第10話

 1


 半年後、ボクはニューヨークのアート・アカデミーを卒業し、故郷に戻った。マリアはティムの許を離れ、カールと一緒にウンデッド・ニーの山小屋で暮らしていた。ボクは親子水入らずの暮らしを邪魔しちゃいけないと、マリアには会いたかったけど、遠慮する毎日だった。カールは娘を迎えるにあたって山小屋の建て増しに汗を流したそうで、カールからやっとお声がかかり出掛けてみると、マリアの部屋が出来上っていた。

「すてきな部屋でしょ」

 マリアはボクに中を見せてくれた。机の周りにはニューヨークから持って来た画板や画材用具、アート関係の書物などがきちんと整理されて並んでいた。部屋は近くの林から木材を切り出し、カールが暇を見つけては少しずつ作り上げたという。

「カールは何処にいるの?」

「町に買い物に出ているわ」

「どうだい? 少しはこちらの暮らしにも慣れたかい?」

「来てしばらくは、余りにも環境が違って戸惑ったけど、大分慣れたわ。わたし今、町にある先住民博物館の学芸員として働いているの。今日はお休みだけど」

「そうか。それはいい」

「お父さんは商売の方も順調で、ニューヨークで培った販売ルートのお陰で、作品を出荷し続けているわ。今日も材料の買出しに行ったの」

「元気でいいね。ニューヨークで倒れた時はどうしようかと思ったよ」

「大きな娘が突然出来て、相変わらず嬉しそうだわ」

 マリアも嬉しそうだった。

 ボクはその翌日からマリアを誘って草原に出掛け、一緒にスケッチをしたり、絵の構図を考えたりした。辺りの佇まいはちっとも変っていない。

昔白人の生徒が多い学校と絵の交流会をした草原も昔のままだった。ボクはその時、草原に佇(たたず)む馬上のクレージー・ホースを真横のアングルで描いたのを思い出していた。草むらに寝転んでその時の白人教師との「絵画論争」の話をしたら、マリアは笑い転げた。

「プリティはからかわれただけよ。あなたって本当にマジなんだから」

「でも、その時は本当にそう思っていたんだ。ニューヨークで絵の歴史を勉強して、絵というのは自分が主体となり、必要な構図や色を使って描いていくものだと実感した。この草原はくすんだ緑色かも知れないけど、マティスなら草を赤に塗り、緑の牛を描いただろう」

「マティスも最初は野獣(フォーブ)と呼ばれ、非難されたでしょ。そんなのは絵じゃないって」

「でも野獣派(フォービスム)は絵画の歴史に残り、結局誉め言葉になった。ボクが言ったことは正しかったじゃないか」

「その白人の先生は、新しく登場したフォーブの思想を理解できなかった画壇の長老みたいなものよ。古めかしい考えを捨てて、マティスやピカソ、モネらは突き進んだ。そして絵の流れを大きく変えていった。プリティも白人の先生に反論したんだから、スーの伝統的な思想を盛り込んだ新しい絵の世界を築き上げなくっちゃだめよ」

「本当だね」

 ボクはマリアの勢いに押された恰好で、思わず頭を掻いた。



 母さんもマリアがカールの娘だったことを聞き、若いながらも波乱の人生を乗り越えてがんばっていることに共感を覚えたようだった。

「一度マリアさんに資料館に来てもらってよ。母さんが中を案内するから」

 その言葉を待っていたかのように、ボクはマリアを部族資料館に連れて行った。マリアは母さんに会うのにやはり最初わだかまりがあったが、ボクの言葉に少し安心したのか、一緒に来てくれた。

「お父さんに会えてよかったね」

 開口一番、母さんはマリアにやさしく声を掛けた。

「ありがとうございます」

「ニューヨークでは、あなたに随分と失礼なことも言ったわね。許して頂戴。慣れない都会でこの子のことが心配で堪らなかったから、つい・・・・・・」

「わたしも悪かったんです」

 マリアは母さんの顔を見て微笑んだ。

「あんな大都会から、こんな田舎に来て不便でしょう? もしも何か困ったことがあったら、おばさんに言って。出来る限りのことはするわ」

「ありがとう。よろしくお願いします」

「母さんはこう見えても、昔は先住民の先頭に立って活躍したんだ。先住民の要求を掲げて、サンフランシスコの島に立てこもったこともあるんだよ」

「余計なことは言わないの! もうずっと昔のことだから」

 母さんは頬を赤らめた。

「わたしもティム兄さんから立てこもりの話は聞いたことがあります。当時マスコミにも大きく取り上げられて、白人の中にも支援の輪が広がったそうですね。キャンディス・バーゲンさんもアル・カトラズ島に渡ったんですよね」

「キャンディス・バーゲンって?」

 ボクは母さんを見た。

「『ソルジャー・ブルー』という映画に主演した白人女優よ。その映画はスーの盟友だったシャイアン族が騎兵隊に虐殺されたのを題材にしているんだけど、白人を先住民に対する加害者の立場で描いている画期的な映画作品なの。それまでは、白人は正義の味方で、先住民は常に悪者として描かれていたわ」

「へえ、一度お店でビデオを探してみるよ。どんな映画か観てみたい」

「この資料館の説明をさせてもらえるかしら」

 母さんがマリアに訊ねた。

「是非お願いします。わたしラピッドシティの先住民博物館で働いているんです。その参考にさせていただきます」

「あの立派な博物館におられるの? うちの資料館はご覧のとおり、ボロ屋ですので・・・・・・」

 母さんが顔を赤らめた。

「わたしもプリティから色々と聞いています。スーの遺産が一堂に展示されているって。ほら、これはプリティの好きなクレージー・ホースだし、こちらは・・・・・・」

 マリアは熱心に展示を見回り始めた。母さんも説明しながらマリアと微笑み合っていた。ボクはようやく肩の荷が下りたような気がしていた。



 ある日ティムからカールに手紙が舞い込んだ。ボクはマリアと一緒にカールの肩越しに手紙を読んだ。


ご無沙汰しています。こちらは毎日元気で働いています。マリアが傍にいないのは、正直言って寂しいけれど、贅沢は言えません。今日の新聞に注目すべき記事が載っていましたのでお送りします。   ティム      


 カールは記事を手に取った。


乳児売買組織の大幹部を逮捕 アルゼンチンの乳児拉致の全貌明るみに。乳児は二十二年ぶりに実の父親と再会


ニューヨーク市警の乳児売買組織捜査本部が七日明らかにしたところによると、南米を舞台に百人以上にのぼる乳児売買を繰り返していた組織の幹部タマーヨ・サントス容疑者(五十七歳・本名フェリペ・カルロス)が六日、アルゼンチン・ブエノスアイレス市内で逮捕された。これまでの調べによると、サントス容疑者は一九八三年七月二十六日、ブエノスアイレス・カラオ通りにあるP病院産婦人科病棟から、当時乳児だったMさん(二十二歳)を連れ去り、ジャマイカに住む夫婦に売り飛ばした上、乳児の身元を怪しんだ夫婦を口封じのため交通事故に見せかけて殺害した容疑が持たれている。Mさんは夫婦に育てられていたが、夫婦の死後は親代わりの知り合いの男性が身元引受人となり、ニューヨーク・マンハッタンに在住していた。その後Mさんは実の父親と二十二年ぶりに再会を果たしたことが明らかになっている。この事件では、組織の乳児拉致を手引したとして、当時のP病院産婦人科医師メット・ゴンザレス容疑者(四十八歳)が逮捕されている。またジャマイカの夫婦の殺害に協力したフェリックス・オメルタ容疑者(七十六歳)は、先日現地警察に自首し、取調べを受けている。現地警察ではこれまで夫婦が自殺したとして資料を公開していたが、オメルタ容疑者の出頭により、ニューヨークの捜査本部と協力して再捜査が開始されることになった。以下は事件の経過である・・・・・・。


「フェリックスは自首したのね。ティムに出会って、そういう気になったのかもしれないわ。孫の少女がかわいそう」

 マリアが誰にともなく言った。

「新聞の仕事はこの記事が載ったら終わりだ。でもわたしとマリアはこれから奪われた親子の二十二年を埋めるため、大切に生きていかなくっちゃな」

 カールがマリアに微笑んだ。

   

      4


 その年の夏、ウンデッド・ニーでは、恒例の交流集会(パウワウ)で、「虐殺された先達を心に刻み、祈るフェスティバル」という名の行事が繰り広げられた。

「新たな希望を持って聖地を守り、前進しよう!」

スローガンを書いた垂れ幕が居留地の入り口で荒野を吹き抜ける風に靡(なび)いていた。

「アーイアーイアー、ドンドコドン、アーイアーイアー、デュンデュンデュン・・・・・・」

 虐殺の丘では、伝統楽器のドラムに合わせて祈りの声が響き渡っていた。

同胞が数十人、部族衣装を身にまとい踊っている。頭には太陽が輝く空を象徴する青いバンダナを着け、バンダナから鷲の羽根が垂れている。雨を呼ぶ雲のシンボルだ。足には鹿皮(モカシン)の靴を履き、大地を跳ねて回る。腕に巻き付けられたバンドには、常緑樹の小枝を挟み、腰にぶら下げた小さな楽器が跳ねる度に乾いた音を立てている。背中のアライグマの毛皮が揺れる。

「ダンダンダン、アーイアーイアーイアー・・・・・・」

丘の一角にはクラフト製品や民芸品を売る出店が軒を並べていた。マリアはカールと木工品の店を出し、父さんと母さんもクラフトを並べた。

ヘイマンさん夫婦も、ティムも交流集会に参加するため、ニューヨークからやって来た。ボクとサザンそれにカールは、お互いに初めて出会った丘を、今度はマリアと一緒に登り、虐殺された先達の墓地に詣でて墓碑銘を読んだ。

族長だったビッグ・フット(大きな足)。ロング・ブル(胴長牛)。ブラック・コヨーテ(黒いコヨーテ)。ゴースト・ホース(幽霊馬)。リビング・ベア(生ける熊)。ウンデッド・ハンド(傷ついた手)。レッド・イーグル(赤い鷲)。プリティ・ホーク(かわいい鷹)。ストロング・フォックス(力強い狐)。レッド・ホーン(赤い角)・・・・・・。

ここには騎兵隊に虐殺された数百名のスーのうち、四十三名の名前が刻まれている。ボクが生まれた場所にかわいい石ころが転がっていたのでプリティ・ロックと命名されたように、各人の名前は氏族名に引っ掛けたものや本人の特徴を示す名前がついているのがわかる。

ボクはマリアに、あの日カールがボクとサザン、それに友達と出会った時の話をした。

「ねえ、お父さんはその時プリティに何と言ったの?」

 ボクはその言葉を思い出しながら伝えた。

「この丘の下には、スー族のテント村が広がっていた。今は叢(くさむら)になっているけど。平和に暮らしていたボクらの先輩を、騎兵隊の奴らがマシンガンのようなもので皆殺しにしてしまった。君らはこの人々のことをしっかりと心に刻んでおくといい。そして、これからは二度とこんなことが起こらないように、心に刻んだ想いを後の世代に伝えていくんだ。カール、確かそう言ったんだよね?」

 カールは微笑みながら頷いていた。

「わたしも、後の世代なのかしら?」

 マリアがボクを見つめた。

「勿論入るよ。もっともボクより五つも年上だけどね」

「まあ、プリティったら。どこまでマジなのかわからない人ね!」

 マリアは拳(こぶし)を上げて、ボクに向かって来た。

「ごめん、ごめん」

 ボクはそう言って逃げる仕草をして、おどけて見せた。皆が大笑いした。

「兄さんはニューヨークに行ってから変ったなあ。随分と丸くなったような気がする」

 サザンが言った。

「ボクはそんなに堅物だったのかなあ」

「きっとマリアのお陰だよ。兄さんをうんと鍛えてくれたんだ」

「まあ、喜んでいいのかしらね」

 マリアが微笑みながら、サザンを睨んだ。

「ほら、とっても怖いだろう?」

「許さないわよ!」

 マリアは、今度はサザンに拳を上げた。

「兄さん、助けてくれよ!」

「お前とマリアはいいコンビだね」

 マリアがすっかり家族にも打ち解けて来ているのを感じていた。

「若い人はいいねえ。直ぐに仲良くなれて」

 黙ってボクらを見ていたカールが口を開いた。

「カールも年の割には若いよ」

「プリティ。年の割には、というのは余計だよ」

「ごめん」

 カールは声を上げて笑った。


    5


 カールがサザンと一緒にティムに会いに行った後、ボクはマリアと一緒に丘一帯が見渡せる高台に上った。先達の墓を中心に、隣にはその昔先住民武装組織がライフルや爆薬を持って立てこもった聖心カトリック教会が見える。その周りは普段人が寄り付かない寂しい空き地だが、今日ばかりは出店のテントが軒を連ね、観光客や地元の人々が巣に群がる働き蜂のように動いている。あの何処かでカールとサザンはティムと会っているのだろう。

熱気を含んだ風が虐殺の丘から緑の草原の草木を撫でながら、高台に向かって吹き渡って来た。ボクはブエノスアイレスの郊外の丘にあるマリアの母親の墓参りを思い出していた。

 あくまでも澄み切った青空の下、母親マルガリータのクロスの墓前に、カールとマリアは一緒に花を置き、祈りながら親子再会の報告をした。ボクは祈った後、黙祷する親子の気持ちを想像しながら、傍らでマリアとカールを見つめていた。

(お母さん、やっとお父さんと会うことが出来ました。お母さんとも会いたかった! わたしを産んでくれて本当にありがとう。遠いところで暮らしているけど、お母さんのことは忘れません)

(マルガリータ、娘はこんなに立派に成長した。お前に会わせにはるばるやって来た。よく娘を見てやっておくれ)

 海を渡って来る潮風が、親子の頬を撫でていた。黙祷を終えたカールとマリアは、マルガリータの眠るクロスの墓標にカールが作った木製のペンダントを掛けた。陽を受けて、白い六角星の石が十字の中心で輝いていた。

 ウンデッド・ニーの丘を吹き渡る風が、響き渡るドラムの音を運んで来た。ボクは我に返り、マリアを見つめた。微笑むマリアの胸元には木製のペンダントが掛けられていた。

 ボクは自分のペンダントをはずし、向き合って、ペンダントをマリアの首に掛けた。マリアの胸で二つのペンダントが重なり合った。風に靡(なび)く長い髪を掻き上げながら、マリアは静かに目を閉じた。そしてボクらはゆっくりと唇を重ねた。

 

         完

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クロスロード 安江俊明 @tyty

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