第1章

1 料理男子



「たっだいまー! ひゃっほう」

 深夜、玄関で賑やかな声がして、どかどかと重い足音が一直線にリビングに向かってきた。背の高い、気の強そうな美人だ。貴一の姉の真貴(まき)である。

「ふ~、久しぶりに帰れたわー。ゴハンちょうだい!」

 これ以上ないというほどの笑顔で、弟に手料理をねだる。外食が多いせいか、真貴が家に帰ってくる時は貴一の作るご飯が目当てなのだった。

「姉ちゃん足音大きいって。下の部屋に住んでる人から苦情がくるぞ。何が食いたい」

「ケツの穴の小さい男ねえ。細かいこと気にしてるとハゲるよ貴一。美味しくて身体にいいもの!」

 長い髪を揺らして肩をそびやかす真貴の、モデル並みの身長と大ぶりな胸の迫力に圧倒されつつ、貴一はパジャマにエプロンを付けて台所に向かう。

 細い廊下からリビングに辿り着くまでの間には、真貴の脱ぎ散らした上着や下着やストッキングなどが散乱していた。

「まったく、帰るなら帰るで一言連絡入れろよな」貴一には自分が母親のような小言を言っている認識はない。そう指摘されたら、わりと落ち込むかも知れない。

「いやあ、仕事がめちゃくちゃ押しちゃってさ。あたしだって泊まり込みも残業もまっぴらなのよ本当は。もー、何日ぶりだろ我が家!」

 それぞれ思い思いの文句を言いながらも、貴一は手際良く動き、真貴はパンツ一枚の裸にブルーのジャージの上下を着込んだ。

「お腹空きすぎて気持ち悪い。夕方からずっと、あんたの手料理のことが頭から離れなくって。早く食べさせてよ!」

「いつ帰って来るかわかんないんだからしょうがないだろ。すぐだからおとなしく待て」

「うう…。お腹空いた。お腹空いたよう」

 餓鬼か! 姉の扱いには慣れているとはいえ、毎度そう思わざるを得なかった。

 残っていた鶏肉と根野菜の炒り煮を温め、十五分でブロッコリーとじゃがいものチャウダーを作る。

「ほい出来た」

「うっわあーい!! いただきまーすっ」

 まずは鶏肉と人参を一緒に箸でつかみ、大口を開けて、がつっといく。

「ああ~、この味よ! 恋しかったわ。すきっ腹にしみるう!」

 目を閉じてぶるぶる身震いする。それからご飯を口に入れて、うっとり。

 そこからは一気に弾みがついた。

飢えたジャッカルのような勢いで皿を空にしていく。

すっかり平らげ、番茶をごくごく飲み干すと、手を合わせ極上の笑顔で言った。

「ごちそうさまでした」

「はいよ。ごはんつぶ、ついてるぞ。あと、そのカッコ…、いや、いいか」

 あぐらをかいて座る姉に、貴一はため息をつく。女らしくしろなんてどうせ言っても無駄なのだ。

 その姉は無意識にだろう、灰皿に手を伸ばした。何かを探すようにテーブルの上やハンドバッグの中を見ている。ライターを見つけて嬉しそうにするが、すぐに投げ捨てて、

「禁煙中だったの忘れてた!」と叫んだ。

「何度目だよ」

「失敬な。今度は人生最後の禁煙よ。宣言するけど、もう絶対喫わないからね」

 彼氏ができたせいか。貴一は思ったが口には出さなかった。

 見た目はけっこう美人でも、中身はすこぶる男らしい真貴には、なかなか恋人ができなかったのだが、やっと最近彼氏ができたと聞かされたときは驚いたものだった。

 実は、その彼氏というのは昼休み友人とウワサしていた美形の管理人、ウェスペル・アンゲルスなのである。

 彼は、北欧の島を発祥の地とする自然共存団体『コミュニオン』の日本支部長で、正式には古えより『ノアイデ』と呼ばれる役職らしい。

『コミュニオン』は基金を集結し設立された。ウォルンタース財団による強力なバックアップを得て運営されている。

 財団の出版物を日本でも販売することになった時、その和訳、編集に真貴も加わっていたのがきっかけで、二人は出会った。

 熱烈に交際を願い出たのはウェスペルの方だった、と言うのは姉の言うことなのでさだかではない。

 どうであれ、このことは貴一にとっても幸いした。

高校生になって、そろそろ自力で小遣いをアップさせたいと考えはじめていたところに、バイトの話をくれたのはウェスペルだったのだ。

始めて見れば菜園の手伝いや、たまに料理教室の先生にたのまれる献立作りも結構楽しんでやれた。時給も良く、申し粉ない。ただ、コミュニオンが一貫してコンセプトとする、自然との交流だとか、スローなライフスタイルがどうこうだとか、正直今のところも多分この先も全くピンとこない話なのであった。

 ウェスペル氏は、そんなことは構わないよと言ってくれるので助かる。そんなふうに寛大な人だからこそ、真貴と付き合っていられるのだろう。

 その姉がTVのスポーツニュースを見ながら、だらしない姿で幸せな眠りに落ちようとしているところを叩き起こす。

「寝るならベッドで寝ろよ」

 すると真貴はふらふらしながら起き上がって「風呂に入る」と宣言した。

 時計は一時を回っていた。

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