第6話

 1


 それから間もなくして、ボクは父さんと母さんが運営する部族資料館に呼ばれた。資料館は粗末なバラック小屋だが、中にはスー族の歴史を伝えるパネル展示や父さんが収集した部族の貴重な財産が収められている。

一八七六年、スー族の一派・ハンクパパの族長シッティング・ブルがモンタナの丘の頂で聖なる儀式に用いるパイプに火をつけて、アメリカ騎兵隊との大きな戦いを控え、偉大なるスピリット、ワカン・タンカに向かい、祈る姿を描いた絵画。クレージー・ホースが同胞の最強部隊を率いて、騎兵隊を敗走させる様子を大胆にデザイン化した織物。資料館を訪れる度にそれらの絵や織物から偉大なリーダーたちの勇気をもらっていた。その度にスーとして生まれた誇りを感じた。

 ボクは小屋の扉を開けて中に入って行った。父さんと母さんが椅子に腰掛けて待っていた。

「まあ、お座り」

 父さんが言った。黙って椅子に座り、父さんの言葉を待った。

「カールさんから話は聞いた。お前と一緒に行くから、ニューヨーク行きを認めてやって欲しいと言われた。それを踏まえて、母さんと色々話をした。お前が独りでニューヨークに行くことは前にも言ったように親として色々な心配事がある。でも、将来を考えると、確かにカールさんのおっしゃる通り、いい機会になるかも知れない。お前も知っているように、我がスー族は昔から若者が一人前に成長するように、息子を独りで聖山に送り、過酷な修行をさせて来た。若き肉体を痛めつけ、それに耐える日々を過ごさせて来た。さすがに最近ではそのようなことをすることはなくなったが、ニューヨークに行くことは、考え様によってはそんなイニシエーションの儀式と考えられなくもない。様々な危険の中に若き肉体を曝すことは、大人への成長にとっていい機会なのかもしれないと思うに至った。したがって、父さんと母さんはお前のニューヨーク行きを認める」

 ボクは飛び上がりたいような気がした。

「お前の学費や滞在費は父さんが蓄えから何とかする。ヘイマンさんからは保護者として宿泊の世話をさせて欲しいと心強い言葉をもらった。ありがたいことだ。ただし、余り調子に乗って、危険なことだけはするな。既に経験したように都会には様々な誘惑がある。その誘惑に打ち勝つことも、お前に課せられた修行のひとつだ。気をつけて行って来い」

「ありがとう。色々と勉強して又ここに戻ってくる」

「マリアには気をつけるんだよ。あの娘の本心は一体何なのか、母さんにはよくわからないの」

 母さんが心配顔で言った。

「うん。そうするよ。許してくれて本当にありがとう」

 ボクはもう一度、シッティング・ブルやクレージー・ホースの勇姿を見つめた。


 資料館を出ると、サザンが居た。

「どうしたんだ。何故そんなところに立っているんだ」

 ボクは怪訝そうな顔で弟を見つめた。

「兄さんのニューヨーク行きがどうなるか気になって、待っていたんだ。父さんと母さんとの話はどうなった?」

「行ってもいいと言ってくれた」

「そうなのか。よかったね」

「ニューヨークに行っている間、父さんと母さんのことを頼む」

「ああ。兄さんも気をつけてね」

「ありがとう。何かあったら、ヘイマンさんの家に連絡してくれ」

「わかった。何かあれば、すぐに連絡するよ」

 サザンが微笑んだ。

「うまく行ったかい?」

 声に振り向くとカールが微笑みながら立っていた。

「ニューヨークに行けることになったよ。ありがとう」

 ボクはカールに抱きついた。

「俺じゃなくって、ご両親のお陰だ。良かったな」

「折角だからスーの資料館を見ていって。父さんと母さんが色々なルートで収集したんだ」

 ボクはカールを資料館の中に引っ張って行った。

「息子をよろしくお願いします」

 父さんらが改めて挨拶した。

「大事な息子さんをお預かりする訳ですから、わたしも少々緊張しますが、彼の将来のためしばらくご辛抱下さい」

 そう言いながら、カールは展示品を見て回った。ボクはペンダントのクロスを手にとり、見つめた。星型の小さな石がキラキラと輝いている。

 今度のニューヨークでこのクロスは果たしてどんな人との出会い・交流をさせてくれるのだろうか。ボクの心は再び大都会へと吸い寄せられていった。


       2


一週間後、ボクはカールと一緒にニューヨークへ飛んだ。飛行機はラ・ガーディア空港に無事タッチダウンし、空港の前でイェロー・キャブを拾ってソーホーのヘイマンさんの店に直行した。途中車窓から見るマンハッタンは、相変わらず多様な民族の息吹を肌で感じられるところだった。ボクの心は再び踊り始めた。

「プリティ、よく来たな。カールさん、お疲れが出ませんように」

 ソーホーのお店でヘイマンさんと奥さんが出迎えてくれた。

「プリティ、君には前に使った部屋を用意した。カールさんは二階の部屋にご案内します」

 ヘイマンさんはカールのバッグを持って、二階に上って行った。

 ボクは部屋に入り、荷物から衣服を取り出し、ハンガーに掛けた。季節は秋に向かっていた。少し厚めのカーディガンを着、ジーンズに履き替えた。

「コーヒーよ。体を温めて」

 奥さんのポーラがドアをノックして入って来た。

「おばさん、今回もお世話になります」

「アート・スクールに通うんだってね」

「そうです。折角の機会だから、うんと勉強しようと思って」

「ここにはいいスクールがたくさんあるから。何処のスクールに通うか決めているの?」

「ええ。ロックフェラーセンターのアート・アカデミーに行きます」

「あそこはいいわ。ミッドタウンは交通が便利だし、近くには近代美術館もあるしね。ちょっと足を伸ばせば、メット(メトロポリタン美術館)や博物館もあるわ」

「本当にまたニューヨークに来られて嬉しいです」

「そうでしょうね。民族も多様だし、芸術も古代から現代まで本当に歴史のパノラマみたいなところよ。うんと勉強なさい」

 ポーラは微笑みながら、ゆっくりとドアを閉めた。ボクは熱いコーヒーを飲み、これからの日々を想像して心が騒いだ。


 翌日、入学の手続きにアート・アカデミーに出掛けた。早速次の日から絵画コースの講座に編入することになった。その足でヘルズ・キッチンにティムを訪ねた。

「プリティ、またマンハッタンで暮らすんだね。よろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「まあ、ゆっくりしていけよ。二人で話そうか」

「はい」

 ティムは同僚に店番を頼み、隣のコーヒー・ショップに連れて行ってくれた。

「マリアはどうしていますか?」

「相変わらず元気がない。スクールには通っているようだが」

「そうですか」

 ボクは、見舞いに来た時の母さんとマリアの確執を思い出していた。ティムは一口飲んだコーヒーを置いた。顔に曇りがある。

「ひとつ心配なことがあるんだ。あのソンイルが間もなく出所して来るそうだ

こんなに早く釈放されるということは、たんまり保釈金を払ったんだろう。君の治療費を支払わされた上に、事件を起こしてリムジン会社をクビになったからすぐに生活に困る。あいつはマリアが警察にタレ込んだと思っているからマリアを恨んでいるに違いない。マリアが襲われるかも知れない。どうすればよいのか、頭を痛めているところんだ」

「マリアを安全なところに移す必要がありますね」

「そうは言っても、逃げ回る訳にはいかない。ソンイルの出方次第なんだけどね」

 ソンイルの不敵な笑い顔が浮かんだ。

「いずれにしても当面は警察の保護監視下に置かれるだろうから、自宅周辺の極限られた範囲内でしか動けない。あいつの自宅はブルックリンだからミッドタウンまでは恐らく出てこられないだろう。もっとも、あいつがじっとしているとは思えないがね」

「ボクがマリアを守ります」

「何を言っているんだ。またケガでもしたらどうするんだ」

「ティムには今まで色々とお世話になっているから、少しでも役に立ちたいんです」

「気持ちは嬉しいが、マリアには近付かないでくれ」

 ティムは憂鬱な表情でコーヒーを飲んだ。マリアに近付くなと言われ、ボクは口から出かかっていた「ティムの店で働きたい」という言葉を飲み込まざるを得なかった。

 ティムの目が胸にぶら下げているクロスに注がれた。

「プリティ、いいペンダントをぶら下げているな。それは星型か? キラキラ輝いてきれいだ。それにその星型は何処かで見たような記憶があるぞ」

「実はボクもそんな気がするんです。でも、思い出せないんです」

「ほう、君もか」

「ええ」

「それ何処で買ったの?」

「知り合いのドイツ人のおじいさんにもらったんです」

「ドイツ人?」

 ボクはカールのことを話した。

「その人はユダヤの情報機関の人間だったのか。話には聞いたことはあるが、そんな人が身近にいるんだね。驚いたよ」

「でも、それはもう遠い昔のことで、今は木工クラフトの職人で、製品の販売ルートを紹介してもらって、ビジネスのためにやって来たのです。サウス・ダコタでのいい隣人なんですよ」

「ナチスに追われて国外脱出か。そしてニューヨークからブエノスアイレスに行って、戦犯を追いかけて四十年。今はサウス・ダコタの木工職人とはね。身寄りはないのかね」

「天涯孤独だそうです」

「その人は結婚したことはあるのかい?」

「アルゼンチンで一度結婚したそうですが、奥さんも病死してしまって。生まれて間もない赤ん坊の娘がいたそうですが、産院から何者かに連れ出されて行方不明になったきりだそうです」

「へえ、そうか。なかなか大変な人生なんだね」

「ビックリしました。ボクなんかカールに比べたら、本当に波風の少ない人生ですから」

「まだ君は若過ぎる。これからわからないぞ」

「おどかさないでくださいよ」

 ボクはティムと一緒に大笑いした。



 ボクはアカデミーに通いながら、ヘイマンさんの店を手伝い、アルバイト代をもらうことになった。わずかだがとても有難かった。カールはヘイマンさんと一緒にソーホーのギャラリーを回り、作品を認めてくれる店主を探す毎日を送っていた。

 ある日カールとロックフェラーセンターで待ち合わせ、マンハッタンを歩いた。

「勉強の方は進んでいるかね」

「うん。少しずつ新しい環境にも慣れて来たよ。講師の先生に出来るだけ美術館に足を運んで作品を見るように言われたんだ」

「君は前、先住民博物館の話をしてくれたね」

「うん。石油成金が六十年もかけて収集したものが母体になった博物館だよ。興味ある?」

「どうだ、これから連れて行ってもらえないか」

「いいよ。行ってみよう」

 ボクはカールを案内して地下鉄に乗った。見渡したところ乗客には黒人やヒスパニック、中国人などが多かった。カールは小声でボクに話し掛けた。

「中国人はチャイナタウンに買い物に行くんだろう。彼らは独自の食材を求める。昔からチャイナタウンはアメリカの大きな都市に必ずあった。今もそうだ。ボストン、ワシントンDC、サンフランシスコ、シカゴ、ロスアンゼルス。彼らは大都市のエネルギーを吸収しながら独自の文化を吐き出し、勢力を維持している。ここニューヨークでも同じだ」

 ボクも経験したことを話した。

「初めて来た時、モット・ストリートというアーケード街を歩いたんだ。店の軒先に豚の頭や足が幾つもぶら下がっていて、大きな包丁を持った職人が豚肉をさばいていた。商人の怒ったように響く売り声や買い物客のざわめきが絶え間なく聞こえ、驚いたよ」

「チャイナタウンは隣にあるイタリア人居住区を飲み込む勢いだと、この前雑誌の特集で読んだよ」

「そのリトル・イタリーはボクも歩いたよ。レストランがいっぱいあって、通りにはテーブルが出て、大勢のイタリア人がサンドウィッチやパスタを食べながら話し込んでいた。ブラスバンドが通りを歩いて演奏し、甲高いトランペットの音色が辺りに鳴り響くんだ。店を覗くと、壁に大きな木製のカジキマグロが掛かっていたりする」

「木製のカジキマグロか。見てみたいものだ」

「一度食事に行ってもいいね」

「そうだな。俺にはないモチーフだからおもしろそうだ」

 カールが作れば果たしてどんなカジキマグロが出来上がるのだろうか。

「マンハッタンの西部にヘルズ・キッチンというところがあって、そこは昔アイリッシュ・マフィアが勢力を張っていて、イタリアのマフィアと対決してドンパチやったらしいよ」

 カールは大きく頷いた。

「君にヘルズ・キッチンと胸に書いたTシャツをもらったね。それからヘルズ・キッチンに興味を持って、街に出たついでに本屋を覗いたら、T・J・イングリッシュという作家の本があったので早速買って読んでみた。アイルランドのマフィアは高利貸しでたんまりと儲け、借金の返済が少しでも遅れたら、法外な利息と元金を取り立てた後で、借金した人間をコンクリート詰めにして海に沈めるような連中だ。でも、結局仲間を警察に売り、全員逮捕されてしまった。ニューヨークの警官には同じアイルランドの出身者が多い。同胞の警察官に逮捕されたアイリッシュ・マフィアの心境は複雑だったろうな。ちょうどイタリアン・マフィアが同じイタリア出身で検察官出のニューヨーク市長に封じ込められたように。民族の恥部を曝け出す同胞に対して同胞が鉄槌(てっつい)を下し、民族としてのバランスを保とうとする。民族の自浄作用と言ってもいい」

「凄くダイナミックですね。民族って」

「アイリッシュにしてもイタリアンにしても、マフィアの連中は極貧の暮らしを捨て、新天地を求めてこのマンハッタンにやって来た移民だ。犯罪組織を誉めるわけにはいかないが、彼らにしても自らの民族の権益を守るために団結し、主張する。マンハッタンでは毎日何処かで民族の集いが開かれているそうだ。それはこの大都会で自らの存在を主張し、誇示するためだ。でないと多民族の中に埋もれてしまう。多数派の白人の前では尚更のことだ」

「それでマルコムXも白人から黒人の権益を守るために立ち上がったんですね」

「そういうことだな。初めてあのウンデッド・ニーで出会った時、俺は君に騎兵隊に虐殺された先達のことをしっかりと心に刻んでおくように言ったのを覚えているかい?」

「よく覚えているよ」

「そしてこれからは二度とあんなことが起こらないように心に刻んだことを後の世代に伝えていくように言ったはずだ」

 ボクはあの時のカールのギョロリと光る大きな目を思い出した。あの時は、こんなに打ち解けて話せるようになるとは思いもしなかった。もしも頷かなければ、何か怖いことをされそうな気がして、うろたえていたな。

「あれは君らスー族が部族の悲惨な歴史を大切に語り継いで生きて行くことが、自らのアイデンティティを確立するために必要だということを是非知ってもらいたいと思ったからだ。悲惨な歴史だけじゃない。先達が祖先から受け継いだ独自の伝統文化を守り伝えることで、誇り高い部族として生き抜いていくことを願ったからだ。マンハッタンに住む民族は良きにつけ、悪しきにつけ、その歴史や伝統文化を持ち続けることで、アイデンティティを確立して、多民族と隣り合わせに暮らしている。そして主張し、訴えることで伝統文化を継承していくんだ」

 カールの話に夢中になっているうちに中国人乗客の姿は消えていた。チャイナタウンに近いカナル・ストリートで降りたんだろう。ボクらも間もなく地下鉄を降り、バッテリーパークに向かった。

「ここはエリス島行の船が出るところだ。懐かしい」

 カールは船着場の賑わいを眺めていた。世界からやって来た観光客が長い列を作り、エリス島から戻る船を待っていた。

「ナチスから逃れてニューヨークに辿り着いた時、両親に手を引かれながら移民局のあったエリス島からこの船着場に着いたんだ。『自由の国万歳!』と父さんが叫んだのを覚えているよ」

 眼鏡の奥にあるカールの目が潤んでいた。

「あそこです」

 ボクは博物館を指差した。

「ああ、あれか。立派な建物だね」

 カールは玄関にゆっくりと歩を進めた。中に入り、カールを展示室に案内した。

「君らスー族のものは何処にあるの」

「確かこの次の部屋だったかな」

 ボクらは歩を進めた。

「ああ、ここにパイプのコレクションがある」

「どれどれ」

 カールは展示されているパイプを覗き込んだ。

「これはシッティング・ブルがモンタナの丘の頂で聖なる儀式に用いたパイプによく似ているね。ご両親の資料館で見せてもらった偉大なるスピリット、ワカン・タンカに向かい、祈っているシッティング・ブルの絵を思い出したよ」

「父さんはこれら伝統的なパイプは本来の持ち主であるスー族に返還すべきだと言うんだ」

「わたしもそう思う。あのご両親の資料館で公開して、消されつつある歴史を取り戻すために活用すべきだ。グスタフ・ハイが金に糸目をつけずにスーから買いまくったものは、スーの遺産として地元で保存するのが筋だと思う」

 カールとボクはスーの歴史について書かれたパネルを読んだ。

 

それまで白人探検家や宣教にやって来たカトリックのミッションに対して比較的好意的でさえあったスー族は、一八五〇年代に入ると、聖地を蹂躙(じゅうりん)し、文化を破壊しようとする白人入植者に対して自衛のため武器を持ち、戦いを開始した。


「父さんの資料館にクレージー・ホースが同胞の最強部隊を率いて、騎兵隊を敗走させる様子を描いた織物があっただろう? あの織物はスーのメディスン・マンのひとりで、有名なキルト織のアーティストが丹精込めてスーの精神を織り込んだものさ。クレージー・ホースがリーダーとして活躍したのは、一八七〇年代だ。スーの大部族ラコタとシャイアンの連合軍を率いて、灰色の狼と呼ばれたクルック将軍率いる騎兵隊を迎え撃ったのが一八七六年だった。戦闘の砂けむりの中から敵の叫び声がした。『クレージー・ホースだ! クレージー・ホースがやって来るぞ!』その真っ只中で、勝利を意味する大音声が上がるんだ。『ホカ・ヘイ!』それに呼応して連合軍が一斉に叫ぶ。『ホカ・ヘイ! ホカ・ヘイ!』その叫びは共鳴し、騎兵隊を恐怖の渦に巻き込んでいったんだ」

 ボクはクレージー・ホースが乗り移ったかのように話し続けた。

「リトル・ビッグホーンの戦いで、クレージー・ホースはカスター率いる第七騎兵隊と激突した。アメリカの最強部隊は、わずかの間に全滅し、騎兵隊の死体が山のようにうず高く積もった。スーの英雄が最強部隊を破ったんだ! でも、その英雄は後に白人の騙(だま)し討ちに合い、殺された。正面から堂々と勝負すると負けるから、騙して殺すことしか出来なかったんだ。たとえ亡くなっても、クレージー・ホースの精神は、戦いのシンボルとしてスーの心の中に生き続けているんだ。ホカ・ヘイ!」

「お静かに願います。博物館はあなただけのものじゃありませんよ」

 いつの間にか職員がボクを睨みつけていた。

「ごめんなさい。つい興奮してしまって」

 辺りを見渡すと、見学に来た人々が遠巻きにして佇んでいた。

 ボクはペコリとお辞儀をして、カールと急いでその場を立ち去った。

「いや、なかなかの迫力だったよ」

 カールが微笑んだ。

「すみません。つい調子に乗ってしまいました」

「プリティ。プリティじゃないの?」

 突然背後から若い女性の声がした。振り返って驚いた。

「マリア! どうしてここに?」

「アート・スクールから見学に来ていたのよ。わたしだけもう少し展示を見たかったから残ったの。すっかり元気になったようね。いつニューヨークに戻ったの?」

 ボクはマリアにカールを紹介した。カールはやさしい眼差しで微笑んだ。

「ボク、アート・アカデミーに入学したんだ」

「へえ、そうなの。本当に驚いた。ホカ何とか、誰かが叫んでいる声が聞こえたから来てみたの。まさかプリティだったとはね」

「ホカ・ヘイだよ。前に説明しただろ。スーの英雄、クレージー・ホースの勝利の雄叫びだって」

「久し振りだそうだから、二人でお話し。俺は独りで後の展示物を見て回るから」

 カールが気をきかせた。

「すみません。じゃあ」

 ボクはマリアと二人でミュージアム・ショップの隣にあるコーヒー・ショップに入った。

「早速だけど、もう直ぐソンイルが出て来るらしいね。ティムから聞いた。何処かに身を隠した方がいいんじゃないのか?」

 マリアは黙って下を向いた。

「君のことが心配なんだ」

「逃げ隠れするのは嫌よ。悪いのはあいつなんだから」

「それはそうだけど・・・・・・」

「それよりも体の方はどうなの?」

「うん、お陰さまですっかり良くなった。時たま思い出したように痛むことはあるけど」

「それにしても、よく来られたわね。まさか親に黙って来たんじゃないでしょうね」

「いや、ちゃんと許可をもらったよ」

「お母様には睨まれっ放しだから、わたし心配なのよ」

「考え過ぎなんだよ、母さんは」

「また付き合ってくれる?」マリアが言った。

「こちらこそ。でもティムが何と言うか」

「兄さんは大丈夫。わたしのこと信用してくれているから」

 ボクはコーヒーを飲んだ。マリアが胸のクロスを見つけた。

「あら、すてきなペンダントね。見せて」

 ボクはカップを置いて、首からペンダントをはずし、マリアに渡した。

「この星型の石、すごく良く光っている。わたしの星に良く似ているわ」

「君の星って?」

「何言っているのよ。わたしの体を知っているくせに」

「・・・・・・」

「じれったいわね。一度抱合った時に見なかったの? わたしの背中に星のような形の痣(あざ)があるのを」

 ボクは、はっとした。何処かでペンダントの星を見たと思ったのは、マリアの背中にある痣だったんだ。

「思い出した?」

「あ・・・・・・うん」

「頼りないわね。それでもこの星型は本当によく似ているわ。だってわたしの痣の形はダビデの星に似ているじゃない。あのイスラエルの国旗にある六角星よ」

「さっき君に紹介したカールが作ってボクにくれたんだ。カールはユダヤ系ドイツ人だから、ダビデの星を身近に感じて作品に盛り込んだのかも知れないな」

「そうかもね。これ、ありがとう」

 マリアはペンダントをボクの首に掛けながら、唇にキスをした。そして微笑んだ。

 唇にほんの少しだけ触れながら、しかもしっかり吸うマリアのキス。ボクはマリアの唇の感触を久し振りに思い出していた。


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