2 姉と弟
そうだ新聞も見ようと思いつき、貴一はテレビを切って立ち上がった。一階入り口の郵便受けに、今朝の新聞がもう入っているはずだ。
玄関に向かう。途中、真貴の部屋をちらっと覗いてみると、姉は相変わらずの大胆な寝相でベッドを転がっており、ミケも爆睡中だった。ある意味では、和む。
貴一はつっかけに足を突っ込んで玄関のドアノブを右手で下げ、扉を押して開ける。ちょうど外に出た所に思いがけずいた人物と、ぶつかりそうになった。
森宮朱理だ。
大きな黒い目が貴一を捕らえる。
わずか一瞬だけ貴一は硬直する。横断中、信号が突然赤に変わったような感覚だが、それは貴一の意識するところではなかった。彼は極めて平常通りに、
「おはよう」と言った。
小さな声で朱理も挨拶を返す。
よく見ると手に新聞とぬいぐるみを持っている。破れたままだった。無造作な扱いだが、いつも持っているところを見るとお気に入りなのだろう。
佳代ばあちゃんも、朱理が肌身離さないものだから繕ってやる隙がないに違いない。
貴一は急に直してやりたいという衝動にかられた。
「ちょっと待ってて」
速攻で裁縫道具を持ってくる。
朱理がぎゅっとつかんだままのぬいぐるみを、慣れた手つきで縫い始める。
ぬいぐるみの脇腹はざっくり裂けている。
あの時、ミケは本気で爪を立てたのだ。切り裂かれたのが、ぬいぐるみで良かった。朱理にとっては大事な友達なんだろうけど。
数分でオペは完了した。縫い目は目立たず、きれいな仕上がりだった。
朱理は完治したぬいぐるみを見て「うわあ……」と驚き、それから少し恥ずかしそうに、消え入りそうな声で「ありがとう」と言った。
貴一は隣のドアの向こうに帰っていく朱理のきれいな長い黒髪を見送りながら、初対面の時の彼女を思い出していた。随分印象が違う。
自宅のドアの奥で微かに姉の目覚まし時計の音がした。
「やべ!」
新聞は後だ。貴一が慌てて帰ってくると、真貴は目覚ましベルの鳴る中、まだ熟睡中だった。
「もー食べらんない……」などとベタな寝言を言う姉を起こす手はこれしかない。
貴一は大きく息を吸うと真貴の耳元で叫んだ。
「大当たり! 雄大なる大自然! 秘境タンザニア10日間の旅!!」
「まじで・・・・!!」
間髪入れず飛び起きる姉が、この頃少し可愛いと思うようになった貴一だが、ウソで起こされたからといって嫌がらせにパンツ一枚で絡んで来るのは、いい加減勘弁してほしいと思っていた。
二人の足元にミケが来ている。
豊満な胸を揺らしてミケを抱き上げると真貴は言った。
「貴一、あんた女に興味あんの」
いきなり何をこいつは、と驚愕しながらも努めて冷静に貴一は答える。
「そりゃあ人並みにはな。なんでそんなこと」
「だって姉ちゃんの裸とか平気そうだし。彼女は…いないよね」
短気なほうではない貴一だが、黙って聞き流してやれる限界を越えたらしく、
「ほっとけよ! 朝飯作ってやんねえぞ」と怒鳴ってしまう。
真貴は唇を少し尖らせたが、ふい、と洗面台に行ってしまった。
「訳分かんねえ」
すっかり不機嫌に貴一は呟いて、それでも台所に向かう。
出来た朝御飯を、真貴は何事もなかったかのように、美味しそうに完食し、元気一杯、仕事に出掛けて行った。
翻弄されている。
貴一の溜め息は朝っぱらから、重かった。
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