ファイル4「試験対策委員会×盗まれた問題用紙」(8/8)

 バス停まで、広い校庭を歩く。二十二時を過ぎた夜風は涼しくて、そびえ立つ入院病棟も真っ暗で、夜勤のナースステーションにぽつんと灯りが点っているくらいで、そんな建物の間を、倉田と雪野と三人で歩いているのがなんだかおかしくて、まるで異世界に迷い込んだような気持ちで、南はそわそわと足を動かしていた。


 倉田が言った。

「僕、嫌いだったんだよねぇ。雪野くんのこと」

 一度口にすると、もう開き直ったように。

「ガリ勉で、要領も悪いし、友達いないし、口は悪いし、そのくせ自分では、何が悪いのかわかりません、って顔で」

 雪野にも負けず劣らず辛辣な本音を打ち明けていく。


 暗い感情を今までずっと腹の中に隠し持っていた。それを思うと南は悲しくなる。


「でも勉強だけはできるだろう。初めの頃は試験に対応できていなくても、慣れてくれば結局僕も上回ってさ。学生だからこれでいいでしょ? みたいな顔で。これだからなぁ、ガリ勉は、って、ほんと疎ましかったねぇ。君は不幸なんだよぉって、思い知らせてやりたかった」


 南も雪野も、独白を黙って聞きながら歩く。


「だからこっちに引き入れた。理由は、そんなことだねぇ。無様に嫌われていく雪野くんを見ていたかった。楽しかったねぇ……。最近の楽しみの一つだったのに」


 倉田の後ろを歩いているから、醜悪に笑う倉田の顔を見なくて済んでよかった。


「だけど、まさか、彼とうまくやって組織を回そうとする人が、いてくれちゃってさあ。南くん」


 隣を歩く雪野が南をちらりと見た。


「で、計画が狂ったんだ」


 それで倉田は、雪野を陥れようと策をろうした。自ら動いて。


「僕は、雪野くんをちやほやするために招き入れたわけじゃないんだよ」


 前を歩く倉田の背中から、底知れぬ憎悪が滲んでいる。


「終わりにしようかぁ。こんな組織は」


 何もかも壊してしまおう、そんな風に、諦めたように倉田は言った。


 目の前で牙城が崩れていく。止めることなんてできない。最初から雪野を陥れることを前提に動いていた。そこへ南が抵抗したことで、思わぬ大きさの崩落となったのだ。


「待ってください!」

 南はどうにもならないとわかっていながら、口を挟んだ。駆け足で追い越して振り返り、倉田の正面に立つ。


「ぼくは、雪野くんだけじゃなくて、倉田委員長のことも、尊敬しています。ぼくは委員会のことが、大好きで、ぼくも雪野くんも、あなたがいてくれないと、ダメでした。あなたの作った組織があったから、雪野くんもぼくも、活躍したり救われたり、したんです。本当に、本当に――あなたに感謝しているんです!」


 尊敬している倉田に、感謝している倉田委員長に、きちんと気持ちを伝えたいと思った。伝わっていないとわかったから。


「ぼくはもちろん、雪野くんにだって、あなたのようにこんな委員会を組織するなんてこと、できません。無理です。あなたはあなたのままで、こんなにも素晴らしいのに、どうして壊そうなんて――っ!」


「南くん……」


「そう言いたいんです。本当は、だけど……」


 南は、両の拳を握る。無力さに打ちひしがれながら。


「倉田委員長、ぼくは、ぼくなりに必死だったんです。このままじゃ雪野くんが嫌われちゃうって、みんなが傷付いたまま、雪野くんの周りからいなくなっちゃうって思って、それで、間に入ったり、フォローに回ったり、知っていますよね?」

「ああ。知ってるよぉ、もちろん」

「でも、倉田委員長が、不快なままだったとしたら、ぼく、全然、できてないじゃないですか。ダメダメです。ごめんなさい」

「……別に南くんが謝ることじゃぁ……」

「だってぼくは、できていると思っていたんです。だから、倉田委員長が委員会を終わりにすると言うのなら、それを招いたのはぼく自身のせいでもあるから、だから、何も言えないんです。ただ、今まで本当にありがとうございました、としか……」


 沈黙が降り、立ち尽くす倉田と南。


 ああ、終わったんだ。

 せっかく天才が二人もいたのに、ぼくは、そんな天才の傍に居られて、これからもずっと傍で二人の活躍を見ていたかったのに、でも、こんな風に幕を下ろしてしまうのだ。


 静寂を切り裂いたのは雪野だった。


「俺にはよくわからないけど」


 南は微かな期待を込めて雪野を見上げた。

 雪野は聡い瞳を眼鏡の奥に覗かせながら、いつもと変わらぬ口調で言った。


「委員会作るの、俺にもできないかな? 倉田くんにもできたんだし」


 顎に手をやって、一人じっと考え込むように。


 な……っ、な……っ!

 

 南は思わず雪野を殴りそうになったのを必死にこらえた。


 な・ん・で、そういうこと言っちゃうかなあ……?? てか、絶対無理だし!


 恐る恐る、倉田委員長の方を振り向く。

 ――見なくても殺意がひしひしと伝わってきていたけど。


「……ああ? じゃあ、やってみれば? 僕は絶っっ対入らないけどねぇ」

 にっこり笑顔が張り付いているが、目が笑っていない。完全にキレている。

 

「ぼくもエンリョします!」

 南も即答で追随した。


「え、南くんも入らないの?」

 雪野はびっくりしたような顔をする。


「ぼくは倉田委員長のところで続けたいです!」

 雪野くんが委員長とか、人っ子一人集まらないと思う! 集まったとしても、ぼくにはフォローなんてできません!!


 すると我に返ったように雪野が、

「ああ、うん。よく考えたけど、俺、組織なんて必要ないな。結局俺一人でやる方が仕事早いんだよ」

「だろうね」

 だったらなんで言ったんだよ!?!? 完全に地雷を踏みにいってるし……。


「組織だとか委員長だとか、めんどくさい事、よくやるよ。すごいわ」

「倉田委員長、お願いします続けてください!! お願いします!!」

 雪野の妄言を無視し、南は涙ながらに頼み込む。

「雪野くんが委員長やるのだけは勘弁してほしいです!!」


「あっはは、雪野くんに務まるはずないよねぇ」

 倉田は天を仰ぎ、てのひらで額を抑えている。

「ないですないですっ、百パーセントないです!!」

「はあ? わかんないだろ」

 雪野は首をかしげている。

「ほら、本人こんなこと言ってる時点で、ナイですよ! だから、倉田委員長! ねっ」


 毒気を抜かれたように、倉田は大笑いした。


「ははっ、あーあっ、おっかしー。僕は雪野くんのことが、羨ましかったのかもねぇ」

「はあ?」

 雪野は心底意味が分からないというように言い返す。

「なんでだよ。言ったじゃないか。ガリ勉で、要領も悪いし、友達いないし、口は悪いって! なんだよそれ、どこが羨ましいんだよ。そのまま、言う通りじゃないか。俺だってこんな自分、いやだよ」

 憮然とした雪野に、倉田はまたおかしそうに笑い、

「不器用な本物を見ていてもどかしかったのは事実だよ。認めたくないくらい。でも、自分は自分でしかないんだよねぇ。僕は僕でしかない。だから、仕方ないねぇ。ああ、うん。もう」


 倉田は一つため息をついて、


「ま、雪野くんの冤罪も晴らすとしますか~」


 そう南に微笑んだ。南は、大きく頷いて、


「はいっ、ありがとうございます!! 雪野くんやぼくが晴らそうとしたところで、なんの影響力もないですしねっ。ぜひお願いします」


「はぁ? 一体どういう心境の変化なんだよ、それ……」

 右に左に何度も首をかしげている雪野。


「もう、雪野くん、バカなの?」

「はああ!? 俺がバカ?!」

「バカだよ大バカだよ!」

「なんで俺がバカなんだよ……」


 南と雪野に、倉田は困ったような笑みで言った。

「つまりさ、ごめんね、ってことだよ」


「いや、別に気にしてないけど、俺」

 最後までよくわからなそうに、雪野は答えた。


 南はにっこり笑って、二人の手を取った。

「じゃあ、仲直り、ですね!」


「だから俺、何も気にしてないけど」

「はいはい」


 問答無用で雪野と倉田に手を握らせる。うん、よし。


「いいなあ、君達は」

 倉田は清々しい笑みを浮かべて言う。

「僕が羨ましいと思ったのは、君達二人に対してだったのかもねぇ」

 南は雪野と顔を合わせる。ぼくにも?

「お似合いだよぉ」

 南と雪野はぱっと手を離し「どこがですかっ」「どこが!」と見事にハモった。

 倉田はまたもおかしそうに笑っている。

 けど、天才でバカな雪野を活かしきる仕事は、大変だけどやりがいがあって。

 南は倉田委員長と視線を交わすと、一緒になって笑った。雪野は意味が分からず、ポカーンとした表情だったけれども。


 そうして、結局雪野の無実は倉田の手によって晴らされ、さらに倉田は、自分が雪野を貶めようと思っていたことを自ら明かして謝罪した。すると、自分もそうでした、雪野くんの不利になることを見過ごしました、と進み出る者が何人もいた。組織の浄化に成功し、さらなる結束力をもって委員会は存続した。すべては倉田の掌の上だ。けど、そんな倉田を浄化したのは、誰だろう? なんて、南は少し誇らしい。


 前期期末試験対策プリントをもって雪野はもう試験対策委員会に顔を出すことはなくなった。だがそれは、シケタイのことが嫌になったわけではなく、単にこのままだと学費を滞納しそうで、バイトを増やさないといけなくなっただけだと言っていた。やっぱり相当な無理をしていたみたいだ。雪野は自分に不都合なことも隠したりはしない。だから、それは真実なのだと南にはわかっていた。


「また時間ができたら、やってほしいな」

 と、言ってみたけれど、

「しばらく、無理」

「まあ、そろそろ夏休みに入るしね。でも、いつでも待ってるから」

「……考えとく」

 と。

 きっとまたやってくれる気がする。


 それから。


「雪野くん、発表の練習に付き合ってもらえないかな」

 南はカリカリとノートに何かを書いている雪野に近づいて、肩をつつく。

「……なんで。俺、南くんの分、やったでしょ」


 前期最後の医学英語の授業で、南は雪野とまた発表をしなければならず、雪野はまた南の分まで英訳をしてくれた。


「雪野くんも、練習した方がいいと思うな。一緒にやろうよ!」

「必要ない。時間の無駄」


 たしかに、前回も雪野が用意してくれたおかげで、なんとかパスできたけど。

「あのね、ぼく思うんだけど」


 南は小さく咳払いをして、胸を張って教えてあげる。


「あの先生は、協力した姿勢を見ている人なんだから、こんなにも二人で力を合わせて協力したんだ、って事実があるだけで、成績がおまけでもらえると思うんだよね」


 前回は、雪野がほとんど一人でやったことを察して教授は不満そうだった。

 雪野はペンを動かしながら、言い捨てる。

「くだらない」

「くだらないよね。でも、今回の相手は北川教授だから」

 それでも堂々と胸を張ったまま雪野を待つ南に、

「はあ……。ったく、人間って本当めんどくさいな」

 観念したように、雪野はペンを置いた。

「そうなんだよ」

 南はにっこり笑って、雪野の視界の中に入り込む。


「だから、ぼくみたいなのが、いるのさ」

「そうかもな」

 雪野は大きくため息をつくと、机の上に発表資料を出し始める。そして、


「でも、どうせやるなら、無意義な練習は、俺はいやだね」

 そう言って挑むように真剣な目で南を見た。

「いいね! わかった!」


 この人となら、どこまで行けるだろう?

 今まで以上に、最高の発表ができる気がした。

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愛長医科大医学部 ミステリー事件簿 友浦乙歌 @tmur

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