――


「私、いないほうがいいかな?」


「何言ってるんだよ、晴子。お前はとうの昔に仕事の仲間だろ。いていいに決まってるじゃねーかよ」


 大牙のこの言葉に、嬉しくなった私は、不覚にも涙をこぼしそうになってしまう。

 自分が誰かに『仲間』と呼ばれることがあるなんて思ってもみなかったからだ。


 最近、実はそれなりに大牙の仕事を手伝っている。いるのだけれど、それを当たり前のものとはしないで、こうして言葉にしてもらえるのは、何というか感動だ。


「あ、ありがと……」


 しかし、世間の風当たりは強かった。


「この子、高校生……ですか? 今回の件、ウチの会社の機密に関わることだって課長が言ってたんで、その、何というか……」


 眼鏡のあの会社員さんがさも言いづらそうに、言うのだ。そして途中で口ごもる。

 わからなくもない。

 私はどう見ても学生。中学生にしては背が高いけど、欲張ってみても高校生くらいの小娘。

 彼の言うように会社の大事な用事の場にいていいかというと、ダメだろう。


 私は無言で自分の鞄を手に取ると、喫茶店の出口へ向かおうとする。しかし、そんな私の行動を察したのか、肩に手を掛けて引き留めてくれた人がいた。


「政さん……」


 振り返った私の瞳に映るはこの喫茶店のマスターにして、大牙の主たる政さんだった。

 綺麗に整えられた短髪は清潔さを感じさせる。

 長身痩躯というのは彼のためにある言葉だと私は思う。

 年の頃は大学生に見えなくも無い。実際の年齢は教えてもらえてないけれど、二十代前半なのではないだろうか。

 大牙やクラスメートの中学生男子には無い、何というか大人っぽい魅力がある。

 ここまで考えると、男性として完璧と思えるが一点だけ、ちょっと問題があった。


「晴子、仕事を請け負うあるじもいいって言ってるぜ」


 大牙が代弁してくれた。

 それに無言で政さんは頷く。


 そう、政さんは、普段言葉を発しない。全てこうして大牙や場合によっては貴子さんを通して代わりに発言してもらうのだ。


 聞いて良いものかどうかわからなかったけれど、勇気をだして大牙に尋ねてみたところでは、政さんは話せないのでは無く、話さないのだという。

 それ以上は教えてくれなかった。けれど、彼がしゃべることができないのではないということを聞いて少しほっとした自分がいた。


 ちなみに、喫茶店のお客様との受け答えは、貴子さんが全て回しているので全く問題ないとのこと。むしろ、イケメンで無口なマスターであることで、近隣の女子高生に実は大人気なのだとか……これはちょっと複雑。もちろん事情を知るだけに。


 いつか、私は彼の言葉を聞くときが来るのだろうか。

 来るとしたら、どんなときなんだろう。


 いや、こんなことを考えてしまうと言うのも、政さんに失礼かもしれない。毎日私がこうして喫茶店に来て、時々お仕事をお手伝いするのを許してくれているだけで彼には感謝しなければならないのだ。


 大河との出会い、そして連れてこられたこの喫茶店での貴子さんと政さんとの出会いは本当に私にとって宝物。大事にしなければならない。


 さて、スーツの会社員さんもそんな政さんの様子を見て、何か思うことはあったらしい。それ以上私に向かっては何も言わなかったし、政さんに案内されるがままに、喫茶店のテーブルに座っていた。


 この喫茶店『プランタン』は、こじんまりとしたレトロな街の喫茶店といった風の間取りで、入り口から見て、左側にカウンターおよびカウンター席があり、右側の窓際にテーブルがいくつかある。

 三人が腰掛けているのは、一番奥のテーブル席。


「ええっと、あの子一応こっちの仕事を手伝ってくれてるんで、その、ご理解くださいってことでお願いします」


 大牙が席に着くときに、敬語なのか何なのかわからない言葉で私の事を説明してくれた。会社員さんが頷いてくれたので、私は慌てて、カウンターの椅子から降りると、彼に深々と頭を下げた。

 それにニコリとしてくれる。悪い人じゃない、そう思った。


 それからは、テーブル席で、話が進んでいった。

 私はというと、所在を許されたとはいえ、参加するわけには行かず、カウンター席で貴子さんが注いでくれた紅茶のおかわりをすすっていた。


 耳を塞いでいるわけではないので、聞こえてきてしまう。

 わざと大牙が私に聞かせているのではというくらいに。

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