第19話 生きろ。





 剣先が貫いたのは、華奢なハナの身体ではなく、私の左の掌だ。

 痛みは強烈だが、私は笑みを浮かべた。あの夜の胸の痛みに比べたら、どうってことない。


「私が相手だ! ダーク!」

「また邪魔するんだ? アリス」


 蹴りで退(しりぞ)けて、貫いた剣を離す。その左手に、ナイフ。右手には、拳銃を召喚した。


「ハナ! ヨル達の援護!」

「っはい!」


 狙いのハナは、ヨール達に任せるためにも行かせる。

 ダークは、私が命懸けで止めよう。

 さぁ。訓練の成果を見せてやろうじゃないか。

 ドンドン、と発砲。弾丸を撃ち込むが、ダークはかわす。それでも発砲を続ける。

 ダークは退がりながら、剣で身を守った。

 私の狙いは、足や腕。腹だって狙って撃つ。

 長剣が振り下ろされるが、ナイフで防ぐ。そのままナイフを滑らせて、ダークに向かって横に振った。だが、またしてもかわされる。

 距離をとったダークに弾丸を撃ち込む。キンッと剣で防がれる。

 だが、一つの弾丸がダークの右肩に食い込んだ。

 これで、おあいこ。

 ニヤリと笑って見せれば、お気に召さなかったのか、黒い鞭を出したダークが私の拳銃を弾き飛ばした。

 でもアリスと唱えて、一度消す。それからアリスと唱えて、右手に戻した。

 濡れた地面に左足を踏み込ませて、懐に入ったところでナイフを振り上げる。それも仰け反って避けられたが、拳銃のグリップ部分を額に叩き付けることに成功した。

 よろけたあと、私を睨んだダークの鞭が足に絡み付いたかと思えば、引っ張られて倒される。バシャン、と水溜りにダイブすることになった。怯んでいる場合ではない。

 ダークがまさに長剣を振り下ろそうとしたから、私はゴロリと転がってかわす。

 足を狙って撃ったが、飛んで避けられた。

 私は立ち上がり、濡れて顔に貼り付いた髪を拭うように払う。

 雨が傷口にしみてズキズキするが、ナイフを握り締めて堪える。

 振られる鞭を、腕を上げて避けた。また銃を弾かれてたまるか。

 雨降る中、睨み合い、そして向かう。

 ドン、と発砲。長剣で防がれる。ナイフで長剣を押し退けた。そのまま、腹に突進する。

 ダークは倒れて、私は転がって立ち、銃を構えた。

 ドンドン、と撃ったが、またしても避けられる。

 弾切れだ。ナイフを投擲する。ダークの右頬を掠めた。銃から弾倉を取り出して、血に濡れた左手で弾を魔力を注入して弾を装填。そして、ガシャンと銃に戻す。一度消したナイフも、左手に再び召喚。

 その隙に間を詰めたダークに、一発拳を腹に打ち込まれた。


「かはっ!」


 そのまま、長剣を叩き落されることが見え、咄嗟に左手で防ぐ。ズキンと痛みが走ったが、無視して銃口をダークの左足に突き付ける。

 ドン、と撃てば、ダークは傅いた。

 そのダークの顎に、膝蹴りを決める。

 もう一発、動きを封じるために撃ち込もうとしたが、その前にバシッと鞭が右腕に当てられた。ダークは飛び上がって、また鞭を振るう。

 ナイフで叩き斬った。すぐに弾丸を撃ち込んで、走る。

 弾丸を弾く長剣。邪魔だ。

 ナイフと長剣を交わらせて、押していく。撃った左足を蹴って、崩した。


「この前のお返し!」


 膝をついたダークの頬を、銃を持った右手で殴り付ける。

 それから、胸を踏み潰した。


「ゲホッ!」

「はぁっ……はぁっ……っ」


 倒れたダークの右手も踏み潰して、開かせる。長剣は、蹴って離した。

 しとしとと針のように降り注ぐ雨の中。息を切らして、ダークを見下ろした。

 観念したダークは、起き上がろうとしない。

 暗い瞳が、撃てよと言っている気がして、私はむしゃくしゃした。


「生きろよ!!」


 私が叫べば、ダークは目を大きく見開く。


「死にたがっているのはわかってる! その気持ちが痛いほどわかってる! でも生きろよ!! 生きていなくちゃ、生きたい理由にも出会えない! だから生きろ!!」


 知らない私に何を言われようとも、全然響かないかもしれない。

 余計なお世話だって怒り狂うかもしれないが、私は言わずにはいられなかった。

 鬱病で死にかけていた。何もかも楽しくなくなって、絶望しか感じなかった。

 なんとか生きてきたおかげで【紅い月の国】に出会えて、楽しい時間を過ごせた上に、命を救われたのだ。こうしてヨール達にも、会えた。

 生きていなくちゃ、救われない。

 死んでも、救われる保証はないのだ。

 生きなくてはいけない。生きろ。


「……君に……何がっ」


 雨の中、ダークは泣いている気がした。


「何が、わかるっ……」


 知っている。生きる理由がないからこそ、死にたいのだろう。

 わかっている。何もない虚しさに襲われて死にたいのだろう。

 どうしようもなく死にたい気持ち、痛いほど経験した。

 乗り越えた私が、言えるのはここまでだ。


「……アリス」


 名前を呼ばれて、顔を向ける。

 針のような雨の中、立っているヨール達がいた。

 そっちも戦いを終えたヨール達はずぶ濡れで、泥に汚れていたけれども、ハナも無事だ。

 守れた。守れたのだ。5つ目も守れた。


「守れたね」


 私は笑う。けれども、きっと私の方が泥に塗れて汚れているだろう。

 笑っても、格好つかない。仕方ない。


「いてて……」


 穴が空いた掌が痛み、押さえて俯く。

 ナイフも拳銃も、消し去る。


「お、おい! アリス!」

「アリス! 大丈夫!?」


 ヨールとディールの声が近付くけれども、私は見ることが出来なかった。

 もう、疲れてしまった。集中力を使い切った。

 立っていられなくなって、倒れかけたけれど、受け止められる。

 ヨールの腕だろうか。ぼけーとしていれば、横に抱き上げられる。


「無茶しやがって……アリス」


 夜空色の髪、藍色の瞳。ヨールのことを、ぼんやりとして見た。

 へばり付いた髪を撫でて退かしてやりたかったけれども、伸ばそうとした左手は血塗れ。目眩もしてしまい、私は寄り掛かって目を閉じた。

 肌に触れる雨を感じて、気を失う。


 落ちる。落ちる。落ちる。

 紅い月の空から、落ちた。

 そんな夢を見て、覚める。

 ベッドの天蓋を見つめた。ここは、私が借りている部屋らしい。

 横には、椅子に座っているハナがいた。周りには、使用人が行ったり来たりしている。またもや、ぼーけーとしてしまった。


「気が付きましたか? アリス」


 天使のような笑みを向けられて、私はここは天国かと勘違いをする。


「あーうん、んんっ」


 起き上がろうとしたら、左手が痛んだ。

 そうだ。穴が空いているんだった。

 思い出して見てみれば、その左手には白いクリスタルを握っている。

 癒しの魔法石だ。怪我を治す魔法の石。

 多少は、癒されているみたいだ。


「おはよう? ハナ……」


 窓を見てみれば、雨は降っていそうにない明るい空。日付は変わったようだ。


「よかった……ハナ。無事なんだね」

「おかげさまで」


 ハナに手を伸ばせば、柔い両手で握り締められた。

 心から安堵する。ハナを守れた。

 よかったと微笑みを零す。起き上がってみれば、私は白いネグリジェを着ていると知った。ロングワンピースタイプ。短い髪に触れてみれば、サラサラツヤツヤ。洗われた上に、着替えをしてもらったみたいだ。


「あの、ありがとうございます」


 使用人達に、お礼を言う。気が付いた使用人のお姉さんは、会釈をした。

 そこで、コンコンとドアがノックされる。

 私が許可を出せば、開かれた。


「アリス。起きたんだな、調子はどうだ?」

「アリスー! おはよう」

「おはようさん、アリス」

「おはようございます、アリス」


 ヨール、ディール、ノウスさん、クロさんが入る。


「おはよう、皆。この通りだよ」


 私は笑うけれども、ヨール達は笑い返さない。


「この通り、怪我しているな」


 ため息をついて、ヨールがハナの目の前のベッドに座った。


「そうだよ、アリス! 手に穴空けられたんだよ! 穴だよ穴!」

「全く、無茶するな本当に」

「手が使えなくなったら、どうするのですか。癒しの石があってよかったです」


 掌を指差してディールも、プンプンしている。

 ノウスさんもクロさんも、呆れたご様子。ディール達もベッドの周りに集まった。


「そうだね。これで治る。……ところで、ダークの方はどうなった?」

「この街の牢屋に入れましたよ。手続きが終わり次第、王都に送る予定です」

「そっか。もう安心だね」


 ダークは捕まった。大ボスが捕まったのだ。

 これで封印が壊されることはない。

 安心しきって、私はベッドに横になる。


「よく頑張ったな」


 ヨールが視界に入って、私の頭を撫でてきた。

 私は、茫然とする。


「あ、ありがとう?」

「疑問形だし」


 おかしそうに、笑った。

 ぐはぁ! 思わぬご褒美!

 落ち着け私。というか、衝撃すぎて反応出来ない。


「皆も頑張ったでしょう?」

「うんー、撫でて撫でてー」

「一番の功労者は、アリスですよ」


 ベッドにべたーと突っ伏して頭を突き出すディールだったが、クロさんが引っ張り立たせた。クロさんもポンポンと頭を撫でてくれる。

 ありがとう! クロさん! これで思う存分照れられる!

 ノウスさんが腰を落とすと、ギシッとベッドが揺れた。

 頭を押さえつつ、皆を見回す。

 ヨール、ハナ、クロさん、ディール、ノウスさん。

 夢ではないのかと、頬を摘んでみた。うん、痛い。

 へにゃりと笑う。


「さぁ、皆さん。アリスの無事を確認出来ましたでしょう? 寝かせてあげてください」

「あー私は大丈夫だよ」

「いいえ、いけません。ここは私の言う通りにしてもらいます」


 ハナはヨールを立たせるとやんわりと背中を押していく。

 そう言われてしまっては、休むしかない。

 私はおずおずと出て行くヨール達を見送った。


「はい。朝食です。あーん」

「あ、あーん……」


 用意された朝食を、ハナが食べさせてくれる。

 あのハナに食べさせてもらうなんて。天使に世話されている気分。

 死ぬフラグを回避しただけあって、本当に天使みたいに思える。陽射しでキラキラと星色に輝くウェーブのついた長い髪。優しい微笑み。

 まじ、天使。


「……って利き手は無事だから、自分で食べれるよ!?」

「私がこうしたいのです。せめてのお礼として、やらせてください」


 ああ、それなら仕方ないよねー。

 私は大人しく食べさせてもらうことにした。


「……ねぇ。ハナ」

「何でしょう? アリス」

「私……旅をやめようかと思うの」

「!」


 食事を片してもらってから、私は切り出す。

 大ボスのダークは捕らえられた。

 ハナもヨールも、死亡フラグをへし折れたのだ。


「危機は乗り越えられたし……私はもう……」


 要らないかな。

 寂しい思いが、チクリと胸を刺す。


「アリスはまるで……世界を救うために現れたようですね」


 私の手をとって、両手で包むハナ。


「危機と共に去るなんて……いけません。皆さんが悲しみます。もうあなたは、彼らの仲間なのですから」


 その優しい声が、しみる。

 けれども女の私が居座るのは、どうかと思う。

 ヨールを想っている。それは、ハナに悪い。


「でも……別れも、旅の醍醐味でしょう?」

「アリス……」


 ギュッと握り締められる。


「どこに、帰るのですか?」

「……どこかな」


 帰り方は、わからない。苦笑いを漏らす。


「それでは、ヨール達は納得しません。突然の別れに悲しむだけです」


 ハナは海のような美しい青い瞳で、私を見つめて告げる。


「共に居てもいいのです。仲間として、居てもいいのです」


 許されることが、何よりもしみて、涙が込み上がった。

 ハナは右手を伸ばすと、私の頭をあやすように撫でる。


「ありがとう、ハナ。なんか、ごめんね。目的のダーク打倒が達成出来たら、なんだろう……もう旅を続ける意味がない気がしてしまって」


 涙を拭って笑って見せた。


「仲間だから、共に居ていいのです。旅を続けてください。きっと、ヨール達もそれを望んでいるはずです」

「……尋ねてみる」

「はい。では眠ってください。おやすみなさい、アリス」

「おやすみ、ハナ」


 部屋をあとにするハナを見送って、私はもう一度横たわる。

 明日でも尋ねてみよう。私は瞼を閉じた。

 翌朝、ディールとクロさんとノウスさんが部屋を訪ねてくれた。

 ヨールはというと、ハナと一緒だという。それを聞いても痛みは感じなかった。


「まだ旅に同行してもいい?」

「何言ってるのさ! アリス」

「もちろん、いいに決まっているでしょう」

「なんでそんなこと訊くんだ?」


 私の質問に、三人は何を言っているのかとわからないと言った表情をする。


「乗りかかった船から飛び降りる気? だめだからね」

「そう言わないでください。記憶が戻ったのですか? 帰る場所がわかったのですか?」

「どうなんだ? アリス」

「あー……」


 それから話さなければいけないだろう。


「記憶戻ったの? 帰っちゃうの? アリス」


 途端に不安の色を浮かべたディール。

 そこで、ヨールも部屋に入ってきた。


「なんだ? 何の話をしてるんだ?」


 ヨールは私の好きな笑顔でベッドに腰をかける。

 私は笑い返す。さて、どこから話そう。


「私は落ちてきたの。紅い月の空から、落ちてきたアリス」


 もう少し、アリスとして生きようか。



end

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紅い月の国のアリス 三月べに @benihane3

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