ファイル2「救急医学×傷」
ファイル2「救急医学×傷」(1/4)
今日は丸一日、
午前に行われた救急系統講義によると、研修医やレスキュー隊との合同訓練であり、百人規模の災害発生時を想定したものだそうだ。研修医によるトリアージが行われ、南達医学生は、被災した模擬患者あるいはその付き添いの役ということだった。
講義終了後に、生徒一人につき一つ、意味深な封筒が渡された。中にはどんな模擬患者を演じることになるかのシナリオや指示書が入っていると説明があった。
「なんか気合入ってるよなー」
神木は紙袋まで渡されていた。どうも中には衣装が入っているようだ。
「う、うん……ドキドキしちゃうね」
「南、もう開けた?」
「今から開けてみる」
「じゃー俺も今開けよう」
「せーのっ」
食堂に向かって歩きつつ、三つ折りに畳まれていた指示書を広げて見てみる。トリアージ訓練用傷病者演技マニュアルと題され、トリアージの区分と受傷状況、メイク、演技ポイントなどが事細かに指示されていた。
「ぼく、クラッシュ症候群だって。色は黄色だ」
状況としては、イベント時に非常に混雑したエスカレーター周辺で将棋倒しとなる事故が発生。南はそこで倒壊した看板に両下腿を圧迫されてしまった患者役だった。
「うっわー俺なんか超重傷! やべえ、身の危険を感じるぜ」
神木はというと、突き飛ばされて壁に頭部を強打、頭の中で出血している状態で、吐き気が強く、嘔吐が続いているという急性硬膜外血腫の患者。トリアージの色区分は迷うことなき赤だった。
移動している総勢百名の群衆も、みんな封筒を開けては一喜一憂している。防災訓練といっても正真正銘授業の一環で、そこへの出席が成績評価の五十パーセントを占める。単位認定は六十点であり、実習に欠席した時点で自動的に単位を失うとあって、見事なまでの全員出席だった。しかも、当日の演技や熱心さまで評価を受けるらしい。そりゃ真剣にもなる。
南の後方近くにいた雪野もごそごそと封筒を開けて紙を広げ、
「んん、えーと、なになに、将棋倒しの一番下で四十分間下敷きになって……顔面膨張、顔色は紫色に変色、眼瞼結膜欝血斑あり……」
むにゃむにゃと読み上げて最後「って、黒かよ……」という声が聞き取れた。
あ、雪野くん……ご愁傷様です……。
トリアージというのは、大事故や大災害など、同時に多数の傷病人が出た際に限られた医療資源で最大の救助を行うための、優先順位付けのことだ。手当ての緊急度に従って、患者に赤、黄、緑、黒のタグをつけていく。
赤は、生命の危険があり最優先で処置を行う患者、
黄は、多少遅れても生命に支障のない患者、
緑は、軽傷につき治療不要な患者。
そして黒は、既に絶命していたり、重症すぎて手遅れであり、この場では見捨てるべき患者だ。
神木と二人で食事をとりながら、南は指示書をくまなく読み込んだ。負傷者はおよそ八十人でかなりの数の重症者も発生しており、現場には救急車は二台しか到着していないという状況設定。指示書にはイメージ写真も付いていて、これからタトゥーシールによるメイクでふくらはぎの上あたりが赤黒く変色することになる。
「ふーん、ちゃんとメイクもあるんだー」
急性硬膜外血腫で意識障害・嘔吐ありの重傷の神木は、タトゥーシールだけでなく血糊まで使うらしい。私服を汚さないよう、用意された指定の衣装に着替えることまで要求されていた。毎年使っている衣装のようで、破れや土汚れ等も多彩に表現されていた。
「演劇部顧問による演技指導タイムもあるみたいだぜ。ちょっとやっとこうか。南、レスキュー役やって」
「うん、いいよ」
質問とは違うことをしゃべってしまう意識障害ということで、南が練習相手になってやってみる。
「自分の名前はわかりますか?」
神木は呼びかけられて目を開け、
「うう……逃げる……エスカレーター……」
そう言って再び目を閉じる。
「あなたの名前を答えてください」
「……近い……ああ ……うう…… いいよ●※△◎%▼◇&□」
なんか怖い役だなあ。
自分も演技の細部を確認しようと備考欄に目を通すと――
「えっ、ぼく外国人キャラ設定!?」
たった今気づいた。なんか厄介なオプションが付いている。
く、くそう……! マイネームイズ……アブラハム……ハロールド……? マ……マスロ? アイムフロム……えーとえーと。日本語をしゃべってはならないという高難易度ゲーム付きだ。予想外の役作りが要る。英語技能も評価されるとかだったらどうしよう……。
食後、体育館に移動した者から、メイクスタート。
「右下腿に紫色アザ」と書かれた指示書を差し出すと、メイクアップアーティスト(?)によるハリウッド顔負けの特殊メイクが始まった。既製品のシールを貼るだけかと思いきや、膨張を表現するために粘土みたいなのをくっつけてからの超リアルな彩色、最後に美術監修者によるチェックで差し戻され、赤みをひと塗り足されて完了した。
(演出、気合い入れすぎだよ……もう傷にしか見えないよこれ)
水泡の感じを出すために部分的に空気を入れて貼るという小技まで使われ、妙にリアル。ここまですることに、一体なんの必要があるのだろうか。中には、写真を撮ってTwitterに載せ「グロすぎる」ということでアカウントが凍結されたと騒いでいる人もいた。
そして待機中の医学部のみでのリハーサルがスタートし、全員配置につく。配置といっても、レスキュー隊の活動場所を空けておかなければならないとかで、傷病を受けて間もない演技場所はすし詰め状態だった。まあ、将棋倒しということなので、これもまたリアルかもしれない。というか、今まさに将棋倒しが起こりそうなほど圧迫感がすごい。
「ヘルプミー! アシイタイ!」
「こら! 日本語しゃべるな!」
「すみませ……ソーリー! アイムソーリー!」
下手な者には容赦ない演技指導が入るのでみんな必死だ。減点もある。
「だれかーーー助けてくれよぉおおお!! 血が、血が止まらねえんだよおおお」
一人非常に騒がしい奴がいる。荒中だ。
「荒中、何の役なの?」
「見せてー」
荒中の仲間が面白がるようにして、紙に書かれている受傷状況と主症状、演技ポイントを読み上げる。
「……転倒して床に手をついた際、床に散らばっていたガラスで負傷。血は止まっている。傷は浅く、縫合は不要。血液を見て興奮し、血が止まらないと騒いでいる。バイタルサインは安定しており、緊急の治療は必要ない状態なのでトリアージは緑。しかし、興奮状態が他の傷病者の不安を増強する可能性もあり、搬送手段にゆとりのある場合は黄色……って」
「つまりパニックになって騒いでるただの厄介なクレーマーかよ!!」
ゴリラのような体格の荒中が両てのひらを天高く掲げながら半泣きで喚くというシュールな光景で、
「ああああ~~~~出血多量だあ~~~~死ぬゥ~~~~」
ガラスでちょっと切っただけの傷口を見せびらかしながら、激しく走り回っている。(もちろん血は止まっている。)周囲を不安にさせるほどピーピー泣いて騒ぎまくるという役目を全うする、なかなかの好演ぶりだった。
冗談みたいな役どころもあるが、どれもこれも、すべて実際にあった患者だそうだ。想像を超えた現実に驚かされっぱなしだ。医師になって初めて気が付くような、予想外の困難だってたくさん待ち受けているのだろう。恐ろしい事である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます