ヒーローになりたい俺の、魔法少女という解釈違い

シャル青井

彼が変身する!

彼が変身する(前編)

 宇佐美真うさみまことには特別な才能がある。


「どうやら俺の【千里感知周波サウザンドマイル・ソナー】が、正義を呼ぶ声を感じ取ったようだな……」


 悲鳴を聞いた彼はそうつぶやき、耳を澄ませてその方向を探る。

 ここまでなら誰にだってできることだ。

 だがこの正義に憧れる少年、宇佐美真がそういった凡百の人々と異なるのは、次の瞬間にはなんの迷いもなく声の方へと走り出しているところである。

 トレードマークである赤いマフラーをはためかせ、土手を滑るように駆け下りるその姿は、まさに正義のヒーローさながら。

 では、正義とはなにか。

 この価値観の多様化した社会において、『正義の味方』の定義を答えられる人間などいないことだろう。

 そんな時代にに憧れた少年は、いったいどうすればいいのだろうか。

 それがわからないまま、宇佐美真は今日も正義のために走り続けるのだ。

 この日が、彼の正義の本当の始まりになるとも知らずに。


「そこまでだ!」


 まず、なにはなくともまず叫ぶ。

 こんな時代では正義は主張し続けなければ正義になれない。ここから口上につなげるのが真のスタイルである。

 だが橋の下にあった光景に彼は驚愕し、それ以上の言葉を失ってしまった。

 悲鳴の主とおぼしき怯える少女の前にいたのは、犬の着ぐるみのような姿をした、正体不明の存在だったのである。


「えっ、いや、なんだ、こいつは……?」


 慌てて間に割って入った真も、最初はそれを着ぐるみかなにかだと思ってしまった。

 犬ということ以外まるでわからない、しかしそれでいて、犬であることは確実なフォルム。

 デフォルメされた白い巨体は、いかにもショッピングモールで風船なんかを配っていそうである。

 ゆるキャラ、といわれればゆるキャラのようにも見える。

 しかし少女の前にいるそれには、そういったマスコット的存在と決定的な違いがある。

 その大きな目玉は爛々と輝き、口は不自然なほど大きく開かれている。

 そしてなにより、そのギラついた表情からは『ゆるさ』など微塵も感じられないのだ。

 中に人が入ってる着ぐるみとは全く異なる、生物そのものの挙動。

 現在の技術では、CGでもない限り着ぐるみでここまで自然な動きを再現するのは不可能だろう。

 特撮好きの真には、それが嫌というほどわかる。

 しかし問題は画面の中のCGではなく、実際に目の前にいるということだ。

 つまりこれは現実。

 その事実に、真の思考が追いつかない。

 こいつが着ぐるみではないのなら、いったいなんだというのか。

 夢か、それとも幻覚か。

 現実であると理解していても発想がついてこない。

 しかし真の戸惑いや意識とは関係なく現実は進み続ける。

 まず、背後の少女から飛び出した意外な言葉がそれを押し進めた。


「え、宇佐美君? ホントに宇佐美真くんなの? ホントに来てくれたの? 本当に!?」

「え?」


 突如自分の名前を連呼されて、真は驚きを隠せなかった。

 よくよく見てみれば、真も確かにその少女に見覚えがある。


「え、えっと確か……、おいかわ……ひとみ……だっけ? 同じクラスの……」


 思いがけない人物との遭遇に、真は思わずしどろもどろになってしまう。

 正義に生き、正義に恋しているとさえいっていい真にとって、女子は別世界の存在でしかなかったのだ。

 ヒーローは常に孤高で孤独。

 五人で戦う戦士より悲しき改造人間の方が好きな真には特にそういうものだった。

 そんな風にしてクラスでも孤高を気取っていた真なので、入学してそろそろ二ヶ月になるのに、その少女の顔を見ても彼女が誰なのかはっきりと思い出せなかったのである。

 そもそもの問題として、まじまじと女子の顔を見ること自体が真にとっては人生でほぼ初めての行動なのだ。


「いや、その反応はちょっとひどいよ宇佐美君! クラスメイトでしょ! そうよ、私は追川おいかわひとみよ!」

「そう、だったっけ……」


 目の前の着ぐるみモドキを牽制しながら、真は質問にぼんやりとした答えを返す。

 記憶を総動員するが、未だにイマイチ思い出しきれない。


「自己紹介もしたでしょ? そもそも席も後ろじゃない!」

「そう言われると……」


 そこまで言われて、ようやく真の記憶もうっすらと蘇ってくる。

 確かに入学式から席順は出席番号順だった気もするし、自分の後ろの苗字は追川だった気もしてくる。


「名前くらいちゃんと覚えておいてよ! いい、私は追川ひとみよ、追川ひとみ!」

「あ、ああ」


 ひとみは抗議の声を上げるが、真としてはどうにも答えようがない。

 変に意識をしてしまって、顔もまともに見られなくなっている。


「い、いや、そもそもたぶん人違いだ。俺は宇佐美真なんかじゃなく、正義のヒーロー、龍聖騎士ドラグディンだからな」

「あ、ふーん。なるほど、そういう事になっているんだ」

「なんだよ、その反応は……もういい、とりあえず話はあとだ。今からあの化物を倒してやるからな! 行くぞッ!【彗星輝翼メテオテイル・ストリーム】」


 大きめのマフラーで口元を隠し、自分の感情を誤魔化すようにそう叫ぶ。

 そして助走をつけ、勢い良く跳躍する。

 これが【彗星輝翼メテオテイル・ストリーム】。

 これこそが、宇佐美真の最強必殺技である。

 もっとも、実際のところはただの飛び蹴りだ。それでも、この蹴りは真の運動神経の高さによって必殺技にふさわしい威力を持っており、これまで幾多の喧嘩で彼に勝利をもたらしてきた。

 だが、今回はそれまでの勝利とは違う結果となった。


「えっ……」


 蹴りが届いた瞬間、思わず真の口からそんな声がこぼれ落ちた。

 脚に残るのは、まるで分厚い壁を蹴ってしまったかのような衝撃。

 その着ぐるみの怪物は、胸に強烈な飛び蹴りを受けたにもかかわらず、まったく動じることもなく、悠然とそこに立っていたのである。

 少し遅れて、反動がそのまま真へと跳ね返されてくる。

 それが全身に伝わり、跳ね返るように弾き飛ばされ、受身を取ることも出来ないまま背中から地面に落下する。

 その落下の強い衝撃に圧迫され、一瞬、呼吸が出来ずに意識が飛びかける。


「そんな……【彗星輝翼メテオテイル・ストリーム】が完全に入ったのに……」


 倒れたまま、真はぼやけた視線で怪物の後ろ姿を見た。

 怪物は真の渾身の蹴りなど意にも介さず、注意さえも払わず、ゆっくりとひとみに迫っていく。

 痛みからか、呼吸困難からか、それとも敗北の喪失感からか、真の目にはまるで、目の前の光景が遠い世界の出来事のように映る。


「宇佐美君っ……!」


 朦朧とした真の意識に、ひとみの声だけが届く。

 助けを求める、悲鳴にも似た叫び声。

 闇の淵にある精神の中にあっても、それが自分を呼ぶ声であることはハッキリと分かる。

 誰かが、自分に助けを求めているのだ。


(そうだ……立たないと……!)


 声にも出ない決意。

 ここで立ち上がらなければ、正義を裏切ることになる。

 立つ。

 立たねば……!


「……やめろ……」


 自分を奮い立たせ、痛みを振り切り、残った力を絞り出して真は立ち上がった。

 静かに、大きく息を吐いて呼吸を整え、歩き続けている怪物の背中を見据える。

 だが、真の声は怪物には届いていない。

 振り返ることもなくひとみを追い詰めようとゆっくりと歩き続けている。

 ならば、もはやなりふりなど構っていられない。


「止まれよッ……!」


 低い姿勢を取り、全体重を乗せたタックルで怪物へとぶつかっていく。

 今の真が、もっとも確実にその足を止められる手段を選んだのだ。

 もはやなりふりなど構っていられない。

 真の考えていた正義のヒーロー像には程遠い、泥臭い一念による行動だったが、だからこそ、その行為はまぎれもなく英雄的であるといえた。

 強烈な体当たりから、怪物を止めるべくそのままその腰にしがみつく。

 だがそれでも、怪物は倒れるどころか、逆にしがみついた真を引きずったまま悠然と歩いていく。


「くそッ、くそッ、止まれ、止まれよッ!!」


 なんとか怪物を止めようと、しがみついたまま足や腰に攻撃を加える。

 だが、石でも殴りつけたかのように、真の拳にばかり痛みが蓄積していく。

 拳が擦り切れ、真自身の血で赤く染まる。

 それでも、彼は怪物を殴り続ける。

 それが彼に残された、正義のヒーローとしての最後の手段なのだ。

 だがその時、不意に怪物の足が止まった。


「えっ?」


 どうやらさすがにうっとおしいと思ったらしい。

 怪物の赤い目が、己の腰の辺りにまとわりつく存在を見下ろしている。

 見開かれた大きな瞳が真を射抜く。

 恐怖が焼き付けられる。

 しかしそれを意識するまでもなく、真の顔にその白く巨大な手が迫る。

 そして怪物はそのまま真の頭を掴むと、強引に自らの身体からその邪魔物を引き剥がした。


「うぅ、あぁぁ……」


 頭蓋骨をそのまま潰されそうなほどの握力で持ち上げられ、真の身体は自由を失って宙に浮く。

 脳までも締め付けられるような痛みに視界が歪み、目の前の怪物が滲んで見える。

 自分の頭の内側からなにかが軋む音が聞こえる。

 見た目はただの着ぐるみのその姿に、真はもう戦慄しか感じていない。

 死ぬ。

 殺される。

 それが今まさに、目の前に真のある現実だ。

 それでも真が最も悔しかったのは、自分がなにも出来ないままその瞬間を迎えてしまいそうなことだった。

 そして、まるで子供が飽きたおもちゃを捨てるかのように、真は怪物によって放り捨てられた。

 真の身体は、自分の意思とはまったく無関係に、勢い良く空中へと投げ出される。

 真の目には、全てが遠くスローに映る。

 怪物も、追川ひとみも、地面も。

 不思議と、その瞬間にはもう恐怖を感じていなかった。

 恐怖だけではない、あらゆるものにひどく現実感がない。

 ただ無機質に、静かに、ゆっくりと景色だけが流れていくのだけが見えている。

 視界に、不法投棄されたゴミの山が近づく。

(そうか、死ぬのかな)

 そんなことを考えながら、宇佐美真はそのゴミの中に頭から落ちていった。


 だが、彼は生きていた。

 生きているから辛いのだ。

(無力だ……)

 戻ってきた現実に、真の心が嘆きの声を漏らす。

 目の前に救うべき人物がいるのに、今そこに探し続けていた正義があるのに、なにも出来ずにこうしてゴミに埋もれたまま倒れているのだ。

 視界の隅にあの怪物が映っていても、身体が動かない。

 もはや全身の感覚そのものがほとんどなく、声さえも出すことができない。

 だが彼はまだ生きている。

 生きているから辛いのだ。

(俺は、無力だ……)

 朦朧とした意識の中で、思わず涙がこぼれた。

 今や全てを否定され、真の動かぬ身体には、ただ無念さだけが残っている。

 もはや、その涙を止めることなど出来るはずもない。

 だがその時、不思議なことが起こった。


「君の涙、確かに受け取ったピョン」


 零れ落ちた涙を掬い上げるように、どこかから声がした。

 ふと気が付くと、目の前に、光るウサギが浮かんでいる。

 頭でっかちで顔と身体の大きさがアンバランスな、白い、ぬいぐるみのような大きさと質感の奇妙なウサギ。

 極端に現実感のないその姿は、まるで怪物にも天使にも見える。

 声の主は、このウサギだ。


「……お前も、あいつの仲間か……」


 闇に落ちていきそうな意識をなんとか踏み止め、残りの命を燃やして声を絞り出す。

 目の前のぬいぐるみと着ぐるみの怪物。

 この異常なモノたちの正体を知らなければ、死んでも死にきれない。


「いや、僕はむしろあいつらを止める方だウサ。そんなことより、君の涙は希望の力を得たピョン、ほら、受け取るウサ」


 ぬいぐるみのウサギがその手を差し出してくる。

 小さなウサギの手の中に、小さな光の塊が見えた。

 見たこともないはずなのに見慣れたようなその光。

 これを掴まねばならない。

 真は、全てがそれで決まることを本能で察する。

 必死に手を伸ばす。

 人生の、己の全てを賭けて、真は動かない身体を少しでも前へと押し出すべく力を振り絞る。

 腕を限界まで引き伸ばし、肩が外れそうになる。

 指はその感触を求めてもがき苦しんでいる。

 そんな震える指先が、わずかにその光をかすめた。

(触れた……)

 その感触とともに、柔らかな光は、指先からそのまま体内へと溶けるように染み込んでいく。


「……これは……」


 右手から流れ込んだやさしい熱を、真は今、己の内側に感じていた。

 痛みは消え失せ、傷などないように身体が動かせそうだ。

 そして手の中には、その光の代わりに、赤い宝石をかたどったバックルを持つ一本のベルトが残されていた。

 銀色と基調とし、赤い宝石が中央に据えられた、想いが実体化したかのようなベルト。


「それが君の願いの結晶だ。さあ、変身だピョン!」

「ああ……、ああっ!」


 ゆっくりと立ち上がり、バックルを腰に当てる。

 ベルトはまるで最初からそうであったかように腰へと巻きついていく

 自分でもわかる。

 今こそ、変身の時だ。

 鋭く、右手を肩越しに斜め上へと突き上げる。


「変……身ッ!!」


 そしてゆっくりとした右腕の回転から、勢い良く降ろした右手でベルトの赤い宝石に触れる。

 その瞬間、真の身体はピンクの光に包まれ、全てが終わったときそこに立っていたのは――。

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