ファイル4「試験対策委員会×盗まれた問題用紙」(3/8)

 授業後に、試験対策委員会がミーティングルームとして使っている43A号室へと雪野を連れて入った。今日は雪野のバイトがないらしく、ちょうどよかった。(ちなみに何のバイトをしているのか尋ねてみたけど「言わない」と即答され調子に乗ったことを反省した。)


 雪野は倉田委員長はじめ七名のメンバーに驚きと共に迎えられていた。


「雪野くんのことは何度か誘ったんだけどね。南くんが連れてきてくれたよーぅ! やるねぇ~。南くんすごいねえ」

「いっ、いえいえ、滅相もないです!」

 委員会メンバーの前で倉田委員長から慣れない絶賛を受け、南はぶんぶん首を振る。でも、内心、とても嬉しい。


 雪野と南は、神木の近くの空いている席に着く。


「じゃ、ミーティングはじめまーす」


 倉田委員長から業務連絡が続く。


「これ、毎回参加しないといけないの?」

 ぼそりと尋ねてくる雪野に、南も小さく説明する。

「ううん、そんなことないよ」

 ミーティングへの参加は必須ではなく、シケプリ作成班はほとんど来ない。南は役柄上、運営役との密な連絡が必要になるので極力出るようにしているだけだ。


「さて、運営連絡は以上。で、新メンバー雪野くんの役職だけど」


 一同の視線が雪野に集まる。


「得意科目は?」

「んー……」


 雪野がちょっと悩んだように白い顎に手をやる。南は雪野が口を開くより早く割って入って言った。


「生化学、医用物理学、生体分子の化学、あと数学だよね! 四月からずっと一位を防衛しているの知ってるんだ!」

「なんで君が答えるの……てかなんで知ってるの」

「えへへー」

 さすがに四月からずっと上位者の成績をメモしているからとまでは言えないので笑ってごまかす。


「んじゃ医用物理学、替わってくれよ」

 神木が身を乗り出して声をかける。「いいだろ、委員長」そういえば、神木は医用物理学の担当だった。ホワイトボードに雪野の得意科目を書きつけながら倉田は頷くと言う。

「じゃ、雪野くんにお願いしよう。過去問はここに全部あるから持って行ってくれるかなぁ」

「わかった」


 それにしても、倉田委員長はライバルであるはずの雪野を指名して自軍に招き入れたりして、敵に塩を送ることになるのではないだろうか。もしかして、勝ち負けとか気にしてないのかな?


「生体分子の化学もやってもらおう。いいかなぁ~?」

「ああ」

「苦手科目もやってみる? 意外と勉強になるからね」

「そうかもな」


 どんどん増やされていく担当分を見て、もしかしてライバルにも重いものを背負わせて身動きとれなくする作戦? なんて思ったが、まあ違うだろう。シケプリを作った本人こそが知識を整理できて一番勉強になるし。倉田委員長の真意はやはりわからない。単純に委員会のプラスになると思ったのかもしれない。


 あ、そうだ。

 南はノートをちぎってペンを走らせる。


「これ、ぼくの電話番号。原稿ができたら、いつでも電話して。すぐに取りに行くから!」


 雪野は「わかった」と、その場でスマートフォンに入力してくれた。

 力強い新戦力に胸が高鳴る。

 これからどうなるのか、楽しみだ。



 南は廊下を走って雪野の元へと急いでいた。


「はいこれ、完成原稿。コピーよろしく」

「はいはいはい!」

 雪野から連絡を受け、息を切らして受け取りに行く。今ではこれももうお馴染みとなりっつある光景で。


 雪野の作ったシケプリはどれも過不足なくまとまっていた。

 量は小さくコンパクトにまとまっていて、出題を大きく外すこともない。

 期待通りの、いや期待を上回る完成度のシケプリばかり。

 後世に受け継がれていくだろう出来であることは誰の目にも明らかで、雪野も、それを見越して今回だけ有効なものと永続的に不変なものとを☆の記号を付けたりして分けていた。


「これ、二種類あるから、綴じるとき気を付けて」

「二種類?」

 おや、今回はたしかに紙の束が二つある。

「高得点取りたいやつ用と、直前まで何もしてなくてやばいやつ用」

「ああ! いいね、助かるよ」


 なんと。グッドな配慮が利いている。これはみんな喜ぶぞ、と南は思わず微笑んだ。


 シケタイには生真面目な人間が多く、「これだけやっとけば最低ラインを超えられる試験対策」という趣旨とは真逆の作成物が提出されることがままあった。教授がしゃべったことを書記官のように一言一句漏らさずまとめたり、教科書をさらに深く調べ尽くした完全攻略本のような一冊を作ってしまったり。力作なのは伝わってくるが、切羽詰まった生徒にはあまり役に立てられることはなく、さらに深みを出したい人とだけ共有される。


 過剰な人と言葉足らずな人とを組み合わせてさりげなく二人体制にしたり、倉田委員長が苦労していたのを南も雑用係として傍で見ていたので知っていた。


 最初からそのどちらも用意してくれた雪野はのだ。かゆいところに手が届く。


(さすがだなあ)


 雪野の活躍は目覚ましいもので、試験結果が出揃うにつれてそのすごさが口コミで広がって言った。


 期末試験を控えた七月入ると、話題沸騰。


 中でも大きく話題になったのは「未来予知」だ。


 雪野の用意した「やばいやつ用」の中には、山マークが出てくる。これは究極の直前対策として「ヤマ」を張っているのだ――どうやらこれまでの過去問の流れと講師の性格から予測して必要最低限のさらにもう一段階下のレベルで出題予想をまとめているらしい。「外れても俺を恨むなよ」と前置きはしていたが、それらは驚異の高確率で当たり、敬意と感謝を込めて「未来予知」と呼ばれた。


 そんな雪野の活躍により、委員会の手伝いをするからシケプリをくれ! と言ってくる人が増えた。


 おかげで入手困難だったマイナーな過去問をどこかから入手してくれたり、コンピュータに強い人がアップロードサイトを作成したり、委員会はどんどん便利に拡張されていった。雑用係も南以外にも増えてきて、今ではなんと南にもちょっとした部下までいる。これが南にも嬉しくないはずがなかった。


「雪野くん、原稿取りに来たよ!」


 南は小声で言って顔を出す。

 雪野は授業後、図書室の地下にあるパソコンルームで作業していることが多い。わざわざ図書室に入室してから地下にまで下りなければならないここにはほとんど利用者がいなくて、静かだった。しかもここは、監視カメラがなくて安気だ。


「ん、よろしく」

「はいっ」


 尊敬できる人間の手となり足となるのは気持ちがいい。

 元々委員会の一員であるこに喜びを感じていた南は、高クオリティなものを生み出し続ける雪野の近くで働くことに高揚しきっていた。


 こんな日々がずっと続けばいいなんて思うほど。


「あっ、雪野く――」

 昼休み、食堂に南を呼んだはずの雪野が、誰かと何か話し込んでいる。

 

「――細胞生物学、これじゃだめだよ。必要なことが漏れてるし、書いてあっても意味不明な状態で放置で、何の役にも立ってないと思う」

「ああ、ごめん、やり直すわ」

「うん」


 こちらを振り向いたのは委員会のメンバー宮越で、目が合うとすいっと逸らされ、足早に立ち去られた。

(気まずいところに出くわしちゃったな)


「ああ、南くん。はいこれね」

「あっうん」

 雪野は大して気にした風もなく、南に原稿を渡してくる。南もなるべく気を取り直して微笑みを差し出す。「ありがとう」


「ああ、ねえ」

「ん? 何?」

 呼び止められて、南は振り返る。


「ドイツ語さあ、英訳バージョン入れた方がいいな」

「ほえ?」

「いや、ドイツ語の授業のシケプリ見たんだけど、日本語訳だけじゃたぶん解けないやつ出てくるかなって。俺、もう少しわかりやすくする自信ある。作り直そうか?」


 雪野がそう言うなら間違いなくわかりやすくなるのだろう。そこは疑いようがないけれど、


「でも、大丈夫? 雪野くん今一人ですごい量抱えてるよね。さらに増えちゃうよ」

 今も醤油ラーメンを食べながら、筆を走らせているようだ。

「まあ問題ないよ」

 本人がいいって言うなら、いいのかな。

「わかった。委員長には伝えとくよ」


 すると、入れ違うようにまた別の生徒が駆け寄ってきた。

「あ! いたいた! 雪野くーん」

「お、来たか」


 いつも仕事が丁寧な女子生徒の三宅さんだ。お疲れ様です、と南も挨拶を交わし合う。三宅はいつも原稿を取りに来る南にではなく、なぜか雪野に「はいこれ」と手渡す。だがそうする彼女自身も不思議そうに、

「どうして、雪野くんに一旦渡すの?」

 と雪野に尋ねていた。

 すると雪野は、「要点まとめの作業を入れるからだよ」と。

 明日の天気を聞かれて答えるように自然だったから、南も瞬間ふ~んと思っただけだったけど、続く説明にさすがにはっとした。

「こんな重いシケプリがそのままで使い物になるわけないから。読まされる方が迷惑しちゃうよね」

 一気に冷え固まったように止まる南と三宅を、不思議そうに見ている雪野。

「そ、そう……ごめんね」

「ん? まあいいよ。あーこれも、これも、ね。ばっさり切っとくわ」


 熱心に書かれた補足説明に、赤ペンでしゃっしゃっと大きくバツの字を入れていく。自分の体から血が流れていくのをぼんやりと見ているように、三宅は立ち尽くしている。


「ちょ、ちょっと! 雪野くんっ」

「何?」

 南が割って入ると、彼女は雪野の手からひったくるようにして、

「いいの! 私が悪いのよ。私の作るシケプリは全然まとまってないって、陰で言われてたの知っているから……ごめんなさい。私がやり直すね」

「そ。じゃ、よろしく」

 三宅の目が充血しているような気がした。

 だが雪野はそんなこと気付いた様子もなく頷くと踵を返す。


 涙を隠すように背を向ける三宅は、元気なくしおれた花のようにしゅんとして見えた。

 南はちょっと考えて、「ぼっ、ぼく、それ、読みたいなっ」横に並んだ。「生命倫理の授業、興味あったんだ~……だめ、かな?」

 さすがに、これで励ましきる自信はない。

 三宅は薄く微笑んで、「優しいのね、南くんって」そう言うと、そのまま振り返らず去っていってしまった。


 ……フォローもさせてもらえなかった。


(ゆ・き・の・く~ん……)

 やれやれ参ったな。


 どうしたものか困り果てながら雪野の元へ戻ると、雪野は雪野でため息をついている。


「これも、これも。はーあ。別に簡単なことなのに、どうしてここまでやらないのか意味不明なんだけど」

 参考書片手に、赤ペンを動かしている。

「何しているの?」

 尋ねると、雪野は忌々しく吐き捨てるように言う。

「やり直しだよ、田原くんの。抜けが多すぎる。こんなんじゃ試験対策委員の名は廃れるね。俺が加わった以上、そんな組織にはしたくないんだけど」

 受け取った原稿に不足分を書き加えて改変している最中らしい。

 自分の担当外のものまで、自分の納得いくクオリティに持っていこうとしているようだ。


 それ自体は素晴らしいことのように思える。でも、大丈夫かな……。


 南の後ろの方の席から声が上がる。

「あ、南くんいるじゃん! これ、コピーよろしく~」

「お疲れ様です」

 池本が晴れ晴れした顔でプリントアウトした原稿を持ってくる。ええと、なんの授業だったかな。

 すると雪野が背中越しに、

「あーそれシュレッダーに入れといて」

「は?」

 くるっと振り返ると、怒りをストレートに押し出したまま雪野は苦言を呈した。

「あのさあ、「文学と医療」の小テスト明日だよね?」

「そう……だけど」

 焦るような間。

 ああ、そうそう。「文学と医療」の担当分だよね。でも、たしかもう……。

 雪野はふうっと短く深呼吸して感情を切り替えたのか、もう励ますように言う。

「大丈夫、既に俺がやって出してあるから」

「え?」

 ぼうっと立ち尽くすだけの池本にまた苛立ったように、雪野は言った。

「遅すぎ。こんな直前に渡されて役に立つとでも思ってるの? 担当、解任してもらったら?」


 池本は、迷惑を掛けていること、それを正面から指摘されたこと、目の前に自分より役に立つ学生がいること、そして済ませた作業が全て無駄になったことを、遅れて理解したらしい。


「……そうかよ」

 彼は手に持った用紙を脇にある大きなゴミ箱にぐしゃっと突っ込んで、さらに足で蹴り飛ばして、食堂から出ていった。


 南は大慌てでゴミ箱に駆け寄り、手を突っ込んで原稿を拾い上げ、ずれたゴミ箱を元の位置に戻し、そして追いかけようとして……もうやめた。さすがにこんなフォローなんてぼくにもできない。


(ああ、もう!! 雪野くん!)


「ったく。どいつもこいつも、ぬるい仕事ばっかり。全部俺一人でやった方がいいものができるっつの」

 雪野は雪野でなにやら怒っている。


 ディスコミュニケーションに、途方に暮れたような気分だ。

「雪野くん……。でもそれは、物理的に無理だよ」


 雪野は額を押さえながら呻く。

「わかってる。はあ、ムカつく……。あれ? バイトする必要もなくくだらない時間過ごして遊び呆けている連中のために、なんで俺ここまでやってんだろ。学費だって親に払ってもらってるような甘えたやつらに」

 ラーメンは食堂で最も安価で食べられるメニューだ。


 なんだか病み始めているような気配を感じる。

「あの……、ちょっと無理しすぎてない?」


「別に平気だけどさ。思ったより手ぬるい連中ばっかりで、失望してるだけだ」


 それを言われると、南もへこむ。

 組織には誇りを持っていたから。たぶん、みんなもそうだったと思う。

 試験対策委員会が、愛長医科大学医学部の学生を、医学の未来を支えていると謳っていた。


 でもたしかに、雪野が入ってから、さらに質がぐんと高まったのは紛れもない事実で、それには感謝しているし敬意だって持っている。


 でも……。


「最優良シケプリは全部俺が塗り替えて、もうシケタイなんて組織は永遠に不要の長物にしてやるよ」


 狂気を帯びた雪野の美しい横顔を、切ない気持ちで見ていた。

 今、この時など、すぐに壊れてしまいそうな脆く儚い気がして。


 やっぱりあなたはぼくの憧れだな。


 このまま、この純度のまま、雪野という一人の人間が煌々と輝きを放ち、そして破滅する瞬間まで見てみたいなんて、そんな風に思ったりも、した。雪野の狂気に感化されて、南まで少しおかしくなっていたのかもしれない。

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