ファイル1「解剖実習×消えた献体」(5/5)
行方不明の北高校三年生山田の遺体だと思っていた彼が息を吹き返し、集中治療室で治療を受けている間、荒中、雪野、南、神木は待合室で待機していた。山田の呼気からは、大量のアルコールが検出されたらしい。
雪野はまたなにやらブツブツと推論をやり直していた。
「なるほどね、彼は生きてた。息を吹き返した彼は自力で隣の隣の――組織実習室まで歩いて、そこで再度眠りについた。だから荒中くんは知らないわけだ」
正面には荒中が、じっと黙ったまま腕を組み座っている。
「荒中くんも、まさか彼が生きていたなんて知らなかったんだろう。となると、テレコに気付いたのは、授業の時だね。遺体が一つ消えていると聞いて、焦っただろうね」
南もその間、今までの経緯を頭の中でまとめていた。時間はかかったが、だんだんわかってきた。
さらにそこに、新たな情報を付け加える。
(呼気からアルコール……。高校生なのにな。それに、いなくなったおとといからずっと成分が残っているって、どれだけ飲んだんだろう。仮死状態だったとしても)
その上で、仮説を立てる。
(荒中くんはもしかして)
見えてきた結論。
――これなら、荒中のあの憤りにも説明がつく。
今そこに、寡黙に鎮座している理由だって。
「荒中くんは後輩を殺したのではなく、生き返らせようとしたのでは?」
荒中がゆっくりと顔を上げた。
「ぼく、そう思って考えてみたんです」
医者になりたい、人を救いたい気持ちが、まだ彼には残っているような、というよりも、まるでそのもののような違和感。
「山田くんが仮死状態に陥ったのは事故だった。彼は大量のお酒を飲みすぎて、それで池かプールにか、飛び込んで、ショック状態に陥った。荒中くんはそんな後輩を助けようとして蘇生術を施したんだ。しかしその時息を吹き返すことはなかった」
「ああ、だからだったのか。あんな奇跡的に、息を吹き返したのは。荒中くんが救命救急措置を施していたから――なるほどね」
口を挟んだ雪野が、先をどうぞ、というように頷く。
「普通なら救急車呼ぶべきだよね。でも高校三年生……未成年、しかも受験生。北高って、すごく偏差値が高い学校でしょう。飲んでいたのは、彼一人じゃなくて同級生複数人だったりしたら、未成年が飲酒して死亡事故だなんて、受験にも影響ある……どころか、停学、下手したら退学なんかもあるのかな。それで困った高校生たちは、先輩である荒中くんに助けを求めた。荒中くんは、後輩にも慕われているんじゃないかなってなんとなく思う。怖いところはあるけど、でも、頼りになるよ。ぼくだってそう思う。なんとかしてくれるんじゃないかって。それで荒中くんは、解剖予定の遺体に紛れ込ませることを思いついた」
荒中は静かに床に視線を落としている。
胸を詰まらせたようなその沈黙は?
「って言っても、証拠もないんだけど」
ここまで得意げに話しておいて、雪野と同じく自分にだって証拠はない。
自白してくれたらいいと、そう思っていたが、
「いや、証拠ならあるだろ」
雪野は済ました顔で言う。
「封の切られたAED」
あ、そうか。
止まった心臓を再度動かすための装置、AEDを使ったならそれが動かぬ証拠になる。電極パッドは使い捨てだし、そもそも、そう何度も使うようなものではない。警察に言えば見つけてくれるだろう。
「使ったよな? 医者志望だろ」
雪野が挑発気味に投げかける。
使ってないとは言わせない。そんな圧力をかけられて、言い逃れできないと思ったのか、そして、人殺しの汚名を着せてきた雪野に対しての鬱憤が爆発したのか、
「――ったりめぇだ!」
荒中は腹立ちまぎれに立ち上がる。
「あいつら未成年のくせに飲酒してべろべろに酔って、山田はでかいきたねえ池に飛び込みやがった。春先でまだ寒い夜、んなバカやったら心臓麻痺だ!」
荒中の胸の内には、後輩の死が思い起こされているのだろうか。口調はひどく荒々しく、虚しく響く。
「三年生に上がったばかりで受験を控えたあいつらは飲酒がバレることを恐れて救急車を呼ばなかった。たしかに俺が見ても、明らかにもう死んでたからな。脈のない山田を前に、医学生の俺にどうにかしてくれと頼んできた」
荒中は真実を吐き出してしまいたい気持ちに突き動かされるように滔々と語りだす。
「俺はすぐさま人工呼吸と心マをやったさ。AEDもやった。けど、わかってた。もう手遅れだった。少なくともその時はそうだった。それで遺体を前に、話し合った。未成年が飲酒して死亡事故だなんてバレたらその場にいたやつらも全員大目玉どころじゃない。推薦も取り消しだし、そう最悪の場合退学だろ。北高は自由な学校だったが自由ってのはつまり自分の責任は自分で取りましょうお子様じゃないんだから、偏差値も高いんだし、ってことだ。逆に、処分だけはどこよりも厳しい。で、そこらにいたやつは慌てふためいて、俺にどうにかできないかと縋りついてきた。まあそこで俺は一つだけ手を――思いつきたくもなかったが、俺の天才的な脳が、閃いちまったんだよ」
「それが、遺体を解剖室の中に隠すってことだったんだな」
雪野に頷き、荒中は続ける。
「そうだ。解剖室の遺体の山に紛れ込ませてしまえばわからねえ。木を隠すなら森の中、遺体を隠すなら遺体の山の中だ。一応、見た目上は匿名管理だからな。お察しの通り、俺には管理人とのツテもあったし」
彼なりにできる限りの手を尽くして後輩達を守ろうとした。
「だが新しく加わった遺体にはQRコードなんてない。だから偽装した。同じ死因のコードをコピーして貼っ付けた。確認する奴なんていない。管理人もこっちの味方だし、順繰り順繰り、処理されていくハズだった」
ここで雪野が補足する。
「だが、思わぬハプニングが起きた。そう、俺が前日準備でそうとは知らぬままに遺体を入れ替えた。何せ同じコードだったから」
荒中は額に手を置くと、呻くように言った。
「QRコードをコピーしたときに、場所が変わっちまったんだろ。同じ場所に戻しておけばよかったのに、しくじったんだよ」
「それで俺はNo.8の献体をそこら中探すことになって、未処理として並んでいるはずの列からこいつを並べた」
「ああ。だからそのまま行けば、どのみち授業が始まった時にバレるはずだったな」
「だが、山田が息を吹き返した」
以降を、雪野が引き継ぐ。
「彼は起き上がると、自分が裸であることに気づいて白いビニールを自分の体に巻き付け、そして部屋から出た。それで鍵が開いていたんだ。彼は無傷ではなかったのか、二日酔いも相まって気分が悪くなり、そのまま力尽きたように、再度深い眠りについた。そして、授業が終わって荒中くんや管理人や俺達がようやく見つけた時に、その衝撃でまた目を覚ました、と」
荒中は観念したようにしゃがみ込む。黙って聞いていた神木が歩み寄り、「まあ生きてたんだからよかったよ」と声をかけた。
南は頷いて、「荒中くんの治療した患者第一号、だね」と微笑む。
「こんな出来損ないが第一号かよ……」
荒中は自嘲気味に言う。そして、
「もっとちゃんと助けてやりたかったなあ」
そう言って天井を仰ぐ。
切れかかった暗い蛍光灯が、パカパカと点滅して、また点いた。
後日のこと。
解剖実習は続いていた。
またなんかの弾みに生き返りはしないかとびくびくしたりもしたが、そんなことはもうなく。
本日八班は一番多く神経や血管をブチリと切ってしまった人に大腸内部の洗浄係を押し付けることになり、指をプルプルさせながら血眼になって脂肪を除いていた。
そんな授業中、開かないはずの扉がガラガラと開いて、
「あ、荒中くん、おかえり」
「おう」
「大丈夫だったの……?」
荒中が久しぶりに登校してきた。彼はあの後警察にまた呼ばれたり、後輩の見舞いに行ったりと、しばらくゴタゴタしていたのだ。そのまま退学してしまうのかと南は心配していた。せっかく、一人の命を救ったのに。
「まーな。親族がちょっと手を回したみてーだが。解剖室で保温したのまで全部救命救急措置だったってことになった。死体安置所のおっさんは異動になったけどな。あと、あいつらは停学処分だとよ。まあ、当然だな」
白衣の上から防護服を着用しながら荒中が説明する。
「患者も、まあなんとか、生きてるようだし。後遺症もねえって。蘇ったよ、はは。不死身か? いや、俺の処置が完璧だったな」
雪野がメスを握りながら、水を差すように口を挟んだ。
「……死んだと誤診してたくせに。で、ほんとに殺人犯になるところだった」
たしかにあと一歩でホルマリン漬け、また死ぬとこだったけど……。その場合、荒中くんが殺人犯ということになるのだろうか。
それにしても、もうほじくりかえさなくてもいいんじゃないかなあ? あの後、荒中は精神的に不安定そうだった。ようやく持ち直したのだろうに、また責めるようなことは……。
「さっさとホルマリンに漬けないから」
雪野の言葉を聞いて、手が滑って神経がぶちりとちぎれた。あ、腸内洗浄係、確定だ。
「雪野くん……」
何を言うかと思えば。雪野は続けて説明する。
「すぐに漬けておけば、完全犯罪だった。君も捕まらなかったし、俺が遺体を間違えることもなかった。授業だって予定通り進んだ」
心底不思議そうに首をかしげる雪野。
「そこだけ、行動が意味不明だったんだけど」
いや~~~~???
雪野くんは賢そうに見えて、そんなこともわからないのだろうか。本気で言っているのか?
たしかにそうしていれば完全犯罪にはなっただろう。
「それだったら、ぼくには、わかるよ」
南は諭す気持ちで、
「荒中くんは、こう思ったんじゃないかな? この人はまだ生き返るかもしれない、生き返ってほしい、って。それで、保温機械の中に入れたんだよね?」
荒中はついっと視線を逸らす。
「実際、それで奇跡的に一命を取りとめている」
雪野は納得いかないらしい。
「運が良かっただけだ。だったら全ての遺体は火葬せず放置しておくのがマストなのか?」
「……それは」
う~ん。そう言われると返す言葉もない。
「そもそも、医者ならもっと確実に蘇生や診断ができたんじゃない? できないならできないと、きちんと自己評価をして助けを呼ぶとか最善を尽くすべきだった。生かすにしろ殺すにしろ、どちらにしても独善的で手ぬるい判断しかしていない。荒中くんは医者でもなんでもなく、親の力で罪を逃れただけの、死体遺棄未遂犯だよ」
その通りだ。理路整然として、しすぎていて、逃げ場もない。
荒中は一瞬頭に血が上ったようにこぶしを握り締めた。そのまま殴りかかると思ったら、彼は冷静な目でその手を見つめる。
「たしかにな。今の俺は親の権力とカネで罰を逃れ、野放しにされた罪人かもしれねえ。蘇生だって、今思えばちゃんとうまくやれてたかわかんねえよ。死んだって診断も間違ってたわけだしな。医師免許もないどころか入学したての医学生なんて、一般人となにも変わらねえ」
そして握りこぶしをほどいて、また強く握りなおす。
「けど、あいつは生きて、俺はここにいる。独善的? 親の力で許された? 上等だよ。だってあいつは生きて、俺はここにいるんだからよ! 医者なんて結果と権力が全てだろ。文句あるならてめぇがしょっぴけよ。消されるのはてめぇのほうだろうけどな」
ひ、ひええ……。
もうやめよう、喧嘩はやめようよ。
雪野くんも、言いすぎだよ。そんなんじゃ敵を作るよ。
どうするのだろう、と思って南が見ると、
「そこまでする気はない。巻き添えはごめんだ。君と違って、俺は勤労苦学生なんで」
雪野は淡々とそう言って作業にまた戻る。
「賢明だ。できないなら、口を挟むな」
権力かあ……。
南にだって、後ろ盾なんてない。これまで暮らしてきたのは医者一家でもなんでもない、ごく普通の家族だ。
「俺は医者になる。そして何百何千何万と人を治す」
着替え終わった荒中が、筋肉の間の脂肪を取り除く作業を代わる。雪野は冷ややかに言う。
「それで許された気にでもなるつもり?」
「許されねえだろうな。その結果は見えてる。これは俺の過ちだ。俺が未熟で、俺が殺しかけた。その事実は変わらん。けど、俺はここに立たされているし、罪を背負ってなおここに立つ覚悟もある。少しでも許されようと思いながらな」
司法によって罪を償う方法は選ばないが、許されることはないと知りながらも医の道で許しを得ようとする。
「詭弁だね」
「医者でもないおまえになんと言われようが、構わんさ」
医者一家の親族には何を言われたのだろうか。
授業が終わって片付けをしているとき、コンコンと窓ガラスを叩く影があった。しかも、わらわらいる。
「先輩!」
「ちっす!」
荒中の後輩らしい。飲酒して事故を引き起こしてしまった三年生達なのだろう。
「おまえら、学校は?」
「大丈夫です、停学中なので!」
それは大丈夫と言っていいのだろうか。
「あいつのお見舞いなんです」
それを聞いた荒中は、ゆっくりと頷く。「そうか」
「俺達、あいつはもう死んだと思い込んで、我が身可愛さに救急車を呼ばなかった。それが間違いだったと今は思うんです。謝って済む問題じゃないのはわかってます」
一人が言った。
「あの時は飲酒のことばかりが頭をよぎってたけど、山田がいなくなってこの数日間山田との思い出が頭を駆け巡って……。奇跡的に息を吹き返したって聞いた瞬間、ああ良かったって心から思ったんです。もう罰は全て受けようって」
荒中は、その痛みを自分も引き受けるかのように、
「俺も同罪だ。俺だって、あいつは死んだとばかり思った」
そう言った。
学生は首を横に振る。
「先輩のせいじゃないっす」「自分が悪いっす」「山田が生き返るなら、どんな罰も受ける。そう思って救急車を呼べばよかった。ずっと後悔してたんです」「でも、先輩が救ってくれた」
「いや、その気持ちこそ俺が教えてやるべきだった。悪かった。今回教えられたのは俺の方だ」
「先輩……」
荒中は後輩の前で、素直に頭を垂れる。
「俺は山田を危うく殺しかけた。そしておまえらを正しい道に戻せなかった。そんな自分のことは許していねえ。医者を志す者としても、おまえらの先輩としても未熟だった。けど、俺はこれからも罪を背負って生きていく。すまねぇな」
間違っても、謝っても、荒中への信頼はきっと揺らぐことはなく、荒中もそんな自負があるのだと南は思う。
助けた結果と共に背負うなら、きっと腰が砕けてしまうこともないだろう。彼の図体の大きは見た目だけではないと、これからも共に過ごしていくクラスメートのことを認識し直しておいた。
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