3 対決
裸になった街路樹が、黒い幹を晒して並んでいた。
まるで亡者の列だ。
フィオンは、異様な気配に気付き身構える。
巨大な黒い球体が、ごろり、と現れた。
地属の『存在』だ。
それらは実に様々な形態を成す。
胸が悪くなるような臭気が、むせ返るほどに充満している。
フィオンは、『存在』を警戒しながら、それが転がって来た方向に目をやり、
「何と!?」
思わず声を上げる。
公園の土壌が沈下していた。
崩れた土の下から黒い泥が沸いている。
『存在』は明らかにそこから生まれたのだ。
黒い幹の向こうで、影が動いた。
女性だ。
ふらふらとこちらへやって来る。
フィオンは慌てて、物陰に身を隠す。
通常、『存在』は、視力では見えない。フィオンも隠れる必要性はないのだが、反射的行動であった。
女性は、しかし、フィオンを見て言った。
「おまえ、何者、だ……」
フィオンは驚き、走り出た。
「変性体か!?」
それにしては、様子が異なる。
「こいつ、いい。欲しい」
狂気を露にした顔で笑う。
フィオンは飛び退こうとして、身体が動かない事に気付く。
思いもしない事態だった。
「核か……!」
紅い蛇のような舌が、ぞろりとフィオンを嘗め回す。
「汚したい、壊したい、殺したい、…………」
歯止めのない底知れぬ欲望が、生暖かい舌を伝ってフィオンの身体に流れ込む。
全身が総毛立つ。
フィオンは『言』を叫んだ。
「石にして石に非ず。まどろみの外から、わたしは呼ぶ。剣の牙よ、フィオン・リーリウムの導き手よ! その名、ティグリス・リトス!」
フィオンのポケットから白い流線型が飛び出し、着地する。
不定型な白は、ぶるぶる、と身震いしたかと思うと、しなやかな体躯の獣になった。低く唸って、核を威嚇する。
フィオンの足が動いた。
核の束縛から、するりと逃れて獣のいる側へと飛び退る。
フィオンは、再び『言』を呟いた。
「『存在』融合」
白い獣が姿を消す。フィオンは、態勢を整える僅かな間に、通常の彼女ではなくなっていた。
『存在』と完全に一体となる技は、コルム・キル学科の全課程に於いて中心となるものである。
核に向かって駆ける。獣の疾走だ。
「こいつ、使えない」
核は、吐き捨てるような声と共に、上空高く飛び上がり、人の体重を持たないかのような身軽さで団地の屋上を移動する。
フィオンは壁を駆け上がり核を追った。
核が『存在』を纏っていない今が、絶好の機会だ。
人の手で汚染され忘れ去られた『存在』達は、人の澱である核との融合によって疑似意識を持ってしまう。
(よごしたい、こわしたい、ころしたい、…………)
あの黒い泥は、近隣の川から引き寄せられた『存在』が、正常な土を自らの成分に似せて変質させたものだろう。恐らく、毒を含んでいる。
住民は毎日少しずつ、病んでいくだろう。身も精神も。
病みの塊に操られた女が、高音域の奇声を上げた。
およそ尋常ではない逃げ足である。
白い獣の足でも追いつけず、フィオンは焦った。
思い切り身体を落とし、だん、と地を蹴って跳躍する。辛うじて女を捕らえるが、そこはもう建物の外だった。
女の身体を庇いながら、地面にめり込むかと思う程の重力を感じて着地する。
女は躯だった。
もう随分以前に血の気の失せていた顔は、驚愕の表情で固まっている。
そこに核はいなかった。
『入れ物』を捨てて霧散したのだ。
地鳴りが響く。
『存在』が動き始めた。
核が融合してしまったのだ。
リリノン・カウンターの詰めが甘いのは、経験不足というしかなかった。
フィオンは、「畜生」と呟いた。自分に対してだ。
しかし、こうしてはいられない。
『リリノン』が、出現する。
なだらかな球体だった『存在』が、激しく刺を突き出し始めた。
淀んだ大気を震動させて、ゆっくりと形態を変えていく。
フィオンは、もう一つの石を取り出す「貴なるもの。唯一の閃光。わたしはその強固さを欲する。金剛よ、フィオン・リーリウムの導き手よ。その名、アダマース・リトス」
目の前に、閃影を見る。
次の瞬間にはもう、地面に叩きつけられていた。
リリノンの、鋭い尖りのある触手に腹を突かれたようだ。
フィオンは一度に一つしか『存在』融合出来ない。白い獣の力はすでに解され、今は、金剛の『存在』を伴っている。
「かたじけない」フィオンは、自分の腹に風穴のない事を確かめて、『存在』への感謝を呟いた。
フィオンの身体を掠め、触手が地を突く。
転がって交わすが、荒れ狂う無秩序な突きに、形勢逆転は不可能かと思われた。
散々になぶられ、臭気にやられて、気が遠くなってくる。
そしてフィオンは、触覚の鞭に撥ね上げられて落下し、動かなくなった。
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