第3話 荒地。
紅い月の空から落ちる夢を見る。
翌日来てくれて病室に一人で来たヨールは、手を差し出した。
「外に行こうぜ」
黒のグローブをつけた男らしく大きな手。その長い指先にゆっくりと触れては、掌を重ねる。
トクン、とまた胸の奥が疼いた。
触れられたことが、不思議に思えてしまい、首を傾げる。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもない」
グリフィンさんの許可も得たところだから、私はヨールに手を引かれて病室を出た。
本当に小さな病院で、廊下を出てすぐに出口を見付ける。
「歩き、平気か?」
「うん。平気だよ、ヨル」
そこまで気遣ってくれるヨールに、こっそりと笑みを零した。
覚えのないブーツで歩き、道路を渡る。風が短い髪を掻き上げた。首元が寒い。襟元が広いジャケットを着ているから、凍えるほどではないけれども、季節は冬らしい。
陽射しでヨールの髪が煌めく。星のように金色の粒が散らばっている藍色の髪。綺麗だ。
そんなヨールの背中を見ていたけれど、前方にクロさん達を見付けて、手を振った。三人とも、手を振り返してくれる。
彼らが背にしていたのは、大きな大きなキャンピングカー。それが彼らの移動手段か。
うん。なんか、しっくりくる。
「おはようございます、アリス。記憶の方はどうですか?」
「おはよう、クロさん。記憶の方はなんとも……」
申し訳なく笑って答えた。
気にしてくれているのに、全然思い出せなくて罪悪感を覚えてしまう。
「おはようさん、アリス」
「おはよう、ノウスさん」
「おはよーう、アーリス」
「おはよう、ディール」
キャンピングカーに凭れているノウスさんは、立っていても大柄で威圧感がある。でも笑いかける顔は、例えるなら頼れる兄貴分って感じだ。
キャンピングカーの入り口に座っているディールは、眼鏡の奥から覗くように見上げてきた。
「なんでオレのことは、呼び捨てなの?」
きょとんとしている。
「あ、ごめん。そう言えば許可もらってなかったね。なんとなくヨルと同い年に見えたから」
「ああ、別に怒っているわけじゃないんだ。なんでかなって思っただけ。いいよ、ディールで」
「ありがとう」
ニッとディールは笑って見せた。
「アリスにキャンピングカーの中を見せてあげるよ」
「面白くはないですよ。一応片しておいたけれども、男所帯なんて見たくないならそう言ってもいいですから」
「ちょっと! そういうこと言わないの!」
忠告するクロさんに、ディールは水をさすなと追い払う。
ちょっぴり笑って、私はディールについていって中を覗かせてもらった。
「じゃーん。ここがオレ達のキャンピングカー!」
先ず目に入ったのは、キッチンだ。そして白いテーブルにソファー。
奥の方には、左右に二段ベッド。そこで寝ているらしい。
「広くて綺麗ね……」
見覚えがある。不思議な感覚に陥った。
「そうか? 窮屈じゃないか?」
「そう思うのはノウスだけだって」
ノウスさんが入り口にいるだけで、なんだか狭く見えてしまう。
ディールは言ってやると、私をソファーに座らせた。
「いい感じでしょう?」
「うん。とても素敵ね」
「でっしょ?」
「私がちゃんと片付けているからですけど?」
ノウスさんの肩越しから顔を出すクロさんが、目をすがめている。
口振りからしてクロさんは、お母さん的ポジションに思えた。
「そう言えば、なんで旅をしているの?」
私はそれぞれの顔に見てから、最後に右の二段ベッドに凭れたヨルを見る。他の三人もヨールに注目した。
え? オレが言うの? とでも言いたそうに瞠目しているヨールは、クロさんとノウスさんに視線を寄越す。
「アリス……“純黒の闇”は覚えていますか?」
「……いいえ、聞き覚えはあるけれど……」
「じゃあ先ずそこから話しましょうか」
ノウスさんが退いて、入り口にクロさんが腰掛けた。
ギシッと音が鳴ったと思えば、一段目のベッドにヨルが座っている。
ディールは、テーブルに頬杖をついて私を眺めた。
「昔々」
あ、そんなに古い話なの。
「世界を純黒の闇にした悪者がいました」
しかも、子ども向けのお話みたいだ。
「紅い月の国のある勇者が、その悪者と戦い、見事倒しました。それでも世界は純黒の闇に包まれたままでした。そこで勇者は、命を持って闇を封印しました。世界に光は取り戻しました」
何かがフラッシュバックした。でもあまりにも早くて、あまりにも多くて、記憶に留められない。思い出しそうで思い出せない感覚。私はこめかみを押さえた。
「ここはその紅い月の国“ルビー”。そして、その勇者の末裔が……」
クロさんの視線が、ベッドに腰掛けたヨールに向けられる。
「えっ。ヨール?」
「そう。しかも、勇者の一族は王族となり、国を収める王となったのです」
「えっ。じゃあ、ヨールは王子?」
「じゃーん、王子サマでーす」
今度は私は瞠目してしまう。
待ってました、と言わんばかりにディールは両腕でヨールを指した。テーブルに頬杖をついてまで私を眺めていたのは、この反応を待っていたからなのか。
私は、ヨールと目を合わせる。
「……」
「……」
「……ヨール様」
「やめてくれっ」
ヨールが全力で嫌がった。
「殿下?」
「それもやめてくれって。ヨルでいいから、アリス」
心底嫌らしく、ヨールは頭を抱える。
「じゃあ、えっと、ヨル……」
「ああ」
力を抜いた様子のヨール。
王子か。縁の無い存在だと思うのに、こんな近くにいるなんて。びっくりだ。それに親しみを込めて呼び捨てに出来るなんて、気分がフワフワする。
「そしてそして、オレ達はヨルを護衛する近衛隊! じゃーん、すごいでしょう!?」
ディールは立ち上がって胸を張った。
近衛隊。この三人が、か。私は「ほほう」と声を漏らして、拍手をした。
「どうもどうも」と会釈するディールは、お調子者って感じだ。
ノウスさんはぴったりだけれど、ディールとクロさんは意外。
「私達の旅の目的は、“純黒の闇”の8つの封印を結び直すことなのです。再び世界が闇に包めれてしまわないように、後継者のヨールがその使命を背負って旅をしているのですよ」
私の中にストンッと入ってきた。質問も浮かぶことなく、理解する。
使命か。またもやしっくりとくる。
「凄い人達なんだね……ヨル達は」
「まーね!」
ディールが照れた仕草をして見せる。
私はもう一度拍手をした。
「あ、私……そんな旅を中断させてしまっているの? ごめんなさい」
「ああ、違う違う。別に差し迫っているわけでもないんだ。三十年に一度結び直しってやつをやるんだが、まだ時間じゃない。それにアリスをこのまま放ってもおけない」
「気ままに旅をしているようなものですし、記憶をなくしたままのアリスを放ってはおけないです」
「そうそう! アリスを送るって約束もしたしね!」
「謝ることない。アリス」
この街に留めてしまっているのは私なのせいかと思ったけれど、すぐに違うと四人が言ってくれる。本当に優しい人達だ。
「で、今日は何か思い出すかもしれないから! アリスが倒れていたクルム通りに行こう!」
ディールが言い出した。そのために、私を病院から連れ出してくれたみたいだ。
「この車で連れてってくれるの?」
「いいえ。歩きです。アリスは歩きでクルム通りに行ったみたいですからね。その方が思い出すかもしれません。あ、疲れた時はすぐに言ってください」
「ほら、行こうぜ」
クロさんとノウスさんが手を差し伸べてきた。だから私は両手を重ねて、キャンピングカーから下ろしてもらう。
クルム通りは、街を出てすぐのところらしい。小さな街を出てすぐに茶色の荒地が広がっていた。あまりにも広くって、そして美しくって、息を飲む。そのままの大地と、そして何も遮ることのなく見える空が、それはそれは美しくて立ち尽くしてしまった。
「アリス? 大丈夫か? もう疲れたのか?」
ヨールが振り返って、私を心配してくれる。
「ちょっと景色に圧倒されちゃって……」
「……これに? ……まぁ果てしなく広いけれど」
「……美しいわ」
「……そうか? 変なやつ」
ヨールは無邪気に笑った。
トクン、と胸の奥がまた疼く。
変なやつだって笑われたのに、どうしてこんな反応をしてしまうのだろうか。本当に変なやつ。胸を押さえつつも、皆のあとを歩いていく。
「見え覚えはありますか? アリス」
「覚えがあるようで……ないかな」
見覚えはあるけれども、記憶を取り戻すきっかけにはなりそうにもない。
私はそれを知らせるために、首を左右に振った。
そして私が倒れていたという場所に到着する。
「ここら辺に横たわっていたんだ」
「……ここ」
車は全く通らなかったから、皆で道路の真ん中に立った。
その横たわっていたであろう場所を見下ろして、それから私は周りを見回した。ゴツゴツした岩山があちらこちらにあるだけの荒地。そして雲一つ無い水色の空。
ぽかーん、と私は眺めるだけで、特に何も思い出せなかった。
そこで車が来たので、クロさんに肩を押されて道路の脇に移動する。真っ赤でシャープな車を見送った私達は、顔を合わせた。
「ごめん。ここまでしてもらったのに、思い出せない」
「アリスのせいじゃないのだから、謝らなくていいですよ」
「そうだぜ」
クロさんとヨールがそう返してくれる。
「んーじゃあその辺、彷徨いてみるか?」
「え、でもよ……」
ノウスさんの提案に、ヨールは気乗りしないように自分の首を摩った。
「大丈夫、オレ達がついてるじゃん」
そんなヨールの肩に腕を回して、ディールは笑いかける。
「どうして? 何かあるの?」
私は尋ねた。
「何って……魔獣がいるから」
「ま、魔獣?」
「そうそう。アリス、魔獣のことも忘れちゃったの?」
魔獣。獰猛な牙や爪を持つ恐ろしい獣を想像した。
この広い荒地にいるらしい。
「……その魔獣に襲われて、ここまで逃げて来たのかな?」
顎に手をやって、そう推理する。
「それはないです。衣服は汚れても乱れてもいなかったから、襲われたとは限りません」
クロさんが否定した。襲われていない。
「とにかくその辺行ってみよう!」
ディールが私の背中を押した。先ずは左の方へと進んでみる。
真っ平らではない茶色い地面を歩く。何か思い出そうと、必死に手掛かりを探した。それでも自分に関することを思い出せない。唸ってしまう。
随分と進んで、岩山を横切った瞬間。
「危ない!」
ディールに突き飛ばされた。
硬い地面にお尻をつく。手には冷たい何かが触れる。
見れば、大きな銃があった。
「やっべ。眼鏡っ眼鏡っ」
足元を見ると、ディールの銀の眼鏡がある。さっきの拍子に落ちたんだ。
眼鏡を取るか、銃を取るか。私は刹那、迷った。
「危ねぇ! ディール!」
ヨールの声を聞いて、ディールを見る。ディールの目の前には、魔獣がいた。
馬のような身体つきと濃い灰色。獰猛に光る牙が見えた。
バッと脳裏に浮かぶのは、その獰猛な魔獣を撃ち抜くシーン。
私は銃を両手で拾って、引き金を絞った。
ガウン、と響く銃声。ジン、と腕に広がる痺れ。
魔獣の頭には穴が空き、ズシンと倒れた。
「はっ……はっ……」
ドクドクと鼓動が高鳴って、短く息を吐く。
「だ、大丈夫? ディール?」
私は銃を置いて、眼鏡を拾ってディールに差し出す。
「間一髪ぅ。ありがとう、アリス」
眼鏡をかけたディールは、にへらと笑った。
「こっちこそ、助けてくれてありがとう。ディール」
「えへへ」
私の肩に、手が置かれる。クロさんだ。
「今他を片付けてます。怪我はないですか?」
気が付けば、他にも魔獣がいて、ヨールとノウスさんが戦っていた。
ヨールは長剣、ノウスさんは大剣を振り回している。そして首を叩き切った。
「あ、私はなんともないです」と上の空で答える。
「あ。敬語使ったぁ。罰が二つー」
ディールは戦いを終えたヨール達を背にして、私を指差して笑う。
カウントされてしまった。
「おい、アリス。大丈夫か?」
「怪我はねぇか? アリス」
「ちょっとー。オレのことも心配してよぉ」
ヨールもノウスさんも、剣を砕くように消し去って私を心配してくれる。
誰にも心配されなかったディールはむくれた。
「男なら自分の身を守れっつーの」とノウスさんに小突かれる。
「……さっき。何か思い出しそうになったの」
「さっきって襲われた時?」
「うん。なんか……撃ち抜いた覚えがある気がして……」
「じゃあ狩人じゃない? もしかして」
「狩人?」
私は目を瞬く。
「魔獣を狩って賞金をもらう人達のことですよ。まぁ、私達も狩って旅費の足しにしているのですがね」
クロさんがそう教えてくれた。
「狩人……んー……」
「ほら銃持って」
「お、も」
ディールに銃を持たされる。右手だけでは重い。両手で持ってみる。じぃっと銃を観察したけれども、フラッシュバックは起きなかった。
「だめみたい……」
「そっかぁ」
ディールが指を鳴らした途端、銃は砕けて消え去る。
「え、今の、どうやったの?」
「何って……召喚だけど?」
「魔法?」
「それも忘れちゃったの?」
どうやらこの世界には、魔法というものがあるらしい。
どうしてだろう。非現実的に思えた。
さっきヨール達の武器も、召喚して出したものらしい。
「あ、そっか……封印があるものね……」
魔法で封印しているのだろう。今更気が付いたことに、自分がバカだと自覚してしまった。魔法がある世界。うん。なおさら素敵に思えた。
ディールがケタケタ笑うけれど、失礼だとクロさんがやめさせる。
ああ、別にいいの。気にしていない。
「今日はもう戻ろうぜ」
「そうですね。危ない目に遭わせてすみません。アリス」
「ううん。私はなんともないから」
ノウスさんが言い出し、クロさんが私を覗き込んで謝る。
別に怪我をしたわけでもないし、助けてもらった。ずっと助けられてばかりだ。
「今日も、ありがとう」
私は微笑んで四人に告げた。
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