第8話 愛。





「おい、アリス?」


 ヨールに肩を掴まれた。


「あ、うん、大丈夫……」


 私は曖昧に微笑む。


「そか」


 一つ、頷くヨールは、消えてしまった鎧を一瞥したあと、封印の石を見た。破壊されたそれを険しい表情で見つめる。


「とりあえず、その辺を調べてみましょう」

「そうだな」


 クロさんにヨールは返事をして、砕けた石に歩み寄った。私も同じく歩いていく。しゃがんで黒く艶めく石を手に取りながら考えた。

 鉄のように重い石の感触がある。

 銃の反動もあった。

 ヨールの手の温もりもある。

 これは夢ではない。

 私はゲームの世界にいる。

 クルム通りはゲームのオープニングに通る場所だ。そして初めての狩りで、魔獣をディールが撃ち抜くシーンもあったから、記憶が過ぎったのだろう。

 ゲームを舞台にした異世界にいるのか、はたまたゲームの中に入ってしまったのか。

 VRゴーグルをつけて、ゲームをスタートさせた。そのあと落ちた。

 紅い月が照らす夜空から、私は落ちた。本当に落ちてきたんだ。

 現実世界では、私はどうなっているのだろうか。

 どうやって帰るのだろう。

 死ぬと帰れる? それとも本当に死ぬ? 死ぬって怖い!

 混乱してきて、頭を押さえた。

 いや、帰る云々は後回しだ。ヨール達が目の前にいるのだ。現実にいる。目が合うし、話せるし、触れる。大好きなヨール達がいるのだ。

 エンディングは、ヨールが文字通り命を懸けて世界を救う。

 そんなエンディングを回避するには、8つの封印を守り抜くしかない。1つ目は壊されたけれど、残りを死守しなくては。1つでも多く守る。

 もっとも大事な封印は、ヨールの婚約者であるハナ。彼女はその命と封印を繋ぎ、守っている。大昔の勇者の仲間だった一族の末裔。

 ヨールとは昔会って、それから許嫁関係にある。幼い頃会ったきりではあるが、両想いだ。ちょっと胸がチクリと痛んだ。

 ハナの死亡フラグを回避すれば、ヨールの死亡フラグも回避出来る。

 絶対に守り抜く。悲しいエンディングは迎えさせない。

 私がここにいる以上は。

 絶対にフラグをへし折ってやる!

 私は持ち上げた石をきつく握って、決意を固めた。


「何者かが封印を壊したのは確かですが……手掛かりはありませんね」


 一頻り探ると、クロさんが口を開く。

 しゃがんでいた私は、立ち上がる。


「それにさっきの怪物も妙だな……」


 ノウスさんは腕を組んで呟いた。


「一体何者が破壊したのでしょうか……それとも、あの怪物が壊したのでしょうか」


 破壊した相手はわかっている。昨日すれ違った男だ。

 でも私は言わない。


「誰が壊したにしろ、他の封印が心配ですよね! 早く他の封印地に行きましょう!」


 本来ゲームのシナリオでは、沈黙してしまうのだけれど、私は次の封印を守るために急かした。


「あ、アリス。また敬語使った! 罰四つね」


 しまった、つい。ってそれどころじゃない!


「心配しなくても封印もそう簡単に壊せないって。封印が弱まるとこうして壊せちゃうらしいけど、他の封印はまだ大丈夫なはず。でしょ?」


 おどけていたディールは、クロさん達に確認する。


「ディールの言う通りです。その封印を結び直す旅です。余裕を持って計画していますので、まだ大丈夫でしょう」

「でもでも、これ壊した犯人が次も狙う可能性はあるでしょう? 早めに行って、待ち構えるのはどうかな?」


 私はクロさんに詰め寄ったあとに、ヨールを振り向く。


「んー……そうだな、一応先回りして封印を結び直すか」


 ヨールが賛同してくれた。内心、胸を撫で下ろす。

 ゲームシナリオでは、一体誰が壊したのか、疑問を抱きながら次の封印地に行く。そして、その封印地も破壊されていて、初めて焦る。“純黒の闇”を解放しようとする輩がいると警戒を強めるのだ。


「よし! じゃあ街に戻って、出発の準備をしよう!!」

「アリス、張り切ってるねー」

「行こう!」

「おう!」


 私は急いでその場をあとにしようと、森の中を進む。

 魔獣は倒して来たから、スムーズに抜けられた。

 白い壁の建物が並ぶビアンカコニリアの街で、狩った魔獣の報酬をもらい、食事の買い足しをしてから、出発。クロさんが運転するキャンピングカーに揺られて、次の街ブルーコに向かう。

 ビアンカコニリアの街は、古くからあるイタリアの街並みって感じで好きで、もう少し観光を楽しみたかったけれども仕方ない。窓に貼り付いてまで惜しく思いながら、見送る。


「おまえ、観光したかったんじゃないのか?」

「えっ? ううん。別に平気だよ」


 ヨールに声をかけられて驚く。あはは、と笑って誤魔化してバスルームに入った。

 赤みかかった短いボブヘアの自分が映る鏡。その鏡の中の自分が、頬を押さえて赤面した。

 ヨールに話し掛けられてるぅぅう!!

 気遣ってもらえてるぅぅう!!

 私は静かに悶えた。

 ここ数日のことを思い出す。ヨールに愛称呼びを許可されたり、手を差し伸べて手を繋いで引いてもらったり。

 き、き、綺麗だなんて言われたっ! しかも二回も!

 さっきなんて助けてもらったし、押し倒されるような形になってしまったし! きゃあああ!

 ……落ち着け私。落ち着くのよ。冷静になるの。

 一先ず、深呼吸をする。世界が、ヨール達の命が、かかっているのだ。

 恋に振り回されてばかりいられない。

 そもそもヨールには想い人がいるのだ。それに婚約している。封印を結び直す旅を終えてから、身を固めるのだ。その予定だったけれど。

 ヨールが好きだから、失恋気分に陥るけれども、私は頭を振ってそれを払う。

 ヨールが好きだからこそ、様々なフラグをへし折ってやる!

 私は鏡の中の自分と頷き合った。

 バスルームを出てみれば、ヨールとディールは左右のベッドに横たわってゲームをしている。封印が1つ壊されたというのに、呑気なものだ。まだ7つが無事だと考えているからだろう。でも敵の存在を知れば、意識も変わる。

 今だけは呑気にゲームをさせてやろう。

 私はソファーに座って、ゲームに熱中している二人を眺めた。

 しばらくして、私は運転席に向かう。


「クロさん。次の街までどれくらい?」

「三時までには着きますよ。そのままこれで封印地に行けるはずです。封印地に着く頃には、夕方になっているでしょうか」

「そっか。運転ありがとう」

「いいですよ。あとでノウスと代わりますから」


 私は運転免許証を持っていないから、当然運転は出来ない。でもノウスさんも、交代で運転してくれるみたいだ。助手席のノウスさんは、ニッと白い歯を見せる。ありがとう、と込めて笑みを返す。

 再び、ソファーに座る。

 アリス、と心の中で唱えてリボルバーを出す。七色の光が集まって現れたリボルバーのシリンダーの中に、弾を込めた。いつでも戦闘出来る準備を完了させる。

 アリス、と唱えてリボルバーを消し去った。

 やることがなくなり、私はクロさんから借りた本を読もうと二段ベッドの上を覗く。枕元に置いたそれを取ると。


「アリスもやらなーい?」

「あ、うん……やろうかな」


 ディールがゲームに誘ってくれた。

 嬉しくて、頷く。ケータイアプリのゲームだ。空けてもらったスペースに腰を落として、ケータイを受け取る。これもRPGだ。おかしくて密かに笑いながら、ディールの説明を聞く。アリスという名のキャラもいる。

 この子から取ったのね。

 ゲームをして、時間をやり過ごした。

 そして、欠けた紅い月が浮かぶ空になった頃、2つ目の封印地に到着。

 クリスタルみたいに立つ大きな黒い石は無事だった。三メートルはあるその大きな石を見上げて、ホッとする。先ずはこれを死守しなくてはいけない。それでヨールの死亡フラグを避けられる。


「え? 今封印の結び直しをしないの?」

「今日は結構戦ったしな。回復がてら一晩寝て、明日の朝取り掛かる」


 ヨールは体力と魔力を回復させるために、一晩眠ることにした。

 不安だな。夜のうちに襲いかかってきたらどうしよう。

 紅い月明かりがあるけれど、視界は最悪だ。


「じゃあ焚き火をするか。ディール、集めてこようぜ」

「りょうかーい」


 ノウスさんが、ディールを誘う。

 焚き火か。少しはましになる。


「料理をしましょう、アリス」

「うん」


 クロさんにそっと肩を押されたので、料理を手伝うことにした。

 ヨールも少し手伝って、シチューみたいな料理を作り上げる。

 せっかくなので焚き火を取り囲んで、皆で食べた。ノウスさんとディールがお代わりをしたものだから感心する。私は一杯でお腹が満たされた。


「じゃあオレ寝るわ」

「うん、おやすみ。ヨル」

「おやすみー」


 私が食器を片付けていれば、ヨールが二段ベッドの上に乗る。

 封印出来るのはヨールだけだから、ちゃんと寝かせてあげなくちゃ。

 私達は、見張りを交代でやることになった。

 今夜の私のベッドは、クロさんのところ。ヨールの下だ。でも私はすぐには眠らなかった。眠れなかった、が正しい。

 意味もなく封印の石を眺めたあとは、崖の方へと歩み出す。

「気を付けてくださいね」と焚き火の前のクロさんに崖に落ちないように言われた。大丈夫。見えている。

 崖の縁に座って、夜空を眺めた。紅い月光りで藍色の空の境には、紫色に染まっている。明るい月明かりがあっても、星が多く見えた。天の川のようにたくさんの星の川が瞬いている。私が好きな景色の一つだ。息を飲むほど、美しい。眠ることが惜しいと思うほど。出来ることなら目を開いたまま、この光景を眺めていたい。心から好きだから。

 冷たい夜風が、崖の下から吹いて、顎をなぞり短い髪を掻き上げた。

 すると、足音が近付く。見てみれば、クロさん。

 彼は私の隣に腰を下ろした。にこり、と魅惑的な微笑みを向けられる。

 イケメンだな、と思いつつも笑みを返して、星を見上げた。


「好きになってはいけませんよ」


 クロさんが告げる。


「ヨルのこと」


 驚いてクロさんを見た。

 真面目な顔で私を真っ直ぐに見ていたクロさんは続ける。


「この旅を終えたら結婚をする婚約者がいるのです。だから、好きになってはいけません」


 私は黙ってしまう。それから困ったように首を傾げて、苦い笑みを浮かべる。


「……意地悪なことを言うんですね」


 乱れたかどうかもわからない髪を整えるように左手で撫でつけて言う。

 正直、言われてしまうと傷付く。


「いいでじゃないですか。好きになるくらい……。吐き出してしまったりしませんから、それくらい許してください」


 もう、手遅れだ。


「愛されたいけれど、愛されるほど美しくない。愛されるほど優しくはない。愛されるほどの何かはない。誰かを愛する自信もない。そんな人間です、私は」


 愛されたいけれど、愛されるほど美しくない。

 愛されたいけれど、愛されるほど優しくはない。

 愛されたいけれど、愛されるほどの何かはない。

 愛されたいけれど、誰かを愛する自信もない。

 親の離婚で、父親は出て行った。二度と会わなかった。父親から愛されなかった。

 だから愛される自信も、愛する自信もない。

 これから先もそうだと思っていた。

 でも、私はヨールを好きになった。ゲームのキャラクターだけれど、命を救われたのだ。大袈裟じゃなく、本当に。私の我儘かもしれないけれど、それを愛と呼んでもいいだろうか。

 こうしてここに居るのも、愛の力のおかげ。なーんてね。

 でもここに居る以上は恩返しのためにも、ヨールの命を救いたい。


「ヨルの婚約者と張り合おうとか奪おうとか、そんなこと考えていません。でも……」


 婚約者のハナは、素敵な女性だ。

 ヨールだけではなく多くの人に愛されるほど、美しい。

 ヨールだけではなく多くの人に愛されるほど、優しい。

 ヨールだけではなく多くの人に愛されるほど、強さがある。

 ヨールと愛し、愛されている。

 でもね。


「想うくらいは、許してください」


 私にどれだけのことが出来るかはわからない。

 でもこの想いを強さにして、必ず救う。

 それを愛と呼んでもいいでしょう?

 吹き込む夜風が、この胸の痛みを奪い去ってくれたらいいのにと思う。

 完全に失恋気分だ。


「もう、そこまで……想ってしまっているのですね」

「ごめんなさい」

「謝らないでください……こちらこそ、すみません。酷い言い方をしましたね」


 謝り合って、しんみりとする。


「いいですよ。ヨルの近衛隊ですもんね。警告して当然です。私は正体もわからない者ですからね」

「……アリスは正体もわからない者ではありません。私達の仲間ですよ」


 自虐的に笑って見せたけれど、また真面目に告げられた。

 仲間だと認められている。

 それが嬉しくて、私はちょっぴり泣いてしまいそうになった。


「ありがとうございます……クロさん」

「ふふ、今回だけはカウントしませんね」


 クロさんが優しく微笑んだ。


「え?」

「敬語使いました」

「あ。クロさんも敬語使うからですよー。ずるいです」

「私はゲームで負けてませんからね」


 ツンッと鼻を小突かれた。


「吐き出してしまいたくなったら、いつでも言ってください。私が相談に乗りますよ」

「ありがとう、クロさん」


「それと」と微笑むクロさんは付け加える。


「きっといつか愛してもらえますよ。アリスなら」


 そう言って、私の頭を撫でてくれた。

 優しいイケメンで人気のクロさんに頭を撫でられた、わーい。

 照れて笑みを零す。


「そうだ、私ってそんなにバレバレな感じ?」

「ええ、見つめすぎていますね」

「……気を付ける」

「大丈夫ですよ。ヨールもその婚約者一筋で経験はないに等しいですから、バレることはないでしょう」


 そこがまたいいんだけれどね。

 デレッとした笑みになる。

 ヨールに、一筋に想われたい人生でした。


「クロさんはいつからヨールといるの?」

「彼が十歳の時からですね、もう十年になります」

「うわ、羨ましいなぁ。私も一緒にいたかったな」


 私は足を投げ出して、プラプラさせる。


「私ももっと早くヨール達と出会っていればよかったなぁ……仲間として、一緒の時間を過ごしたかった」


 もっと早くゲームの【紅い月の国】と出会いたかった。

 もっと早くにヨール達と出会いたかった。

 もっと早く。男に生まれ変わって、出会っていればよかった。

 ううん。こう考えよう。今の私だからこそ、救えるのだ。

 救う。


「これから過ごせばいいではないですか」


 クロさんは夜空を見上げて言った。

 うん。そうする。 

 それから、ヨールの小さい頃の話を少し聞かせてもらって、キャンピングカーで眠った。


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