信じた道を行け(後編)

「で、なんでお前はずっと見ているんだ……」


 そのひとみからの視線に、真は呆れてそう言った。


「なんでって、真くんがちゃんと着替えられるかチェックしているのよ」

「子供じゃあるまいし……」

「でも、これまでスカートを穿いた経験なんてないでしょう?」

「そりゃそうだが……」

「じゃあ、やっぱりちゃんとチェックする必要があるじゃない」


 その下心まる出しの、にへらとしたたるんだ笑顔を見ていると、真はなんともいえない気分になる。

 そもそも、自分の下着や着替えになんの価値が有るのだろうか。

 真自身にはそれがわからなかったが、それでも、このひとみを満足させてやるのは癪に障るというのは確かな思いであった。


「第一、人に着替えを見られたら恥ずかしいだろうが。そういう羞恥心こそが魔法少女に必要なんじゃないのかよ」


 なんとかしてひとみを遠ざけるべく言葉をぶつける真。

 だが、その程度ではひとみはまったく揺らぎはしない。


「確かに羞恥心は大切。でも私はあなたのパートナー。なんの問題もないわ」


 相変わらず手ぐすね引くかのごとく、真の着替えの瞬間を今か今かと待っている。

 爛々と輝く瞳は、一瞬足りともその姿を見逃すまいと見開かれたままだ。


「真性の変態にしか見えないぞ、その目つきは」

「同性なら見られてもいいじゃない。減るものでもないし」

「同性じゃないだろまず根本的な問題として」

「同性の気持ちになるのよマコピュアとして」

「同性に対するものじゃないんだよお前の目付きも手付きも」

「同性かどうかは関係ないわ。これは真くんが相手だからそうなるだけよ」

「同性とかそういう問題じゃないってことかよ……」

「同性でも異性でも、真くんは真くんよ」

「本性をいよいよを隠さなくなってきたな……」

「活性化するのよ、真くんを見ていると」

「女性としてもう少し慎みとかその辺をなんとかしろ」

「個性よこれも」

「個性といえばなんでも許されると思うなよ」

「習性ならどう?」

「根性入れて治せ」

「感性豊かなのよ。私は」

「悪性としか言いようがない……」


 そんなやりとりをしながら、暴走寸前のひとみの態度に真はもう後がないことを感じていた。

 このままでは、着替えを見られるだけでは済まなさそうな雰囲気すらある。

 それでもまだ、真は何かしらの可能性を信じようとしていた。


「そもそも、なんでそこまで俺の着替えが見たいんだ」

「ずっと夢だったの。高校に入って、初めて真くんの姿を見てから、ずっと……」


 うっとりとそう語るひとみの姿は、まさに夢に夢見る乙女そのものであり、まるでどこかの絵本のワンシーンのようですらある。

 だが、その口から出ている言葉は、よこしま極まりない下心だ。


「ひどすぎる夢だな……」

「そんなに簡単に人の夢を否定するのは良くないわよ、真くん」


 口を尖らせて真の言葉に食って掛かってくるひとみ。

 そうやって夢を否定された少女が見せるその動作もまた、ある種の愛らしさを感じさせるものだ。

 もしも、もしもまったく無関係な状況でその姿を見たら、真も一発で魅入られてしまったかもしれない。

 しかし、今は状況が悪すぎる。

 内容が内容だけに、真としても黙ってはいられない。


「いやいやいや。まず否定される部分が多すぎるからな、お前のその夢は。人の着替えを見てみたいなんて夢が認められてたまるか」

「純粋なのよ」

「純粋に不純だよその夢は」

「まあひどい」

「ひどいんだよお前の夢は」

「やれやれ、言い合っていても埒が明かないわね……」

「まったくだ」


 そしてお互いため息をつく。


「時間がないから今回は俺が折れるが、いいか、変なことを考えるんじゃないぞ」

「なによその態度。そもそも、今こうやってるもの、マコピュアになるためってことを忘れていないでしょうね」

「それは……」


 そこを出されると真も言葉に詰まる。

 状況に大いに不満はあるし、それ以上にひとみの態度には物申したいところだが、現実として明日にはあの黒い魔法少女と向き合わねばならないのだ。


「……わかった。着替える」

「着替える、じゃないでしょう、マコピュアちゃん

「……着替えます」

「わかればよろしい」

「おのれ……」


 そう言いながら、真はゆっくりとブレザーの上着を脱ぐ。

 普段なら適当に脱ぎ捨てるところだが、目の前にひとみがいるとさすがにそうもいかない。

 そもそも着替える理由を考えると、宇佐美真の日常生活のように振舞っていてはなんの意味もないのだ。


「ほら、上着持つわよ」


 気を利かせたのか、ひとみが持て余していたブレザーを受け取るべく手を出してくる。

 何気なしに預けるが、その後のひとみの反応を見て真はすぐにそれを後悔する。


「ああ、これが! これがさっきまで真くんの来ていた服!」

「おいやめろ!」


 思いっきり服に顔を埋めようとするひとみから、真は半ば強奪するようにそれを奪う。


「ちょっと、なにするのよ!」

「それは完全にこっちの台詞だ。いいか、俺だって我慢して着替えるんだからお前も自重しろ」

「仕方ないわね……。ああ、目の前に真くんの脱ぎたての服があるのに」


 そう言いながらも、真が鬼の形相をしているのを見てか、ひとみは諦めたように、さも残念そうなため息を付いた。

 ブレザーを脱ぎ、いよいよ真はベルトに手をかける。

 服に余計なことをしなくはなったものの、ひとみの視線は相変わらず恐ろしいほど真剣だ。


「写真、撮っていい?」

「ふざけるな」

「冗談、冗談だってば」


 拒絶しなければ間違いなく撮っていたことを確信しながらも、真はもうそれ以上はなにも追求しなかった。

 これ以上話をこじれさせては、問題が膨らむばかりだ。

 おそらくひとみはどこまでも問題を拡大させ続ける。

 それを心で理解できた時、真は考えるのをやめたのである。

 ベルトを外し、ゆっくりとズボンを下ろす。

 真はもちろん無言だったし、ひとみももうなにも言わずにただ見ているだけだ。

 静かな部屋に、ひとみの生唾を飲む音が聞こえる。

 パサリ、とズボンが落ちる衣擦れの音がする。

 女子の部屋でズボンを脱いでいるというのに、真は自分の置かれている立場に悲しさと虚しさしか覚えない。

 なにしろこれからスカートを穿くのである。

 しかしその一方で『女子の部屋でズボンを脱いだあと本来起こるべきイベント』について考えても、あまりいい未来は浮かばない。

 その女子は、ズボンを脱いだ自分をまるで野獣のような目で見続けている。

 口元からは、今にもよだれが垂れそうだ。

 美少女が台無しである。


「ほら、次はスカート、そしてこの下着も」

「いや待て」


 ひとみの手には女性物の下着がある。

 白い、比較的シンプルな、いかにも清純そうな下着だ。


「大丈夫よ。なにも変なことはしていないわ」


 そう言ってひとみはその手に持った下着を広げてみせた。

 その元のデザインの清純さも相成って、新品特有の無垢さが見ただけでもわかる。

 柔らかそうで、繊細で、真が普段穿いている質実剛健な男性物のトランクスと同じ下着というカテゴリーの衣類とは思えない。

 女子はみんなこんなものを身に着けているのか。

 真はあらためて、秘匿されていた世界の神秘を見たような気分になってくる。

 そんな下着を、美少女が、自分に向けて手に持って広げているシチュエーションは、絵面だけ見ればなんとも背徳的なエロスを感じるものである。

 真にも、全ての先入観を捨てればこれほど興奮するような状況はそうそうないことは理解できる。

 理解はできるのだ。

 しかし現実は違う。

 現実は、恐ろしい。

 なにしろ、その下着を今から自分が穿けと言われているのである。

 それによって、この状況がこれほど重圧になってしまうとは。

 しかも、それはつまり、自分が下着を脱ぐということである。

 グレーのチェック柄の地味なトランクスの代わりに、この白く無垢な下着を身に付けるのだ。


「今、まさに変なことをさせられようとしてるんだが」


 もし、自分の下着をひとみに渡したら、いったいどんなことになってしまうのか。

 真が恐れているのはそれである。


「お前、俺の穿いたそのパンツをどうするつもりだ」

「もちろん、家宝にするわ」

「……俺が引き取る」

「私からのプレゼントが真くんの家に!」

「……焼こう」

「そして真くんがその空気を吸う!」

「もういい、お前にやるよ……」


 最後に真はそう言った。

 そこにあったのは、諦めの境地だった。


「それよりスカートだ。話はそれからだ」

「はいはい」


 手渡され、輪になった部分に足を入れる。

 ズボンと違い、脚の出すべき分割部分がないことに、あらためて違和感を覚える。

 動かすと右足と左足が直に触れるのだ。

 考えないようにしてフックの金具を止めようとするが、そこで一つ疑問に突き当たる。


「えっと、これ、シャツは入れるのか?」


 もちろん、キッチリとした着こなしなら当然入れるのだが、そのあたりはクラスを見る限り男女ともいい加減だ。

 多くの生徒は入れているが、一部の生徒には普段出しっぱなしにしているのも見受けられる。

 ちなみに、真自身はその一部の生徒に含まれる。


「うーん、マコピュアのキャラから考えると、入れないとダメね」

「そうか……」


 マコピュアと真との違いはこういうところにもあるらしい。

 大雑把にシャツを入れ、スカートのホックを止める。

 なぜかサイズがほぼ完璧なことを実感して恐ろしくなるが、今はもうそれを口にはしない。


「しかし、相変わらず脚というか股のあたりがスースーするな、この服装は……」


 既にこれまでの変身でスカートも何度も体験してはいるのだが、それでも、真は未だにその感覚に慣れることができずにいる。


「どう、自分の意思でスカートを穿いた感想は」

「脚がスースーする」

「そう、それが第一歩よ。真くん、いいえ、マコちゃん。あなたは生まれ変わったの!」


 ガッシリと肩を掴み、ひとみはまっすぐに真を眼を見つめてくる。


「で、どうすればいいんだ」

「次は下着ね。はいこれ」

「マジか……」


 手渡された女性用下着に、真はあらためてその存在感に戦慄する。

 それは、住む世界の違いを感じさせた。

 これは、自分のような男が穿いていいものではない。

 そして、穿くと、おそらく戻れなくなる。

 宇佐美真は、死ぬ。

 社会的に。

 人格的に。

 それほどに、その白い三角の布は真の住む世界からかけ離れた場所にあった。


「さあ、まず脱いで、そして穿いてみせて」

「……無理だ。これは、無理だ……。これは俺が穿いていいものじゃない……」


 そう漏らした真の言葉には、ある種の絶望が滲んでいた。

 そこには、ありとあらゆる超えてはいけない一線がある。

 それを、言葉や形ではなく、存在によって実感していた。

 ひとみもなにか言おうとしたが真の顔を見て口を閉ざす。

 それほどまでに真はそこにある壁を思い知らされていた。


「……まあ、仕方ないわ。変身すれば自動的に女性物になるんだし、とりあえず今回はスカートだけでも第一歩ということにしておきましょう」


 真はなにも答えない。

 こうして真は、一歩道を進んでしまったのである。

 そしてスカートを穿いた真は、ひとみの部屋で実に様々な話を聞かされた。

 話だけではない、様々な点において、実演を交えて徹底的に指導されたというのが正しいだろう。

 魔法少女がいかに振る舞えばいいか。

 女子高生はどういった存在か。

 どう喋り、どう動き、どうそこにいればいいか。

 真の知識と照らしあわせてもそれが明らかに偏った、追川ひとみの求める理想の宇佐美マコト像でしかないことは明白だったが、さりとて宇佐美真そのままの振る舞いはそれ以上の論外なのも自覚していた。

 そんな風にして、宇佐美真は『宇佐美マコト』へと作り変えられていく。

 真自身、自分がどこにいるのかわからなくなっていく。


「まあ、この辺が一夜漬けの限界かしらね……」


 そうしてもうすぐ日付が変わろうかという頃、ようやくひとみの指導は一段落を迎えた。

 真はなにも言わずに部屋の隅に座っている。

 あまりにも疲弊していた。たとえその気があったとしても、間違いを起こす気力も残っていない。

 最後の良識を振り絞り、なんとか立ち上がる。


「じゃあ、私は帰るから……」


 真の言葉は既にマコトのものである。


「ええっ、泊まっていかないの? 一緒のベッドで寝ましょうよ!」


 冷静に考えると色々と恐ろしい発言であったが、今の真にはそれになにか返す余裕もなく、力なく首を横に振る。

 今はただ、一番慣れた自分の部屋のベッドで、落ち着いて眠りたい。

 それしか考えていなかった。


「じゃあ、明日、また来るね」


 学校は休むことはもう話し合って決めてある。

 少なくとも、マコトとしてこの格好で学校には行けまい。


「うん、じゃあ、また明日」


 ひとみも疲れているらしく、深くは追求してこない。

 そして宇佐美マコトは帰路につく。

 まだ日が変わっていないことを確認して、変身し、そのまま家まで飛んで行く。

 もう、変身後にスカートに違和感を覚えることはなかった。

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