第17話 悲痛な想い。
狩りと訓練をしつつ、次の街に進んだ。
ダムという小さな街とディーという小さな街にそれぞれ一泊をし、狩りもして、封印地のあるジェメリの街を目指す。
数時間して、街が見えてきた。
ジェメリの街には、海がある。空よりも、青い青い海。陽射しで、煌めいている。キャンピングカーの窓から眺めた私は、目を輝かせた。
「海だー!!」
ディールと声を重ねて、はしゃぐ。
ヨールは一人、頬杖をついて助手席で海を眺めている。
「あんまはしゃぐなよ。お二人さん」
運転しているノウスさんに、笑われた。
私は写真を撮る。海は青いサファイアみたいだ。
白い煉瓦の壁と暖色系の屋根の建物が並ぶ街。眩しい。
「あ」
メタルレッドのカメラが、ひょいっと取られた。
見れば、助手席から立ち上がったヨールだ。
「はしゃぐアリスとディール」
ニィと笑って、撮られた。
またずるい笑みを向ける。
「ヨールこそ、はしゃいでるんじゃないの?」
私は照れを隠すために、ムッとした顔でカメラを奪い返す。
「婚約者と会えるんだもんねー!」
私の肩越しに、ディールも言った。
「は? はしゃいでねーし! 撮るなよ、アリス!」
「照れてるヨールが撮れた」
「アリス! 消せ!」
ヨールがカメラを奪おうとするから、私は避けようと下がる。そこにディールがいたので、ぶつかってしまう。跳ね返った私は、ヨールの胸に飛び込む形になってしまった。
ハッと顔を上げれば、近い。ヨールの驚いた表情。整った顔。
金色の縁の藍色の瞳に、私が映る。
「こら、運転中の車の中で暴れないでください」
テーブルで読書をしていたクロさんが、引き剥がしてくれた。
心臓が爆発するかと思ったぁああ!
ヨールを背にして、胸を撫で下ろす。
ありがとう、私の救世主。クロさん。
クロさんの隣に座って、避難する。
私は心の準備をしておかなくちゃ。これからヨールの想い人に会うのだ。
色々とダメージに備えなくては……はぁ。
なんて思っていたけれども、ヨールが反対側に座ってきた。
なんでだ!?
「さっきの消せよ、アリス」
「だめだよ。そういうのなし!」
断固拒否。私の写真は消させてくれないのに、自分のは消させるなんてだめだ。ピシャリと言い退ける。
「まじかぁ」とヨールは頭を抱えて、テーブルに突っ伏した。
そのまま居座るものだから、助手席にはディールが座ってしまう。
ちょっと! ディール! ヨールをそこに戻してよ!
肩が触れてしまいそうなほど近い。しかも、テーブルが目の前、左右は座られていて逃げることが出来ないときた。
気を紛らわせようと、カメラの中身を見る。
すると、じっとヨールも見てきた。
ごくり、と息を飲むほど緊張してしまう。
どうしようこれ、伝わってしまっているんじゃなかろうか。
ドキドキと高鳴ってしまう鼓動が、聞こえてしまっているかも。
「ずいぶん撮ったから、ジェメリの街の写真屋さんで現像してもらおう」
私は壁を見る。ペタペタと貼られた写真が、そこにあった。
狩りをしている最中や、食事をしているところをたくさん撮って貯まっている。
日記にもたくさん挟んであるのだ。初めてのヨールとのツーショットとか、集合写真だとか。絶対に見られてしまわないように、赤い紐をクルクル巻いて結んである。
「結構撮ってたもんな、アリス」
「うん。写真撮るの、好き」
「そんな感じするわ。空の写真もよく撮るしな。今度の街は、海ばっか撮るんじゃねーの?」
「いいえ。婚約者さんとのツーショットをたくさん撮らせてもらうよ」
「は? そんなことしなくていいし!」
ヨールは照れて頬を赤くし、私は笑う。
自虐的だなぁ、と内心思いながら。
「素直になりなよ、ヨル。そんな態度しちゃだめだからね。茶化したりしないから、ディールみたいには」
「ちょっと! オレがいつも茶化してるみたいに言ってる!?」
ちょっとした助言をして、にっこりと笑う。
ゲームでは、久しぶりに会うヨールは照れてしまい、目を合わせることも躊躇していたものだ。
万が一のためにも……いいや、それは言わない。
ハナの命も救う。私の命に換えてでも。
打ちのめされたヨールなんて、絶対に見ることにはならない。
そうはならないのだから。
「ほら、着いたぞ」
ノウスさんのその声がしたあと、キャンピングカーは停まった。
「ジェメリの街にとーちゃく!」
ディールの明るい声が、聞けて嬉しい。
ゲームでは、沈んだ声ばかり聞いていた街だったもの。酷い時は無言だった。
君を救えてよかったよ。
「んー!」とキャンピングカーから降りて、背伸びをする。
潮風の匂いがした。早く海の写真が撮りたい。
白い煉瓦の壁が続く、明るい街。綺麗だ。
先ずは、街並みの写真を一枚。それから、街の人に声をかけて、集合写真を撮ってもらった。
「さっそくいいのが撮れたじゃないか。現像しに行こうぜ」
「えー? 先ずはヨールの婚約者に挨拶しに行かないとじゃない?」
「まぁまぁ、現像した写真を見せたいから先に行こうよ」
ヨールとハナの会話のネタにもなる。
見てみたいと急かすディールを宥めて、歩き出した。
写真屋さんを見付けて、現像をしてもらう。
「ヨル。これ、持って」
「オレが持つのか?」
「ハナさんとの会話のタネにして」
「ああ、そういうこと……そんな気を遣わなくても」
「私の写真で、話に花を咲かせてよ」
笑顔で持たせた。頭を掻きつつ、ヨールはジャケットのポケットにしまう。
ヨールは写真を手に入れた! これで婚約者との会話に困らない! なーんてね。
ジェメリの街の東の方にキャンピングカーで向かう。着いたのは、お屋敷。もちろん洋式のお屋敷だ。ハナの親はここの領主だから、当然の家だろう。
「ほっげー……流石、王子の婚約者の家だね。ヨル、来たことあるんだってね?」
「ああ。十歳の頃にな」
ディールとヨールの会話を聞きつつ、一緒に旅をしていても身分違いだなぁと思った。その点、ハナとはそんな心配もない。羨ましい、なんて思ってしまう。
キャンピングカーを停めるとすぐに庭園が出迎える。花が咲き誇っている美しい庭園だ。
アーチの中を進むウェーブがついた白金の長い髪をした美女が、ブーティーでカツカツと鳴らして来た。瞳は海と同じ青だ。優しい微笑みを浮かべた彼女こそ、ヨールの想い人にして婚約者のハナ。
「こんにちは、皆さん。お待ちしておりました」
その声からも、優しさを感じられた。
クロさん達が揃ってお辞儀をするものだから、私も遅れてお辞儀をする。
「……久しぶりだな」
「はい……ヨール」
躊躇をする素振りをしてから声をかけるヨールに、嬉しそうに笑みを深めるハナ。
それを見た私の胸は、引き裂かれるような痛みを感じた。まるで刃物で切り付けられて、裂かれているみたいだ。痛い。
悲鳴を上げてしまいたかった。いいや、叫んでしまいたい。
その痛みに耐えきれずに、苦痛を吐き出してしまいたかった。
それでも私は胸を押さえて、堪え切る。
「紹介してください」
ハナは、私に笑みを向けた。私も笑みを作る。
「ああ、近衛隊の」
「クロと申します」
ヨールが紹介しようとしたけれど、クロさんは自ら名乗った。
「ノウスです」
「オレはディールです!」
ノウスさん、ディールも名乗る。次は私の番だ。
これは難しい。近衛隊ではなければ、素性もわからない者だ。
けれども、仲間だと言われたことを思い出して意を決した。
「仲間のアリスです」
口にしたら不思議と、胸の強烈な痛みが和らいだ気がする。
そうだ。私はヨールの仲間だ。恋人でもなんでもない。
仲間なのだから、こんな痛みを感じてはいけない。
「初めまして。私はハナです」
知っている。痛いくらい、知っている。
「今日はここに滞在してください」
封印の結び直しの旅を知っているハナはそう言った。
「やったー!」とディールは両手を上げて喜ぶ。
このお屋敷に泊まれるのだ。狭い二段ベッドよりも、ベッドは広いはず。喜ぶのも無理はない。私も喜んだように、笑みを作る。そして、唇を噛み締めた。
夕食は、広いダイニングルームに招待される。初めは一緒の席には座れないとクロさん達は言っていたのだけれども、領主の許しを得て近衛隊のクロさん達も席についた。
主にディールが旅の話をして、それから“純黒の闇”を解放したがっているダークのことも話題に上げる。
ハナの命に繋げて守っている封印も、狙われる可能性があるから、しばらく滞在すると話した。ダークが現れたら、今度こそ捕まえる。
今回のジュメリの街にある封印は、結び直しが必要ない。
何故なら、ハナの命がある限り、封印は壊れないからだ。
それを守護者と呼ぶ。
かつては8つの封印全てに守護者がいて、己の命に繋いで守っていたのだと聞いた。今や大昔に世界を救った勇者一行の末裔は、ハナだけになったのだ。
私は一人部屋を用意してもらった。お屋敷だけあって客室も広くて、豪勢に思える。天蓋付きベッド。広いバスルームから出て、ベッドに倒れ込む。ここずっとキャンピングカーで生活してきた私は、この部屋を広すぎて、心細くて、嫌になってクロさん達の部屋に遊びに行くことにした。
部屋から、ちょうど出てきたヨールにバッタリと会う。
「あれ、ヨル……ハナさんのところに行くの?」
そう思ったのは、ヨールの手に写真の束があったからだ。
「ああ」
「……」
「……」
そっか、と相槌を打ち損ねてしまい、変な沈黙になってしまった。
「あー、アリスはどこに行くんだ?」
「クロさん達のところに行こうと思って……ほら、ずっと皆と一緒だったから、一人は心細くって……」
「あ、そか……そうだよな、悪い」
「なんでヨルが謝るの? いいの。ウノでもやって遊んでもらうから」
「は? じゃあオレもまざる」
「ヨルはハナさんのところに行くんでしょう?」
「オレだけ仲間外れじゃん」
「だーめ、諦めて。ハナさんと二人で話してきて」
私は笑ってヨールの背中に回って、押した。
「……」
「ん? なに?」
「……」
振り返ったヨールが意味深に見てきたものだから、首を傾げる。
私、変な顔でもしているのだろうか。
それとも何かしくじった? ちょっぴり焦る。
「……オレが戻るまで寝るなよ」
「それは約束出来ない!」
「あ!? なんでだよ!」
「ヨールが次の朝起きれないと困るからね」
冗談言って、もう一度ヨールの背中を押す。
ようやくヨールは、ハナの元に行こうと長い廊下を歩いた。
私はそれを見送る。ハナの部屋に入っていきヨールの姿が見えなくなってから、クロさん達の部屋のドアノブに手をかけた。
でも、回せない。
嗚咽が出そうになって、私は階段を駆け下りた。
庭に出て、深呼吸をする。紅い月は出ていない。だから藍色の夜空が広がっている。夜の庭園は暗くて何が咲いているかはわからない。けれども綺麗だとは思う。僅かに海の波の音がした。
海が見えるんじゃないかと思って、私は塀に登る。そこに立って見れば、海らしきものが見えた。深い藍色だ。星明りで僅かにキラキラしていた。地上にもう一つ、星空があるみたい。
でもやっぱり真上の空がいい。私は腰をかけて、星空を見上げた。
川のように星の塊が瞬いている。星は白く輝いているけれど、嫌でもヨールが浮かんでしまう。どんなに手を伸ばしても、届かない。そんな存在だったはずなのに、彼の背中に触れた手を握り締めた。
愛おしくて、苦しい。
涙が零れ落ちていく。
泣き叫びたかった。でも、声を圧し殺す。耐えていた痛みが押し寄せてきて、私を苦しめる。胸の中を引き裂き、八つ裂きにしてきた。夜の庭園も星空も見えないくらい、涙が溢れ出て止まらない。
「おい、アリス」
ノウスさんの声が聞こえてきて、私はびくりと肩を震わせた。
「こんなところで……泣いてるのか?」
塀に座る私を見上げて問う。
嗚咽を呑み込み、涙を袖で拭った。
「どうしたの? ノウスさん」
私の声は、涙声だ。誤魔化せない。
「ごめん、バカみたいに泣いて……ちょっと……その」
涙を拭いながら、なんとか笑って見せるけれど、喉が締め付けられるように痛い。この痛みは、嘘を許さないみたいだ。
「ヨールのことか?」
「……やっぱり、気付いていたんだ」
私がヨールを好きだって、見抜いていた。
「こっち来いよ。抱き締めてやる」
「……」
ノウスさんは、優しく声をかけて腕を伸ばす。
誰かに抱き締められれば、少しは和らぐのだろう。
でも私はすぐにはその腕に飛び込まなかった。
「好きな人の幸せを願うって、難しいことなんだね。知らなかった」
笑って言いたかったけれど、失敗して泣きじゃくる。
「こんなにもつらいなんてっ……つらいなんてっ……」
「アリス……」
「ただそばにいるだけで幸せだって思いたいのにっ。それだけでいいはずなのにっ。なんでこんなにもつらい思いをしなくてはいけないのっ? 好きになってしまった代償がこれなのっ? どうしてなのっ?」
「アリス」
「好きになるくらい許してほしいのにっ、吐き出してしまわないようにしたいのにっ、吐き出してしまわないと……この胸が引き裂かれそうでっ……壊れてしまいそうでっ!」
「アリス!」
バラバラに壊れてしまいそうな自分の身体を抱き締めた。
ノウスさんが、声を上げる。すると、引っ張られた。私はノウスさんの腕の中。
「吐き出しちまえよ。壊れるくらい好きだって、今。大丈夫、オレしか聞いてねーから」
痛いほど、抱き締められた。バラバラになってしまわないように、ノウスさんがそうしてくれる。
私は首を横に振った。吐き出さないとクロさんに言ったのだ。
だから唇を噛み締めるけれど、想いが出たがるように、ギュッと胸が痛む。
「うわあああっ!」
ただ泣いた。泣き叫んだ。
好きだという言葉の代わりに、叫び声を吐き出す。
その痛みだけを吐き出したかったのに、胸にこびり付いて離れない。
「あああっ!」
痛い。痛い。痛い。
好きって想いが痛め付けるのか。
それとも身勝手な嫉妬を抱いた報いなのか。
流れ星に願うことは一つ。穏やかに想わせてください。
「アリス! どうしたんだ!?」
「!!」
そこにヨールの声が響いた。
私は思わず、ノウスさんを背にして隠れる。
「アリス?」
「ごめんっ、なんでもないのっ……ただ」
ただ私は。
「記憶が戻らなくて怖くて泣いてたんだよ。一人になって心細くもなったんだろう」
ノウスさんが代わりに嘘をついてくれる。
「部屋戻ってもう寝るよ」
私は足早にこの場から去ろうとした。
けれども、ヨールを横切った瞬間、腕を掴まれる。
ヨールの目には、戸惑いが浮かんでいた。
「……放して? ヨル」
「……」
私も戸惑いつつも、小さく笑って言う。
そうすれば、ヨールの手が私の袖からゆっくりと指を放した。
「おやすみ」
目尻に涙を乗せたまま笑顔を見せて、部屋に戻る。
ベッドにうつ伏せになり、ひっそりとすすり泣いた。
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