5 佳代とミケ
貴一は美少女を伴って階段を上がり、佳代の部屋のインターフォンを押した。
何度目かで佳代は答えた。
「はい、はい、どなた」
おっとりした声を聞いて、貴一は安堵する。
「佳代ばあちゃん、俺」
「あら貴一ちゃん。どうしたの」すぐにドアを開けてくれる。
「ばあちゃんに会いたいって孫が」
「どいて。もういいわ」
少女は、目の前に立つ貴一が邪魔になったのか、思い切り押し退けて言った。
「おばあさま、お久しぶりです。あの……遅くにごめんなさい」
打ってかわったしおらしい態度だ。
「朱理さん!? あなたどうしたの、こんな時間に」
葉書の宛て先からすると、朱理の住まいはここから三十分ほど歩く。それなのに夜中、一人で来たとなると、驚きもするだろう。
「おばあさま……!」
とつぜん美少女が、感極まったように、佳代の腕に飛び込んだ。震える孫の小さな肩を抱いて佳代もひどく戸惑っている。
この展開は、もしや家出か?
何だか訳がありそうだった。
「あの、俺、姉貴を待たしてるんで。ばあちゃん、またな」
貴一がおずおず言うと、佳代はすまなそうに頷いた。
「ありがとね、貴一ちゃん」
自室のドアに鍵を入れかけた貴一の背後で、
「ニャオーン」
と声がする。佳代の同居猫、ミケことミケランジェロだ。
これから遊びにでも行こうとしたのだろう、ミケは長いしっぽをゆったりと左右に揺らして玄関口にやってきた。
そのしっぽが突然三倍くらいに膨れたかと思うと、フーッと鋭い唸り声をあげる。
「どうしたのミケ。おまえ、忘れたの? 朱理よ」
美少女は以前、ミケランジェロと遊んだことがあるらしい。しかしミケはもう全身の毛を逆立ててしきりに対象物を威嚇している。
明らかに朱理を、だ。
貴一は目を疑った。
ミケとはとても思えない反応だった。
散歩の途中で幼稚園児たちに捕獲され存分に抱っこされたり撫で回されたり、果ては柔らかい腹の皮を引っ張られても怒ったところなど誰も見たことがない。ミケランジェロはそんな猫なのだった。
そのミケが、佳代の制止も聞かず朱理に対し激しい警戒をあらわにしている。
さすがに貴一も焦った。
今にも攻撃に入りそうな体勢だ、と思っていた矢先、
いきなり、ミケが朱理に襲いかかった。あのデブ猫がと目を疑うような跳躍力で、朱理
の首すじに飛びついたのだ。
やばい!
しかしとっさのことで、貴一も佳代も動けなかった。
幸いミケの爪は、朱理の首筋には食い込まなかった。
彼女が思わず顔を覆った白っぽい物体を引っかけ、大きく切り裂いてはいたが。
朱理が持っていたのは、古ぼけたウサギのぬいぐるみだった。
そして、何が起こったのか、次の瞬間には、朱理が片手でミケの首根っこをがっしりと掴んでいた。
少女の顔には猫に襲われた驚きも脅えも、かけらもなかった。全く動じているふうではなく、ただ、冷徹な表情と声で、確かにこう言ったのだ。
「殺されたいの」
朱理の目には暗い怒りの炎があった。しかし口元には笑みが浮かんでいる。
睨まれたミケは耳を倒し、尻尾を膨らませたまま、竦んでいるようだ。
佳代は孫の様子にますます戸惑い、ミケを案じ、どうすることもできずにおろおろしていた。そんな佳代を見て、貴一は素早くミケを取り上げ、朱理の頭を軽く叩いた。
「何やってんだ」
とたんに、朱理は我に返ったように、佳代を見やり、ミケを解放する。破れたぬいぐるみを強く抱きしめて、それきり俯いてしまった。がくがくと震えている。
「ほらミケもどうしたんだよ」
貴一が抱き上げてなだめるように撫でてやると、ミケはすぐにおとなしくなり、のどを鳴らしはじめた。
「良かった……落ちついてくれたみたいね」
佳代が心底安心したように言う。
そして、うなだれたままの朱理を自室に入らせながら貴一に、しばらくの間ミケを預かってくれないかと頼んだ。
そのうち慣れるのかもしれないが、今は朱理とミケを一緒にしてはいけないと思ったのだろう。
佳代ばあちゃんの困惑した様子に、貴一は快く引き受けることにした。
真貴が、ミケを見て大喜びする姿が目に浮かぶ。
シャンプーと飲み物の到着が大幅に遅れたのは、ミケを連れ帰ったことによって許されるだろう。
たぶん。
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