彼が変身する(中編)
「な、な、なんだこりゃ!!」
置かれている状況も自分の立場も全て忘れて、思わず真は叫んでしまっていた。
フリルまみれの腕と胸となった服、そしてなにより少し短めのスカートが目に入り、否応なしにその惨状を思い知らせてくる。
真の目からはまだ全体を確認出来ていないが、そこに立っていたのは、水色を主体とするレース過多な衣装を着た、かわいらしい魔法少女となった宇佐美真なのだ。
真に伝わるのは目からの情報だけではない。
太ももの辺りに風が当たってなんともむずかゆい。
スカートを穿いた経験のない真でも、自らの状況がどういうことなのかはなんとなく想像がついた。
「おー、凄く似合ってるウサ。やっぱりこの世界の少女の想いは強いピョン」
「待て」
低い、ドスの聞いた声とともに、真はそのウサギの耳を鷲掴みにする。
「俺は男だ。俺が変身したかったのはヒーローだ。なのに、これはなんだ?」
「えっ、男? そ、そ、そんなはずはないウサ……、こんなにかわいい子が男の子のはずがないピョン」
「おい待て」
だがそれを追求する前に、金切り声が現実に引き戻す。
「いやっ……来ないで!!」
見ると追川ひとみが、ついにあの着ぐるみ怪物に追い詰められ、捕らえられようとしている。
「クソッ、話は後だ。まずは奴を倒す。出来るんだよな?」
真に耳を掴まれたまま、ウサギは何度もうなずこうと身体をゆする。
「もちろん、もちろん、だから早く離すピョン……」
「よし、なら今こそ、正義を貫く時だ!」
ウサギのぬいぐるみを投げ捨てて、真は再び怪物の元へと駆けていく。
(身体が軽い……、この力、やはり本物なのか)
走り、地を蹴るたびに、真はそれを実感する。
いままで体感したこともないような、身体の動きとキレ。
空までも跳べそうな脚の力。
これが、変身するということなのか。
「そこまでだ!」
そしてもう一度、今度は完全なヒーローとして、宇佐美真は怪物の前に立ちふさがる。
「えっ! そんな、まさか……」
だがそんな真の姿を見て、怪物以上に、追い詰められていた追川ひとみの方がまず驚きの声を上げていた。
(しまった、こんな姿だとどこからどう見てもただの変態じゃないか……)
力を手に入れて喜び勇んで飛び出してきたものの、真は自分の今の格好を思い出して、なにも考えずに浮かれていたことを後悔しはじめた。
真を知る人間がこの姿を見れば、十人中十人がそういう趣味だったのかと思うことだろう。
とはいえ、ここまできてしまってはもはや後には引けない。
やるしかない。
そんな真の心情を察したかのように、脳内にあのウサギの声が響いてきた。
(大丈夫だピョン。認識をずらす魔力で、姿を見られても変身前の君とは結びつかないようになってるウサ。そもそも髪型とかも変化してるピョン)
魔法少女にありがちとはいえ、便利な能力もあるもんだ。と真は思う。
ヒーローとなって必死に正体を隠す妄想をしていた真としては、いささか拍子抜けではあったが、この姿ではそんなこともいっていられない。
「とりあえず、その娘から離れてもらおうか。俺が相手になってやる」
腰を落とし、低い我流の構えをとって、真は再び怪物と対峙する。
深く考えると気が滅入るので、魔法少女の姿であることは意識の外へと追いやる。
「ゼツボウ……キボウ……イシ……」
真を見た怪物の口からうめき声が漏れる。
言葉であるが言葉になっていない、そんな声だ。
そして怪物は、追い詰めたひとみからあっさりと向きを変え、真の方を睨みつけてくる。
「なかなか物分りがいいじゃないか……」
着ぐるみもどきの怪物の奇妙な目には、もはやこちらしか映っていない。
それを察した真は、慎重に横へと移動し、少しでも怪物を引き付けてひとみとの距離を開こうとする。
一方そのひとみはといえば、ある程度距離はとったものの、そのまま逃げるわけでもなく、その大きな瞳を輝かせてじっと真の方を見ている。
「おい、ほら、早く逃げろ」
(というか、そんなに見るな!)
真は心の中で叫ぶ。
さすがにそれは声には出さないが、こうも視線に晒されるとどうにもやりづらさがある。
なにか力まで抜けていきそうになる。
そもそも、正体がバレないとはいえ、こんな格好をクラスメイトに見られている時点で恥ずかしくて死にそうなのだ。
むしろ死にたい。
正体が隠せていなかったら、怪物を倒したあとそのまま自殺してしまおうとさえ思うほどである。
「でも、あなたが来てくれたなら、そんな怪物くらいもう大丈夫でしょ?」
真の心境などまったく気にすることもなく、追川ひとみは能天気な声を上げている。
(さっきまで怯えていたくせに、なにを言ってるんだ、こいつは)
真は呆れて声も出ないが、同時に、いつまでもその少女の相手をしても仕方ないことも自覚する。
「……もういい……、いつまでもこの格好でいるのも恥ずかしいし、一気にケリをつけさせてもらうぞ。とうッ!【
キッと怪物を睨み直し、リベンジをこめて真はもう一度跳んだ。
生身の頃とは比べ物にならない跳躍力で、まさに宙へと跳び上がったのだ。
「コラーッ! なにやってるのよ! そんなことしたら見えちゃうでしょ!」
真のジャンプに、横で観戦している追川ひとみがそう叫んでいる。
確かに、このスカート丈で飛び蹴りなどしようものなら、その中身は丸見えだろう。
だが、元来男である真はそれを恥らう価値観を持ち合わせていない。
それを言い出せばそもそも、もうこの姿自体が恥ずかしいのだ。
それにしても、やはりこの変身による肉体強化は半端ではなかった。
勢いをつけたキックが命中すると、着ぐるみの怪物は一気に土手の方まで吹き飛ばされる。
真自身の最初のキックではびくともしなかった怪物が、である。
だがまだ倒しきれてはいない。
ゆっくりと起き上がり、怪物はよろめきながらも必死に逃げようとしている。
「ほらほら、あいつが逃げるわよ! 街の平和のためにも、早く魔法かなにかでなんとかしなさいよ!」
「そうだ、魔法だピョン! ステッキの魔法でトドメを刺すウサ」
後ろでひとみが無責任に叫び、ウサギもひとみの言葉に乗っかってそんなことを言い出す有様である。
もう真にもどう返答していいかもわからなかったが、言っていることは一応正論に聞こえる。
あんな怪物を野放しにするわけにはいくまい。
「ステッキ……? これか!」
ウサギの声に応えるように、真はどこからともなくそのステッキを取り出した。
まさに魔法のように、なにもない空間から現れたそのステッキは、魔法少女にふさわしい星に飾られた白とピンクの逸品だった。
ぱっと見はおもちゃのようだが、手触りや質感は決して安っぽくはない。
まさに本物だけが持つ独特の雰囲気を漂わせている。
もっとも、本物の魔法少女アイテムがどんなものなのか、真の中には比較対象はなかったが。
「で、魔法ってのはどうやって使うんだ?」
「魔法は、君の心の中から湧き出てくるはずピョン」
答えになっていない答えだが、今の真にはそれで充分だった。
「なるほどな……、ハアァー……」
腰を落とし、ゆっくりと息を吐き出しながら気合をためる。
周囲の空気が少しずつ揺れているような錯覚を覚える。
いや、それは錯覚ではない。
実際に、目には見えない魔力が真の身体から放出されているのだ。
そして既にその視線の先には、逃げる着ぐるみ怪人の背中を捕捉している。
「喰らえッ! 【
魔力を集めるかのようにありったけの声で叫びながら、真は、ステッキを前に突き出して跳躍した。
大地を一蹴りしただけで、ステッキを中心として迸っている魔力が後方に噴射され、それによる加速が起こる。
その加速の邪魔にならないように身を屈め、ただただ前へと突き進む。
自分の身体が空気を裂いて飛んでいるのがわかる。
この瞬間、真は自らの身体が槍になっていることを実感する。
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
そしてその勢いのまま、着ぐるみ怪人の背中に、魔力の塊となったステッキを突き刺した。
(手ごたえありだ!)
そう思った瞬間、真の視界を、無数の白い爆発が埋め尽くす。
目の前の障害物を突き破ろうと、奔流していた魔力が収束してはステッキの先端で弾けていく。
それはまさに星屑が暴れ狂い咲いているかのようだった。
最後に、ひときわ大きな爆発が起こる。
そして静寂。
怪物は消え、後には小さな宝石だけが残される。
勝敗は、決した。
「なんださっきの爆発は……」
「おい、あれ見ろよ」
「コスプレ? 特撮かなにかの撮影?」
勝利の余韻に浸る間もなく、真の耳にそんな声が聞こえてくる。
我に返ってふと周囲を見ると、土手や橋の上から、何人もの野次馬たちが自分を見ていた。
どうやら少しばかり派手にやりすぎたようだ。
「ほら、勝利のポーズを決めるピョン! 人々の歓声に応えないと」
ウサギの言葉は気楽で無責任なものだったが、真の方はさすがに怖くなってくる。
これから自分はどうなってしまうのか。
とはいえ、戸惑っているのは観衆も同じらしい。
各々ざわめきはしているものの、目の前に現れた魔法少女にどう反応すればいいのか困っているのが手に取るようにわかる。
ただこのウサギだけが、場の空気を読めずにはしゃいでいるのだ。
「とりあえず、ここは一旦退くぞ……」
「えー、せっかくの機会だし、ここはもっと大々的にアピールした方がいいウサよ。みなさーん、彼女がこの街に降臨した魔法少女だピョンよー!」
「えっと、じゃ、じゃあ、そういうことで」
しどろもどろになりながらそう挨拶だけすると、真は慌ててウサギをひっ捕らえ、心に浮かんだ飛行能力を駆使してその場から逃げ出した。
空を飛んでしまえばさすがに誰も追ってこられないが、それ以前に皆、あっけに取られているようだった。
自由に宙を飛ぶ爽快感など感じている余裕もない。
慌てこんで、魔法少女の姿なまま真は一直線で自宅へと逃げ込む。
幸い周囲に人影もなく、どうやら人に見られた心配はなさそうだ。
それでもブーツを脱ぐ余裕もない。
玄関を開けると、文字通り飛んで二階の自分の部屋へと向かう。
乱暴にドアを開け、転がり込むように部屋へと入る。
そして、自室のドアを閉めたことでようやく一息つき、真は、鏡で自分の惨状を確認した。
「な、な、なんだこりゃあぁぁ!!」
そこで彼は初めて、魔法少女としての己の姿を見ることになったのである。
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