クロスロード
安江俊明
第1話
ボクはアメリカ中西部に住む先住民・スー族の家に生まれた。名前はふだん話している英語に訳すとプリティ・ロック。『かわいい岩』というその名前は母親がボクを産んだ時、傍にあった小さな岩が最初に目にとまったので、そう名付けてくれたという。
ボクの故郷は中西部の北の方にあるサウス・ダコタという州にある。そこにはブラック・ヒルズ(黒い丘)というスー族の聖地がある。洞窟あり、森林あり、プレーリードッグが暮らす平原ありと、ワイルドな大自然が周りに広がっている。
サウス・ダコタの隣にはワイオミングという州があり、デビルズ・タワー(悪魔の塔)と呼ばれる、とってもでかい岩山がそびえている。その岩山もブラック・ヒルズの一角で、かつてはシャイアン、アラパホ、カイオワ、クロウといった先住民部族が住んでいた。
でも、今や大観光地になってしまい、たくさんの観光客がバスや車でやって来る。お目当ては、ブラック・ヒルズの花崗岩の肌に刻まれた巨大な顔である。誰の顔だって? 合衆国の四人の大統領さ。初代のジョージ・ワシントン、アメリカ独立宣言を起草したジェファーソン。それにセオドア・ルーズベルト、リンカーン。
アメリカには、どでかいものがふさわしいと考えたガッツォン・ボーグラムという白人男が、ブラック・ヒルズにあるマウント・ラシュモアの山肌を削り、途方もない時間をかけて彫り上げた。
白人にとり大統領が英雄なら、スーの英雄は、シッティング・ブルとクレージー・ホースだ。
父親は、ボクが幼い頃から彼らの話をしてくれた。勿論彼らに会ったことはないが、スー族の誇り高い英雄だと信じている。父親から聞かされたのはこんな話だった。
それは一八七六年六月のことだった。
スー族の一派・ハンクパパの族長シッティング・ブルは、モンタナ州にある丘の頂に立っていた。
聖なる儀式に使うパイプに火をつけて、祈りの言葉をつぶやきながら・・・・・・。
当時スーはアメリカ騎兵隊との大きな戦いを控えていた。シッティング・ブルは偉大なるスピリット、ワカン・タンカの導きを必要としていたのだ。
神秘のパワーを持つワカン・タンカに向かい、彼は懸命に祈った。
「偉大なる精霊よ。どうかビジョンを見る透視の力を与えたまえ。そうすれば、お返しにわが身の血潮を捧げよう」
ビジョンというのは精霊が敬虔なる祈りと交換に見せてくれるちょっと先の未来の姿のことだ。
頭がくらりとするほど高い丘のすそ野には、スー族の盟友であるシャイアン族のテント村が、川沿い数キロにわたり広がっていた。
騎兵隊は一万人あまりのスーとシャイアンを、遠く離れた居留地に移動させようと企(たくら)んでいる。
シッティング・ブルは部族民に対し、日頃から警告を発していた。
「我々の存在は、白人が群がり住む大湖に取り囲まれた小島になろうとしている。白人はその小島さえ、湖から消し去ろうとしているのだ。そんなことを許してはならない」
祈りを捧げているうちに、シッティング・ブルの心の眼がビジョンをとらえた。
(青い軍服を着た騎兵隊が、蟻のように隊列を組んで行進して来るのが見える。我々のテント村に向かっている)
祈りを終えたシッティング・ブルは丘を下り、サン・ダンスを踊って戦いの準備をするように指示した。
部族の女らはポプラの一種ハヒロハコヤナギの木を切り倒し、キャンプに持ち帰った。そして、枝を取り去り、幹に色彩を施して、敵のシンボルを作り上げた。木がサン・ダンスの広場中央に立てられた。
若者らが木の前に身を横たえた。魔術を司るメディスン・マンが若者の傍らに進み出て、若者の胸や背中をナイフで刺し、体に切り込みを作った。そして、血がにじむ切り込みに革紐を通し、その先端の一方を敵のシンボルである木に縛りつけた。
若者らはやおら立ち上がり、サン・ダンスを開始した。踊りで身をよじる度に革紐が肉体に食い込んでいく。苦痛に耐えながら踊り続けると、ついには切り込みが裂けてしまった。
今度はシッティング・ブルが進み出た。手と足は真っ赤に塗られ、両肩には空を象徴する青い縞模様が描かれている。彼は大地に腰を降ろした。弟のジャンピング・ブルが兄の両腕にナイフを立て、ワカン・タンカに捧げる血を採った。次にキリを使って右腕から皮膚を削り取った。それが百回繰り返され、シッティング・ブルの右腕は甲から肩にかけてずたずたになった。それでも彼は眼の色ひとつ変えなかった。
シッティング・ブルは、全身全霊をスピリットの世界に集中させていた。両腕から流れ落ちる血が大地に染み込んで行く。流血は真紅の絨毯と化し、精霊への贈り物になった。
太陽を見つめ、祈祷しながら立ち上がったシッティング・ブルは、サン・ダンスを踊り始めた。飲み食いは一切せず、太陽が沈み夜になっても踊り続ける。とうとう翌日の昼になり、ぶっ倒れた彼はビジョンを見た。
(青い軍服を着た兵隊が、イナゴのようにスー族のキャンプに降り落ちている。兵隊は敗北感に打ちひしがれ、深くうなだれている。軍帽が落下していく)
その時、ワカン・タンカの声がした。
(兵隊らは聞く耳を持たぬ。耳のないイナゴのようなものだ。そんな奴らはお前にくれてやる)
失神状態から醒めたシッティング・ブルは、部族が大勝利を収める運命にあることを告げた。
「兵隊らはキャンプの真ん中に落ち、虫けらのように粉砕されるであろう」
同時に彼は、ワカン・タンカがビジョンの中で述べた警告を部族に伝えた。
「敵兵らは偉大なる精霊からの贈り物だ。殺してもよいが、銃や馬は決して奪ってはならぬ。白人の富に眼がくらんだら、我々の国が呪われることになる。それが精霊の教えだ。わかったな」
それから七日がたった。騎兵隊の大部隊がスーのキャンプに接近していた。ジョージ・カスター率いる米軍最強の第七騎兵隊である。
シッティング・ブルは谷間に留まり、戦況を見守っていた。カスターの兵隊はスーの戦士に押され、丘の断崖へと追い詰められていく。
もうもうと砂けむりが丘を覆い、その中を戦士が出たり、入ったりしている。銃声が轟き渡る。鞍だけの馬が何頭も砂けむりの中をうろついている。カスターの騎兵隊は全滅状態になった。シッティング・ブルが全身全霊で獲得したビジョンは実現されたのであった。
米軍最強の騎兵隊を破ったスーの戦士らは、史上初めての大勝利に酔い、ワカン・タンカ
の警告を忘れて、戦死した兵士の銃や弾薬を奪った。女も兵士にとどめをさしながら、時計、指輪、現金などを奪っていった。ワカン・タンカはスーの国家に呪いをかけた。その後スーは二度と勝利を収めることはなかったのである。
これが父さんから聞いたスーの歴史の一コマだ。その歴史は英雄シッティング・ブルの名前と共に、ボクの血を騒がせる。
偉大なる精霊ワカン・タンカは、ボクらが大切にしている東西南北など六つの方角のうち、天空を守る精霊だと教えられた。
そして英雄クレージー・ホース。名前は「荒々しい馬」という他に「聖なる、神秘的な、霊感を受けた馬」という意味がある。彼が生まれた時、一頭の荒馬がキャンプを駆け抜けたことがあったらしいが、稲妻とともに彼のもとに現れた霊的な馬のビジョンに由来する名前だという。
英雄の容貌にははっきりとした特徴があった。なにしろ写真が一枚もないので何とも言えないが、肌は白く、髪は茶色の巻き毛だった。白人の養子と間違えられたこともあったくらいだ。
父さんが語った一八七六年の戦闘で、クレージー・ホースはスーの大部族ラコタとシャイアンの連合軍を率いて、「灰色の狼」と呼ばれ恐れられたクルック将軍率いる騎兵隊を迎え撃った。戦闘の砂けむりの中から叫び声がした。
「クレージー・ホースだ! クレージー・ホースがやって来るぞ!」
敵にとっては恐怖の叫び。味方にとっては救援のしるしだ。
クレージー・ホースはその真っ只中で、勝利を意味する大音声を上げた。
「ホカ・ヘイ!」
それに呼応して連合軍が一斉に叫ぶ。
「ホカ・ヘイ! ホカ・ヘイ!」
その叫びは共鳴し、大風が吹きぬけるように轟々と音を立てながら、騎兵隊を恐怖の渦に巻き込んでいった。
リトル・ビッグホーンの戦いで、茶色い巻き毛のクレージー・ホースは、長い金髪の猛将カスター率いる第七騎兵隊と激突する。
米軍最強部隊は、わずか一時間で殲滅(せんめつ)され、騎兵隊の死体が山のようにうず高く積もった。
ボクはこの英雄譚を聞くたびに、胸が躍る。スーに生まれてよかったと誇りに思うのだ。
一番悔しいのは、クレージー・ホースが白人の騙(だま)し討ちに合い、殺されてしまったことだ。正面から堂々と勝敗を争わずに、騙して殺すなんて、白人というのは何と卑怯な人間なのか。
たとえ肉体は滅びても、あのクレージー・ホースの精神は決して死なず、今でも勝利のシンボルとしてスーの心の中に生き続けている。
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