第2話
1
ボクが住んでいる居留地・パイン・リッジ・リザベーション(Pine Ridge Reservation)は全米で最も貧しい居留地といわれている。部族民の八十%が失業しており、住宅事情も劣悪で、その三分の一以上で水道・電気が通っていない。四十歳以上の部族民のうち半数は糖尿病を患い、アルコール依存症を抱えているという。
ボクは父さんが作った手工芸品を買ってくれた観光客からこんな話を聞かされたことがあった。
「スーパーの前でスー族の中年女性と出会ったら、いきなりお金をせびられました。観光客なら懐に旅行資金をたんまり持っているとでも思ったのでしょうか。彼女はわたしに『今朝羊を売った。大事な羊を手放すくらいお金に困っている。タバコ代をくれ!』と言いました。今から思えば、少しくらいお金をあげてもよかったのですが、余りに唐突で、しかもその横柄な態度に不快さを隠し切れず断ったら、『あんたの国にとっとと帰ってしまえ!』って怒鳴られてしまいました。金をくれない奴に用はないということなのでしょう。折角観光に来たので、何とか気を持ち直して歩き始めました」
ボクは同胞としてとっても情けなかった。
そんな貧困に喘ぐスーが一躍脚光を浴びたのは、ケビン・コスナーという白人の俳優が監督・主演した映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の大ヒットだった。実話をもとにしたこの映画は、コスナー扮する南北戦争に疲れた北軍兵士が、ラコタ・スーと共に暮らすうちに、人間同士の絆(きずな)を築き上げていくという話だ。ラコタという言葉は「自然と調和して生きる」という意味で、ボクが住むサウス・ダコタの「ダコタ」の語源になっている。
コスナーはこの映画をきっかけに、テレビネットワークでも自らナレーターになって『五百の国家』(Five Hundred Nations)というタイトルで全米の先住民国家を紹介した。
先住民の国家は合衆国の中にあり、「国の中の国」で、独自の法律と議会を持ち、パスポートまで発行しているところまである。
ある日ボクは居留地内にあるウンデッド・ニー(Wounded Knee)というところで、観光客相手に家族が作った手工芸品を売っていた。ウンデッド・ニーは騎兵隊によるスー虐殺の地である。
その日はニューヨークからやって来たという日本人夫婦が虐殺の地を訪れていた。日本の駐在員夫婦だという。その人はボクにスーの記事が載っているニューヨークの新聞をくれた。
読んでみると、あのケビン・コスナーがサウス・ダコタのデッドウッドという場所に、どでかいカジノ・リゾートを建設しようとしているという記事だった。しかも、建設用地の一部は、スーが所有権を主張している聖地だ。
居留地に住むスーのアーティストのコメントが載っていた。
「映画ダンス・ウィズ・ウルブズを観て、コスナーという男はいい奴だと思っていた。しかし、これでは聖地ブラック・ヒルズで黄金が発見された途端に群をなして押し寄せ、スーの聖地を踏みにじった昔の白人らとちっとも変わらないじゃないか。騙しやがったな!」
ダンス・ウィズ・ウルブズはスーとの人間交流を築き上げた白人に対してスーが捧げた先住民の名前だ。「狼とダンスする人」という意味だが、新聞はそれをもじって「コスナー、今度は悪魔とダンスする?」という見出しがつけられていた。
その記事によると、ブラック・ヒルズで黄金が発見されたのは一八七〇年代のことで、東部から黄金を求めて白人が大挙して押し寄せたという。その頃白人はスーの領有していた土地を奪い取る条約を無理やり結ばせて、スーを大平原から追い出したそうだ。ブラック・ヒルズの森も合衆国の国有林にされてしまい、今もスーはその返還を求めている。
ボクはコスナーの記事が載った新聞を持ったまま、ウンデッド・ニーの丘を登った。丘の上に虐殺されたスーの墓があるのだ。
一八九〇年十二月二十九日。白人との平和を求め、結んだ協定を信じながらも、何度も裏切られて来た苦い体験がスーの一団を率いるビッグ・フットを不安に駆り立てていた。本当に今度こそ平和は来るのだろうか。そう思い悩んでいた矢先に、ビッグ・フットの一団は騎兵隊に包囲されていた。騎兵隊の眼には平和を願い、踊りまくるスーの集団の姿がとても不気味に映ったらしい。ビッグ・フットの想いは揺れた。戦えばまた死者が出る。では降伏すれば、部族の安全は守れるのか。揺れる族長の決心を待てないかのように、一発の弾丸が何処からともなく発射された。それをきっかけに、騎兵隊のホッチキス銃が一斉に火を噴いた。女子供は逃げ惑った。騎兵隊はスーの戦士だけではなく、容赦無く女子供にも発砲し、ウンデッド・ニーにスーの夥しい血が流れた。死者は二百人、いや三百人とも言われている。その夜、騎兵隊が姿を消した後で真っ白な雪がスーの遺体に降り注いだ。雪はアメリカ政府の兵隊が犯した大罪がもたらした惨たらしい地獄を覆い隠し、虐殺された部族を癒そうと、スーの偉大なスピリットが降らせたものと信じられている。
墓はフェンスに囲まれ、傍らに教会がある。聖心カトリック教会と書かれた表札が掲げられている。
墓地には、さっきの日本人夫婦がいた。墓石の碑銘を写し取っている。そこには騎兵隊のホッチキス銃で穴だらけにされて殺されたスーの先達の名前が記されていた。
族長だったビッグ・フット。スポッテッド・サンダー。チェイス・イン・ウィンター。レッド・ホーン・・・・・・。
その先達の末裔としてこの地に生きるボクらだって、今や碑銘に刻まれた名前を意識して見ることもない。遠い国からやって来たこの夫婦は見るだけでなく、名前を写し取っているのだ。
ボクは思わず尋ねた。
「どうしてそんなことをするのですか」
「この地で虐殺された人々のことを心に刻み付けるためだよ」
「心に刻み付けるって?」
ボクの心にシャイアン・リバーで写真に収まったビッグ・フット率いる部族の面々の顔や姿が思い出された。その写真は虐殺された年の夏に撮られたもので、皆儀式用の正装を着ていた。笑っている顔はひとつとしてなかった。
その同胞のことを決して忘れずに語り継いでいくことが、心に刻むということなのかも知れないと思った。
時の流れとともに、変っていく世代。あの虐殺から既に百年あまりたった。そして今、ボクらが孫の世代として虐殺の地に暮らしている。弟の世代にもこのことをしっかりと伝えるのがボクの義務かもしれない。いや、きっとそうだ。他に誰がいるのか。誰もいない。
ボクはつい先日の墓地でのことを思い出していた。その時、弟と友達三人で自転車に乗り、ふうふう言いながら丘を登って来た。丘の上で足を放り出し、ぼんやりと辺りの風景を眺めながら、墓のそばにある、崩れた建物の礎に腰をかけていた。すると、茶色のテンガロンハットを被った白人のおじいさんが丘を登ってくるのが見えた。眼鏡をかけ、白いあごひげをたくわえ、大きな文字の入った朱色のスタジアムジャンパーを着ていた。
おじいさんはボクらを見つけると、真っ直ぐに近付いて来た。ボクらは思わず後ずさりをして身構えた。
「君らはここがどんな場所か知っているかね」
おじいさんはテンガロンハットを脱いで、ボクらに尋ねた。白髪が風に揺れていた。
ボクらは何故そんなことを尋ねるのかと思いながら立ちつくしていた。
「ここは君らの大先輩が大勢殺された場所だ。アメリカの騎兵隊にね。この丘の下には、君らスー族のテント村が広がっていた。今は叢(くさむら)になっているがね。平和に暮らしていた君らの先輩を、騎兵隊の奴らがマシンガンのようなもので皆殺しにしてしまった。その時亡くなった人々の墓がここにある」
おじいさんは墓地の中に入り、刻まれた墓石銘を岩のような大きな手でなぞりながら、ボクらの方を振り返った。
「君らはこの人々のことをしっかりと心に刻んでおくといい。そして、これからは二度とこんなことが起こらないように心に刻んだことを後の世代に伝えていくのだ。わかったかね」
ボクらはおじいさんのギョロリと光る大きな目に、思わず軽く頷いた。目の中に細い血管が幾つも走っていた。もしも頷かなければ、何か怖いことをされそうな気がして、うろたえていた。おじいさんが微笑んだので、ボクらは一様にほっとした。
おじいさんはそれだけ言うと、踵を返し立ち去って行った。
「怖かったね。白人が急に現れて、どんどん近付いて来るから、一時はどうなることかと思った。腰にぶら下げた大きな銃を見たかい?」
友達のロング・フットが銃をぶっ放す真似をして、おどけて見せた。
「あの大きな目はきっと悪魔の目だ。ぼくらの大先輩をマシンガンで撃ち殺したのは、あのじじいの仲間の白人じゃないか。父さんにいつも白人には注意するように言われているんだ」
クレージー・ホースをだまし討ちにした白人に対する憎悪が心の中を走り回った。
ボクはもう一度、立っている丘からあたりを見渡した。
草原に朽ち果てたジープが一台、静かに時の流れを受け入れている。墓地から幽かに声がするような気がした。
「同胞の息子よ。我々の声をしっかりと受け止めてくれたか。心に刻み付けてくれたか。我々のことを、お前の弟に、将来の妻に、そして子供らに伝えておくれ」
2
母さんは昔先住民の闘士だった。闘士とは言っても、武器を持って戦ったんじゃない。後に女性で初めて大部族チェロキーの首長となったウィルマ・マンキラーさんという立派な指導者と一緒にサンフランシスコの沖合にあるアル・カトラズという島にたてこもり、先住民の要求をアメリカ政府に叩きつけたのだ。その話をすると、母さんは「昔のことだから」と言って、恥ずかしそうに顔を赤らめる。でもなんとなく嬉しそうなのだ。シカゴ・ギャングの大ボスだったアル・カポネが収監されていた連邦刑務所のあったアル・カトラズ島。急流渦巻き、脱出不可能と言われた島だ。
そのたてこもり事件から四年後、今度は母さんが住むウンデッド・ニーで大騒動が持ち上がった。アメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)という先住民武装組織が、一向に埒(らち)があかない現状に業を煮やし、連邦政府に反旗を翻してウンデッド・ニーに立てこもったのである。
ボクが後にドイツ人のおじいさんや日本人夫婦と出会うことになった丘に立つ教会には、火炎瓶や武器が大量に持ち込まれた。ライフルを持ったAIMのグループが教会の屋根や周囲に陣取り、急派された軍隊とにらみ合いになった。両者の外側にはオグララ・スーの当時のリーダーだったディック・ウィルソンが、武装したボランティアと共に路上を封鎖し、AIMへの外部からの支援を阻止しようとした。
母さんは頭に来てウィルソンに激しく抗議した。
「あんたは一体どっちの味方なの。白人の横暴さを告発すべき時に、我々先住民の中を引き裂いてどうするの。考え違いもはなはだしいわ。あんたはオグララ・スーのリーダーの資格なんてない。とっとと辞めるべきだわ」
ウィルソンも負けていない。
「昔の女闘士か何か知らないが、AIMは武装路線を突き進む過激派だ。そんな奴らと我々を一緒にされたくない。引っ込んでいろ」
「あんたは、先住民がこれまで受けてきた非人道的な扱いが、まるでわかっていない。それでよく恥ずかしくないわね。我々の先達は何故虐殺されたの。答えなさいよ!」
「・・・・・・」
大騒動となって、国会議員もマスコミも続々とウンデッド・ニーにやって来た。こんなことでもなければ、誰も先住民の抱える問題に耳を傾けもしない。
闘争は七十一日間も続いたが、ようやく終息を迎えて裁判が開かれた。AIMのリーダーは結局不起訴となり、組織発祥の地ミネソタ州で勝利の集会を開いたのだった。
父さんは、後に結婚する母さんらと墓地と教会がある丘に登り、先達の墓に勝利の報告をしたという。
想像だが、父さんの心の中には英雄クレージー・ホースが愛馬にまたがって登場し、勝利の雄叫びをあげたに違いない。「ホカ・ヘイ」と。
3
ボクは絵を描くのが好きだ。一度こんなことがあった。学校が他地域にある学校と絵の交流会をした時のことだ。その学校の生徒は大半が白人だった。交流会の場所は居留地にある草原。草原だから主に風景がモチーフとなるが、ボクはそれだけでは物足りなかったので、草原に佇(たたず)む馬上の戦士を描くことにした。戦士は勿論クレージー・ホースで、真横からのアングルで描いた。
他校の白人教師がボクのスケッチを見て話し掛けてきた。
「なかなかいい絵だね。想像力で馬に乗っている人を描くのは、単調な平原の風景にアクセントを与えて、絵が引き締まる。単なる写生ではなくなる」
誉められたと思い、思わず得意そうな表情を見せてしまった。
すると、その教師はボクの横に座り込み、眼鏡をはずして絵の細部を覗き込んだ。でっぷりとしたお腹が腕にあたり、不快だった。突然教師が叫んだ。
「これは一体何だ」
何のことかわからず、デブちゃんの方を見た。
「君は馬に乗る人物を真横から描いているのに、人物の足が両方とも描いてある。手前の足はわかるが、反対側の足は馬の体に隠れて見えないはずだ。見えないものを描くのはおかしい。直しなさい」
デブちゃんはそう言うと、自分のスケッチ帖を取り出し、真横から見た馬上の人物をさっさっとなぐり描きした。
「ほら、絵というのはこういう風に描くんだ」
お手本はこれとばかり、ボクの目の前に押し付けた。
見れば、足は一本しか描かれていない。
「先生、それはおかしいよ」
ボクは納得しなかった。
「何処がおかしいんだ。何度も言うが、向こう側の足は馬の体に隠れて見えない。見えないものは、描かないのが絵の鉄則だ」
いや、違う。
「絵のルールかどうか知らないけど、人間には足が二本あるでしょ」
ボクは一歩も引かなかった。眼に見えないものは描かないというのは、独善的で狭い考え方だ。絵はもっと自由な発想が必要だ。多数派となった白人が「絵はこう描くべきだ」などと勝手にルールをつくり、それを押し付けるなんて許せない。スーには、スー独自の描き方があるんだ。それがモチーフの真実を描き出すことにつながるという基本的な事柄が、このデブちゃんにはわからないんだ。
ボクはデブちゃんを無視し、馬に乗った二本足のクレージー・ホースを描き上げた。
「ホカ・ヘイ!」
4
隣の州ワイオミングで地域住民の交流集会(パウワウ)が開かれた時のことだった。ボクの家族は会場となった広場の一角で、手工芸品を売る店を出した。隣に本屋が店を出していたので、暇を見つけて弟のサザン・ロックに店番を任せ、本を見て回った。一冊の本のタイトルが眼に引っかかって来た。
『ブラック・インディアンズ』
一体何のことだろう。黒いインディアンたちって。
ページを開いてみるとモノクロ写真が飛び込んで来た。髪を胸のあたりまで垂らし、長袖の皮の上下服を着込んで丸い胸飾りをつけた無表情な男が、椅子に腰掛けている。その隣には皮の貫頭衣をまとった女が立っていた。夫婦なのだろうか。服装はどこから見ても先住民のものだったが、顔が黒光りしている。ブラック・インディアンズとあるから、先住民だろうが、普通先住民は「赤い皮膚を持った人間」と呼ばれている。一体彼らは何者なのか。
不思議そうに写真を眺めていると、父さんがやって来た。ボクが手に持っている本を見て、頷いた。
「それはセミノールの夫婦だ。南東部フロリダの湖沼地帯に暮らす先住民だ」
父さんはボクからその本を取り、パラパラとページを繰った。
「先住民なのに色が黒いね。どうしてなの」
ボクは父さんと目を合わせた。父さんは顏の表情を緩めた。
「南部の黒人のことは知っているね。アフリカから奴隷として連れて来られたんだ。綿花栽培に従事させられ、家畜のようにこき使われた。ムチをふるう悪魔のような主人から逃げることだけを考えていた。とうとうそのチャンスがやって来て、農場から集団で逃げ出したのさ。逃げて逃げたその先にはセミノールの居住地があったんだ。セミノールは黒人たちをかくまい、一緒に暮らし始めた。当然混血の子供が生まれる」
「セミノールも白人から迫害されていたのだろうね」
「そのとおりだ」
「と、いうことは、先住民と黒人が白人を相手に一緒に闘ったのかい?」
「イエス。ブラック・インディアンの存在は、共通の敵白人に対抗した黒人と先住民の混血の象徴だ」
ボクはもう一度写真に眼をやった。ケビン・コスナーが出演したテレビ番組『五百の国家』を思い出した。滅亡してしまった先住民もいるが、今でも合衆国には五百もの先住民部族が暮らしている。アメリカという同じ大地にいるが、文化や習慣、歴史はそれぞれ違い、まるでモザイクのようだ。暮し向きもタブーも違う。最大の部族ナバホには、蛙のタブーがある。蛙など水辺の生き物を食べると、ひどい病気にかかると言い伝えている。でも東部の川沿いに住む部族は、魚を採って暮らしてきたし、蛙のタブーはない。
勿論共通点もある。ナバホとチェロキーは悪霊を呼ぶ鳥として、フクロウを嫌う。「夜はフクロウの鳴くところには行くな」とか、「昼間はフクロウを見るな」というタブーを守っているそうだ。フクロウについては他の部族も概ね同じタブーがあると、最近何かの本で読んだ。五百も部族がいるなら、ブラック・インディアンの存在も頷けるよな。
父さんは話を続けた。
「ブラック・インディアンは白人の歴史から抹殺されようとしている。その存在が白人の負の歴史を物語るからだ。黒人奴隷も同じことだ。だから、黒人の歴史を抹殺しようとした。歴史を奪われた人間は、その存在が見えなくなってしまうからだ。黒人の立場からそのからくりを暴こうとしたのがマルコムXだった。「X」は、白人が必死になって消そうとした黒人のルーツや歴史を象徴している。マルコムはそれを逆手にとって、「ルーツを消された存在」という意味をこめてマルコムXと名乗ったのだ」
「マルコムは黒人のイスラーム組織の活動家だよね。ニューヨークのハーレムで演説中に殺されたんでしょ?」
「そうだ。彼は白人をホワイト・デビル(白い悪魔)と呼び、黒人を差別する白人勢力と徹底的に闘った。でも、亡くなる少し前に、イスラームの聖地メッカの巡礼に参加したんだ。モスク(イスラーム教会)を訪れた時、彼は驚いた。白人やアジアの巡礼者一行がマルコムと全く同じ神を礼拝している姿を見たのさ。神の前では肌の色も何も関係ない。黒人も白人も、それ以外の人間も全て平等なのだということを悟ったのさ。それから彼の人生観は百八十度変わった。皮肉にもそれが暗殺の引き金になったとも言われている」
ボクはもう一度その本のカバーを見つめながら言った。
「この本は白人が消そうとしているブラック・インディアンの存在を歴史に留めようと書かれたんだね」
「その通りだ。だから我々スーも他の先住民も、白人が消そうとしている歴史を後世に伝えるため、資料を集めて保存し、アイデンティティを守ろうとしているのさ」
父さんは母さんと一緒にボランティアで部族資料館の運営をしている。小さな資料館だけれど、そこには昔の写真や解説書、部族の生活用具、装飾品、工芸品などが一杯展示されている。
「歴史と言っても、当然のことだが、全てがモノじゃない。族長シッティング・ブルが踊ったサン・ダンスなど伝統的な儀式は形で残すことはできない。だから儀式は心から心へと伝えるしかない。それが伝統だ。タブーなどにも昔から伝えられた知恵が詰まっているから、ただ迷信といって捨て去るわけにはいかない。人の内面にかかわる事柄は、やはり生きている者がその心や精神を使って次の世代に伝えなければならない。それが教育の役目だろう」
ボクの眼はいつの間にか、広場で繰り広げられているダンスに注がれていた。カラフルな衣裳を身に纏(まと)った地元の先住民と、家族でパウワウにやって来た白人が一緒の輪になって踊っていた。その姿を見ていると、白人との悲惨な歴史ばかりにこだわっている訳にはいかないと思う。でも、眼を覆いたくなる過去を忘れ去ることは許されない。
「人間が歴史を失えば、その存在が見えなくなる」という父さんの言葉が耳に残った。
5
ボクはある日ウンデッド・ニーで手工芸品を売っての帰り、いつもの追分に差し掛かった。太い道から分かれて細い道が延びている。父さんが決して足を踏み込むなというが、その道の先には一体何があるんだろう。
その日は予想以上に売上があって気持ちがハイになっていた。父さんも母さんもきっと喜ぶだろうな。早く知らせてやろうと思ったが、その細い道が気になった。舗装も何もされていないでこぼこ道で、見る限り木が一本も生えていないがらんとした一本道だ。こんな気分が高揚した時にしか歩く気がしない寂しい道だ。
ドル札とコインのいつもにない手ごたえをポケットに突っ込んだ手で感じながら、ボクはその道に踏み込んで行った。だんだん両側に木々が目立ち始めた。森が深くなっていく。草原が次第に遠のき、道は丘の上へと続いていくようだった。少し心細くなり、もう帰ろうかと思った時だった。
「やあ、この前出会ったな」
突然林の間から太い声が耳に飛び込んで来た。林の中に目を凝らすと、大きな鉞(まさかり)を担いだ人間が姿を現わした。ボクは一瞬ひるんだ。でも襲われそうな感じはない。よく見たら一度墓地で出会ったおじいさんだった。
「こんなところで一体何をしているの?」
ボクは鉞の煌(きらめ)く刃を見ながら、後ずさりした。
「木を切っているのさ。どうしたんだ? 少し震えてるじゃないか。風邪でも引いたのか?」
おじいさんが鉞を担いで道の方まで出て来た。
「立派な鉞(まさかり)だね。刃がピカピカしてる」ボクはその刃の輝きで魔法をかけられるのではないかと不安になった。
「お金がたまって、ようやく町で新調したんだ。本当に良く切れるいい鉞だ。目が飛び出そうに高かったが、馴染みの店なので安くしてくれたよ」
おじいさんが穏やかに話したので少し安心した。すると、おじいさんは近くの木に思いっきり鉞を突き立てた。幹の皮が引き裂かれ、刃が食い込んで止まった。
「木を切ってどうするの?」
ボクは恐々訊ねてみた。
「木工品を作るのさ。俺はそうして食っている」
「アーティストなのかい?」
ギョロ目がボクを睨んだ。先住民は他人の目を見つめないのが礼儀だ。白人は平気で他人の目を覗き込む。失敬な奴だ。
「アーティスト? そんな恰好のいいもんじゃない。ただの職人だよ」
「どんな物を作るの?」
「テーブルでも椅子でも注文次第さ」
「器用なんだね。父さんもクラフト製品を作ってボクら家族を養っているんだ。同業者みたいなもんだね」
おじいさんは微笑んだ。
「どうだ、家に来るか? この直ぐ近くだ。俺の作品を見せてやろう」
おじいさんは返事も聞かないまま歩き始めた。一瞬立ち去ろうと思ったが、気後れがして後をついて行った。
歩いて数分のところに家があった。林に囲まれた山小屋だった。入り口に緑色のペンキで塗られた小さな木製の郵便受けがあった。郵便を取り出し、ボクに入ってくるように手を振った。
「このポストも作ったのかい?」
「ああ、この山小屋も俺が建てた」
おじいさんは胸を張って見せた。
中に入ると、大人が一人だけ心地よく過ごせるだけの空間があった。テーブルと椅子。柱時計に窓枠。目に入るもの全てが木製だった。
「これも皆作ったの?」
「そうだよ。全てこの大自然から頂いた木で作らせてもらった。このクロスもそうだ」
おじいさんは窓辺に掛けてある木製の十字架を取り上げてボクに手渡した。十字が交差するところに星型の輝く石が埋め込まれていた。
「きれいだね、この光る石」
「そうだろう。俺の願いが込められているからな」
そう言いながら、白いあごひげを撫でながらボクを見た。
「君は何と言う名だ?」
「プリティ・ロックです」
「プリティ・ロックか。いい名前だな。でも、それは英語の名前だろ?」
「スーのことばではオーウオンヤーケイワシュテイ・インヨンって言います。部族のことばには精霊(スピリット)が宿っているんで、ふだんは心の中にしまい込んでますけど・・・・・・」
「なるほどね。俺はカール・マインツだ。カールと呼んでくれ」
「カール?」
「そう。ドイツではよくある名前だよ。コーヒーでも飲むかね」
おじいさんはキッチンに行き、薬缶に水を注ぎ、調理器の上に置いた。
「ドイツ人なの?」
「そう、生まれたのはドイツの真中にあるカッセルという町だ。ずいぶんと昔のことだよ」
カールは椅子に腰掛け、パイプに火をつけた。甘い香りがボクの鼻をついた。
「何故ドイツの人が先住民のリザベーション(居留地)の中に住んでるの?」
「昔知り合いがここに住んでいたんだ」
パイプをふかしながらおじいさんはボクを見つめていた。
「その人もドイツ人?」
「そう。サウス・ダコタのこの辺りは、ゴールド・ラッシュの頃、ドイツ人の入植者が多かったところだ。新大陸に色々な国籍のヨーロッパの人間が入って来たのは知っているだろう?」
「カール、新大陸という言葉は白人が勝手につけた言葉だよ。この大陸にはボクら先住民が元々暮らしていたんだ」
「ああそうだったな。つい口を滑らせてしまうのは良くないことだな。言い慣れてしまっている言葉を意識して使うのは、とっても難しい。許してくれ」
カールはコーヒーを入れて運んでくれた。
「ありがとう」
ボクは熱いコーヒーに口をつけた。
「ここに来る前はそのカッセルとかいう町に住んでいたの?」
カールはコーヒーカップをテーブルに置いて、しばらく黙っていたが、思い直したように口を開いた。
「ブエノスアイレスってところ知っているかな?」
「・・・・・・」
「南米にあるアルゼンチンという国の首都だ」
「何でまたそんなところに?」
「プリティ、大人になるといろんなことがあるんだよ。まあ大人に限らず、生きていくってことはそういうことなんだ」
「そういうことって?」
「プリティ、君は今いくつだ?」
「十七歳」
「十七か。若いなあ。俺は七十八だ。六十ほども違う」
カールはパイプを燻らせながら感慨に耽っているようだった。
「俺は、君ぐらいの年には既に祖国を出ていた。君はナチスということばを知っているかい?」
「ヒットラーという独裁者に率いられた組織でしょ? ユダヤ人を根絶やしにしようとした・・・・・・」
「そうだ。親爺はユダヤ人だった。ユダヤ人狩りを恐れて、一家を連れていち早くドイツを脱出した。各国にあるユダヤ人社会を転々としながら、気付いた時にはニューヨークに辿り着いたんだ。親爺はニューヨークで病死し、おふくろは弟と妹を連れて、親戚を頼ってここサウス・ダコタにやって来た。そのうちにドイツは連合国に敗れ、第二次世界大戦は終わった。その後何年かはサウス・ダコタに留まったが、イスラエルの情報機関にいた友達に誘われて、単身アルゼンチンに飛んだ。アルゼンチンにはドイツ人の大きなコミュニティがあり、ナチスの戦犯が逃げ込んでいた。その手引きをしたのがヴァチカンと言われている」
「カトリックの総本山がナチスの戦犯の逃亡を助けたということですか?」
「宗教的な理由なのかどうかよくわからないが、そう信じられている」
ボクは警戒心を緩め、カールの話に夢中になっていた。
「ブエノスアイレスでイスラエル情報機関モサドの協力者として戦犯を追い続けた。ユダヤ人の大虐殺に関わった連中は許すことは出来なかった。そのうちに身を隠してひっそりと暮らしていた戦犯を何人か見つけ、情報機関に連絡した。彼らが連行される姿を見て、体の中を脈々と流れる、亡くなった親爺の血が騒いだ」
「お母さんと弟妹の方はどうなったんですか?」
「おふくろはここで亡くなった。弟も妹も、もうこの世にはいない。俺はこのウンデッド・ニーに一家の墓を建てた。その墓を守りながら、ご覧のとおり木工品を作って暮らしている。あのスー族大虐殺の犠牲者のお墓で君と初めて出会った時、マインツ家の墓参りから帰る途中だった。ナチスに虐殺されたユダヤ人の血を引く俺が、同じく白人に虐殺されたスー族の君と出会ったというのは、何かの因縁かも知れないな」
カールの意外な過去を聞かされて、ボクは戸惑っていた。父さんの話で聞く白人というのは、いつも先住民を差別し、虐待する悪の象徴だが、今初めて聞いたカールの話では、ユダヤ人の血が流れているとは言え、抑圧されたのは白人の方だ。白人は侵略者だという決め付けは果たして正しかったのか。ボクの心は微妙に揺れ始めていた。
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