ファイル4「試験対策委員会×盗まれた問題用紙」(6/8)

 雪野くんは何かを隠している。

 ぼくに言えないこと?


 裏切られたような気分だ。


 自分は雪野のことを知ったつもりになっていただけだったのだろうか。


 やっぱりぼくは、雪野くんのことなんて、なんにも知らない。信頼感なんてものも、なかったんだ。


 しかも、なんだろう。この違和感は。


 雪野のふてくされたような、拒絶したような、己のうちに閉じこもるような、すべてをかなぐり捨ててしまったような。そんな壁は。


 

 二日後、委員会からまた召集があった。

 南はいつもの43Aの会議室へと重い足を運んだ。


 その日の議題は予想した通り、「雪野映について」だった。


「あいつ、いつも授業終わりに教師に執拗につきまとっているよな」

「うぜえぐらいに後ついていくもんな」

「質問しているだけと見せかけて、なんか意図があるのかも」

「教師の行動範囲の把握とか?」

「そうかもなー」


 喧々諤々の議論は尽きなくて、南はハラハラしながら、しかし、立場上推移をじっと見守るしかない。


「俺、前に一度、「彼女にフラれたからって手を抜くな」って言われたんだよな。あいつにそんなこと話してないのに」

 前原がそう言い出すのが聞こえた。

「なんで知ってたんだ?」

「聞いたら、俺のポケット指さして、キーケースに付いてたはずのキティちゃんが外されてる、って。そりゃその元カノからのもらい物だったけどさ。なんでそんなとこ見てんだよって思った」

「やっぱ、鍵に着目するんだな」

「なんか、シャーロック・ホームズみたい」

「シャーロック・ホームズだったら試験問題を盗むくらい簡単だよなー」

「いや、さすがに、情報を知ってたんじゃね? 仲良い講師とかいないのか?」

「……いる。田中先生に話した」

「じゃあ田中先生の研究室にそれらしい形跡があったのかもしれない」

「てかさ、そういえば雪野のやつ、三日間同じ服着てたぞ」

「家に帰ってないのか?」

「単に、興味がないか、貧乏なんじゃね?」

「でも、着替えることができない事情があったかもしれないぞ」

「事情ってなんだ」

「そりゃ、夜中に校舎で試験問題を探し回ってた、に決まってるだろ」

「怪しい」

「あとさあとさ、早く出せって言われても全然試験問題明かさなかった授業、昨日やっと発表されて食堂の掲示板に貼られたときにさ。みんなわーわー騒いで見に行ってんのに、雪野は一人で悠長にカップ麺に湯を注いでたぞ。やけに丁寧に」

「そうだよな、あいつには関係ないもんな。試験の内容がわかるんだから。あとでゆっくり作成中の問題を見に行こうとしてたんじゃね?」


 いつまでも終わりが見えない果てのない疑惑会議。


「みんな、ちょっと落ち着いて考えてみてほしいねぇ」

 壇上から倉田委員長の声が投げかけられ、頬杖を付いたり後ろを向いてしゃべっていたりした者たちが姿勢を正した。

「証拠は何も無いんだー。まるで雪野くんを犯人に仕立てあげようとしていないかい?」


 その通りだ、と南は思った。twitterで炎上する人を見ているみたいだ。


「だってよぉ……」


 みんな無意識に雪野を犯人と決めつけて攻撃の方法を探している。


 その時、会議に遅れてきた近田が、勢いよくドアを引いて入るなり高らかに叫んだ。


「あったぞ! 雪野の証拠掴んだ!!」


 視線を集めながら、近田は壇上の倉田の横に立った。


「さっき北側教授の研究室に入る用事があってさ、いろいろ見たんだ。教学課の鍵もあったし、それからさ、これ!! これがあったんだ」


 右手に掲げたのは、黒いペン――いや、ペンライトだった。


 ペンライトといえば、「生体分子の化学」の講義で各小テストの成績優秀者一名に、講師がイチ押しのものをプレゼントしていた。「生体分子の化学」といえば雪野の得意科目だ。


「やっぱり雪野は研究室に侵入している。これがその証拠だ!!」


 雪野の私物が北川教授の研究室にあった?

 それは本当に雪野の私物なのだろうか? 私物だとしても、何か別の用事で呼ばれて入った時に置いていったのかもしれない。近田のように呼ばれて。すると、南の疑問を察したかのように、近田は続けた。


「今、雪野に聞いてみたんだよ。これが落ちてたことは伏せて、北川教授の研究室に入ったことあるか? って」

「そしたら?」

「行ったことないって言ってた」

 隠しているのか、それとも――

「いや、でもそのペンはプレゼントされてなくても買って持ってる奴はいくらでもいるだろ。おススメされるくらい便利なんだし」

 そうだ。それは雪野の私物なのかどうなのか、名前でもない限り判別付かない。

「けど……。でも、少なくとも、あいつは間違いなくこれ持ってるわけだろ」

 近田は手に持ったペンライトをじっと観察しながら言う。名前らしいものは書かれていないようだ。

「まあ、雪野の疑惑が深まったってとこだな」

「とうとう証拠も出たわけだし、なあ、雪野映を試験対策委員会から追放するべきじゃないか?」

「そうだよなあ」

「雪野を引き入れたことがそもそも間違いだった」


 ああ。

 ここまで嫌われてしまったら、真実なんてどうでもいい些末なことかもしれない。


 その時、何かただならぬ気配を感じて南はドアを見た。駆け込んできた近田によりそれは開け放たれていて、そこには、ショックを受けたような顔で固まる雪野が立っていた。普段から白い顔が、白衣と同じくらいの蒼白になっている。南と目が合う。彼の眼の色は怒りと蔑視に変わり、大きな足音で立ち去る。


「ゆ、雪野くん!?」


 南は荷物もそのままに席を立ち、大慌てで彼の方へ走った。自分に突き刺さる委員達の視線が痛かったけれど、無理やり気にしないようにした。


「待って、雪野くん!」

 間違いなくショックを受けているだろうが、彼は何事もないのを装った顔で振り返る。

「なんだよ、何。別に、何の用事だよ」

「あの……は、話を聞かせて……」

 つい、小声になってしまった。委員会に声が届かなければいいとひよったのを見透かしたように、雪野は言った。

「もう話すことなんてない。ばかばかしすぎて、呆れた。クソ組織。こっちから願い下げ」

 雪野は拒絶するように短く言って、目も合わそうともしない。そのまま速足で引き離そうとしてくる。


「雪野くん、や、やってないんでしょ、カンニングなんて」

「当たり前だ!」

「じゃあ、そう言ってくるよ!」

「君が? ただ座っていただけだろ!」

「ご、ごめん。それは……」


 痛いところを突かれて、南は口ごもった。


「なんで、俺がこんな目に遭わないといけないんだよ……っ!」

 世の全てを呪うかのような顔色で、

「能力もない、努力もしない、金持ちの道楽息子だか意識高いだけのバカ共のせいで、なんで……っ!」

 この叫び声は、委員会の会議室に届いているかもしれない。

 そういう発言がまずいんだよと言いたくなるのと共に、もう一つあふれてきた感情があった。

 真剣な人に、真実を隠すなんてむしろ失礼かもしれない、という。


 南は、覚悟を決めた。


「あのね、本当は言いにくいんだけど、雪野くんがどうしても理由が知りたいって言うのなら、言うよ?」

「理由? 理由なんてあるのか?」

「うん。でも、ここだと話しづらいから、ちょっと場所を変えたいんだけどいいかな?」

 盗み聞きされたりしたら今度は自分にも悪評が立ちかねない。

「いいけど、本当にちゃんとした理由なの? それ。南くん」

 まるで全てが全て劣った人間を相手に話しているかのような侮りの目で見られる。南はちょっとムッとなって言った。

「そうだと思うよ。人には得手不得手があるもんね。雪野くんが下手なのは仕方ないから」

 それを聞いた雪野の仏頂面に、僅かに驚きと痛みの色が広がる。


 だめだだめだ。こんな仕返しのような形で言ってはいけないことだ。

 少し深呼吸して、平常心で。


「雪野くんはけっこう恨みをかっていたと思う、って話だよ」

 そして雪野は豆鉄砲を食らったようにあんぐりとした顔になった。

「俺が? なんで?」


 ああ、本当に自覚ないんだ……。


「できすぎるから、かなあ? とにかく、ここではまずいから、上行こ」


 南が先立って階段の方へ歩き始めると、雪野はついてきながら言う。

「俺なんて、できないほうだけど。地頭だって、神木くんの方がいいだろうし。俺は数をこなしているだけ」

「でも、なかなかできることじゃないよそれ」

「やれば誰にだってできる」

「やれないよ。あれほど集中するなんて無理だ」

「それに、迷惑かけているわけでもないだろ。むしろ役に立っていると思ってた」

「役に立ってるよ。でもね、そういうことじゃなくて」

「どういうことなのかさっぱりわからないんだけど」

「そうだよね。えっと……」


 どう説明したらいいのだろう。こめかみのあたりが少し痛い。階段をあがって、屋上へ出る。夕方過ぎの涼しい風に冷やされ、ここなら声も届かないだろうと足を止める。誰もいなくてよかった。


「雪野くんができすぎるから、もうそれだけで、できていない人を傷つけちゃうんだ」


 できる人は、できない人の気持ちがわからないのだろう。そして、わからないからと、何を言ってもいいわけではない。言えば言った分、傷付ければ傷付けた分、それ相応の報いが自分に下るだけだ。


「努力して無い人が悪いよ。悪いんだけど、それを悪いって正面から言われたくない人だっているんだ。傷つく人だっている」

「……」

「たとえばさ、可愛くない女の子に、実際に可愛くないからって、ブスだって言っていいことにはならないでしょう? その子がいくら努力をしていないにしても」

 仮の話でもブスなんて言葉を自分が使うことに抵抗がある。

「それは俺だって言わない」

「そうだよね。社会通念として、ブスって言った方が酷い人だって、認識されているもんね。でも、そこまでわかりやすくなくても、そういうことって、あるんだ」

「たとえば?」

 雪野が少し積極的になってきた。いい傾向だと南は胸を撫で下ろす。

「たとえば、そうだね。医学部は、自分の学力や頭の良さに自信がある人が、多いと思う。今まで育ってきた中で、人よりも上に立てていた人が多いと思う。でも、そんな人ばかりが集まったら、その中で劣る側に初めて回る人だって出てくるよね」

「そりゃそうだな」

「その人に、正面切って、”大したことない”とか言ったら、結構グサッとくると思うんだよ」

「でも、事実だろ」

「事実だよ。でも、そんなことを雪野くんが教えてあげなくても、本人は知っていくんだよ。時間をかけて受け入れていくんだ。時間をかけて受け入れていきたいんだ。時には受け入れないまま、目を背け、事実なんて知らないまま卒業し、医者になって、死んでいきたい。それでも現実はちゃんと、曲がらずにそこにあるんだから、それでいいじゃないか。同じ現実の中に生きている以上、雪野くんに迷惑をかけたりしない。雪野くんの分け前が減るわけじゃない」


「けど……」


 まだ納得はしていない様子だが、反論もしてこない。なんだかいつもと逆だな、と南は少しおかしくなった。


「それでも現実を突きつけたいのなら、突き付ければいいと思う。でも、そうするたびに、雪野くんの周りからは人が減る。敵が増える。そして今回みたいに、雪野くんを陥れようとする人だって出てくる」

「どういうこと?」

「ぼくの直感を言うとね。雪野くんが何かしでかすのを、みんな悪意を持って待ち構えていたよ」


 躊躇う気持ちを殺して、はっきりと伝えた。


「だから、いつかこうなることはわかっていた。いや、それでぼくが、歯止めをかけようとしたんだ。ぼくが間に入ると名乗り出たのは、これ以上雪野くんが嫌われないようにするためだったんだよ」

 雪野は見たことのない生き物を目にしているように、南の前に立ち尽くしている。

「でも、こうなってしまった。防ぎきれなかった。ぼくの力不足については、本当に申し訳ないと思ってる」


 ぼくはあなたを信じたい。

 あなたは、そんなことをするような人じゃない。


「は。それで、俺の無実を信じてるって?」

「そうだよ」

「じゃあその理由はなんなんだよ」

 不信感を隠そうともせず、

「理由もなしに信じるなんてのは、思考停止、責任放棄だって言ってんだ」

 雪野は南に詰め寄ってきた。

「南くんだって、一緒になって言っていたんじゃないの? 俺を陥れようとしているかもしれない相手に、何か話すと思うかよ」


 雪野の言葉が鋭くなる。


「誰のことも信じない。俺は独りで生きていく。関わったのが間違いだった」

「じゃあぼくが信じるから!」

 南は食い下がる。

「ぼくが、一方的に信じるから。信じさせてほしい。それくらい、いいでしょう?」

「……好きに、すればいい」

「うん。だから、本当のことを言ってくれる?」

 雪野の目をまっすぐ見て、南はそう訴えかける。

「……っ」

 まずは雪野くんを信じて、真実を確かめる。

「言ってくれたら、それを、そのまま信じる」

 少しだけ、雪野の心が動いた。南はそれを繊細に捉え、さらに畳みかけるように叫んだ。

「ぼくは信じてる。雪野くんは不正なんてしなくてもハイレベルなシケプリを作れると思ってるし、何か後ろめたいことがあるのだとしたら、それには何か事情があったんじゃないかと思う。話してほしい」


 未来予知並みのどんなに完璧なシケプリも、雪野くんにならできても不思議じゃない。

 それだけの能力があるから。

 反対に、雪野くんにできなくても不思議じゃないことは――やっぱり人間関係だ。


 雪野は、


「……悪いけど、言いたくない」


 ぽつりと、戸惑うように言った。


「……そうだな……。俺が、悪いよな。……だから疑ってくれて、いい。それじゃ……」


 えっ、もしかして、雪野くんは本当に夜中に校舎に侵入しているの?


 試験問題は……まさか、本当に、なんらかの手段で手にしているのだろうか?


 信じると宣言したそばから、思わず揺らめきそうになっている自分が悔しい。どうして本人の口から、だから疑っていい、だなんて、聞かされなきゃいけないんだ。


 力なく去りゆく孤高の天才の背中が悲しげに見えたのは、気のせいだろうか。


 いや、きっと、気のせいじゃ、ない。


 南は雪野を信じることをやめた。

 自分を信じることにした。

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