1 癒しの庭
香草と薬草の煙が棚引いている。
古来、民族を越えて、浄化の為には、香が使われて来た。
フィオンは荷袋を肩に、乾燥させた草を持って団地の敷地内と周辺を回っている。
ここはもう、リリノン・ポイントではない。
『核』は、霧散して、またどこかにわだかまる。が、『存在』を昇華した今なら、再度リリノンが現れる可能性は少ない。
が、当分の間、コミュニオンは観測を続けるだろう。
強力な核だった。
しかし、それでもフィオンに『存在』は、応えた。
全ての『存在』が、核よりもフィオンを選んだのだ。
彼女が使用したのは『言』自体を技として遣うというものだった。作為も欺瞞もない、正の感情を、『言』に乗せて叩きつける。
相手の感情を遙かに上回らなければ、『存在』は従わないので、余程、精神力が充実していなければ、この技は無効であろう。
フィオンは、そうして同調させた『存在』と心行くまで対話する。
危険は大きい。
交流をしくじれば、変性体になるか最悪の場合、死亡する。
しかし交流に成功し、昇華が完璧に成されれば、変質させた土や空気も、あるべき正常な姿に返るのだ。
「奇跡であったな……」などと独り言ちる。
全身汚れ放題に汚れているが、構わずフィオンは帰路についた。
リリノン・カウンター六件目が、終了したのである。
*
朱理が初めて治療室を出たのは、暖かい午後だった。
司磨子に手を引かれて、細い通路を歩く。
「ゆっくりだよ。毒は抜けたとはいえ、まだ本調子じゃないんだから」
一寸言い聞かせるような口調の司磨子を見て、朱理は微笑む。
「司磨子さん、ほんとのおばあさまみたい」
その頬は、ほんの微かに薄紅を差したようだった。
大きな会議室のような部屋の扉を開いて、階段を下りる。
朱理は日差しに慣れない目を細めて、
「お庭!?」と言った。
彼女は初めてコミュニオンの庭を見る。
出てみたいとせがむが、司磨子は渋って見せた。
「少しだけ。ほらもうすげえ元気なんだから」
すかさず司磨子は、朱理のお尻を軽く叩いて説教する。
「ほらっ! またあんたは。貴一の真似なんかすんじゃないの」
ピンクのうさぎスリッパでかけまわるが、すぐに疲れてうずくまった。
「ごめんなさい。でも、お庭見たい」
可愛い顔で上目遣いをされると、司磨子は弱い。
「ま、いいか。でも一寸だけだよ」
朱理はもう、玄関ホールの扉を開けていた。
澄んだ外気が流れ込む。
朱理はゆっくりと外に出た。思い切り深く息を吸う。
「気持ちいい……」
収穫の終わった畑が、丹念に耕され手入れされていた。
司磨子が上着を掛けてやっているのを、応接室から出てきたウェスペルと佳代が、見ている。
「すっかりお世話になって」
「いいえ。わたしたちも楽しいですから。それより、佳代さんは大変でしたね」
佳代は目を伏せる。
朱理には当分話さないつもりだが、朱理の母、息子の嫁が団地の片隅で亡くなっていたのだ。
心臓麻痺とされたが、明らかに変死だった。
あの団地は、変死事件、地盤沈下、怪奇現象、集団引っ越し騒動等々、しばらくの間、あらゆるメディアを賑わせていたが、ようやく風化の一途を辿り始めた。
当局は、コミュニオン日本支部の要請を受諾し、公共団体を通じて団地付近の川の調査と浄化に協力を惜しまない事を申し入れた。
それをウェスペルに頼み込んだフィオンは、一週間程、高熱を出して倒れてしまった。貴一は、毎日、ふろふき大根を作った。
同じ屋根の下にいられる事が、夢のようであった。
しかしフィオンは、ほどなく当局より次の行き先を告げる鬼のような電話が入ると、無理矢理、復活しなければならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます