1 巨大団地


            1


 フィオンと貴一は黙って歩き続け、問題の団地にたどり着いた。


 団地の付近には、大きな川が流れていた。


 起伏のある広い道路は橋になっており、その下にも、どろどろとした臭気を放つ河水が流れている。

 護岸には、不気味な黒い汚れが付着しており、暗く淀んだ水面に、不自然な波が立っていた。

 川沿いの木々や植え込みも、微かな音を立てて震動している。


 なだらかな傾斜の頂に立って周囲を見渡す。

 ずっと先に広がる大きな交差点は、日中なら車が激しく行き交うのだが、今はがらんとして静まり返っていた。


 人の姿もない。


 この辺りは、最近では昼間でも物騒だという悪評がある。深夜なら尚更出歩く者はいないだろう。

 時折、タクシー等が悠々と制限速度を越えて走り去る。


 橋を渡り、交差点の方へ下りる途中に横道に入る坂がある。

 巨大団地へと続く道だ。


 坂を下りる途中で、フィオンは立ち止まった。

 貴一は、大きめの布袋を肩に掛けて、少し前を歩いていたが、慌てて戻って来る。


 フィオンは震えていた。


「これは武者震いというやつだ」


 貴一は今の今になって、彼女が本当に怯えている事に気が付いた。


「フィオンさん! か」

 帰ろう、と言おうとして遮られる。


「ここからは、独りで行く」


 凛々しい姿に、怯える少女が見え隠れする。

 貴一は、本気で連れ帰りたくなっていた。


 団地の奥で獣の唸りか、地鳴りのような音がする。

 フィオンは屈み込んで、アスファルトの地表に耳を付けた。


「居る」


 すい、と立ち上がったその顔に、少しずつ気迫が満ちてくる。

 荷物を受け取り、くるりと背をむけた。


 貴一は追わなかった。


 恐らく、この先は自分が踏み込める領域ではないのだろう。

 それなら、マンションの時のような足手纏いにだけはならないよう、とっとと退散するしかない。

 貴一は、堅く踏みとどまり両手をきつく握り締めた。


「飯、何回でも作ってやるから! すげえ美味いやつ」


 フィオンは振り返って手を上げ、それきり立ち止まらなかった。

 長い傾斜を下り切り、団地の入口に立ち並ぶ街路樹の向こうに見えなくなるまで、貴一はただ、見送った。


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